68.結城と石動二

 寝室部屋から隣の部屋へと続く襖へと手を掛けて、すっと横に開ける。


「うぁ……。眩しい……。」

 途端、ふすまの隙間から強い光が差し込んできて、桔梗ききょうは思わず目を細めてしまう。それは障子戸で散乱された光と言うよりは、開いた窓から直接に入り込んでくる陽射しの明るさであった。


 咄嗟に掌をかざして目に入ってくる光を遮りながら、居室の中へと顔を覗き込ませてみると、やはりと言うべきか、垂直にそそり立つ壁の、その一部を切り取ったかのように真四角に区切られた窓は、障子戸が開けっ放しになっていて、外からの鋭い日の光をそのままに差し込ませていた。散乱もせず直接に明るい陽射しが差し込んでくるために、陽の通り道は目を細めねばならぬほどに明るく、部屋の隅は細部があやふやなほどに薄暗く、桔梗ききょうの視界の中では部屋の真ん中と四隅とが、色合いをくっきりと分けさせていた。窓の四角型に区切られた陽射しの通り道は、全てがだいだいに色づいたようで、その中では埃がちらちらと輝いては、綺麗な白色の反射を見せては舞い立っている。


 陽射しの流れを目で追って、窓へと視線を向けてみると、そこは一層に眩しく感じられたが、桔梗ききょうは床にぽつりと影を落とす一人分の影を見つけた。強い朝日を頬に受けながら、緩く垂れたまなじりで庭へと向かって視線を落とす女性は、昨日と同じように窓のさんに足を引っかけて、膝を立てると、その上に頬肘をついて、穏やかに息を吸っては背中をゆくりと膨らませていた。


 眠る前後の記憶が無い桔梗ききょうにとってしてみれば、まるでそれは昨日の夕食時に眺めていたものと、全く地続きのままの光景で、ずっと同じことをしているように見えて、一晩中、そんな恰好で、外を眺めていたのだろうかという感慨が湧いてきてしまう。


「おはようございます……。」

 彫像の様にして静かに佇んでいる彼女の姿に、多少声を掛けることに戸惑われながらも、桔梗ききょうは朝の挨拶を口にした。それで外を眺めていたふでも、桔梗ききょうのことに気が付いたのかすっと顔を上げて、視線を向けてくる。


「おや、お目覚めになりましたか。おはようございます。」

 いつもの、ゆるくて甘いどこか蠱惑的こわくてきな声で、彼女は返事をすると、戸の向こうから窺うように部屋の中を覗き込んでいる桔梗ききょうの姿を眺めて、にまりと屈託のない笑みを浮かべた。


「どうしたんです?御這入おはいりなさいな。」

 襖の向こうで、何を躊躇ちゅうちょするのか戸惑っている桔梗ききょうに向かってふでが手をこまねいて見せる。それでようやく頷いて桔梗ききょうは部屋の中へと足を踏み入れた。明るい朝方の光景だからか、それとも入ってきた方向が違うからか、調度や造りは何も変わっていないのも関わらず、桔梗は足を踏み入れた部屋に、昨日とは何となく違う雰囲気を感じてしまう。


「良く、眠れましたでしょうか?」

 部屋の雰囲気に桔梗ききょうが戸惑っていると、ふでがゆるりと口を開いて、そんなことを尋ねてくる。桔梗ききょうはさきほどまで随分と無防備に心地好く布団にくるまれていたことを思い出して、多少恥じる気持ちを持ちながら、ふでに向かって頷いて見せた。


「ええ、ええ。おかげさまで寝られました。布団が良いと、ああも心地好く眠られるものなんですね。」

「ほんにぐっすりと眠られたようで。桔梗ききょうさん。髪が随分と乱れておりますよ。」

 くすりとふでが笑みを浮かべる。


「うえ?」

 ふでに言われて慌てて桔梗ききょうは自らの髪へと手を当てる。確かに右側頭部の髪がむわりと逆立っていて、指先で触れてみると、ぴんっと弾力をもった上向きの反発が感じられてしまう。掌で幾分か撫でつけてみるが、その程度で寝癖の髪が治るはずもなく、当たり前の様に乱れた髪は綺麗に天へと向かって毛を逆立ったままであった。


 後で水でも使って直さねばと思いながら、とりあえずは髪を撫でつけることを諦めて桔梗ききょうは手を下ろす。その代わりにふでへと向かって、今度は自分の疑問を口にした。


「確かに私は良く眠れましたけど、むしろ、ふで殿は眠れたのですか?」

 問われて、ふでは肩をすくめて見せる。


「なにを言うんです。私もちゃんと寝ておりますよ。」

「本当ですか?私からすると、ふで殿が寝ているところを見たことが無いのですけど、いつ寝ているんです?」

「さてね。歩きながらでしょうか。歩きながら寝ております。」


 平静とした顔でふでが嘯くと、桔梗ききょうは顔を顰めさせて口を尖らす。

 彼女のいつもながらの軽口ではあった。常と変わらぬような戯言ざれごとではあるが、やはりと言うかなんというべきか、心配を無下にされるのは、それはそれで桔梗にとって少しばかり気分がささくれ立ってしまうものであった。


「また、そう言って、筆殿は適当なことを仰いますね。」

「お気に召しませんでしたか?」

「気に食う、気に食わないというより、ふで殿が自分に何も本当のことを教えてくれぬのが不満なだけです。」


 わざとらしく溜息をついてしまいながら、桔梗ききょうは膝を曲げると、居室の一角に腰を下ろした。ただそうして床に座ってみると、身に着けていた着物の帯がぎゅっと引き締まって、腹が圧迫される感覚がしてしまう。どうにもこの着物というのは体を動かすには窮屈に感じられてしまい、やはりこんなものをいつも身に着けているわけにはいかないだろうと心持が桔梗ききょうの中では勝ってくる。


 一方で肝心のふではと言えば、窓のさんに腰かけて、平静な顔を浮かべたままに、首を捻って見せてくる。


「本当のことなど、聞いたってつまりませぬでしょうに。」

「つまるつまらぬの話ではありません。私はふで殿のことが知りたいと言うておるのです。」


「私のことなど、知ったからとどうなるものでもありますまい。それこそ私など大層な人間ではありませんし、酷くつまらんものですよ。」

「知ることで信頼が生まれるとか安堵しますとかありますでしょう?だいたい、ふで殿が大層でないのでしたら、私など芥ほどにも価値がないではありませんか。」


 床の畳を指三本先でとんとんとんと叩きながら桔梗ききょうが言ってみると、ふでは再び大仰に肩を竦めて見せてくる。



「そうでもありませんよ。私にとっては、桔梗ききょうさんは随分なお方です。」


 ふではそう言って、桔梗ききょうの顔をじっと見つめていた。


 その声は至って真面目であったし、見つめてくる眼差しは真剣そのものであったが、桔梗ききょうに取ってみれば、そのふでの顔と言うものが全く信用ならなかった。彼女は笑顔で人を斬りもすれば、真剣な顔で冗談のようなことをしれっと言ってくる。


 逆に桔梗ききょうは、彼女の真面目な顔を、半ば疑い交じりの視線でじとっと見つめ返してまう。



「いつも嘘やら冗談やらを言っている人は、そんな言葉も信用なりませんよ。」


 そう言われてふでは僅かばかりに目を見開いた。言葉に詰まらせた後、「なるほど」と、奇妙に納得した表情を浮かべて一つ頷いている。



「確かに、それはそうでしょうかね……。」


 顎に手を当てて、ふむっと考え込んだふでは、桔梗ききょうから窓の外へと視線を外しながら口を開く。

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