64.闖入者二

「俺たちが気持ち良い目にあわせてやるって。なあ、良いだろ?一緒に楽しもうぜ。気持ち良くしてやるからよ。」

 無造作に近づいてきた小男が、ふでの腕の中で抱かれていた桔梗ききょうの手を無理やりに掴み上げた。

 幾分と酔っていたせいもあってか、桔梗ききょうは腕を振り払うこともせずに、頬を染めたままぼんやりとした表情で小男を眺めあげた。

 その表情が、男の加虐心を煽ったのか、小男はやにわに桔梗ききょうの腕を引っ張り上げる。


「わわっ?」

 ぼんやりとした顔で桔梗が僅かに慌てた声を漏らす。

 くっと腕を引っ張られて、桔梗ききょうの体は訳もなく小男の胸元へと引き寄せられる。


「貴方様がたねえ……。」

 咄嗟に桔梗ききょうの体を引き戻そうと、ふでが窓の桟から立ち上がると、遮るようにしてその手を太った男の手が掴み取った。ふでの細く白い腕に、ごわごわと指毛までもっさりと生えた丸っこい指が触れて、がしりと握りこんでいく。

 途端、ふでは眉根を顰めさせて、思わずも嫌悪で「うぇ」と喉を鳴らししまう。


「あんたは、こっちだよ。俺が相手してやるから、こっちにきな。」

 唾液にまみれた唇を、にたにたと弧月状に笑ませて男はぐっと手を引っ張ろうとした。

 その腕に男は力を込めたつもりではあったが、ふでの体は、というかその腕の一本もびくりとも動かずに空中固定されたかのように留まっていた。

 窓の桟から微動だにもせず、ふではじっと男の顔を睨み付ける。


「おう……?」

 ふでの腕が全く動きもしないことに、男は不思議そうな表情を浮かべ、改めて掌をぐっと握りしめる。そうして全身の力を籠めて腕を引こうとするが、それでもふでの体は一切も動かずに、男は当惑してしまう。

 据えた目をさせて男を睨み付けたふでは、大仰に溜息を漏らし口を開いた。


「まったく……。」

 吐き捨てるように言いながら、ふでは前足をすっと上げた。


「貴方様、ちょいと頭を下げて貰えませんか?」

「ああん?」

「頭を下げてくださいと言うておるのです。」

 冷淡な声で言うたふでは、上げた足を僅かに引いて、刹那に蹴り伸ばす。


 途端、

ミシィ――

 と、骨の軋む音がしたかと思うと、男の膝頭へと、ふでの踵がめり込んでいた。


「いっっ!!?」

 唐突に訪れた痛みに悲鳴を上げた男は、慌てて体を屈みこませ、情けなく顔をゆがませる。

 かくっと膝頭が抜けるように足を曲げた男の体は中腰となり、丁度ふでの腕先が届くのに良い高さへとなっていた。


「てめっ――」

「まだちょっと高いですかねぇ。」

 拳を握りこむと、ふではぎゅっと小指から力を引き絞り、男の鳩尾みぞおちへと思い切りに拳を撃ち込ませる。

 だらしのなく贅肉の付いた体の中心に、ふでの拳が叩きつけられ、男は途端に目を白黒と瞬かせる。


「うげぅっ!?」

 堪らずに呻き声をあげた男は、拳に押し出されるように僅かに吐瀉すると、強かに体を痙攣させながらうずくまった。

 立って居られずに膝を畳へとつけて、腹部を抑え込みながら背中を丸めた男は、苦悶の表情でふでを見上げる。

 それは何が起きているのか分からずに、ただひたすらと痛みで錯乱したような顔であった。

 そしてその顔は、ふでの腕が触れるに、手頃な高さへと落ちて来ていた。


「そう、これぐらいで丁度良うございますね。」

「はっ?」

 と、僅かに戸惑った声を上げた男の顎へと向かって、間髪も入れずにふでの掌底が叩き込まれる。


「はう?」

 くんっと顎が揺れると、梃仕掛けの振り子めいて、男の頭蓋が勢い良く振られた。

 頭骨の中で、男の脳みそが大仰に揺れて、振り動き、脳脊髄液を泡立たせながら骨壁へと何度もぶつかる。


 途端、男の視界はくるりと回転し、体を崩れ落ちさせていた。

 床に倒れ込むまでの刹那の中で、男の意識はくるくると床と天井とが揺れる世界を何万回と体験していく。その永遠とも思える時間が恐ろしくて、声にならない息を漏らして、いつの間にかその意識を遮断させていた。


 真新しい畳の上へと男の体がぶつかり、どすっと鈍い音を響かせて、床が僅かに上下へと揺れた。

 酷く冷淡な目つきで、ふでは倒れ込んだ男の体を見下すと、ふうっと、吐き捨てるように吐息を漏らした。

 忌々しい男の頭を叩いたことで、ふでは多少なりとも胸のすくような感慨をもって掌を叩いていると、すぐに桔梗ききょうが小男に手を取られていたことを思い出して、はたと顔を上げる。


桔梗ききょうさんっ……、大丈夫ですか?」

 言いながら、急いでふで桔梗ききょうのいた方へと視線を巡らせた。


「ふぁい……?」

 慌てたふでとは対照的に、何とものんびりとした調子で桔梗ききょうの声が返ってくる。


 慌てて向けた筆の目に映ったのはどこか奇妙な様子であった。


 立ちすくむ小男の右腕へと、蛇の様に桔梗ききょうの体躯と肢体とが絡みついていた。

 右掌の中指の先から、まるで捩じらられた布かのように桔梗ききょうの体がくるりと腕に纏わりついて、そのまま腕の上を伝っていき、彼女の足は小男の首にまで至っている。そうして着物の裾から露わになった、細く白い桔梗ききょうの足先は、皮の弛んだ小男の首元へと絡みつき、くっと締め付けていく。

 腕十字と足四の字の混じったような絞め技であったが、それ以上に桔梗ききょうの体躯は柔らかく縄の様にして絡みついている。

 するりと、桔梗ききょうの体が男の腕を這うように動いたかと思うと、すぐに、ぎりぎりぎりっと肉の引き絞られる音が響く。


「うくく……。」

 首に絡みついた足を振り解こうと、小男は左腕を伸ばして、桔梗ききょうの太ももへと掌を触れさせる。足と首との狭間に指を突っ込んで、力を籠めようとするが、見る間に小男の顔は赤黒くなっていく。耐えきれずに男は左腕に握った足を手放して虚空に伸ばすと、二三度掻くように漂わせ、すぐに床へと倒れ込んだ。

 床が震え、どしんと人一人倒れる音が大きく響く。


「ぎぅ……。」

 次いで、男の喉から狭い器官から絞り出されたような奇妙な音が漏れた。

 どうやら、それで小男は気を失ったようで、張りつめていた全身の筋肉が弛緩していくのが目に見えて分かる。


 腕に絡みついていた桔梗ききょうは、体を引き起こして、そのまま動きで腕を絞り上げるように小男の体の上へと乗った。うつ伏せに倒れた小男の腕を、桔梗ききょうが背中側に引き絞ると、みしみしっと関節痛む音が伝わってくる。

 小男の腕は背中に向けって真っすぐに伸び、掌の関節だけが捩じられて、桔梗ききょうの腕によって固められていた。そうして桔梗ききょうはその腕を軸にして、まるで遊具で遊ぶ子供のように左右に揺れている。酔っているせいなのか、どこか顔を呆けさせながら、楽しそうにしている。

 てっきり、桔梗ききょうが男に襲われ苦しんでいるだろうと考えていたふでに取ってみれば、目の前の状況は多少に信じがたい光景であった。


桔梗ききょうさん。そんな器用なことが出来たんですか?」

 驚いた口調でふでが尋ねると、桔梗ききょうは男の体の上でふらふらと揺れながら、拗ねた様子で唇を突き出して見せる。


「えぇ~。なんですか。体術はそれなりに自信があるって、旅の途中で言いませんでした?」

「確かに、そんなことを聞きはしましたがね。まさか信じられやしませんでしたよ。」

「むぅ……。なんでですかねえ……。」

 不満げな声を上げて、桔梗ききょうは首を捻りながら、そのまま体を傾けていく、ある一点を越えたところで、ごきっと鈍い音が室内に響き割った。


「ぐぶぁうっ!!」

 床に伏せていた小男の口から、鈍い声が溢れ出た。

 意識もないままに小男はびくりと大仰に体を震わせた。

 体の下で男が跳ねたことに気が付いて、桔梗ききょうははたと目を見開いて、しまったと言うような表情を見せる。


「あっ……やっちゃった……。」

 慌てて桔梗ききょうが握りこんでいた腕を離す。力を失った小男の腕はしなだれ落ちて、ただの肉塊の如くに床へとぶつかり、音を立てた。


 酔いが回っているのか、桔梗ききょうは小男の体の上で、ふらふらと体を揺らしながら目を瞬かせている。

 そのふらついた勢いが余って、極めていた間接に体重をかけてしまったらしい。


 瞼を半開きにして、桔梗ききょうはどこか呆けた表情を見せながらも、慌てているのか、体をしきりに揺らしながら、手をばたつかせている。


 小男はといえば、桔梗ききょうの尻の下で白目をむいて口から泡を吹いてしまっている有様だった。


 男共にとっては何とも悲惨な状況ではあったが、兎も角も、桔梗ききょうが無事だったことに安堵して、ふではふうっと肩の力を抜いた。


 多少なりに酔ってふらついている桔梗ききょうは心配ではあったが、とりあえず目の前の男どもの始末をしてしまおうとふでは身を屈める。


桔梗ききょうさん。ちょいと、その男性から降りてくださいな。」


「え……?あ……はぁい。」

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