56.鉄銭四

「……し、しかし、越後屋えちごやさんは呉服屋だと思っていましたが……。」

「お客様は、当店のご利用は初めてで?」


 部屋の行燈あんどんへと順々に火を灯していきながら、番頭は桔梗ききょうへちらりと顔を向ける。

 問われて桔梗ききょうは多少狼狽えながら頷いた。


「ええ、まあ……。」

 利用と言うか付き添いであって桔梗ききょう自身は客ではないつもりであったが、それでも番頭は酷く恭しい態度で接してくる。


「驚かれているようなので、ご説明させていただきますが。当店は正真正銘の呉服屋でございますよ。ただ……こういうことにも手を伸ばさねば、私共のような新しい店が、そうそう急には大きくなれないものです。最も、そう言う店は、うちだけではありませんがね……。」


 どこか含みのある様な物言いであった。


「と言うと、他にもこんな店があるんですか?」

「至る所にありますよ。私共が言うのも何ですが、世の中、そう言うものです。」


 部屋の四つ目の行燈へと火を灯して、手持ちの火を消してしまうと、そこでようやく番頭はふでへと視線を向けて随分と畏まった仕草で、腰から頭を下げた。

 あか仄暗ほのぐらい行燈の明かり中では、皺の深い番頭の顔は一層に闇を湛えていて、無表情に澄ました様子ですらも、どこか意味あり気に見えてしまう。


「さて、一式が御入用と言うことでご注文をうけたまわりましたが。差し当たって何をご用意いたしましょうか。」

 番頭が尋ねると、ふでは腰から鞘ごとに刀を抜いて、部屋の中心にある机の上へと無造作に置いた。ごとっと重々しい音が静かな室内に俄かに響き渡る。


「まずは、この代わりを頂きたいのですがね。」

「こちらは……打ち刀ですか。失礼ですが抜いてみても?」

「ええ。」


 ふでの置いた刀を手に取ると、番頭はゆっくりと刀の柄を引いていく。

 鞘の中を刀身が擦れる音を響かせて刀が抜かれていくと、その手応えに番頭は片目だけを細めて見せた。


 すぐに刀の全身があらわとなって、番頭は微かに息を止めながら、刃先へと視線を移す。


「なるほど……。」

 呟いて番頭は刀を握る掌をくるりと返すと、刀身が翻って行燈の灯の中で鈍い光沢を煌めかせた。


 横向きに刀を倒し、刀身へと手を添えながら、番頭はその刃先をじっくりと眺めていく。そうして番頭は波紋の畝の中に番頭の目がくっきりと移りこむほどに、顔を近づけて凝視していった。


 不意に番頭は口を開いた。


大凡おおよそに二尺二寸。僅かに左に曲がって、所々刃零はこぼれが見えますね。刃先には……幾分か脂に塗れていらっしゃる。なるほど御代おかえが必要になるわけです。」

「まあ、そう言うわけでございます。」


「この代わりを?」

 手に持っていた刀を鞘へと戻しながら、番頭はどこか表情を窺うような視線でふでへと顔を向ける。


 ジジジっと部屋の中に、行燈の中の油粕が焦げ付いて弾けるような音を響かせた。

 ふでは頷いて、番頭の向けてくる目線に真剣な視線を重ねる。


「同等以上の、そして手に合うものを。」

 ふむっと小さく唸って番頭は壁に近づくと、そこに掛けられていた刀を迷いもなく手に取った。そうして机の上へと、その刀を置いて見せる。


「では、こちらのせき孫六まごろくなどは、いかがでしょうか?切れ味が良く、握り心地は軽やかな一品です。」

 番頭の言葉を聞いているのか聞いていないないのか、すぐに刀を手に取るや、ふでは鞘から勢いよく刀身を抜き去った。


 先ほどの刀とはまるで違う、風にそよいだ鈴が鳴り渡るかのような音を響かせて、刀身が露わになるや、行燈の灯に刃先は鈍く光って、折々に跳ねるような特徴的な刃紋が、桔梗ききょうの視界の中で緩く煌めいていた。


 緩い弧を描いた刀身は、磨き上げられた玉の如きに輝きを見せて、武器にも拘らず桔梗ききょうはその佇まいには宝飾品と見紛う気品があった。


 一瞬、魅入られるようにすら感じられた。


 柄を一つ握りしめると、不意にふではその場で二三度、虚空を切り裂いた。

 目に見えぬほどに速く切っ先は空間を通り抜け、刀を振るったはずにも拘らず、聞こえてくるだろう風を切る音すら伝わってこなかった。


 それは空気が余りにも綺麗に切れすぎて、風すらも起きぬほどであったからだった。


「ふむ……。」

 小さく頷いてふでは手に持った刀を一度鞘へと納めると、途端鋭い勢いで再び刀を抜き去る。


「あっ……。」

 不意と腹部が一直線に熱くなるのを感じて、桔梗ききょうは咄嗟に手を伸ばす。


 まるで自分が切られてしまったかの如くに思えて、思わずさすったお腹がつながっていることに、堪らずに桔梗ききょうはほうっと安堵の吐息を漏らしていた。


「なるほどなるほど。これは面白うございますね。」

 手首を返して刀を翻しながら、ふでは薄笑みを浮かべながら頷いて見せる。


「えっと……それって良いものってことなのでしょうか?」

 桔梗ききょうが尋ねると、緩く縦て構えた刀へと顔を寄せながら、ふではすっと視線を差し向けて口元を緩めた。


「そうですねえ……。さて、言葉で説明するよりは見た方が早いでしょう。桔梗ききょうさん、紙か何かをお持ちでしょうか?」

「え?あ、はい。懐紙ならいくつか持っていますが。」


 言いながら胸元へと手を突っ込むと、すぐに桔梗ききょうは懐から十字折りにされた一枚の紙を取り出した。かさかさと桔梗ききょうが折り目を戻してみると、その紙は掌ほどの大きさに広がった。


 紙を広げたのを見て取ったふではゆるりと手を伸ばして、刀の切っ先を桔梗ききょうの胸元近くへと伸ばした。そうしてくるっと手首を返して、切っ先を上へと向ける。


 刀の切っ先が自分へと向けられたことに、桔梗ききょうは思わずおののいて身をすくめてしまう。


「ひっ……あの……筆殿ふでどの、なにを……?」

「何も致しませんよ。ただその紙を、刃の上へと置いてみてください。」

「え、えっと……?」


 戸惑いながらも、言われた通りに桔梗ききょうは手に持っていた紙を刀の刃先の上へそっと置いた。空気の抵抗を受けて、ふわりと両端を広げた懐紙は、緩やかに舞って刃先へと触れたかと思うと、そのまま触れた先から二つに裂かれて、さぱりとその場へと落ちてしまった。


 余りの切れ味に、桔梗ききょうは目を見開いて息を飲む。


「これは……。」

「まあ、こう言う具合でございますよ。」


「こ、こんなあっさりと斬れてしまうものなんですか?」

「良い代物ですからねえ。とは言いましても。斬れるというのも、裂けるのと断てるのと二種類ございましてね。」

「裂けると断てる……?」


「ええ。今の様な刃先だけで斬れるのは、大凡に研ぎの良さにかかってまいります。薄いものを斬るのやら肌を削ぐ程度であれば、それで十分でございますがねえ。腕一本切ろうとしたら、そんな切れ味だけではいけませんでしょう?」


「なるほど?えっと……その、薄いものを斬るっていうのが、裂けるってことですか?」


「そうでございます。そうして、腕や体のような太いものを断つには、刀の造りが物をいってきます。刀身の粘りですとか、反り具合、鋼の強靭さ。そう言ったものがあるかどうかが大事になるんですよ。」


「この刀には、そういうものがあるんですか?」

「さあて、持った具合にはそう感じますがね。」


 ちらりとふでが視線を向けると、番頭は片眉を僅かに持ちあげて澄ました顔を見せる。


「私共は最高の品質を保証いたしますよ。」


 その言葉に、ふふっと笑みを返してふでは刀を鞘へと納めると、机の上へと置きなおす。


「まあ、良いものかと思いますよ。あとは長物を一本いただけますか?」


 すぐに番頭は壁の一角へと向かうと、掛けられている武器の中から、一本の槍を手に取った。


「金房正真。天文の頃の逸品です。」


 振り返りながら番頭が差し出した槍を手に取って、ふではその重量を確かめるかのごとくに腕を上下させる。そのまま眺めるように刃先へと視線を向けたかと思うと、ふでは訝しそうに僅かばかり眉根を顰めた。


 すっと手を伸ばして柄を両の掌で握りしめると、腰を落として虚空に向かって穂先を構えさせる。


 そこで、ふでは不可思議そうに首を捻った。


「これは何か妙ですね。」


 番頭は恭しい表情のままに、ゆるりと頷く。


「分かりますか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る