55.鉄銭三

 微かな無言の間の後に、少しだけ言葉を躊躇躊躇した表情を見せると、手代てだいの男は急に佇まいを正し、膝に手を当て恭しく頭を下げた。


「承知いたしました。少しここでお待ちください。」

 言葉遣いをやけに丁寧にした手代は、そう言ったあと、近くにいた初老の男性へと駆け寄っていった。


 初老の男性へと近づくと、手代はぼそぼそと何やらを耳打ちして先ほどの鉄銭てっせんを隠すような手つきで渡す。


 鉄銭を手渡された男の顔は深い皺が刻まれており、髪こそ白髪の一本もなかったが、それなりの年齢を感じさせる佇まいをしていて、店の中でも地位のある人間なのだろうと感じさせる雰囲気があった。


 長らく商売人をしているせいなのか、初老の男の目端は細く垂れ下がり、口元には笑みの皺が深く刻まれていて、ただ佇んでいるだけでも随分と朗らかに見えてくる。

 手代の耳打ちする言葉の端から、「番頭ばんとう」と呼ぶのが僅かに聞こえてきて、その男が店の商いを取り仕切っている存在なのだと桔梗ききょうは悟った。


 店一番の存在が関わってくるようなことだと言うことに、桔梗ききょうは驚きながら、何が行われるのかと二人の様子を興味深く見つめていく。


 番頭は掌の中に収めた鉄銭を眺めて、大きく目を見開かせた後、真剣な眼差しで手代からの言葉にこくりと小さく頷いて見せると、ややもして、手代から入れ替わるように彼は、ふでたち二人へと向かって近寄ってきた。


「お待たせいたしました。」

 顔立ちに似つかわしい渋い響きのある声だった。


「ここからは手前が案内させていただきます。まずはとりあえずはお上がりなさってください。」

 恭しく番頭の男は頭を下げると二人へと畳へ上がるように促した。


 言われるがままにふで桔梗ききょうは、草鞋わらじの紐を解いて、足先についた土埃を何度か払うと畳へと足を上げた。


 畳に上へと足を載せてみると、天井から吊るされた着物が一層と近くなり、華やかな景色が急に眼前へと広がってくる感じがした。


 流石に歩いていて頭に触れてしまう程も、裾縁すそべりも低くはなかったが、ちょっと踵を上げて手を伸ばしてみれば、指先が触れそうなぐらいには近くに見えてしまい、幾つもに吊るされ並ぶ着物の群れに、どこか惹かれてしまう思いで桔梗ききょうは顔を上向かせた。


「あっ……。」

 一瞬、桔梗ききょうは草原の中で青い空を見上げたかのような感覚に陥った。


 そう勘違いしてしまいそうなほど、偶然視界に入った着物は鮮やかなほど青くって、畳の上に居ることも相まって、まるで爽やかな草原で立ちすくんでいるような錯覚さえ感じてしまいそうになる。


 思わず首を振るって、桔梗ききょうは自分の気を取り直そうとする。

 それでもと、どうしても着物へと意識をとられてしまい、更にもう一つ奥の着物へと視線を向ける。


 そこには黄色地をした着物の裾に、一本の紅梅が咲いた図柄の刺繍があった。


 細くいびつたおやかな枝振りに、ぽつんっと紅い花びらが浮いたように彩られている。

 それが余りにも可憐なものだから、思わず桔梗ききょうは興味本位で手を伸ばしてしまう。


 あとほんの僅かで触れそうかと言うところで、売り物に触れてはいけないと、慌てて桔梗ききょうは手を止めた。


「おや、興味をお持ちいただけましたか?」

 二人が畳に上がるの恭しく待っていた番頭が、桔梗ききょうの様子に気が付いたのか、少しばかり商売人の顔を取り戻して、そんなことを尋ねてきた。


「あ、いえ……。その綺麗だなって。」

「お嬢様ならお似合いになられますよ。物のついでに、お一ついかがでしょうか。」


「お、お嬢様……?」

 一生に一度も言われたこともない呼び方をされて、桔梗ききょうは目を白黒とさせてしまう。


 はたと気を取り直すと、慌てて桔梗ききょうは首を振るった。


「いえ、その、私などに、こんなものは不釣り合いですから……。」

「私もお嬢さんにはお似合いかと思いますがねえ。」


 傍らから首を伸ばして、黄色地の着物を覗き込むと、ふではちらりと桔梗ききょうに視線を向けて見せる。


筆殿ふでどのまで……からかわないで下さい。」

「似合いそうというのは本心でございますよ。」


「なにを仰るんですか……何にせよ今はふで殿の用事の方が優先です。」

 無理やりに話を打ち切ると、顔を覗き込ませてくるふでの背中を桔梗ききょうはぐいぐいと押していく。


「分かりましたから、押さないでくださいな。」

 ふふっと軽く微笑んで、背中の押されるままにふではとととっと軽く歩き出す。


 それに続いて傍らから番頭の男も歩き出し、道先を案内していく。

 店の中には着物を求めて天井を眺めている女性や、着物の元となる反物を抱えて店員と話し込んでいる男がいて、客出も多く、吊るされた着物が華やかなこともあるせいか、店の中は往来よりも更に賑やかで騒がしく見える。


 ただそれも、店の奥へと進むまでのことで、部屋の隅へと向かうにつれて、徐々に響いていた客の声も小さくなっていき、ひっそり静かに雰囲気を変えていった。


 そうして辿り着いた部屋の一角には幾つの棚が並び、中には呉服の元となる反物が重ねられているだけのようだったが、色とりどりの布地が並んでいるのも、それはそれで華やかに見える。


 二人を案内して棚の前へと足を運んだ番頭は、その中にある反物の一つを手に取ると、抜けて開いた空間へと手を差し入れる。


 奥の方を探ったかと思うと、不意にガコっと何かが外れる音がして、近くにあった壁が急にきぃっと金物の擦れる音を鳴り響かせた。ただの変哲もない壁だとしか見えなかった場所が突如として開いて、ぽっかりと黒い空間を露わにしていた。


 それは外からは全く分からない隠し扉であった。


「こんなところに隠し扉が……。」


 桔梗ききょうが驚いていると、番頭とふでは訳知り顔で、何の感慨もなさそうに開いた隠し戸の中へと入っていく。面喰って立ち止まってしまっていた桔梗ききょうに、ふでが振り返って手を招いてみせる。


「いきますよ桔梗ききょうさん。」

「あ、はい。待ってください。」


 番頭とふでとの二人に続いて桔梗ききょうが中に入ってみると、そこは窓一つもなく真っ暗な空間が広がっていた。


 中は僅かばかり入り口から差し込む光で足元ぐらいは見えるのと、ふでと番頭が動いているだろう音が何とか聞こえてくるだけで、その先がどれだけ広いのか、そもそも先が続いているのかすら分からずに入り口で桔梗ききょうは足を止めてしまう。


「真っ暗なんですね……。」

 そう桔梗ききょうが呟いていると、後ろから急にきいっと音がして、ぱたんと隠し戸が自然と閉まってしまう。


「わっ!?」

 途端に部屋の中が真っ暗になってしまい、桔梗ききょうは驚いて小さく声を上げていた。


「少々お待ちください。今明かりをお付けします。」

 闇の中で番頭の男の渋い声が響く。


 しばらくもしない内に、ガチッと硬いものの衝突する音がして、火花が散った。小さな火打石を叩いたのだろう、真っ暗な空間の中にぽっと小さな紅い火が生じ、ジジジっと微かな音ともに仄かな煙が部屋の中に漂っていく。


 紙に火が付いているようで、その小さなあかりをすいっと動かして番頭は部屋の片隅にある行燈あんどんへと運んだ。すぐに中の油へと浸っていた紐へと火が灯って、真っ暗闇だった部屋の中へとにわかに明りが広がっていく。


 そうしてようやく、その室内にあったものが、桔梗ききょうの視界の中へと姿を露わにする。

 途端、僅かに桔梗ききょうは息を飲んでしまっていた。


 部屋一面の壁に、おびただしい数の刀が所狭しと掛け並べられていて、刀の間にはさらに槍や長巻、短刀どころか鎖鎌まで並べてあり、近くに供えられた棚には苦無までもが並べ置かれている。


 部屋の中心にある机には何も置かれていなかったが、それ以外の所には武器という武器が詰められていて、それはまるで城の武器庫に迷い込んだようですらあった。


 その異様な光景は、とてもではないが呉服屋の部屋の一角と言われても信じようがないほどである。


「これは……!?」


 思わず声を上げてしまうと、すっとふでが口元へと一本の指を立ててしぃっと呟きながら小さく微笑んだ。


「あの、筆殿ふでどの、ここは……?」


「ここはと言いますか……この店は、私達のようなものに必要な物を取り揃えてくれる。そういうお店なのですよ。」


 軽く目を細めて桔梗ききょうへと顔を寄せると、いつものような緩く甘い口調でふではそう言った。


「私達のような?」


 桔梗ききょうが尋ねると、ふでは分かっているだろうというように微笑んで、胸元へと指先を指して見せる。


「ええ、私達のような。」

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