54.鉄銭二

 二人はそのまま往来を行き交う人の波に乗って街を北へと向かっていった。

 それは蕎麦屋の店先から何ともなしに適当に歩き始めていたためだけのことであって、これからどこに行くべきなのか当てもなく、少しばかり意見を伺うつもりで桔梗ききょうふでへと顔を覗き込ませた。


「今日の所はとりあえず宿でも取りますか?相手の居所を調べるにしても、もう日暮れまで時間もありませんし、さして何もできないでしょうから。」

 言い訳めいてそう言ってはいたが、何よりも二日半も宿に止まらず駆け続けて来たのもあって、桔梗ききょうは体がくたくたになるほど疲れを感じていて、さっさと休んでしまいと言う気持ちが大きかった。


 伺う口調で桔梗ききょうがそう言ってみると、ふでは一瞬頷きかけながら、やはりというように首を振るった。


「それも良いですがね。まあ、先に身支度を済ませてしまいたいところです。」

「身支度ですか?」

「ええ、頼まれた件の方々と戦うのに武器をそろえなくてはなりません。なにしろ私の持っているのは刀一本で、こんな有様ですからねえ。」


 言いながらふでは自らの腰に差した刀の柄を握って、僅かに刀身を抜いて見せる。鍔と鞘との間に鈍く光る刀身が露わになるが、同時にぎぎぎっと鞘と刀が歪に擦れあう音が響いてきた。あからさまに刀身が歪んでいるのが伝わってくる。


「これだけでは心元ありませんから。早めに準備を整えておきたいのですよ。」


 往来の向こうからやってくる男を一人躱しながら、ふで桔梗ききょうへと視線を向ける。

 桔梗ききょうも彼女の言うことは理解したが、ただどうするつもりなのかが分からずに、顎へと手を当てて首を傾げて見せる。


「そう言えば成瀬様の所でも、用意が必要だからとお願いされてましたが、そう言う武器やらなにやらどうやって用立てするんですか。あの貰った銭でどうにか出来るものなんです?」


 あの老人が手渡してきた鉄銭てっせんが、何の役に立つのか未だに想像すら出来なかったために、桔梗ききょうはそのまま疑問をふでへとぶつけていた。


「ああ、あの銭ですか。あれがどう使うかは、すぐに分かりますよ。」


 飄々ひょうひょうとした調子で言いながらも、具体的に何に使うか明言しないふでの態度に、少し不満げに「えぇ」っと唇を尖らせながらも、桔梗ききょうは結局その傍らをついて歩いていく。


 そうしてふでは、往来を歩きながらも、不意にきょろきょろと周囲を見渡して、何かを探しているような素振りを見せ始める。


「何か探しているんですか?」

 桔梗ききょうが尋ねると、ふでは頷きながらも周囲へと視線を巡らせる。


「ええ、ちょいと、とある店を一軒探しておりまして。」

「えっと……筆殿ふでどのは名古屋に来るのは初めてなんですよね?店なんて知ってらっしゃるんですか?」


「確かに名古屋は初めてですがね。まあ、あれは何処にでもありますゆえにね。」

「えっと……?」


 言うことの意味が分からずに、桔梗ききょうは首を傾げてみせるが、ふでは困惑する様子に全くも頓着とんちゃくしていないようでそのまま何も言わずに歩いていく。


 そのまま幾許いくばくか往来を進んでみると、ふとした拍子に、ふでは「おや」と声を上げて、くいっと桔梗ききょうの手を引っ張った。突然に手を引かれて慌てて踏鞴を踏みながらも、桔梗ききょうは何をと言うつもりでふでの顔を見上げる。


「ありましたよ。探していたのはあれですよ、あれです。」

 そう言ってふでが見つめた視線の先へ、桔梗ききょうも目を向ける。


 そこには一つの大きな店が立っていた。


 平屋建てではあったが、一目にも途方にもなく敷地が広く、隣三軒分ほども往来に入り口を広げて見せている。それだけ広いと平屋であっても周囲から図抜けて棟が高く、一里離れても目につきそうな建物であった。


 何より目についたのは、玄関にある大きな垂れ幕で、鮮やかな紺の地に勢いのある字で「越後屋えちごや」と描かれていた。


 その特徴的な店構えには桔梗ききょうも見覚えがあるにはあった。


 入ったことこそ無かったが、最近は江戸でも堺でも街角の一つに見かけるような流行りの呉服店で、安く服が買えるということで、町人には人気の店ではある。なんなら、少し入ってみたいと、何度か思ったことがある有名な店だ。


 ただ、それがふでの言う武器の『用意』と結びつかずに、訝しんだ表情を見せてしまう。


「越後屋……って、呉服屋さんじゃないですか。服でも買うつもりなんですか?」

「似たようなものですよ。ま、服も買えましょうね。入りますよ」

 不思議そうに尋ねる桔梗ききょうの問いに、素知らぬ顔で言いながら、ふでは越後屋の中へと入っていく。


「あ、ちょっと待ってください。」

 ふでの後ろについて、慌てて敷居を跨いでみると、途端、広がってくる店の中の光景に桔梗ききょうは僅かに息を飲んだ。


「わっ……。」


 覗き込んだ店の中は、まずもって、殿上かと感じるほどに広く、どこまでも遠く部屋が続いていた。普通の屋敷の三軒分ほどは一つの部屋が広く遠く、柱は立っていたが仕切るような壁がないために、端が見えぬと思うほどであった。


 そんな広さも驚きだったが、何よりも圧巻だったのが、天井の仕掛けだった。


 店の天井には糸が引かれ、そこに繋がれた衣紋掛けに、青、緑、桜、黄と色とりどりの着物が溢れんばかりに吊れされていた。ふっと店内に風が吹き込めば、途端に色彩豊かな布達が裾を翻して、種々に色を入り乱れさせる。


「こんな目いっぱいに華やかな服が……。」

 一目に圧倒される鮮やかで煌めいた雰囲気に、桔梗ききょうは呆けてしまい、茫然と天井を見上げてしまっていた。


 吊るされた着物の柄は、更に、荒れ狂う波間やら翻る鳥やら咲き誇る菖蒲やらと、種々様々な光景が描かれていて、絵画でも張り巡らされたかの如くに派手で見事な光景で、余計に桔梗ききょうは目を引かれてしまう。


 惚けた気分のままに、驚いて桔梗ききょうがあちらこちらへと目を巡らせていくと、店の中には、ごった返すほどの人が溢れていて、騒がしく、慌ただしく見えてくる。


 ただそれも今ならば理解できる気持であった。

 こんな景色が見られるならば、冷やかしでも良いから店の中に入ってみたくなる。


 更に視線を動かしていくと、店内の至る所には『現金掛け値なし』と言う張り紙が張られて居るのが見えた。


 現金掛け値なしとは「利益度外視の安売り」と言った良くある売り文句の一つだったが、ここに並んでいる服が実際にどれぐらい安いのか、誰かから渡されたお仕着せの服を着るだけの人生で、呉服などにえんすらなかった桔梗ききょうには全く分からなかった。


 ただそれでも、やはり安いからなのだろう、店内はひっきりなしに混雑していて、その数多の客達へと番頭や手代達らが応対しているのが見える。


 店の入り口からは、広い土間から続いていて、そこから少し歩いて中に入ると、膝ほどもまでに上げられた床が現れる。床の上には青く藺草の一本一本のくっきりと通った綺麗な畳が一面に並べられていて、天井に浮かんだ着物との対比が鮮やかなせいで、草原の中に無数の旗が翻っているようにすら感じられた。


 土間を少し歩いて、畳の上へとふでが腰を掛けて座り込む。

 それに気が付いたのか、すぐに畳間の奥から、一人の手代てだいが現れると、とことこと人のよさそうな笑顔を近寄ってきた。


 それは商人らしく薄っすらと笑みをかをに張り付けて、歩いてくる間も僅かに頭を下げているような、随分と腰の低そうな男だった。


「お客様。何か御用事で?」

「ええ、御用事でございますよ。」


 ふでは男の顔を一瞥すると、袖に手をつっこんだ。

 もぞもぞと何かを探ったかと思うと、すぐに中から一つの薄い小物を取り出した。

 すっと摘まんだ形をさせたふでの指先にあったのは、家老の成瀬から渡された、あの鉄銭だった。


「これで一式を整えとうございます。」

 摘まんだ指をすいっと畳の上へと伸ばすと、碁石でも置くかのような手つきで、ぱちりと畳表に音を立てて鉄銭を置いた。



「へえ?これで?」


 僅かばかり不思議そうな顔をして裾を払い、そそくさと畳の上へと膝を下ろした男は、鉄銭をじいっと見下ろして僅かに目を見開く。


 続いてすいっと手を伸ばして鉄銭を摘み上げると、その表面に描かれている柄を能々と見つめた後に、商売人らしかったにやにやとした表情を途端に消して、すっと目を細めていた。



「お客様……。これで一式ですか?」


 酷く冷えた言葉に、からかっていると思われたのではないかと、傍らで控えていた桔梗ききょうは僅かに息を飲んでしまう。


 ふではそんな桔梗ききょうの様子も意にも留めないように、手代へと視線を向けると、念を押す様な口調で再び口を開いた。



「一式を、お願いしたします。」


「……。」


 男の言葉に、僅かに間が生じた。

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