51.蕎麦喰い三

「何名ですか?」

「見てのとおり二人ですよ。」


 そう言ってふでが指を二本立てて見せると、すぐ様に花番の女性は店内を見渡して、席が空いているのかを確認していく。

 指をさして空いている席を確認すると、くるりと振り返り花番は二人へと顔を向けた。


「座敷と椅子と、どちらも空いてますが、どっちになさいます?」

草鞋わらじを脱ぐのも面倒ですし、椅子にしましょうか。桔梗ききょうさんも、それで宜しいでしょうかね?」


 尋ねられ否定する理由もなく、すぐ様に桔梗ききょうは頷いた。


「はあい、二名様ごあんなあい。」


 どこか間延びした口調で店の奥へと声を掛けると、花番の女性は長椅子の空いている場所へと二人を案内する。混んでいるのもあるせいか、案内された椅子にも当然のように一人の客が座っていて、店の奥の方へと向いているために顔は見えなかったがそれは若い男のように見えた。


 それも数多の客の一人と、強いて気にも留めず二人は長椅子へと座ると、そこに先の花番の女性が目の前に立って、顔を覗き込ませてくる。


「注文は何にいたしましょうか?」

「では、天ぷら蕎麦を。」

「あ、じゃあ、私もそれをお願いします。」


 即座にふで桔梗ききょうとがめいめいに注文をしてみると、花番は元気良く体を起こして店の奥へと向かって声を張り上げる。


「あいよ!天二杯!」

 花番の声が厨房の奥へと伝わるや、直ぐ様に「あいよっ」と男の威勢の良い声が返ってくる。


 天二杯、とは天ぷら蕎麦二杯と言う花番の通し言葉で、短い言葉で厨房に注文が伝わる工夫らしい。花番もそれで仕事は終わりとでもいうように、そそくさと店の奥へと走り去っていく。


 ただ、それでも、しばらくもしないうちに、再び花番は店の中へと現れて、お盆に丼を二つ乗っけてふで桔梗ききょうの元へと近づいてきた。


「はい。天ぷら蕎麦お二つ。お待たせいたしました。」

 おうっと思わず唸って、その速さにふでは僅かに目を丸くさせてしまう。


「いやはや、全く待ってはいないと言いますか、随分と早いものですね。」


「蕎麦ってのは食べるのも早けりゃ、出来るのも早くなくっちゃねって。うちの売りなんですよ。あ、だからって半生なんてことはありませんから、安心して食べてくださいな。」


 言いながら花番は、二人の座る椅子へと丼を置いていった。


 口の広い丼の半分ほどまでに、煮返しを薄めたのだろう澄んだ黒っぽい汁が満たされていて、そこに蕎麦切りがこんもりと盛られていた。うず高く山になった蕎麦きりのその上に、大きな丸い板状の掻き揚げ天ぷらが二つも載せられてる。


 久しぶりに見た食べ物と言うこともあって、桔梗ききょうは丼を眺めながらごくりと喉を鳴らしてしまっていた。


「それではいただきましょうか。」

「いただきましょう。」

 ふでの言葉に一も二もなく頷いて、ぱちりと桔梗ききょうは手を合わせた。


 丼を手に取って、その端へと口をつけると、桔梗ききょうはずずっと汁を啜り上げる。

 江戸の蕎麦汁と比べれてみれば、若干色の澄んでいて、しょうゆも薄く感じられるが、その分だけ魚の出汁の強い香りが立ち上って鼻孔を擽ってくる。

 傍らでは、同じように汁を啜ったふでが僅かに驚いた表情を浮かべている。


 そう、これが名古屋の味だ、と思い出しながら、桔梗ききょうはこくりと口の中に含んだ汁を飲み込んだ。


 胃の中へと旨みの塊となった出し汁が流れ込むと、空っぽだったお腹を満たしていき、桔梗ききょうは頬を緩めながら思わずほうっと熱い吐息を漏らしてしまっていた。


 一方で隣のふでは箸を手に取ると、大きく手を動かして、蕎麦の中へとその先端を勢い良く突っ込んでいく。


 箸先の限界まで挟み込んだとでも言わんばかりに、一気に大量の蕎麦切りを掬いあげると、二度三度と軽く箸を上下に揺らして汁を切ってみせるやふではそれを思いっきりに啜り上げた。


ずずずっ――


 小気味の良い音が周囲へと響いて、掬いあげた全ての蕎麦切りが一気呵成にふでの口の中へと吸い込まれていく。ちゅるりと蕎麦の端が舞って汁を滴らせながら、ふでの口元に入ったころには、丼の中身が半分程は消え去っていた。


 たんまりと口の中に蕎麦を抱え込んだふでは数度ばかり顎を動かすだけで、そのままごくりと大きな音を立てて飲み込んでしまう。そうしてふでは思い切りに吐息を漏らした。


 ほふっと何とも満足げな吐息の音が、周囲へと響いていた。


「確かに……桔梗ききょうさんの言うた通り、江戸の蕎麦とは随分と味が違いますね。甘いと言いますか香りが強いと言いますか。」

「そうでしょう?名古屋の蕎麦は味が違って、これはこれで美味しいかなっと……。ふで殿のお口には合いましたか?」


「まあ、これも中々に美味しうございますね。気に入りました。」

 言いながらふでは掻き揚げの天ぷらを箸で掴んで口元へと運ぶ。ぐわりと口を開けると、端から思いっきりに齧り付いた。


 ざくざくっと軽快な音を響かせて、ふでは天ぷらを一気に口の中へと消し去っていく。数度口を動かすうち、すぐ様に天ぷら消えてなくなってしまう。そうして、ふはっと旨そうに吐息を漏らすや、そのまま今度は蕎麦へと箸を突っ込むと、残りの半分を掬いあげ一気に啜りこんで、あっという間に食べきってしまっていた。


「はい。御馳走様でございました。」

「えっ……もう食べ終わったんですか?」


 傍らで丼から二三本の蕎麦を持ち上げて、何度もふうふうと息を吹きかけてから、ようやく食べ始めようとしていた桔梗ききょうは、ふでの丼が空になったのを見て、驚きの余りに目を丸くしてしまう。


「流石に早すぎじゃないですか……?」

 呆れかえって桔梗ききょうが言うと、ふではむしろこれぐらいは当たり前だろうと言うかのように不思議そうな顔を見せる。


「蕎麦と言うものは、これぐらい一気呵成いっきかせいに食べてしまうものではありませんか?……っと、花番さん、丁度いいところに。」

 偶然通りかかった花番を、ふでは呼び止めた。


「天ぷら蕎麦をもう一杯。」

 ふでが言うと、あいよっ、と花番は調子良く頷いた。


「まだ食べる気なんですか?」

 驚く桔梗ききょうを他所にふでは丼に残っていた汁を啜る。


「まあ、これは美味しいですからね。お腹も空いていましたし、まだまだ何杯でも食べれますよ。」

 喉を鳴らして汁を飲み下すと、ふでは座っている傍らへと丼を置こうと手を伸ばした。


 ふと、隣に座っていた男も丼を置こうとしていていたのか、椅子の上で、二人の器がぶつかってがちんっと軽い音を響かせた。

 中に残っていた汁が揺らいで、僅かに零れそうになるのを咄嗟にふでは手で止める。


「あぁ、すみませんね。」

 思わず謝ってふでが顔を上げてみると、ふいと途端に「おや」と小さな声で呟いて手を止める。


「どうかしましたか?」

 不意に動きを止めたふでの様子が気になって、桔梗ききょうが顔を覗き込ませてみると、ふでは隣の男を眺めて渋い表情を見せていた。


 そして、桔梗ききょうが隣の男へと視線を移ろわせてみると、その男はふで以上に険しい表情を二人を睨み付けていた。


「てめえは……。」


 眉間にしわを寄せふでの顔を睨み付けながら、そう呪詛めいた声を挙げた男は、妙に派手な黒羽織を羽織り、頭のツンツンと尖った一人の男だった。


貴方あなた様は……確か剣華組とやらの……。」

黒鉄くろがねだ……。」


 長椅子の上で体を振り向かせながら、黒羽織の男は低くドスの効かせた声で返事をする。


 その特徴的な容姿と声を間違うはずもなく桔梗ききょうも直ぐにそこに居る相手が誰であるかを思い出していた。


 家老の家へと辿りつく前、真昼の往来でふでと諍って斬り合いをした相手であった。


 黒羽織の男は丼を手に持ったまま、ふで桔梗ききょうとを睨み付けた。


「てめえら。なんでこんなところに居やがる……。まさか、俺を付け狙ってでも来たのか?」


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