50.蕎麦喰い二
「どうかしましたか?」
顔を上げて空を見上げていることが気になって
「いえね。食事のことを決めましたら、そう言えば依頼のことを思い出しまして。」
「今更ですね。」
「今更ですよ。どう致しましょうか。」
大仰に悩んだ表情を見せる
「あの……
「
「えっと、どういう意味ですか?」
ちょっとだけムッとして
「いえ、そのままの意味です。だって
さぱりと言われてしまい、
「えっと……確かに今までは
荒事ならともかくとして、伝達や人探しと言った情報に関わることならば、
「いやしかし……。危なくはありませんか?」
「そりゃ、なくはないでしょうけれど。大切な文書を運ぶなんてのとは違って、ただ人探しをするだけですから、何とかなると思いますし……。
多少なりとも、
ただそれでも、当ても自信もなく言いだしたのではなく、自分でできると思えるからこそ言い出したことであった。
軽く提案する心持で
「確かに当てはないですがね……いやはや、
「はあ、えっと……?」
あまりにも念を押すように言われて、
「良いですか?
「いや……まあ……それは、重々承知しておりますし。危なくないようには気をつけますから。」
そう
「
「分かってますって。」
「分かってても、なにしろ
「私ってそんなに信用無いんでしょうか……。」
流石に言われすぎて、
二人が歩く道なりには、脇を占める武家屋敷が立ち並んでいて、それはどこにも背より高い塀が建てられているせいなのか、進んでいるうち、まるで長い牢獄に囲われているかのような心持にすらなってしまう。
塀の少し上からは、黒塗りの立派な瓦屋根が顔を覗かせるが、後は時折松やら楓やらの枝葉が見えるぐらいで、目移りに乏しくどこもかしこも同じような風景が続いていく。
ただ、貧乏な武家なのか穴が開いているような塀に出くわすこともあり、その穴を
そうして、しばらくを道を進んでみると、一層大きな屋敷の壁を境とした丁字路に出くわして、その角を二人で右へと曲がる。
不意にわいわいと人並みの話しながら往来する騒がしさが伝わってきて、どうやら商店の立ち並ぶ道へと近づいていることがわかる。屋敷を一つ分歩いてみると、その曲がり角からは塀もなく大きく道並みへと入り口を開く店が幾つも並んでいるのが見えた。
ひっそりとして閑静だった武家屋敷の通りとは全く雰囲気が変わって、一気に往来を行く人波が激しくなり
ひっきりなしに人の行きかう間を二人で掻い潜って、その動きの波へと入り込むと、往来を北から南へと向かって歩いていく。
「いやはや、ご老人の家に居て忘れていましたが、本当に騒がしい街ですね。」
ため息交じりに
「でも。江戸よりかはましではないですか?」
「どうでしょうかねえ。声の騒がしさは兎も角も、少なくとも見た目の煩わしさは江戸よりも上でしょうよ。」
道を歩く人たちの着物が青やら黄色やら桜やらと色とりどりに現れては消えていくことに、軽く眩暈を憶えたのか
「それは――確かに、そうかもですが……。」
苦笑してしまいながら
そこでふいと、
行き交う人の風に乗って、煮返しの香ばしく甘ったるい匂いが漂ってきていた。
それで
「これって、もしかして蕎麦の匂いですか?」
「近くにあるんでしょうか?」
「あ、ありましたよ
くいくいっと
「おや、確かにありますねえ。」
「あそこが蕎麦屋みたいですね、入ってみますか?」
「入りましょう入りましょう。」
そう言った時にはもう、
そう言う姿を眺めていると、先ほど表情も変えずに男の指を三本弾き飛ばした人間のようには全く感じられず、
大通りを伝って北へ向かう人や、南へ向かう者の間をすり抜けて、
の後を
入り口で
少し呆れた表情で笑いながら
「やめてください。」
そう言って、少しばかり
それがくすぐったくて、
そうして、
続いて
食べてみないと味など分からないが、それでも、この香りだけで入って良かったと思えてしまうほどに、旨そうな匂いであった。
「ほう。」
と、傍らで
店の中へと視線を向けてみると、中は土間が大きく広がり、入り口から左手に三脚、右手に一脚の長椅子が備えられ、幾人もの男が座っていた。
この手の店となると、机のようなものはないため客はみんな丼を椅子の上に載せるか、手の中に抱えて熱くなる前に急いでずるずると啜っている。
右手側には調理場なのだろう、衝立越し、もうもうと立ち込める湯気の奥に菜箸を握った男の姿が僅かに覗いていた。
更に左手側の奥には畳を敷いた座敷があって、そこでゆったりと食事をしている男達の姿がちらほらと見つけられた。
「おや、いらっしゃい。」
店の給仕をする花番の女性が、とたたたっ、と軽く足音を立てて近寄ってきた。
花番とは蕎麦屋で給仕をする女性の総称である。
店の花であることから、そう呼ばれる。
そんな花番が歩み寄ってきて、二人へと顔を覗かせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます