52.蕎麦喰い四
「なんでなぞとは、随分なお言葉ですねえ。私達は
「そりゃ本当か?」
つらつらとまるで考えてきたかのように淀みのない口上を
不意と、かちゃりと鞘の中で刀が揺れて鍔のぶつかる音が鳴った。
途端、ふっと
じりっと、どちらからとも取れぬ地面を足裏が擦る音が微かに周囲へと響く。
それが多少の心理的な障壁となっているのか、直ぐ様に斬りかかる様な事態にはならなかったが、それでも二人の間の空気は徐々に緊張感を増していく。
一瞬にして空気が乾いていき、
流石に、こんな所で暴れては周囲の迷惑になると慌てて
「ちょ、ちょっと――」
「はいお待ちー、天ぷら蕎麦でございます。」
きょとんっと、
「あら?注文間違えましたかね。お客さん、天ぷら蕎麦って言いませんでしたっけ?」
「あー……いえ、確かに天ぷら蕎麦を頼みましたよ。」
「そりゃ良かった。はい、じゃあ受け取って。」
更にずいっと差し出された丼に、
「ありがとうございます。」
礼を言って
「はい、
「お、おう……。」
花番の女の強引さに黒羽織の男も戸惑いながら丼を受け取った。
二人の見つめる間に湯気が立ち上って、醤油の良い香りが漂ってくる。
なんとも格好がつかない状態ではあったが、丼を抱えたままに黒羽織の男は、それでも
多少、気の反れた
「
「確かに俺は天ぷら蕎麦を頼んだがよ。それがどうした?」
「いえ、奇遇だなと思いまして。ではいただきますね。」
「え、お、おい!」
僅かに肩を竦めると、
「おい!てめえ、聞いてんのか!?」
そんな声に
「
蕎麦を箸先で持ち上げながら平素な声ぶりで
ぽりぽりと額を一つ掻いた後、ふっと大きく鼻を鳴らして黒羽織も蕎麦へと箸を突っ込む。
「おい、いいか?食った後にもっかい話の続きだ。」
不承不承というように黒羽織が言うと、
「おすきになさってください。」
そう言うや、次の瞬間には二人して大きな音を立てながら蕎麦を一斉に啜り上げていた。
続いて天ぷらをバリバリと親の仇を食うかのように齧った。
途端、瞬く間に空へとなった丼を、先ほど食べ終えた一杯目の丼の上へと重ねた。
と、同時に。
再び、がちゃんと丼の積まれる音が二つ重なって響いた。
「おや、俺よりも先に食べ始めたのに、食い終わるのは俺と一緒か……。」
それは黒羽織からの明らかな挑発だった。
じいっと、
丁度そこに花番が再び通りかかるや、二人同時に声を掛ける。
「天ぷら蕎麦をもう一杯くれ。」
「こちらも、もう一杯。」
言うとすぐにお代わりの丼が二杯運ばれてきた。
これはもう、花番は分かっていたとでもいうような速さであった。
二人は受け取るや否やに一気に蕎麦を啜り上げる。
その勢いたるや、たった一口で蕎麦も汁も掻き揚げまでも、一緒くたに口の中へと放りこんで、塊のまま一気に胃の中へと流し込むかのようにすら見えてくる。
またすぐにガチャン!と丼が二つ重なる音が響く。
途端と、二人は花番へと、
「もう一杯!」
と、注文の声を上げた。
傍らで
半ば呆れた心持で
口の中を火傷でもしないかと心配するほどの勢いながらも、
あれでは味も香りも分かったものではないだろう。
多少なりに呆れかえってしまうが、それでも斬り合うよりはマシかと
汁の染みた掻き揚げを裂いて、その一欠けらを
さくさくとした天ぷらも美味しいが、汁の染みた衣は噛みしめるごとに油と出汁の混じった旨みが染み出てきて、それはそれで口の中が幸せな感覚にあふれていくものだった。
「ゆっくり食べれば、こんなおいしいのに……。」
言いながら美味しさに
呆れながら眺めていると、二人とも額から汗をかきながらも、多少は美味しそうな顔はしていて、味わっているのだろうと見えることだけが、せめて店の人に申し訳が立つ気がした。
「おい。ちょっとあっち見てみろよ。」
「ん?どうした?」
周囲に居た客も二人のことに気が付いたのか、席に座りながら首を伸ばして物珍しそうに早食いを眺めて声を上げていた。
中には、どちらが勝つか、賭けをし始めている客達も出てくるような始末で、椅子の上には代金でもないだろう小銭が重ねられていく。
ただそれも厄介なことに首を突っ込むのは御免と、
掬いあげた二三本をちゅるっと啜り上げると、甘い煮返しの味が口の中へと広がってくる。
久しぶりの食事と言うこともあって、
そうやってゆっくりと蕎麦を啜っていき、ようやく
その傍らでは黒羽織の男が九杯目の蕎麦を見つめたまま、今にも吐き出しそうな顔で口元を歪めている。
「いやはや、美味しうございましたねえ。」
不敵な笑い方をして
格好をつけたつもりだったのかもしれないが、黒羽織の男は、その拍子に吐き出しそうになって慌てて口元を抑えてしまっていた。
「うっぷ……畜生が……。もう入んねえ……。」
「無理してはいけませんよ。折角の蕎麦なのですから、美味しく頂かなくては。」
あんな食べ方では味も何もあったものではないだろうと
他の客達は
「くそ……。でも、仕方ねえ……。蕎麦を食う勝負はお前の勝ちだよ。」
苦悶の表情を見せながら黒羽織は腹をさすると、そのまま言葉をつづける。
「それで……だ。どうする?」
「どうするとは……なんのことでしょう?」
「てめえは昼に俺に向かって『この続きは』なんて言ってやがっただろ。」
「ああ。そう言えば、言いましたねえ。ええ、言いました。」
「これから、この続きをやるかい?」
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