31.小休止四 - 子守歌一
炎の上を体が横切ると、熱気の揺らめきに合わせて幻影の姿も揺らめいていく。立ち上る炎の先端へと触れながらも、幻影は結局に幻影であり、燃えることもなくこちらへと酷く口角の上がった笑みを近づけてきた。
頬へと向けて手を伸ばしてくる幻影に
細く白く長く、そして爪の内だけ僅かに桜色をした指は、柔く撓いで
それを
「それはねえ。正直に言いますよ。
「ならこの娘も切ってあげれば良いでしょう?」
今度は大きく横へと首を振る。
「
「でも斬った。」
「そうです。斬ってしまった。それは手違いなのです。あれからずっと、
ぽつりぽつりと幻影とは目を合わせずに
パキッ――
と、不意に割れる音がして、
その火は大分に消えかかっていて、殆どの枝木は黒ずんでぶすぶすと仄かな煙を立ち上らせていた。
気が付けば目の前に居たはずの幻影はどこかへと消えてしまっていて、あの女も髭の男も居なくなり、辺りには何の姿も見えなくなっていた。ふっと顔を上げて、空を眺めてみると、僅かに東の空が明るくなり始めているのが見えた。
目に染みる明るさに、うっかりと寝てしまっていたのだろうと
寝るつもりはなかったが寝てしまっていた。
少し慌てた心持で周囲へと視線を向けると、
しっかりと眠っているのか、どこか間の抜けた表情でくうくうと穏やかな吐息を漏らしていた。
何とも間の抜けていて、だからこそ可愛らしく見えてしまう。
「――良かった……。」
彼女が無事であることを確認して、
近くに置いておいた木の枝を一つ手に取ると、火の消えかかっていた
しばらくすると、山の間からちぃちぃと甲高く短い鳥の鳴き声が響き始めた。動物達も目を覚まし始めたのか、木の枝が揺れて葉の擦れる音がして、あれだけ静かだった林の中が次第と音に満ち溢れていく。
幾分か空も
これならば先へも進めるだろうと、
無防備なままに地面へと寝っ転がっている
「
二三度左右に肩を揺すってみると、
「んんぅ……。」
喉の奥からむずかるような声を上げると、ふっと細く
数回ぱちぱちと瞬きをした後に、僅かに呆然とした表情を見せたかと思うと、あっと小さな声を上げて目を大きく開かせた。
そうして急にがばりと体を起こしたかと思うと、
「す、すみませんっ。寝てしまっていました……。」
どうにも申し訳なさそうに、
あれだけ気持ち良く寝ていて、本当に起きているつもりだったのかと
「構いませんよ。どうせ誰も襲ってきませんでしたし、しっかり休めて良かったじゃないですか。」
軽い口調で
「あの、
「私だって少しは寝ましたよ。大丈夫、気配があればすぐに目を覚ます性質ですから。」
「そう言う心配ではなくて……いえ、その……
こちらの体のことを心配してくれているのだと察して
とは言え、そんなものは自分には過ぎたる気持ちだと思いながら緩くなった頬を噛みしめて腰を上げた。
「そろそろ先へと行きましょうか。もう空も明けましたし。……立てますか?」
くっと
「
小さく文句を言いながら笑うと、
* * *
十
それから二日半ほどは、ずっと歩き通しと言うほどに、二人は道を歩き続けていた。
一日目には半日ほど山道を登りつめてで、漸く峠に差し掛かると、その後は幾度か上下しながらも殆どが下り坂の道を進んでいった。道すがらに通りかかる民家もなくって、途中で何度か見つけた湧き水で喉を潤した他には、ただひたすらに小走りに駆けていくだけだった。
道を進んでいく間、追手が襲って来やしないかと
その傍らで
「それって、何しているんですか?」
流石に気になったのか
実のところを言えば、それで多少の気配と言うか匂いのようなものを探ってはいたのだが、それを
言っても良かったが、例え言ったとしても、
そうして一日も共に歩いていると話すことも尽き果てて、最終的には二人とも黙って道を進むのみになっていた。
二日目には、歩いている途中で民家を一つ見つけたために、そこで
それが随分と嬉しかったのか、
歩きながら干し飯の一つを手に取ると、口へと運んで
小気味よく音を鳴らして硬い干し飯へと齧りつく様子は
ただ、物を食べて少し元気が出たのか、
再び夜も暮れて薄っすらとしか道が見えなくなった頃、野営をするのに良さげな場所を見つけると、そこへ二人で座り込んだ。
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