32.子守歌二

 その日もふでが薪になる様な枝や葉を集めてくると、桔梗ききょうがその木と葉の山に火打石で焚火を灯していく。

 火花が火種となり、小さな火の揺らめきが炎となっていき、周囲が明るくなるにつれて桔梗ききょうはふっと頬を緩ませていく。


「今日は途中に民家があって良かったですね。食べ物も分けていただけましたし。」


 言いながら懐の中から桔梗ききょうは民家でもらった魚の干物を取り出した。近くの川か湖で取った魚なのだろうそれは、掌よりは僅かに長い程度の大きさで、鱗も薄くそのままにも齧りつけそうであった。


「ここら辺に丁度宿でも立っていれば尚のこと良かったでしょうけれど。」


 ふでが多少なりに捨て鉢に言うと、桔梗ききょうはそのぶっきら棒な口調が面白かったのか、くすりと笑みを浮かべる。そうして目端を緩めながら桔梗ききょうは手に取った魚の干物を半分に裂くと、その片割れを干しいいの幾つかの欠片と一緒にしてふでの元へと差し出した。


「それは望みすぎと言うものじゃないですか。」

「まあ、そうでございますがね。」


 干物の片割れを受け取ると、ふでは拾って来た小枝の一つを手に取って、魚の身へと差し込む。そうしてそのまま焚火の上へと伸ばすと、干物の身をあぶっていく。

 すぐに干物に残った魚の脂が融け始めて、枝の先を伝っていくとパチパチと焚火の中へと滴ってこうばしい煙を舞い立たせ始めた。


「あ、火で炙ってしまうのは良いですね。美味しそうです。」


 煙の臭いに誘われて桔梗ききょうも鼻をすんっと鳴らすと、ふでに倣って魚の干物へと小枝の先を差して、焚火の上へとかざした。


 橙色の炎に照らされて、水分を失ったはずの魚の干物も随分と彩りが良く見えてくる。すぐにぷすぷすと音を立てて、軽く魚の身が皮を弾けさせると、周囲に魚の焼ける良い匂いが漂ってきた。

 ほんの僅かなながらにも、魚の身が焼けるまで待ちきれないのか、桔梗ききょうは口元を緩めて溜息交じりの声を漏らす。


「はぁ、美味しそうですねー……。」

「お腹が空けば何でも美味しそうに見えるものでしょう。昨日も何一つ口に入れていませんからねえ。」

「いえ、そんなのとは関係なしに絶対にこれは美味しいですよ。」

 どこか確信めいた言葉で頷いて、桔梗ききょうはじいっと魚が焼けるのを眺めていた。

 見守っているからと言って魚が早く焼ける道理はないのだが、彼女は真剣なまなざしで、じいっと魚を見つめている。


 その向かい側でふではと言えば、魚を炙りながら、もう片方の手に残しておいた干し飯を口元へと運んでいた。


 親指大の塊の一つを選び取って、その先端を歯で噛み折ってみるとパキっと小気味の良い音が周囲に響いた。口中へと含んで噛んでいくと、乾燥した米粒がパリパリと軽快に割れて妙な歯ごたえを感じさせる。


「私はこの干しいいと言うのが、妙にひもじく思えて好きではないのですが。」

「そうですか?食べごたえがあって良いじゃないですか。私は好きですよ。」

 目の前で、桔梗ききょうは干し飯に齧りつくとパキパキと音をさせて噛み砕き始める。

目を細めると彼女は妙に嬉しそうに何度も何度も咀嚼している。


 ふでも同じようにして口の中へと含めた干し飯を噛んでいくと、唾液に浸された粒は次第と水気を吸って緩んでいき、その表面に粘り気を生じ始めていた。


 柔らかくなったそれを歯で磨り潰していくと、口の中に仄かに甘みが広がっていく。そうして、すっと鼻から息を吸い込んでみると、微かにねっとりとした澱粉でんぷんの香りが喉の奥へと感じられる。

 それをふでは、ふっと漏らした息で、すぐに外へと吐き出してしまった。


「ま、こう言うのも悪くはありませんかねぇ……。」

「そうでしょう、そうでしょう?」

 得意げに桔梗ききょうは笑みを浮かべて、干し飯をかみ砕いている。


 美味しそうに干し飯を食べている桔梗ききょうを眺めていると、こんな味も悪くないかと感じてしまう。ただ口の中の水分が吸い取られて幾分か喉が張り付くような感じがしてしまうのがいただけなかった。


 そろそろ温まっただろうかと、ふでは焚火へとかざしていた枝を引き戻すと、干物の身を口元へと運ぶ。

 皮に焦げ目の付いた背の部分へと噛みついてみると、ジワリと肉汁が溢れ出てきて、旨みのある脂が口の中を潤していく。ぎゅっと歯の先で身をこそぎ落とすと、そのまま口の中で何度も噛みしめていった。


 干して身の締まった干物は、それだけで旨みが凝縮していて咀嚼するごとに強い肉の味が舌の表面へと広がっていった。一つ飲み込むと、もう後は頭から、がっと噛みついて、骨があるのも構わずに口に含むとバリバリと思い切りに噛み砕いて、頭から尻尾まで一気に食べきってしまう。


 最後に枝へ僅かだけ残った身を歯の先で食み取ると、唇についた魚の脂を指先で拭ってぺろりと舐めとる。その僅かな滴だけでも充分に口の中へと旨みが広がってくる程に、魚の身には旨味が凝縮していた。


 ふはっと、食べきった勢いで、思わずふでの口からは満足そうな溜息が溢れ出ていた。


 焚火の向こうでは桔梗ききょうも魚へと齧り付いている所で、歯の先で身の肉を骨からこそぎ取ると、ほふほふと熱そうに口の中へと頬張っていく。ぎゅっぎゅっと噛みしめるや、幸せそうに頬を染めてに目端を緩ませている。


「何とも美味しそうに食べるものですね。」

 多少感心しながらふでが言うと、桔梗ききょうはえっと驚いた顔をする。


「だって美味しいですから、美味しくないですか?」

「美味しいですがね。ふふ、桔梗ききょうさん。貴女あなた様は実のところ食いしん坊ですね。」

「ええ、実は食いしん坊なんです。」

 くすりと笑って桔梗ききょうは頷いた。


 そうして桔梗ききょうもすぐに魚の身を全て食べきってしまう。流石に骨までは食べれなかったのか、お頭と背骨が綺麗に半身として枝の先に残っていた。


「ああ、もう食べ終えてしまいました……。」

 枝の先に残った骨を軽く噛みながら、桔梗ききょうは物足りなさそうに言ってお腹を撫でていた。


 昨日も、いや、もしかすれば一昨日からそうなのかもしれないが、ずっと何も食べていなかったのだから、この程度の食事では全くをもって物足りないのだろう。

 食べた直後だと言うのに桔梗ききょうは僅かにお腹をくうっと鳴らした。


 それが多少なりに恥ずかしかったのか、お腹を撫でていた手をぴたりと止めて、桔梗ききょうは顔を赤らめながら少し俯かせた。


「街につくまでは殆ど食べれませんでしょうね。あと少し辛抱なさいまし。」

「あの……筆殿ふでどのはお腹が空かないのですか?」

 尋ねられふでは自らの腹を撫でると、目の前で平然としているふでを見つめて、どうにも首を捻ってしまっていた。


「さて、空いてはいるのでしょうが。集中してるときは大して気になりませんね。食べる時には食べますが、今は差し当たって魚の半尾で充分でございます。」

「集中ですか……やはり今も気を張ってらっしゃるんですね……。」


「そう大した事しているわけでもありませんよ。」

「でも、私が寝入る時も起きた時もいつも筆殿ふでどのは起きていて、ちゃんと寝ている所を見たことありませんし、本当にお体は大丈夫なのですか?」


「大丈夫ですよ。充分に寝ておりますから。」

「本当ですか?」

「本当ですよ。」

 それでも訝し気に桔梗ききょうは眉をひそめてしまっている。


 ふむっと一度うなった後に、桔梗ききょうは少し考えこむようにして腕を組んだ後、はたと何かを思いついたように、うんっと顔を頷かせた。

 そうしておもむろに腰を上げると、桔梗ききょうふでの近くまで歩きよってその傍らへと腰を下ろす。


筆殿ふでどの筆殿ふでどの。ちょっとばかり体をこちらへ倒してもらえませんか?」

 桔梗ききょうはそう言って手をこまねいて見せる。



「……はて……何をしようとするおつもりですか?」

「ちょっとで良いですから……そのぉ、来てもらえませんか?」


 一体何をしようというのか、彼女の意図が読めずにふでは怪訝そうに目を細めるが、まあ良いかと言われる通りに、桔梗ききょうへと向かって体を倒していく。


 ゆっくりと傾いた体が桔梗ききょうの胸元へと近づいていくと、それを彼女はゆったりと受け止めて、そのままするりと倒れるように腕を運んでいった。


 倒れ込んだふでの頭は優しい手つきで桔梗ききょうの太ももの上へと導かれていった。柔らかく肉付きの良い太ももへふよりと顔が触れると、それを枕のようにしながらふでの体が横たわる。


桔梗ききょうさん。これは一体何のつもりでしょうか?」


 太ももの上に載せられた顔を軽く回して、桔梗ききょうの顔を見上げると、彼女はそっと頭の上に手を乗せて、さらりと髪を撫でてきた。

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