16.道行三

 咄嗟に両手をばたつかせて、桔梗ききょうは倒れるのを堪えようとしたが、勢いを殺せずに、大仰に倒れ込んで地面へと尻もちをついてしまう。


「ふぎっ……!」


 尻を打ち付けた痛みで桔梗ききょう素っ頓狂すっとんきょうな声を上げた。

 そうして大きな音を立てて桔梗ききょうの尻が地面へとぶつかると、倒れた体は勢いそのままに更に後ろへと勢いよく、一回転に転がってしまっていた。


「ちぃっ!!」


 ぐるりと回転していく視界の中で、桔梗ききょうは、どこからか、妙に気持ちの悪い舌打ちの音が響いてくるのを耳にした。

 それは全くに聞き覚えの無い男の声であった。


 地面の上を一回りに転がり切った桔梗ききょうは、地面に手を付けて遮二無二体を起こすと、声のした方へと慌てて顔を向ける。

 ふっと道脇の木の陰、酷く暗い闇の中に一人の男が居るのを見つけた。


「何者っ……?」


 微かな月明りを頼りに目を凝らすが、人相は朧げでその体の輪郭すらもはっきりとしない。ただ、その風体や雰囲気に、桔梗ききょうは昼に自分を襲った男達の一人だということを察した。


 木の陰から僅かに出てきた男の手には、すらりと伸びた棒のようなものが握られている。月影を僅かに反射させ、煌めいたのを見て、それが刀なのだと気が付いて、そこでようやく桔梗ききょうは、自分の目の前を通っていったのが、彼の握る刀の刃先だったことを理解することが出来た。


 身の僅か先を死が通り抜けていったことに、恐怖と戦きで、桔梗ききょうは、こくりと喉を鳴らしてしまう。


「いつの間にこんなに近くに……。」


 こんなすぐ傍らに男が居ることも、刀が振られたことにも全く気が付かなかった。

 ふでが声を掛けてくれなければ死んでいたのかもしれず、桔梗ききょうは地面に倒れ込んだまま足を震わせてしまう。


 一方で傍らにいたふでは、ほうっと、どこかほっとしたかのような吐息を漏らしていた。


「ずっと着いてきていらっしゃいましたけれど、歩き出して好機だと思ったのでしょう。そろそろ襲ってくるかと見当をたてましたが、いやはや勘が当たって良かったですねぇ。」

「勘!?」


 思わず桔梗ききょうは上ずった声を上げていた。


「勘って……もしかして、下手したら斬られていたってことですか?」

「そうかもしれませんねえ。」

「なっ!?」


 恐ろしくなって声を上げながらも、桔梗ききょうはそれより気になることをふでが口走っていたのを思い返す。


「といいますか、今の話を聞くにあの男は、ずっと私たちに着いてきてたんですか?そんなこと知ってたなら教えてくださいよ!」


 思い切りに非難の言葉を捲し立てるが、ふでは不思議そうに首を傾げる。


「教えましたら、桔梗ききょうさん。貴女あなた様は警戒してましたでしょう?」

「そりゃしますよ!」

「そうなったら襲ってくれやしなくなるじゃないですか。それは困ります。」

「なっ……!!」


 しれっというふでの言葉に桔梗ききょうは言葉を詰まらせてしまった。悉くふでの都合でしかないその理屈に頭を痛くなって呻いてしまう。反論も非難もいくらでもできるが、理屈の前提が違いすぎて、何を言っても恐らくは無駄でしかなく、今更ながらに頼む相手を間違えすぎたのではないかと感じてしまっていた。


「てめえら、この期に及んで、なにをごちゃごちゃと悠長ゆうちょうに話してやがる。」


 襲って来た男の声に、桔梗ききょうは我に返った。


 男は木の陰の中から体を現して、刀を構えている。

 相手に言われることではないが、確かに今はふでのことよりも、目の前の男をどうにかするのが先だった。


「おい、小娘。」


 立っているふでに対して警戒しながらも、倒れた桔梗ききょうへと向かって男は声を掛けてくる。

 低く鈍く、どこか僅かに侮ったような声だった。


「てめえが持ってる文があるだろう。それをよこせ。そうしたら命は助けてやる。」


 地面に手を当てて、慌てた勢いで体を起こすと、桔梗ききょうはきっと男を睨み付けた。


「誰が渡すか!」


 勢いに任せて口を開いたが、思いのほか強い言葉が出てきて、言った瞬間に桔梗ききょうは自分で自分の言葉にしり込みしてしまう。


「ああんっ!?」


 男が威圧するように声を上げてきて、桔梗ききょうはくっと体を強張らせる。


「ひっ……。」


 情けない悲鳴を上げてしまいながらも、桔梗ききょうは何とか身構えようと掌を握る。

 すると、その目の前にふでがすっと体を割り込ませた。


「まあ、そう身構えず落ち着いてください。桔梗ききょうさん。護衛を任せてくださったのですから、私に守らせてくださいな。そうでなければ、ねますよ。」


 拗ねますよ、等と可愛らしいことを言っているが、笠の下から覗くふでの顔はいたって真面目だった。それが自分に楽しませろ、と言いたいのだということは、桔梗ききょうにも何となく理解できるようになってきた。


 ふでの細長い指先が、ゆっくりと腰へと伸びて、差している刀の柄へと触れた。

 どこか侮った雰囲気をしていた男は、それで警戒したのか、腰を低くして刀を構え直した。

 しゃりんと、刀の刃先が鞘へと擦れる音を鳴らし、ふでは刀を抜く。


 細く長く弧を描いた刃先が、月影に映えて鈍く光る。

 剣先が鞘の口から宙を舞い、男へと向かってするりと伸びる。

 そうしてふでが刀を正眼に構えると、男はじりじりと足先を動かし、距離と機を窺い始めていた。


 にじりっと男の草鞋わらじが地面を擦り、僅かに距離が縮まる。


 その慎重さに、ふでは僅かに眉尻を吊り上げた。

 多少なりとも楽しめるだろうか、そう心にごちてふでは口をにやつかせる。



「あの……勝てますか?」


 後ろから心配そうな桔梗ききょうの声が聞こえてきて、ふでは肩をすくめて見せる。


「さあて、どうでしょう。宿で襲って来た方よりは、ちょっとばかり身のこなしが良さそうですからね。」


 ふでがそう言ってみると、男は得意げに鼻を鳴らした。


「そらそうよ。あいつは間抜けだったからな。一人勝手に突出する割には注意力が足りねえ。だから、てめえらにやられたとしても不思議じゃなかった。」


 にちゃにちゃと、口の中の唾液を粘っこく引きつくように口を動かして、男が言う。

 まるで男の口の匂いが漂ってきそうな声に、ふでは顔を顰めると無意識に笠の下から鼻を抑えてしまう。



「それはそれは、そうでございますか。ま、本当の所、そんなのはどうでも良うございますけれどね……。」


 大仰に溜息をついてふでは言い捨てた。

 その言葉に、男はやにわに眉を顰めてふでを睨みつける。



「何をっ!」


 その言葉には微かな怒りがあった。

 侮られたと感じたのだろう、男は怒りを混じらせてべっと唾を吐き捨てると、大きく刀を振りかぶった。

 傍らで眺めていた桔梗ききょうは僅かに息を飲む。

 ざりっと地面の強く蹴られる音がすると、音と共に男の身がふでへと一気に迫った。



「ほう。」

「おう。」


 男が小さく声を上げて、刀を振り下ろす。

 静かな暗闇の中、風の斬る音が鳴って、勢いよく男の刀が勢いよく縦に滑った。

 間髪いれずに、金属の擦れあって弾ける音が響く。

 ふでの剣先が僅かに揺らぎ、刀の剣筋と重なり合って、するりと男の刀をいなしていた。


 一合。

 二合。


 跳ねるように、二人の刀身がぶつかり合う。

 しのぎが削れ、闇夜に一筋の火花が散った。



「くそっ!!」


 刀をなされ、決め手に欠けた男が罵りながら左に跳ぶと、ふでも合わせて体の向きを変える。


 僅か数合で息を切らしたのか、暗い闇の中で男の荒い息の音だけが大きく聞こえてくる。



「終わりですか?」


 今度はより明確に、分かりやすく、ふでは侮った声を上げる。



「誰が!」


 吐き捨てるように言って、男が再び刀を振りかぶった。

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