14.秘密六 - 道行一

 ふっとそこで、自分の考えていることのはしたなさに、桔梗ききょうは大きく首を振るった。

「何考えてるんだろう……私っ……。」


 呟いて気を取り直すと、受け取った米糠こめぬかで体を洗っていく。

 脇の下を洗い、体の側部をなぞって、そうしてお腹へと米糠を伝わせる。

 右わき腹へと手を伸ばした瞬間、桔梗ききょうはぎゅっと痛みが走るのを感じた。


 塞がり切っていない腹部の傷に米糠の汁が染みていた。

 思わず眉を顰めて辛そうに桔梗ききょうは目を閉じる。

 腹部に手を当てて唇を結んで痛みに耐えていた。


 ふと、そこで、先ほどふでに体を触れていた時には、この傷のあたりには触れられることはなくって、痛みも感じていなかったことを思い出す。


 思わず桔梗ききょうは湯船の方へと視線を向けていた。


 湯に浸かったふでは湯船の縁へと手を掛けて、桔梗ききょうの方を眺めながら、どこか蠱惑的こわくてきな笑みを浮かべていた。


 その顔は一見に美人だったが、桔梗ききょうが自分の方を見たことに気が付くと、すぐに破顔して嬉しそうに笑みを浮かべる。余りにも、ふにゃりとした惰弱だじゃくな顔を浮かべて手を振ってくるために、桔梗ききょうはつい大きく吐息を漏らし、傷へと触れなかったのはただの偶然だろうと思って無視することにした。


*



 風呂から出て部屋に戻った桔梗ききょうはもうすでにくたくたになってしまっていた。

 一応に肌着は身に着けていたが、着物は着ずに薄っぺらい布団の上でうつぶせに倒れ込んでしまっていた。あまりにも布団が薄いために、寝ている部分が痛いような気がしながらも、それでも立って居るよりはマシと体を横たわらせている。


「うう……。」

 うつ伏せになった桔梗ききょうの口から嘆くように声が漏れた。


 体を洗い終えて湯船に入った後も、結局なんやかんやとふでに言いくるめられ、あれやこれやと体を触れられてしまい。あまつさえ、また乳房を揉みしだかれてしまった。しかも足を絡められて、逃げられないようにされてから、湯船につかっている間中ずっとそんな調子だったので、湯の熱さと興奮とで完全に茹ってしまっていた。


 更に言えば、ただただ胸を揉まれていただけなので、何か体の奥が物足りずにうずく感じがしてしまう。それをどう解消すれば良いのか、初心うぶ桔梗ききょうには分からずに、余計に頭が混乱して、何度も体を捩ってしまっていた。


「うう……あう……。もう何をどうしたら……。」


 思わず桔梗ききょうがうなっていると、部屋の窓が一瞬かたかたっと鳴った。

 外から涼し気な風が流れ込み、風呂上がりで熱くなった肌を心地好く撫でていく。

 微かながら頭が冷まされる感じがして桔梗ききょうはほうっと溜息をついた。


「気分の良い風ですねえ。」

 同じように窓から吹き抜ける風に爽快さを感じながらも、傍らにいたふでは艶やかに肌を潤わせ酷く満足そうな表情を浮かべている。


 一瞬、

綺麗だ――

 と桔梗ききょうは心の中で感じてしまう。


 こうやって黙って佇んでいれば、綺麗な部類に入るだろう。

 ただ、絶対に黙ってはおらぬし、静かに佇んでいることもありえずに、それが筆と言う女性をどうにも如何わしいものに感じさせていた。


 ふではうなじへと張り付いた髪の毛を指先で掬い取り、後ろ髪と合わせると、細い指先で手早く編んでいく。最後の一束を編み込み、くるっと捻る様に指先を動かして後頭部へ巻きこませると、それを紐で結い上げた。


 軽く頭を揺らし、結いだ髪が揺れないのを確認すると、ふではそのまま窓の外へと視線を向ける。西の空が徐々に白みを増していくのを眺めて、ふむっと一つ膝を叩く。


「それでは、そろそろ宿を出ましょうか。」

 ふでの言葉に、咄嗟とっさに顔を上げると桔梗ききょうは「今からですか」と非難の言葉を上げそうになった。


 風呂であまりにも疲れさせられてしまったがために、もう少しだけでも休みたい気持ちが強かったが、桔梗ききょうは思わず出そうになっていた言葉をくっと飲み込む。風呂に入る前に、急がねばならないと言ったのは自分自身であるし、事実として早く名古屋に到着しなければならなかった。


 それでも体のだるさに、はあっと再び溜息をついていた。


「それとも今日は休みましょうか?桔梗ききょうさん。貴女あなた様は怪我をなされておりますしね。それに、私としても貴女あなた様としとねを共にするのはやぶさかではないと言いますか……。」

 そう言ってふでがあまりに意味ありげに微笑むのを見て、桔梗ききょうは一瞬で体を起こすと、勢い良く立ち上がった。



「い、いえっ……。」

 寝てしまいたいのは山々だったが、彼女としとねを共にするなどと何をされるか分かった物ではなく、疲れた身体でも今から走ったほうがマシなのではないかと直ぐに決心がついた。



「疲れてますが……行きましょう。急がなくてはいけませんし、それに夜を駆けた方が追手も見つけ辛いでしょうから。」


 ぎくしゃくとした動きで窓辺へと近づくと、桔梗ききょうは干しておいた服へと手を伸ばす。


 手に取ってみると、まだ乾ききっておらずに指先にしけった感覚がして、桔梗ききょうは思わず顔を顰めてしまうが、それでも他に着るものもないと、肌着の上に湿気ったその服を羽織ると、そのまま帯を締め付けた。


 びちょっとした感触が肌に吸い付いてきて気分はあまり宜しくなかったが、仕方ないと襟を整える。



「左様でございますか。」


 鼻を掻きながらどこか残念そうにふでは呟き、自身も長着の重ねを整え直す。

 袴を履いて腰へ刀を差した。

 鞘の紐を帯へと結びつけると、腰をかがめて袴の裾についていた埃を払う。

 そうして彼女は最後に、部屋の片隅に置いていた笠を手に取った。


 それで準備はおしまいであった。


 それ以外に持っていこうとするものはないようで、ふで桔梗ききょうへと視線を向けて来る。



「行きますか。」


「行きましょうか。」


 二人頷いて、部屋を出ることになった。


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