9.強襲三 - 秘密一
走ってきた女の顔に
安宿とはいえ、あまりにも大きな音を立てすぎたために、騒ぎに気が付いて様子を見に来たのだろうと、
宿の娘は廊下で立ち止まると部屋の中へと視線を向けて僅かに息を飲む。
「これは……。」
部屋の一面に血と肉塊がへばりつき、男の腹から漏れ出た内臓からは糞尿の匂いが撒き散らされるという、
ただ
その視線は事の犯人だろう
ここが安宿であり、暴力沙汰も刃傷沙汰も普段からそれなりに起きるのだろう。娘の態度には、このような事態になれているかのような雰囲気があった。
「お……お客様がこれをやられたのですか……?」
おずおずと
「ええ、ええ、私がやりました。」
素直に
「困りますこのような――」
「娘さん。
宿の娘が声高く非難を口にしようとした瞬間、穏やかながら良く通る声で
「
言われて宿の娘はうっと呻くと、上げようとしていた言葉を飲み込んで口籠った。
「そうでなければ、こんな宿で多少
それでも
「
床に転がる男の死体へと視線を移し
そうして、
「ただ。」
と、言葉を続ける。
「
「し、しかし――。」
それでもどこか困った様子で何かを言おうとした宿娘の口へと、すっと
細く長い人差し指が一本、宿娘へとついっと迫る。
血に塗れながら、その赤い液体も乾き始め、どこかひび割れを見せる指先が、宿娘の唇の端へと触れて、その動きを制していた。
途端に、宿娘は目の前の人間が人を斬ったことを思い出したのか、びくっと体を震わせ、反射的に息を一つ飲むと、口の動きを止めてくっと体を強張らせた。
「なに、ただで無茶を言おうというわけでもありません。
そう言って
床へと転がっている男の体へと手を伸ばす。
特に入り口に向かって倒れている下半身へと手を差し向けると、その着物の間へと腕を突っ込み、ごそごそと何かを漁り始める。
すぐに「ありましたよ」と声を挙げた
片手に乗せるには多少余るぐらいの大きさをした巾着袋で、その布の半分ぐらいは血に塗れてしまっていたが、中身は随分と詰まっているのか
どうするつもりなのかと宿娘と
入っている物を確認して、ふむっと
顔を上げて、手を伸ばすと、ちょいちょいっと
「お娘さん。ちょっと手を出してくださいな?」
「なに……するつもりですか?」
「良いですから。痛くなるようなことは致しませんよ。」
急かされて、少しおっかなびっくりとしながらも宿娘は言われた通りに手を差し出した。
「ええっと、もう少し、こう両手で掬うような格好にできますか。お願いします。」
「はあ……?」
首を捻りながらも、言われるままに宿娘は両手を差し出すと、掌の側を上向きにして何かをねだる子供のような手つきを見せる。
宿娘の手つきを確認したところで、
袋の中でガチャリと音がする。
何かを握りしめたかと思うと、
「どうぞ。」
そう言って
娘の掌に載せられたのは銭であった。
銭が幾枚も落ちてきて娘の掌の上で跳ねる。
最後に
ふむっと肩眉を顰めると、
自らの指の上に乗る銭の量に宿娘は僅かに息を飲んで目を丸くしていた。
「どこか不思議な所から手に入った、この銭の半分を、
この、と
僅かに宿娘は
やはり、こんな死体が出るような事態にも彼女は慣れているのだろう。
とやかく方法を問わずに頷いたところを見ると、そう言うあてがある様に感じられた。
そして、更に
「後はこれで新しい宿泊部屋を用意してもらえますでしょうかね?」
まるで無垢な少女が懇意の店の旦那に頼む様に、小首を傾げて笑顔で
* * *
六
宿娘の手配によって、すぐに
移動する途中、他の客が興味深そうに穴の開いた障子戸越しに覗き込んできたが、
平然とした
新しい部屋へと入ってみると、そこも結局は簡素な作りで梁が剥き出しになっている上に、そこかしこに継ぎはぎの板が張られた酷く粗末なものだったが、少なくとも男の死体は転がっていなかったし、血に濡れてもいない。
ずっと敷かれたままになっていたらしき布団も、ぺらぺらになっていて紙のように薄かったが、小水に濡れなどせず、さっぱりと乾いていたものであった。
「この部屋で良いですか?」
「ええ、構いませんよ。」
案内をしてくれた件の宿娘が訪ねてくるので、
まるで高級宿の女将かのように宿娘は恭しく頭を下げると、両手の上に乗っていた銭の中から一番大きな
「ふむ……。」
首を回してこきりっと関節を鳴らすと、
途端に外の日差しが入り込んできて、部屋の中が明るく照らされる。
窓から覗く外は一面に晴れ渡っていて、遠くに薄く
そうして
「いやはや、新しい部屋は良いものですね。」
どこかしこも古びていて、新しいと言えるものは何一つもないような部屋ではあったが、それでも
「っ……。」
指の腹が紅に染まり切っていて、染み出してくる血で濡れ切っていた。
男の刃物を握りしめた時に、斬れた部分から滲み出てきたものだったが、指を開けると、大きく傷が開いて、ぱっくりと裂けた部分からは、肌の内側の桜色をした肉が見えてしまっていた。
その湧き出てくる血を、何か興味深そうにじいっと見つめていた
「あのう……。」
すぐさまに部屋の中へと入って
おずおずとした声に反応して、
「はいな。どうかされましたか?」
掌へと巻いた布をぎゅっと絞りながら、
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