9.強襲三 - 秘密一

 走ってきた女の顔に桔梗ききょうは全く見覚えがなかったが、ふでには見馴染みがあった。少なくとも今日、ここに入る時に取り次いでくれて部屋へと案内してくれた宿の娘であった。


 安宿とはいえ、あまりにも大きな音を立てすぎたために、騒ぎに気が付いて様子を見に来たのだろうと、ふでにもすぐに察せられた。

 宿の娘は廊下で立ち止まると部屋の中へと視線を向けて僅かに息を飲む。


「これは……。」

 部屋の一面に血と肉塊がへばりつき、男の腹から漏れ出た内臓からは糞尿の匂いが撒き散らされるという、惨憺さんたんたる状況を見て宿の娘は立ちすくむ。


 ただ狼狽ろうばいしながらも、騒ぎ立てずに宿の娘は近くにいたふでへと視線を向ける。


 その視線は事の犯人だろうふでを直視できないようで左右に揺れながら、それでもどこか冷静に顔を向けてくる。

 ここが安宿であり、暴力沙汰も刃傷沙汰も普段からそれなりに起きるのだろう。娘の態度には、このような事態になれているかのような雰囲気があった。


「お……お客様がこれをやられたのですか……?」

 おずおずと躊躇とまどってみせながらも尋ねてくる宿の娘に、鷹揚おうようふでは頷いた。


「ええ、ええ、私がやりました。」

 素直にふでがそう言うと、途端に宿の娘は咎めるような目つきで口を開く。


「困りますこのような――」

「娘さん。貴女あなたァ。」


 宿の娘が声高く非難を口にしようとした瞬間、穏やかながら良く通る声でふでが言葉を遮った。


貴女あなた、この男に私達の部屋を教えましたでしょう?」

 言われて宿の娘はうっと呻くと、上げようとしていた言葉を飲み込んで口籠った。


「そうでなければ、こんな宿で多少五月蠅うるさかったからと、人が来るわけありませんでしょう?刃傷沙汰やらなにやら起きると分かっていたからこそ、こんなすぐに、しかも一直線にここへやってこられた。そう言うことでしょう?」


 滔々とうとうと流れるふでの言葉に、娘は押し黙ったまま視線をそらせた。それだけで、事実そうなのであろうことが傍目に見ている桔梗ききょうからも明らかだった。

 それでもふでは、それを非難する様子もなく、どこか緩い雰囲気を漂わせている。


外連けれんでございますね。まあ、それは良いのです。貴女あなた様が男を案内してくださったお蔭で楽しいことが起きましたよ。」

 床に転がる男の死体へと視線を移しふでは僅かに口元を緩める。


 そうして、

「ただ。」

 と、言葉を続ける。


貴女あなたが案内したからこそ起きたことでもあるのですから、宿を出て行けなどと言わないでいただきたい所存ではあります。」


「し、しかし――。」

 それでもどこか困った様子で何かを言おうとした宿娘の口へと、すっとふでの指先が伸びた。


 細く長い人差し指が一本、宿娘へとついっと迫る。

 血に塗れながら、その赤い液体も乾き始め、どこかひび割れを見せる指先が、宿娘の唇の端へと触れて、その動きを制していた。


 途端に、宿娘は目の前の人間が人を斬ったことを思い出したのか、びくっと体を震わせ、反射的に息を一つ飲むと、口の動きを止めてくっと体を強張らせた。


「なに、ただで無茶を言おうというわけでもありません。貴女あなたにも役得と言うものが必要でございましょう?」

 そう言ってふでは、徐に身をかがめた。

 床へと転がっている男の体へと手を伸ばす。


 特に入り口に向かって倒れている下半身へと手を差し向けると、その着物の間へと腕を突っ込み、ごそごそと何かを漁り始める。

 すぐに「ありましたよ」と声を挙げたふでは、男の着物の中からずるりと血で濡れた布の擦れる音を立てて一つの袋を取り出した。


 片手に乗せるには多少余るぐらいの大きさをした巾着袋で、その布の半分ぐらいは血に塗れてしまっていたが、中身は随分と詰まっているのかふでの手から吊るされたその布はずっしりと撓んでいた。

 どうするつもりなのかと宿娘と桔梗ききょうが眉を顰めながら眺めていると、ふではその巾着袋を開き、中へと視線を覗き込まさえる。


 入っている物を確認して、ふむっとふでは一つ息を漏らした。

 顔を上げて、手を伸ばすと、ちょいちょいっとふでは手招きするような仕草を見せる。


「お娘さん。ちょっと手を出してくださいな?」

「なに……するつもりですか?」

「良いですから。痛くなるようなことは致しませんよ。」

 急かされて、少しおっかなびっくりとしながらも宿娘は言われた通りに手を差し出した。


「ええっと、もう少し、こう両手で掬うような格好にできますか。お願いします。」

「はあ……?」

 首を捻りながらも、言われるままに宿娘は両手を差し出すと、掌の側を上向きにして何かをねだる子供のような手つきを見せる。


 宿娘の手つきを確認したところで、ふでは袋の中へと手を突っ込んだ。

 袋の中でガチャリと音がする。

 何かを握りしめたかと思うと、ふでは袋の中から手を取り出して、宿娘の手の上へと拳を突き出していた。



「どうぞ。」

 そう言ってふでの掌が開くと、じゃらじゃらと、小さな金属の跳ねる音がした。


 娘の掌に載せられたのは銭であった。

 銭が幾枚も落ちてきて娘の掌の上で跳ねる。


 ふでの指先から落ちて重ねられていく銭は銅銭が主であったが、中には白い光沢を見せるような金属片――つまりは豆板銀まめいたぎんまでも積まれていく。それは少なくとも、この宿に泊まるための代金などは優に超えるような金額だった。

 最後にふでの指の間に挟まっていた一枚の銅銭が落ちて、銭の山に跳ね返ると床へと零れ落ちる。


 ふむっと肩眉を顰めると、ふでは身をかがめて銅銭を拾い、再び娘の掌の上へと重ねた。

 自らの指の上に乗る銭の量に宿娘は僅かに息を飲んで目を丸くしていた。


「どこか不思議な所から手に入った、この銭の半分を、貴女あなた方の取り分といたしましょう。それでこの死体を上手く片してくださいな。」

 この、とふではもう一度言って男の死体を指さした。


 僅かに宿娘は躊躇ちゅうちょしてふでの顔を見上げたが、自分の掌の上に乗る銭をもう一度見直して、じっと目を見開くと最終的にはこくりと顔を縦に振った。


 やはり、こんな死体が出るような事態にも彼女は慣れているのだろう。

 とやかく方法を問わずに頷いたところを見ると、そう言うあてがある様に感じられた。

 そして、更にふでは袋の中を覗き込むと、いくらかの銭を掴んで、また娘の掌の上の銭山へと載せた。


「後はこれで新しい宿泊部屋を用意してもらえますでしょうかね?」

 まるで無垢な少女が懇意の店の旦那に頼む様に、小首を傾げて笑顔でふでがそう言うと、何も言わないまま宿娘はこくこくと素直に何度も頷いていた。



* * *



 宿娘の手配によって、すぐにふで桔梗ききょうの二人は元の部屋から三つ隣にある新しい部屋へと案内された。

 移動する途中、他の客が興味深そうに穴の開いた障子戸越しに覗き込んできたが、ふでは一切に素知らぬ顔をして歩いていく。


 平然としたふでが先を歩いてくれてはいたが、桔梗ききょうからすれば、他人に興味本位で見つめられるのが、少しばかりおっかなくて、きょろきょろと周囲を確認しながら廊下を歩いてしまっていた。


 新しい部屋へと入ってみると、そこも結局は簡素な作りで梁が剥き出しになっている上に、そこかしこに継ぎはぎの板が張られた酷く粗末なものだったが、少なくとも男の死体は転がっていなかったし、血に濡れてもいない。


 ずっと敷かれたままになっていたらしき布団も、ぺらぺらになっていて紙のように薄かったが、小水に濡れなどせず、さっぱりと乾いていたものであった。


「この部屋で良いですか?」

「ええ、構いませんよ。」

 案内をしてくれた件の宿娘が訪ねてくるので、ふでは一つ二つ頷いて返事をする。


 まるで高級宿の女将かのように宿娘は恭しく頭を下げると、両手の上に乗っていた銭の中から一番大きな豆板銀まめいたぎんを一つだけ取って袖に仕舞い込んで、銭を抱えたまま、そそくさと一階へと向かっていった。

 安普請やすぶしんの階段がぎしぎしと鳴って、宿娘が去っていったのを見送ると、ふでは部屋の奥へと入ってくっと背筋を伸ばした。


「ふむ……。」

 首を回してこきりっと関節を鳴らすと、ふでは窓へと近づいて戸を開いた。

 途端に外の日差しが入り込んできて、部屋の中が明るく照らされる。


 窓から覗く外は一面に晴れ渡っていて、遠くに薄くにじんだ雲が一塊漂っているだけだった。

 そうしてふでは前の部屋から持ってきた酒瓶を床へ置くと、まるで指定席かのように、当たり前の顔で開いた窓のさんへと腰を掛ける。



「いやはや、新しい部屋は良いものですね。」


 どこかしこも古びていて、新しいと言えるものは何一つもないような部屋ではあったが、それでもふでは部屋の作りを見上げてほうっと溜息をつくと、思い出したように右の腕を上げて、その掌を差し込んでくる陽射しの中へと翳す。



「っ……。」

 指の腹が紅に染まり切っていて、染み出してくる血で濡れ切っていた。


 男の刃物を握りしめた時に、斬れた部分から滲み出てきたものだったが、指を開けると、大きく傷が開いて、ぱっくりと裂けた部分からは、肌の内側の桜色をした肉が見えてしまっていた。


 その湧き出てくる血を、何か興味深そうにじいっと見つめていたふでだったが、しばらくして懐から一枚のさらしを取り出して、掌に巻き始めていく。



「あのう……。」


 すぐさまに部屋の中へと入ってくつろぎ始めたふでとは違い、部屋の片隅で居心地の悪いように佇んでいた桔梗ききょう躊躇とまどいながらも口を開いた。


 おずおずとした声に反応して、ふで桔梗ききょうの方へと顔を向ける。



「はいな。どうかされましたか?」


 掌へと巻いた布をぎゅっと絞りながら、ふでは呑気な調子で尋ね返した。


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