6.問い三 - 謎の男一

「いえ、そう緊張なさらずに。聞きたいのは単純に貴女あなた様のことですよ。あの河原で果たし合いを野次馬して、それからどういう顛末があれば、あの黒松の上から落ちてくるなんてことになるんでしょうか。それが気になっておりましてね。」

 そう言うふでの口ぶりは、どこか楽し気で、心配して聞いているのではなく、何か面白いことが出て来やしないかと言う興味で聞いているのだと感じさせた。


「えっとっ……それは……。」

 しどろもどろに表情を狼狽えさせ、僅かに桔梗ききょうは言い淀む。


 桔梗ききょうに取ってみれば、痛い懐を探られる問いでもあった。

 無論、木から落ちるまでは憶えていて、それがどういう顛末てんまつでそうなったかを桔梗ききょう自身は理解していた。

 理解はしていたが、それを口にするのははばかられてしまう。


 それは生半に他人には言えぬ、桔梗ききょうの秘密が関わっていたからであった。

 目の前の女性は命の恩人かもしれないが、今しがた会ったばかりであり、話して良い相手かどうか判断がつかなかった。

 そこまで思考を巡らせたところで、桔梗ききょうははたと思い出したように小さく声を挙げる。


「あっ……そう言えばっ……。」

 着ている服の胸元の重ねに手を突っ込んで探り入れる。


 指先にかさりと紙の擦れる感触がして、慌てて桔梗ききょうはそれを懐から取り出した。

 一枚の封筒だった。

 封筒の口はきちりと糊付けされ、四角張った印が紙の重ねにまたがってされていた。

 じっくりと紙の重なりを眺め、その印の字が一片のずれもないことを確認し、桔梗ききょうはほっと安堵する。


貴女あなた様の持ち物には一切触れていませんよ。」

 杯を呷りながら、桔梗ききょうがしていることには全く興味のない様にしてふでは呟いた。

 封筒を眺めながら、桔梗ききょうはこくりと喉を鳴らして、ふでの方へと視線を移す。


「あの、そのぉ……そちらの問いに答える前に。むしろ何故私を助けてくれたのか、尋ねても良いですか?」

「ほう。どうして……?」

 問われて、ふではまるで面白いかのように口角を上げると、ふむっと顎に手を当てた。


「どうしてかと問われてしまいますと、それは存外に返答に困る質問でございますね。いやはや、理由ですか。理由ね……。実のところ、貴女あなた様を助けた理由のなどと言うのは、あってないようなものでしてね。単純に善意であるとか、貴女あなた様が美人であったからとか、一つ一つ言い立てることは何とでもできますが……。そうですね、強いて一つ上げるのでしたら、面白そう、と、そう思ったという所でしょうか。」


 立て板に流れる水かのようにつらつらと言葉を並べ立てたふでに、僅かばかり桔梗ききょうは目を丸くしながら、その言葉を聞いていた。


 ただ、最後に言われた「面白そう」と言う言葉に、そんな馬鹿な、と言う気持ちになってしまっていた。


 どこの酔狂すいきょうが、木から落ちてきて傷を負っているような怪しい人間をわざわざ助けるなどと言うことをするのだろうか。

 面白そうだから助けた等と言われれば、桔梗ききょうとしてはむしろ裏を感じてしまわずにはいられなかった。


「あの……いくらなんでも面白いからなんて、そんな理由は信じがたいのですが。」

 相手の言葉を否定することに多少の遠慮と言うものを感じているのか、躊躇とまどいながら言う桔梗ききょうに対して、ふではむしろ素知らぬ顔をして、手に持っていた杯を唇に当てる。すっと中身を唇の中へと注ぎ込んで、ふうっと緩い吐息を履いた。


「それは、信じようと信じまいと、貴女あなた様の勝手でございますけれどね。私としては本心と言うものですよ。」

 実際、ふでからすればそれが本当の所だった。


 面白いという言葉に色々な含みはあれども、極端に一つの言葉にしてしまうなら、面白いからと言う他はなかった。

 ただ、それが相手にとってどう感じられるかも、信じてもらえるのかも、ふでからしてみれば心底にどうでも良く、酒に酔った緩い心持で窓の外を眺める。


 四十雀しじゅうからが近くの木から飛び立つと、延々と遠く続く緑色の田んぼの上を真っすぐに飛んでいった。


 僅かばかり、愉快なことが起こる予感がした。


「私がどういう理由で助けたかは、そんなところなのです。問題は私のことよりも貴女あなた様です。結局のところ、如何なさって貴女あなたは腹を切られるなんて目に遭ったのでしょう。」

 再び問われて、桔梗ききょうは口ごもってしまう。



「……言えない、と言ったらどうするつもりですか?私も斬られますか?」


 微かに痛む腹の傷を抑えながら、桔梗ききょうは険しい表情を浮かべて顔上げるとふでに向かってそう言った。

 軽くふでは息を漏らし、ゆるゆると背もたれた体を左右に揺らす。


「まあ、喋らぬのも良いでしょう。どうせ結局は面白いことになりましょうから。」

 窓の外へと眺めていた顔を突き出して、外の香りをかぐようにくんっとふでは鼻を鳴らす。


 その鼻孔にまとわりつく、一つの匂いを感じて、ふでは口角を緩めた。

 思わず桔梗ききょうは、その身はぞくりと震えさせてしまった。


 ふでの顔は言いようの無いほどに歪で、どこか奇妙にのっぺりとした笑みであったからだった。



* * *



 桔梗ききょうふでとが部屋で話をしていた頃、宿に一人の来訪者が入ってきていた。


 薄汚れた宿の入口へと足を踏み入れんとしていたその者は、身の丈で五尺の五寸はありそうな大男で、街道からその男を眺めた一人はどこか訝しんだ表情を見せる。男がどうと言う事ではなかった、着ている物は上下に灰色がかった無地の着物で、いたって普通の身なりをしていた。


 ただ、その顔が異質であった。

 男の顔は顎から頭の天辺てっぺんまで全てが布で覆われていた。

 僅かに目元だけは開かれていて、そこから白い眼玉が覗いたが、ぎらぎらとしたその目は妙に血走っていて、むしろ異常さを余計に引き立たせていた。


 宿の中へと男が入ってみると、どこか慌ただしくそこかしこからひっきりなしに人の声が響いていた。それは安宿ゆえに宿泊者が多く話し声が響いていたのもあり、また客が多いことから宿の働き手達も慌ただしく働き、騒々しかったせいもあった。


 周囲を見渡して男は宿の構造を把握していく。


 まずもって宿の入口からは土間が続き、そこから少し進んだところから板が張られ僅かに高くなっている。

 一階は板張りの所から左に向かって宿の人間達が待機するような広間になっていて、更にその奥から客室へと続く廊下が伸びていた。土間近くの右手側には階段があり、そこから二階へと昇れるようになっているようだった。


 男がさらに一歩宿の中へと足を入れると、丁度、宿の女性が通りかかり、おやと明るい声を挙げる。



「いらっしゃい。御用ですか?」

 宿の女性は土間の一番近くまで歩み寄り、男の方へと声を掛ける。


 覆面をして目を血走らさせている男の形相は、一言に異様であり、宿の女性もいぶかしみがりながらも、愛想良く笑顔を浮かべていた。


 そのような風体の人間など、ここぐらいの安宿ともなれば毎日とは言わずとも慣れる程度には見かけるものであり、最悪金さえ出してくれるならば、どんな風体であろうが、どんな訳ありだろうが、拒まずに受け入れる用意があった。


 男は土間を歩き女の近くへと寄っていく。

 その態度に客であろうと理解した女は努めて顔を明るくさせる。



「お泊りですか?」


 尋ねると、男は視線をじろりと宿の娘へと向けた。

 僅かに一瞥して男は裾へと手を入れると、その中からすっと一本の白木を取り出した。


 それは腕よりは少し細いくらいの棒で、中心の所から少しばかり男の握った部分へと寄ったところに一本の切れ目があった。


 男は棒のもう一方の端を掴むと、手を上下に開く。

 棒が二つに割れて、その間から鈍い光を放つ刃先が現れる。

 それは匕首あいくちであった。



「あれ。」


 宿の女は慄くとともに、咄嗟とっさに逃げようと振り返る。


 それを男の手がむんずと襟をつかみ捕まえた。


 女の首筋へと匕首あいくちの刃先がひたりと触れる。

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