4.交差二 - 問い一

 見ている間に、その滲みはどんどんと広がっていき、服の布地を赤く染めていく。


 かさかむりが指を伸ばして腰の布地へと触れてみると、そこは僅かに縦に裂かれた切れ目があった。

 裂かれた部分へと、指先を突っ込んで布地を捲ってみると、こぷりと血が溢れてきて、そこの肌に、小指程の長さの切り傷が刻まれているのが見えた。


 それはあからさまに刃物で切り裂かれた傷であった。深くは無かったが、とぷとぷと絶えず血が溢れてくる。


 かさかむりは僅かに唇を歪める。


「何ともまあ……。可愛らしいお方に無残なことをする人が居るもので……。」

 胸元から一枚のさらしを取り出した。


 少女の着ている服の帯を解くと、前重ねをはだけさせる。

 ぴたりと肌に張り付いた肌着に、覆われていた胸元が、ぽろりと露わになった。

 仰向けに倒れているにも拘らず、その曲線が分かるほどに少女の胸は豊かな膨らみを湛えていた。

 膨らみの曲線を眺めて、思わずもかさかむりは嘆息を漏らしてしまう。



「随分なものをお持ちでいらっしゃる。」

 ため息交じりに言いながら、少女の腕をとって体を引き起こさせると、その血のにじみ出している素肌の腹へとさらしを当てて巻き付けつける。


 一周、二周とさらし巻くと、端と端とをひっぱってぎゅっと絞り上げる。

 巻き付いたさらしは、少女の体をくっと締め上げ、傷が仮初ながらも閉じていく。


 代わりに一瞬だけ血が強く滲みだして、服の布から地面へとぽたりと雫の一つが落ちた。

 かさかむりの鼻に、微かにだけ錆びた鉄混じりの、生臭い香りが漂ってくる。


「あうっ……。」


 意識がないながらに、腹を締め付けられた痛みを感じたのか、目を閉じたまま桔梗ききょうは苦悶の声を漏らした。


 ただそれも、すぐに途切れて吐息は緩くなっていく。

 服を着せ直し、差し当たっての手当てを終えてかさかむりは口元を緩めながら、この少女が上から落ちてくることになった原因へと思考を向ける。


 すんっとかさかむりは僅かに鼻を鳴らす。


 一瞬、何かに気が付いたように顔を上げて空を眺めた後、首を回して周囲へと視線を巡らせた。

 かさり、と、どこかで葉の擦れるような音がする。


「如何しましょうかね……。」

 にっと緩く口角を上げながらも、かさかむりは目の前で気を失っている少女へと視線を落とす。

 晒しを巻いた腹部の血のにじみは広がりを止めていたが、目を覚ます気配はなかった。


 一先ずはこの少女を助けてしまおうと、一つ息を吐くと、その胸元へと肩を押し当て、くっと体を抱え上げた。


 かさかさと、どこか遠くで葉擦れのする音が響いてくる。

 遠く松の幹の間に見える野辺のべを一瞥すると、桔梗ききょうの体を担ぎながら、かさかむりは街道へと足を向けた。


* * *



 どこか遠くで、四十雀しじゅうからの鳴く声が響いていた。

 甲高く短いさえずりは間を開けながら何度も繰り返される。


 一瞬、風の強く吹き渡る音が轟いたかと思うと、木の葉の大きく擦れる音がして、四十雀の鳴き声が止まった。

 しかし、数分もしないうちに、高く澄んださえずりが再び周囲へと鳴り渡る。


 深く暗い意識の闇の中で、桔梗ききょう揺蕩たゆたうような感覚に包まれ、その心地好さに、このまま浸り続けていたいと感じてしまう。


 それは午睡の微睡まどろみのようで、緩く穏やかな快感であった。

 そうして桔梗ききょうは、ふっと再び意識を眠りの奥底へと沈ませそうになる。


 ただ桔梗ききょうの心の片隅には、早く気を取り戻さなくてはないけないと何か急くものがあって、微睡まどろみの中ではそれが何故なのか思い出せないながらも、どうにも今すぐ起きなくてはと深い意識の底、桔梗ききょうは体を動かそうとして腕を藻掻かせ始めていた。


「はっ……!?」

 はた、と次の瞬間、桔梗ききょうは目を見開いた。


 目が開き景色が視界の中へと広がっていくうち、桔梗ききょうは今さっきまで意識がうつろな夢の中にあったことを感じ、どこかぼんやりとしたままの頭の中で何度もまぶたを瞬かせる。


 直ぐに視界の中へと入ってきたのは、板張りの天井であった。


 いや、それが本当に天井であったと理解したのは、桔梗ききょうが自分の体重が背へと向かってかかっているのを確認した後であって、最初はそれが板張りの天井であるのか、それとも壁であるのかを理解していなかった。

 ただ、半ば呆けた意識の中で恐らくは天井であろうと理解はしていたた。

 理解して、その天井が全く見知らぬものであったがために、桔梗ききょうはじいっとその光景を見つめてしまう。



「ここは一体……?」

 天井は酷く安普請の作りで、はりとなる木材が部屋の中から見えてしまっていて、板張りは薄くひび割れのあるような粗悪なものが並んでいる。釘すらもどこか打ち外したように先端がはみ出してしまっている所さえあって、一部の板には穴が開いたのか、板切れがはっつけてあるほどに粗末な有様だった。


 寝ている床さえも同じようなものなのか、僅かに桔梗ききょうが重心を変えようとすると、それだけでぎいっと床板が音を鳴らし、今にも崩れて落ちてしまうのではないかと言う不安さえ過ってしまう。


 小さく顔を動かして、視線を巡らせると、桔梗ききょうは自分の体の上に布団が掛けられていることに気が付く。中に綿どころか布すらも殆ど詰められていないような薄いものだったが、肌には僅かばかりの温かみを与えてくれていた。


 布団の端を手に取るとそれをめくり上げながら、床へともう片方の手を当ててくっと力を籠めると桔梗ききょうは体を起こそうとする。



「っ!」

 途端に腹部へ痛みを感じて桔梗ききょうは顔を顰めさせた。そこではたと桔梗ききょうは自分が傷を負っていたことを思い出して、腹部へと手を伸ばす。

 いつの間にか腹には白い布が巻かれていて、そこに赤い色の染みがじゅっとにじみ出てきていた。


 この布もそうだが、こんな見たことのない部屋に誰が連れてきたのか、不審がりながら桔梗ききょうは腹の傷へと手を当てて部屋の中へと視線を移ろわせていく。



「おや、起きられましたか。良うございました。」

 不意に桔梗ききょうへと声がかけられた。


 緩く甘やかな響きに何故だか聞き覚えのある気がしながら、桔梗ききょうはその声の方向へと顔を向ける。

 その声がしたのは、桔梗ききょうからすれば右手側、部屋の全体像から言えば窓の方からだった。



「誰ですか?」

 視線を向けてみると、大きく開かれた窓からは昼の日差しが強く差し込んできていて、先ほどまで目を瞑っていた桔梗ききょうには眩しく、白く視界がにじむのを覚えて咄嗟に目を細めてしまう。


 右手を目の前へとかざして、日差しを遮りながら桔梗ききょうは、次第と光に慣れていく視界の中で、声の主の姿を探す。

 目を慣らしていくと、床から二尺ほど高い窓の桟に、一つの人影が腰を掛けているのが見えた。



「わっ!?」

 思わず驚いてしまったのは、その人物が、長着姿で袴も履いていないにも関わらず大仰に足を開けひろげているからだった。



 股間を丸出しにさせながら、桟に腰かけたその人物は、窓の枠に背を持たれ掛けさせて、随分ゆるりとした姿勢で外を眺めているようだった。

 その右手にはさかずきが握られていて、視線を落としてみると、だらりと下げた左手の指には酒壺らしきものの紐が吊るされていた。



 一瞬、股間を大きく開いたあまりにも大っぴらな姿勢に、桔梗ききょうはそこに男が座っているのかと錯覚した。


 ただ、次第と慣れてくる視界の中で、裾の間をいけないと思いながらも覗いてしまうと、相手の股間がのっぺりとしていて「一物」がないことに気が付き、すぐに窓に座っているのが女性なのだと気が付いた。



 そう理解してから顔へと視線を向けてみると、つぶらながらに顎が細く端正な顔立ちは、明らかに女性のそれであった。

 目じりは僅かに垂れていて、左目の端に二つの泣き黒子が連なっているその顔は、どことなく妖艶にすらも見える。

 女の髪は結いあげられ、長く垂れた前髪以外は後頭部に円を描いてまとめられていた。



 それ以外で特徴的だったのは、彼女の来ている長着で右の袖から、黒い斑点のような柄がびっしりと広がっていて、腰まで連なったそれは、帯をつけていただろう部分から急に途切れていた。



 明らかに妙なその柄に、どこか見覚えがあるような気がしながらも、思い出せずに桔梗ききょうは女性の顔をきっと睨み付ける。



貴女あなたは……どなたですか?」

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