3.出会い三 - 交差一
僅かに砂川は息を飲み、刀を握り直しながら口を開く。
「抜かないのか?」
砂川が尋ねた。
ふいに
笑っていた。
それは嘲笑っていると言うより、心底に楽しそうな笑みであった。
「抜いておりますよ。」
小さく
そう言うや、勢いよく
次の瞬間。
金属の擦れる音が周囲に響くと、刀の切っ先は虚空へと滑り込んでいた。
「あ?」
そんな、間の抜けた声が喉から溢れ出る前に、男の顔はズレていた。
「あっ。」
眺めていた
同時に、周囲の男達からも驚きの声が上がる。
「切った!?」
「斬れた!」
「何が!?」
「斬ったのか!?」
思い思いに群衆が騒ぎ立てて、わあわあとがなり声が河原に響き渡っていく。
数拍遅れて、砂川は自分の身に何があったのかを悟って、大仰に狼狽をして声を漏らす。
「うぉあっ……?」
頭には右目の下から左目の瞼の上にまで、黒すんだ真っすぐな線が入っていた。
裂け目から薄っすらとした、血が
慌てて砂川は両手で頭を抑えつけた。
ただ、それも一瞬のことで、甲斐もなくずるりっと色男の頭は滑った。
「あぅ……。」
くるりと砂川の目が白目をむいた。
宙へと落ちた頭から、赤い血に染まった中身がポロリと零れると、更に頭骨と皮とが分かれて地面に落ちた。
一瞬の静寂があった。
カチンッ、と
途端、色男の体は一瞬揺らいだかと思うと、その場へと崩れ落ちていた。
河原に
* * *
二
一本の街道を勢いも良く、慌てて駆けていく者が居た。
「はっ……はっ……。」
道を駆ける者の吐息が周囲に響き渡る。
街道は四、五人は並んで通れるような広さながらに、駆けていくその者以外には誰も一人として通らずに
風も凪いで、鳥の声の一つも聞こえてこず、ただその者が走る音のみが鳴り響いていた。
ただ空には僅かばかり雲が覆いかかって、道先を薄暗く見せていた。
さらには道の脇に細長い葉の青々と茂った黒松が幾つも並び、道行が
笠を被っているために、顔は隠れてしまっていたが、その身に着けた着物には右の袖から無数に走る黒い斑点と、小さな
「面倒くさいですねえ……。」
急ぎ足に黒松の間を抜けていく
「今のうちに……。」
道の後方から誰も来てないことを確かめると、
木々の立ち並ぶ間へと飛び込むや、すかさずに自分の体の何倍も大きな胴回りをした、木の幹の裏へと体を隠す。
そのまま木の幹へと背を
「このまま、隠れられると良いのですが……。」
そう呟いているうちに道の向こうから、輩が数人共だって押し寄せてくるのが見えた。
彼らの手には抜身の刀が抜かれて、がやがやと騒がしく、口々に
「どこ行きやがった」
「ぶっ殺してやる」
と、物騒な言葉を叫んで急ぎに道を押し進んでくる。
木の陰に隠れながら、輩どもがそのまま道の先へと走り去っていくのを眺め、
「立ち合いで師匠が斬られたからって、弟子が出張ってくるなんてのは何とも野暮天な話でございますね。」
黒松の幹へと背を凭れ掛からせながら
一息ついてみると、周囲に漂う松独特の芳ばしい香りが、妙に鼻について
結局、あの立ち合いの後は、
河原で砂川を斬ってしまうと、
「もう終わりかよ!」
「散々待ったんだぞ!」
「つまんねーぞ!?踊りでもなんかしろ!!」
などと、野次の殆どは、散々待たされた挙句に一瞬で勝負がついてしまったことへの不平不満であり、
「すっこめ!」
「くそ野郎が!」
「
などと、めいめいに思い思いの言葉を繰り出していて、まるで罵り言葉の売り手市場のような有様となっていた。
折角、野次馬がやいのやいの言うのだからと、立ち合いへ名乗り出てやって、望みどおりに斬ってやったら、そんな言われようで、ほとほと呆れてしまい、林の中で、その光景を思い出しながら
気が付いてみれば、ちょっと話をした、可愛らしい女子も姿を消していて、勿体ないことをしたものだと、改めて
ただ、本当に厄介だったのは、その勝負を不服として近くに控えていた色男の弟子たちが総出で刀を抜いて迫って来たことではあった。
両者合意の上での立ち合い、しかも自分から挑戦者を求めていた兵法者が、負けたからと言って報復をしようとするのは、
無論、彼らの流派にも、看板を掲げている以上は面子と言うものがあり、ましてや目の前で師匠が殺されたのでは、
しかし、立ち合いに挑んで勝った方からしてみれば、その全てが謂れのない言いが掛かりでしかない。
「別に相手して上げても良かったんですがねえ。」
軽い口調で呟いて、
正味の話をすれば、そのまま弟子達を相手に大立ち回りをしても良かった。
実力からすれば、
ただ逆に、その実力の無さが、
あれでは子供が棒を振り回しているのと大差がなく、折角に腕の良い色男を一刀に斬り伏せたと言うのに、そんな腕前の男達と斬り合って、余韻を汚す気にもなれなかったために、一々とその男どもを構う気が湧いてこなかった。
結局として、
好都合だったのは、男どもは実力がないどころか、足も遅いときて、早々にこうして捲くことが出来たことだった。
少しだけ彼らのことを滑稽に感じて、ふっと口元を緩めると、
男達が走り去っていったのは逆の方向へと行こうかと足を差し向ける。
不意に、足元へと影が過った。
「む……?」
頭の上を何かが通過したのを感じて、
がさっと木の葉の摩れる音がしたかと思うと、途端に、木の上から何かが落ちてきた。
どすんっと鈍い音がするとともに、微かに地面が揺れるのを感じて、
そこには人間が一人、地面に落ちていた。
「なに……?」
咄嗟に、
身構えながらも、他に何の気配もないことを感じて、落ちてきた人間へと視線を向けなおす。
「……?」
一瞬、
その落ちてきた人間は、酷く寸の詰まった衣服を着ていて、腕は二の腕の半ば、足は太ももの半ばほどまでしか丈のないような恰好をしていた。
動きやすさを重視した服。
そう言ってしまえば、そうとも見えたが、腕には手甲、足には具足を嵌めていて、まるで戦にでも赴くかの風体が、余計に奇妙さを感じさせる。
気になって、
ちらりと見えた髪は、結われもせずに肩までしかなくって、一瞬、少年が落ちてきたのかと思った。
ただ、改めて見てみると、その体つきは儚く華奢に感じられる。
ましてや胸元はふっくらとした膨らみがあった。
そして顔立ちは、少年と言うには余りにも柔和であった。
そこでようやく
しかも、
「先ほど河原で会いました……、確か
立ち合いの前に一言二言、話を交わした少女であった。
再びふむっと、
改めて、顔眺めてみるに、
顎筋は整っていて、唇は
瞳こそ見えはしないが、先ほど話していたときは、人懐っこくて円らな目をしていたことを思い出す。
見つめていて、思わず
「やはり、何とも可愛らしい……。」
助けてしまいたい。
一瞬、
ぺちんっと
「うぅ……。」
起きないかと思って叩いたが、
仕方がなく、何がどうして木の上から落ちてきたのか、手掛かりとなる物はないかと、
ふと、体の側部、丁度右の腰あたりから、服にじんわりと赤い染みが広がっていることに気が付いた。
「おや?これは……。」
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