2.出会い二

「俺の名は砂川平蔵すながわへいぞう!誰か腕に覚えのある者はかかってこい!誰かいないか!?我こそはというものは!!」


 立札に肘を載せかけながら色男が声を張り上げていた。

 端正な顔に似つかわしく、鋭く遠くまで鳴り渡る闊達かったつな響きのある声であった。


 周囲にいた群衆は一瞬ざわりとおののくと、「お前行けよ」「俺にゃ無理だって」「見に来ただけだ」「勝手にやってろ」などと口々に言い合った挙句に、各々の声は直ぐに小さくなって、ざわざわと小声で話し合うだけになっていく。


 ざわつくだけで誰一人出てこようとしない群衆の様子を見てとって、砂川と名乗った色男はチッと舌を打つと、退屈そうに癖のある自らの髪をると弄り始める。

 ふっと、一瞬、隣にたたずかさかむりの女性が笑ったように見えた。


「ああやって、あの方は立ち合いに挑戦してくる者を求めているのですよ。」

「立ち合い……ですか?」

「ええ、知りませんか?立ち合い。」

 聞いたことのない言葉に桔梗ききょうは頷いて見せる。


「そうですか。」

 そう言ってかさかむりの女性は一度二度頷くと、少女へと説くように口を開いた。



――時は、戦乱の末期であった。


 熾烈な小国の争いも粗方に決着がつき、平穏な太平の時代へと、移り変わる間際にあった。


 日の本を南北にかけ、辺境の土地では未だに小競り合いのような戦が行われていたが、既に中央では戦など起きることもなく、全ては平穏無事と言った具合となり、それが故に、世の中は戦働きで身を立てるなど望むべくもなくなっていく。


 戦に困る大多数の人間からすれば、それは待ち望んだ平穏ではあったが、その一方で、一部の者ども、つまりは喧嘩好きの武辺者からとってすれば、逸る躍起やっきの捌け口となるような公然とした暴れ場所をなくしたこととあいなり、あまつさえ武職に就くための絶好の機会も途絶えてしまうと言うことでもあった。

 全うな平民からすれば迷惑甚だしいことではあったが、彼らにとっては戦がなくなることは真剣な死活問題でもあった。


 そこで彼らのとった行動が、公然の場での『立ち合い』であった。


 この河原のような開けた場所で挑戦者を求める札を立てかける。

 そこに来た人間と刀なり槍なりを持って果たし合う。


 『廻国かいこく修行』だの、『武者修行』だのと様々な呼ばれ方をして後には講談で語られるような戦いもありはしたが、結局のところ彼らにあったのは矮小わいしょうな名声欲であり、名を立てて大名なりに目をかけてもらい、剣術指南役として召し抱えて貰おうと言う浅ましい魂胆が根底にあった。


 ただ、それでも、両者合意の上での立ち合いと言う口実によって、罪から免れることが出来るがために、また生来の暴力的な欲求を解消しようという即物的な目的とが上手く合致して、これが大いにはやることになる。


 ある時期からは『立ち合い』を目的として旅をする者までもが現れるようになっていたほどであった――



「――という具合でありまして、刀と刀で斬り合う相手を求めていらっしゃるのですよ。あの方は。そして、周囲に集まっている方々は、その立ち合いを娯楽として眺めようとしてらっしゃるのです。」


 相も変らぬ甘く緩い声で、そうして、どこか他人事のように、自分は周囲に集まっている人々とは違うとでも言わんような口振りでかさかむりの女性は語っていた。

 説明を聞きながら、少女はどこか空恐ろしい心持で眉を顰めながら、女性へといぶかしんだ表情を向ける。


「刀で斬り合うって……そんなことしたら大怪我しませんか?」

「しますねえ。」

「下手したら死んじゃいませんか。」

「下手しなくても死にますよ。」

 しれっと笠被りは頷いた。


「そんなの誰が名乗りを上げるんですか。そんなのただの命知らずの馬鹿じゃないですか。」

 刀で斬り合えば、命を失う危険性がある。仮に命を失わなくとも、どちらかが大怪我をするのは間違いがない。


 そんなことを、わざわざ求めて言い出す者がいるのも桔梗ききょうにとっては呆れかえるようなことではあったが、それに乗っかって挑戦するような、命知らずの向こう見ずが運良く居るなんてのは更に信じがたいことだった。


「そう言う馬鹿が絶えぬから、あの色男さんのように立ち合いを求める人達がいるのですよ。」

 そう、さらりと言うと、笠被りの女性はかちゃりと金属の擦れるような音を鳴らした。


 桔梗ききょうが音に目を向けてみると、かさかむりの腰に、一本の黒く細長いものが差されていることに気が付いた。


 それは見まごうこともなく一本の長い打刀であった。


 柄には黒い柄糸が巻き付けられ、簡素ながらに形の良い鍔が供えられた刀身を、黒塗りに光る上等な鞘が包みこんでいた。

 かさかむりは小さく笑むと、一つ笠の端を掴んで、隠れていた目線をより一層に深く隠すとを群衆の中へと向かって歩き出す。


「え?」


 先ほど彼女が語った言葉が一体どう言う意味なのかと、問い返す間もなく、少女が見ている前で笠被りは群衆の間をするりと通り抜けていた。


 遠巻きに、砂川へと向かって円を描くように囲んでいた群衆の中から、かさかむりはするりと抜け出すと、河原の一角へ足を踏み入れた。ざっと河原の土を踏みしめる音が鳴って、退屈そうにしていた砂川は途端、ほっとかさかむりの姿に気を付かせると、やにわに嬉しそうに顔を綻ばせた。

 周囲に集まっていた群衆は、それで一瞬に静まり返り、そうして直ぐに今度はわあわあと耳が痛くなるほどに騒ぎ出した。


 まるでこれから、宴でも始まるかのような熱狂だった。


 かさかむりは一見無防備に見える様子で歩いていくと、砂川から五歩ほど離れた距離で、ぴたりと立ち止まる。


「あんたがやんのか?」

 砂川が尋ねると、かさかむりは小さく頷き、広く長い笠の端がゆらりと上下に大きく動いた。


「ええ、ええ。よろしくお願いいたします。」

 妙に慇懃な態度で頷くと、ざっと足を開いてかさかむりは、砂川へと体の真正面を向ける。

 その声が高音がかって艶めいていることに気が付き、砂川は片眉を上げる。


「あんた……女か。」

「女で何か問題でも?」

「いや、ねえさ……名前だけでも聞いていいかい?」

貴方あなた様のように名乗る趣味はございません。」

「そうかい。そうかい。」

 砂川が僅かに侮蔑した表情を浮かべた。


 名乗らぬと言うのは、それはそのまま世間に通る名を持っていない事でもあり、誇示する程の腕前が無いとも言えた。

 なによりも相手に対しての礼を失しており、ただの田舎者と侮られても仕方がなかった。


 それでも、待つことに飽いていた砂川からとってすれば、立ち会えるならば何でも良いと女へと身を向ける。


 不意に周囲をふっと風が過った。


 草木の葉が揺れる音がして、砂川の裾が揺れる。


 僅かばかりに土埃が舞って、かさかむりと砂川の間を通り抜けていった。


 群衆に紛れて、二人の姿を眺めていた桔梗ききょうはどこか喉が乾く気がして、無理矢理に唾を飲み込んだ。


 こくりと誰かの喉の奥が小さく鳴った。



 傍観しているだけの桔梗ききょうからすれば、二人とも大いに頭のたがが外れているようにしか見えなかった。


 何故好き好んで、自分から死ぬかもしれないような見世物になっていくと言うのだろうか。


 河原の方で微かにふっと息の漏れる音がしたかと思うと、どこか侮ったようにして鼻を鳴らし、砂川は腰へと差していた刀を抜きさる。


 細い金属が擦れる音が響いて、刀身が表れると、その刃先が陽光に照らされて鈍く煌めいた。


 くっと刀を両手で握りしめると、砂川はかさかむりに向かって切っ先を真っすぐに構える。


 一方でかさかむりの方はと言えば、刀の柄には手を掛けながらも、それを抜くこともなく歩き出した。



 一歩。


 二歩。



 無遠慮に、そして、まるで無防備にかさかむりは足を進める。


 そのまま、すっと四歩目が伸びた。


 もう一歩で砂川の刀の届く範囲へと近づいていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る