君に逢うては総てを殺し

春小麦なにがし

第一章

1.出会い一

 温かい風が川縁を吹き通り、過密に生えた青い細身の草を揺らした。

 妙に青臭い匂いが舞い立って、下流の河岸へと吹き抜けていく。


 町で一等に幅の広い川は涼やかな水を湛えて普段のように緩やかな流れをみせながらも、川底の大きな石へと流れをぶつけ微かに盛り上がり、時折こぽっと泡の立てる軽やかな音を立てていた。


 上流にある橋は木製づくりの僅かな曲線をもった橋桁をして、橋から落ちないようにと備え付けられた欄干は薄汚れながらも頑丈に太い木材で作られていた。


 どこか見た目に古さを醸し出すその橋の間を、一台の荷車が牛に引かれてゆっくりと渡っていた。時折、牛は何かの機嫌が悪いのか、ふとしたことで立ち止まり、軽く鳴いて口をもそもそと動かすと、ふいに気でも変わったのかのっそりとした足取りで再び歩き始めていく。


 そんな牛車と入れ替わるように、一人の少女が橋へと足を踏み入れた。


 少女の身格好は旅の途中と言った様子で、小さな行李こうりを背負っていたが、その服装はひどく不格好な物で、着丈から言えば腕は二の腕まで、足は太ももまでしかないような袖も裾もない着物を羽織っていた。

 その代わりに袖の長い黒い肌着のようなものを内側に付けていて、それが手首から足首までの体を一切に覆っていた。


 旅として動くには身軽だろうが、見る人が見ればはしたないと口にしただろう。


 ただ、なによりも人の目を引いたのは少女の髪型だった。体の見た目に齢の十五は重ねて居そうな風体をしながらも、その髪は肩までしかなく、一見には、まるで少年にすら感じられてしまう。

 軽い足取りで橋を渡ろうとしていた少女はふと、橋の欄干に人が並び川へと視線を向けていることに気が付いた。


 何を見ているのだろうか。


 お祭りでもしているのだろうかと気になった少女は、橋の中心から欄干らんかんの方へと走り寄ると、手すりへと手をかけて、身を乗り出す勢いで川の方へと顔を覗き込ませる。


 橋の上から眺めて見ると、人の背丈よりも幅のある川の、そのほとりに結構な数の人が集まっていて、何かを中心に円を描くように群がっているように見えた。


 見世物か何かだろうか。


 その様子が気になった少女は、旅の楽しみついでにと言う気分になって、ちょっと軽い足取りに橋を渡り切ると、そのまま川岸へと向かう。

 人々の集まってたむろしている一番端っこへと、その身を加わらせた。


 どこかわくわくとした心持で、ひょいっと踵を上げると爪先立ちになって背を伸ばし、一体なにを眺めているのかと、少女が立ち並ぶ肩と肩との隙間から覗き込んでみると、人々の視線の中心に一人の男が立っているのが見えた。


 川岸に立つその男は、鳥柄の刺繍された華やかな羽織を着て、どこか余裕の佇まいを見せている。見た目にも、整った顔立ち、すっと伸びた目端、僅かに緩い口元を覗けば、色男と言うのが似つかわしい風体だった。


 一目に見て多少は面白い顔立ちとは言えなくもなかったが、それを見るためだけに、これだけの人々が集まっているとは思えず、少女は近くにいる人へと話しかける。


「もし。」

 腕を伸ばしすぐ隣に立っていた人の袖を引っ張って少女が声をかけてみると、傍らの人間はふいと顔を向けてきた。


 陽射しを避けるためなのか、その者は笠を被っていて、それがためにどんな顔をしているのかは分からなかったが、笠の下からの覗く顎の線は細くて、唇は妙に色づいて見える。


 そして何よりも目に付いたのは、相手の着ている長着と袴の右半身にびっしりと黒い斑点が連なっていることだった。最も斑点の多いのは右の袖口で、そこから放射状に次第と点が少なくなっていく。

 一瞬、そう仕立てられた服のようにも見えたが、それにしては余りにも不格好で不規則な模様であった。


「何でございましょうか。」

 返ってきた言葉は妙に甘く緩く、そして高かった。


 その声の高さに、少女は目の前の人物が、自分と同じ女であることに今更ながらに気がついた。


 気が付いてみれば確かに胸元は僅かに膨らみを見せていて、先に感じた唇の妙な艶やかさも、女性であるならば納得のいくところであった。

 ただ、着ている物はまるで男物で、だからこそ最初は男性だと勘違いしたが、最近は傾奇者かぶきものだの何だのというので、そう言う男の格好をする手合いが居るのだということを少女も知ってはいた。


 とはいえ、男装をしている女性など、初めて目にしたがために、多少面食らう気持ちがありはした。


「あの。これはいったい何の集まりなのですか?」

 戸惑う気持ちを落ち着けて少女が尋ねてみると、かさかむりの女性は顎へと手を当てて少し押し黙った。


「あの?」


 全く返事が返ってこないことに訝しんで首を傾げると、笠被りの女性はどこか少女の体を眺めるように上下へと顔を動かす。

 そうして、小さく顎を上げて、まるで少女の顔を確かめるように、じいっと見つめてくると、不意に興味深そうな、ほうっと言う声を漏らした。


貴女あなた様、お名前は?」

 それは妙に緩く甘ったるい声だった。


 女性らしいと言えば女性らしい声ではあったが、たとい同じ女であっても、桔梗ききょうには逆さに振っても出せないような殊更につやのある声色で、まるで妓女ぎじょ娼婦しょうふかのようにすら思えてしまう響きがあった。


 あまりに優美な声で名前を問われて、少女はきょとんっと一瞬言葉を詰まらせてしまう。


「え、えっと……私の名は桔梗ききょうですが。それがどうかしましたか?」

桔梗ききょうさんですか、良い名ですね。貴女あなた様、これからお暇ですか?宜しければ一緒にご飯でも食べませんか。」

 一体急に何を言い出すのだろうかと桔梗ききょうは思わず目をぱちくりと瞬かせてしまう。


 どういう話の繋がりで飯を一緒に食べようなんて言葉が出てくるのか、頭を混乱させながらも桔梗ききょうは首を振るった。


「あの、いえ、ちょっと……旅先に急いでいますので。」

 桔梗ききょうがそう言うと、笠被りの女性は「おやまあ」と小さく言葉を零し、分かりやすく溜息を漏らした。


「それは、まあ、残念なことでございますねえ。ですが、まあ、急いでいるのならば致し方ありませんか。えっと。それで何の用でしたかね?」

「えっと。この集まりが何なのか聞きたかっただけなのですが。」

「ああ、そうでございましたね。」


 どこか緩く穏やかな調子でそう言った女性は、すっと腕を伸ばして、河原にいた色男を指さした。


「あそこに男の方がいらっしゃいますでしょう?」


「ええ、まあ居ますね。みんなして、あの男の人を眺めているんですか?」

 まさかと思いながら少女が尋ねてみると、案の定と言うように「まさか」と笠を被った女性はクスリと口角を上げた。そうして男へと向けていた指を僅かに右へとずらした。


「その方が肘をかけている立札が見えますか?」


 言われて桔梗ききょうは指のさす方へと視線を向ける。

 確かに言われてみると色男が左腕を上げて、一本の細長い棒の上に肘を乗っけているのが見えた。


 棒には板が打ち付けてあって、その表にはふででなにやら文字が書いてあるようだった。桔梗ききょうは目を凝らすと、そこに走り書きで認められていた文字を読み上げる。


「えっと……『うでおぼエアルものもとム』ですか?」

「ほう、字まで見えましたか。貴女あなた様、随分と目が良うございますね。」


 笠被りの女性が妙に感心した口調で言う。

 それは、どこかからかっているようでもあり、本当に感心しているようにも聞こえた。


「あれがなにか?」


 文字は一応に読めたが、それがどういう意味なのか分からずに桔梗ききょうが問おうとした瞬間、河原から声が上がった。

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