見沼オールナイトダンスフェスにようこそ!

立野 獏

見沼オールナイトダンスフェスにようこそ!

 それは六月二十一日、日曜日の夏至の夜のことだった。

「それじゃ先に上がります。お疲れさまでした!」

 高校二年の澤入里沙はレジに立つ店長に一礼して、バイト先のコンビニを出た。

 午後十時。交代の時間だ。里沙は駅前のロータリーの一角にオープンしたこのコンビニで四月から働き始めた。平日はダンス部の部活があるのでシフトは土日の夜だけ。最初はおにぎり百個も発注したこともあるけれど、いまはようやく緑のユニフォームが板についてきたところだ。 

 交差点を渡り、見沼通船掘りの脇の小道を自宅目指してひたすら歩く。ただでさえ薄気味悪い道だが、新月の今夜はさらに暗くてなんだか背筋が寒くなる。デニムのミニスカに紺の二―ハイソックスなんて履いてきたけど、痴漢に襲われたらどうしよう……。

 そのとき、道の向こうで誰かが「おい!」と叫んだ。

 里沙は思わずブルンと震えた。続いてまた「おい、大丈夫か!」と声がする。男の声だ。どこかで聞いたような気が……と思っていると、すぐ先の芝川のほうからドボンとなにかが水の中に落ちる音がした。

 里沙はとっさに駆け出した。

 芝川の左手に彼の頭が見えた。その先に水しぶきを上げる小さな影。誰かが溺れているのだ。

「やだぁ。ふたりとも、溺れちゃだめよ!」

 里沙の願いが通じたのか彼は猛然とスパートし、小さな影を腕に抱いて川岸に戻ってきた。

「こっちよこっち! あたしに渡して!」

 両手を精一杯伸ばして彼から溺れていた子を受け取る。浴衣を着た小さな男の子だった。里沙が「大丈夫?」と顔を擦ると、鯨のように水をぷうと吐き出し、里沙の赤いポロシャツの胸にすがりついてきた。

「やだエッチ。なにすんのよもう!」

「おいおい、それはないだろう」

川から上がってきた彼は里沙に突き飛ばされた男の子をがっしりと受け止めた。

「少しぐらいはサービスしてあげても……て、おまえ、澤入じゃん!」

 里沙も顔を上げ、絶句した。

「浅倉先輩? なんで先輩が?」

「なんでって、俺はここで釣りしてただけだよ」

里沙のバイト先の先輩である浅倉康生は濡れたTシャツとショートパンツの裾を絞りながら口を尖らせた。

「そしたらこのガキが向こうから走ってきて、いきなり転んでドボンって訳さ」

 ホントに? こんな夜中に? なんか怪しくない?

 じっと睨む里沙。すると男の子がふたりの間に割って入った。

「おふたりとも、ボクの命の恩人です。ありがとうございました」

 ぺこりと頭を下げた男の子を見て、里沙はやっと肩の力が抜けた。

「とにかく、よかったね。早くお家に帰って両親を安心させなくちゃ。家、どこなの?」

「この川の、もっと上流です」男の子はなぜか言いにくそうに下を向いた。「あの、よかったらおふたりともボクの家に来ませんか? ちゃんとお礼を言いたいし、お兄さんの服もきれいにしたいから」

「わかった。じゃ、ちょこっとお邪魔させてもらうわ」

 ヤッタ―! と男の子は飛び上がって喜び、里沙の手を引いて一目散に駆け出した。


 男の子に引きずられるように里沙は川べりの道を走った。

 芝川に薄い靄がかかっている。その先に不思議な光に包まれて浮かび上がる木造の橋が見えた。

「お姉さん、行くよ。お兄さんの手を引いて!」

 男の子が叫んだ。里沙は追いかけてきた康生の手をしっかりと握った。

 三人は繋がったまま橋を渡った。光が周囲に満ち溢れている。いまにも橋が崩れ落ちそうで、里沙は金切り声を上げながら無我夢中で走り切った。

 なにかにドンとぶつかった。

いてててーっと隣りで康生もうなっている。芝生の上に尻餅をついた里沙が顔を上げると、目の前の赤い鳥居の上にこんな横断幕がかかっていた。

「歓迎! 見沼オールナイトダンスフェス様」

「な、なにこれ?」起き上がった里沙に男の子は言った。

「実は今夜、年に一度のお祭りがあるんです」

「こんな夜中に?」康生が詰め寄る。「いったいなんの祭りなんだよ」

 男の子はうつむき、浴衣の裾を両手で握りしめた。

「このあたりの神社の神様が集まって、いろんな災難から皆さんを守るために力を合わせて頑張ろうっていうお祭りなんです!」

 ポカンと口を開ける里沙と康生。そのとき、鳥居の奥から白い杖を突いた白髪の老人がぬうと姿を現した。

「坊、よう言った。それでこそ、わしの孫じゃ」

「おじいちゃん!」と叫んで男の子は老人に抱きついた。老人は男の子の頭をよしよしと撫でると、ふたりに向かって深々と頭を下げた。

「よくぞいらしてくださった。どうかこの老いぼれを助けると思うて、わしの話を聞いてくだされ」

 要はこういうことだ。

今夜は見沼の神社にまつられた神々が、ここ氷川女体神社前の特設会場に集結する。男の子が言ったとおり、神々の親睦を図って災厄から地域を守るのが目的だ。メインイベントは恒例の各神社代表による「ダンス競技会」。審査委員長は氷川女体神社の竜神さまで、もしどこかの神社の踊りが竜神さまのお気に召さなければその年の神々の和は乱れ、大きな災厄が降り注ぐことになる。

「我が鷲神社は長年上位入賞を果たしてきた由緒ある神社。今年はわしの息子、こやつの父親が年の初めから入念に準備しておったのじゃが、昨夜の予行演習でなんとぎっくり腰になってしまいおった」

「それで、ボクが助っ人を探すことになったんです。わざと川で溺れて、助けてくれた人に頼みこもうと……」

「なに、おまえ、あれ『わざと』なの!」

 逆上する康生を無視し、里沙は老人の前に一歩進み出た。

「ダンスならあたし、お手伝いできると思います。これでも一応ダンス部ですから。今年は大会、中止になっちゃったけど」

「俺だって軽音楽部の部長だぜ」康生は鼻息を荒くした。「部員は俺ひとりだけどな。でも、ギターを持たせりゃ俺の右に出る者はいないぜ」

「なんと頼もしい!」老人はふたりの前でぱちぱちと手を叩いた。「ではお任せいたす。こちらに参られよ」

 老人は先頭に立って鳥居の奥に進んだ。そして「お若いの」と康生に話しかけた。

「残念ながら、ギターは竜神さまの好みではござらん。ここはひとつ、琵琶でお考えいただけまいか?」

 康生は「琵琶ってなに?」と里沙に耳打ちした。


 公園と思しき芝生の中央に巨大なステージが作られている。

ステージと言ってもまるでプロレスのリングのような代物で、四つのコーナーにはロープが張られて万国旗が飾り付けられ、頭上高くにはミラーボールのような発光体が自力で浮かんで周囲にまばゆい光を投げ掛けていた。

「ほう、今年の中山神社さんはガールズグループで攻めてきおったか」

 腕組みした老人がふんと鼻を鳴らす。幾重にも取り囲む神様たちをかき分け、揃いのピンクのミニワンピを纏った九人の女神たちがステージに駆け上がった。ビートが効いたダンスナンバーが会場に響き渡る。彼女たちが腰をくねらせポーズを決める度に、やんやの大喝采が沸き起こった。

 それからも次々と趣向を凝らしたダンスチームが登場した。男女ペアのラップあり、見目麗しい美少年グループあり、ストイックなソロダンスあり。スーツにサングラスで決めた強面集団まで出てきて、これまた大きな拍手をもらっていた。

「澤入、おまえ、どうする?」

 さすがに不安になったのか、琵琶を肩から下げた康生が里沙に聞いてきた。

「やるしかないですよ」里沙はそう自分に言い聞かせた。「あたしは先輩に合わせます。あとはなるようになれ、です」

「でもさ、それでもし竜神さまが気に入らなかったら? へたすると東京沈没かもよ」

「だったらなおさらがんばらなきゃ」里沙は精いっぱいの笑顔を見せた。「あたしと先輩だったら、絶対いけますよ!」

「さあ、この次じゃ。お若いの、準備はよろしいか」

 老人はふたりの手を取り、会場を見下ろす小高い杜を指差した。

「竜神さまはあそこから見ておる。しっかり歌い、踊るのじゃ!」

 次の瞬間、ふたりはステージの中央に移動していた。

 目もくらむようなスポットライトの向こうに、こちらを冷静に見つめる鋭利な視線を感じた。

背筋を伸ばした里沙は「スタート」と小さくつぶやいた。

 康生が琵琶をジャンと弾く。里沙の身体がしなやかにのけぞる。

 ベンベンとかき鳴らす琵琶の音が付点のリズムを帯びてくる。最高潮に達したところで康生の唸り声でかき消されると、次は激しいエイトビートが会場いっぱいにこだました。

 康生は訳の分からない言葉でシャウトする。里沙は全身全霊でその音を聞いた。頭を無にし、音の中に身体ごと入った。

 自然に身体が動く。でもまだ足りない。あたしが感じているこの歓びを伝えるにはまだ足りない。もう少し、あと少し、より高く、もっと大きく、十七歳の心と体を解放するんだ!

 雄叫びを上げて康生がバチを振り下ろす。琵琶の弦がはじけ飛ぶ。同時に里沙はステージの上にあおむけに倒れた。

 やがて誰かの腕が里沙の身体を抱きかかえた。そっと持ち上げ、低くつぶやいた。

「イカしてたわ。キョウイチね。ごほうびに新しい社をあげる。大事にしてね」

 里沙は気を失った。


 目が覚めると、あたりは朝のまばゆい光に包まれていた。

 ここは神社の境内のようだ。すぐ後ろで康生が大きな伸びをした。里沙は目の前にそびえる本殿を仰ぎ見た。

 おぼろげに記憶がよみがえってくる。ここに先輩がいるのだから、全部が夢ではなさそうだ。

 康生はやおら立ち上がり、もう一度伸びをしてから本殿にまっすぐ向かった。

「ほら、おまえもお参りしろよ。これからもいろいろ助けてもらうんだろ?」

 里沙はうなずき、康生と並んで立った。

 パンパンと手を叩き、深くお辞儀をする。

 里沙は目を閉じて祈った。どうか先輩の歌が誰かに届きますように。そして来年こそダンス大会が開かれますように。

「じゃ、またな!」

 気がつくと康生は神社の階段を駆け下りていた。「急がないと、学校、遅刻だぜ!」

「待って! あたしも行く!」

 里沙はずり落ちた二―ハイソックスを引き上げ、康生の後を追って走り出した。

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