白昼夢

「とりあえず、これ捨ててもらってもいい?」

「はいはい、わかりました」


そう言って先生の手から、彼岸花を受け取ったその瞬間。


ぞ、と背中が粟立ちました。

私の背後。

無造作に開け放したままの、さっき黒猫が通りがかった窓。

私は確かに、その窓に背を向けています。


けれども、窓の外に何かが立っているのが見えるのです。

見ている、と感じました。

刺すというには物足りず、ただ見ていると言うには鋭利で冷たい視線が、私の背中越しに下から上へと、一度内臓を撫で上げました。

ちくちくと不快な視線は値踏みするように、私を背中から貫くように、めつけています。

そのまま、視線に縫い留められたように、私は動くことができません。

幾重にも視線は重なっていきます。


評価の視線。好奇の視線。哀願の視線。懇願の視線。羨望の視線。嫉妬の視線。欲望の視線。殺意の視線。解剖の視線。怨毒えんどくの視線。悔恨の視線。


痛みになるほどではない、ちくりとした視線が、私の後ろ姿に余すところなく突き立っています。

すう、と窓から小さな手が目一杯に指を広げて、その手の大きさに不釣り合いな長い長い腕を、ぞろりと私に向けて伸ばしてきました。

ずるりずるりと、関節もおぼつかない軟体動物のような動きをする腕を幾本も、幾本も、私を求めるように、すがるように伸ばしてきました。


きっと、帰りたかったのでしょう。きっと、在りたかったのでしょう。

ただ、最早こちら側にいられぬ以上、そちら側から人を求めるしかないのでしょう。

その手は私の髪を、服を、身体を、魂を、その冷たい指先で絡め取って引きずり込もうとしているのです。


そこに、私への悪意はありません。

あるとしたら、それは全体に投げられる嫉妬にも近い同一化の欲望と、ほんの一欠けだけの郷愁と、それを上から眺めて、無邪気に悦に入る尋常の埒外らちがいの何かです。

一杯に開いて、少し反り返った青白いほどに冷たくか細い指先は、まるで私の手の中にある彼岸花の花のようで――

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