常盤にまつは

「……それではまるで、いえ、アレが信仰対象であればこそ、神隠しというわけですか」


お話の中に出て来るオブジェクトに付随する概念を論理的に構築するのであれば、そういうことです。

それが本当かどうかなど。概念が信仰を産むのか、信仰が概念を産むのか、そんな鶏と卵、事実の前にはどうでもいいのです。

概念と信仰、どちらかが事実とすり替わったとしても、結局はどうでも構わないのです。

最初にどれかがあって、そこに他が紐づいただけなのです。


「まあ言い出すとキリがないんだ。

 一本花いっぽんばなと呼ばれることもあってね、おそらく植えたばかりの時には親になる球根から一本しか伸びないからなんだろうけれど。

 だが、この一本花いっぽんばなというのはね、葬儀に際して死者の霊のしろとなるための花を捧げる、日常では禁忌タブーとされる行為も指すんだよね、なんて」

流石さすがに盛りすぎではって言われるやつですよ」

「事実なんだけどなあ」


事実は小説よりも奇なりというやつでしょう。

そういえば。


「結局、猫は戻ってこなかった、ということでいいんですかね、あのお話」

「らしいね。まじないまでしてたみたいだけど」


まだ持ったままの彼岸花を揺らしながら、先生が言います。

どうやったらその情報が出て来るのでしょうか。

先生は私の顔を見て眉を上げました。


「戸口に何か書かれた紙が逆さに貼ってあったってあったでしょ。

 たぶん書いてあったのは、百人一首にも収録されている在原行平ありわらのゆきひらの詠んだ、立ち別れいなばの山の峰にふる、まつとし聞かば今帰りこむ、だ。

 その作法の詳細に地方で差異はあるけど、全国的に使われる行方不明になった飼い猫や飼い犬を呼び戻すおまじないだよ」

「なるほど、しかも逆さとくれば、よりまじないとしての意識が強いわけですね」


上下も前後も逆さになる股のぞきという行為が、妖怪変化を見破るために有効である、とも言われますし、不動明王の図像を逆さに掛けて相手を呪うという行為があります。

古事記、日本書紀にある、所謂いわゆる海幸山幸でも、山幸彦が釣り針を返す時に、まじないを唱えて後ろ手で、つまり前後逆さで渡すようにと言われます。


まじない歌のまじないは、歌の意味とは別に後世つけられる場合もあるし、このまじないはその代表的なものだねえ」


それから先生は、はたと手にしたままの彼岸花を見て、そして私に視点を向けました。

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