第8話【勇者一閃】
(一)
シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…
シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…シュテフが死んでしまう…
回った。
ぐるぐると目が回った。
見える物は全てが揺れて、震えて、また回った。
聞こえた。
何かが聞こえていた。
それはまるで耳鳴りのように、遠くで誰かの話す声が聞こえていた。
「さすがに出発するにも、夜からというのはマズい。出るなら比較的魔物が弱い日中がいい。出発は明朝、朝日が登ると同時に出発とするが良いか!?」
ああ、これは団長の声だ…そうかあ、やっぱり行ってしまうんだね。シュテフ… 私の大好きな弟。私に残された、たった一人の家族。君も私を残して行ってしまうんだね。
どうして?
どうしてなんだい、シュテフ?
絶対に敵わないのなんて分かってるじゃない。
絶対に、行けば死ぬって決まってるじゃない。
なのに、どうして、そんなクエスト受けちゃったのよ。
周りから叫び声が聞こえた。うるさいくらいに激しい声だった。気が付くと、それは泣き叫ぶ私の声だった。
シャッフルワールド物語
【マーシャの地図】
第八話『勇者一閃』
「…じょうぶ…シャちゃん…?」
「…だい…ぶ…マーシャちゃ…?」
頭の芯が痺れていた。遠くで誰かの声が聞こえた。私は、目を開いたまま意味も分からずそのまろやかで優しい声を聞いていた。自分が今、起きているのか、眠っているのかも分からなかった。でも、よくよく考えると、さっきから暗い天井が見えていたから、どうやら長い間、ただただ天井を見つめていただけなのかも知れない。そしてさっきから枕元で私を呼ぶ声。それが聞き慣れた女将さんの声だと気が付くと、私は静かに視線を動かした。
「大丈夫、マーシャちゃん? 正気に戻った??」
それは、とてもとても心配そうにしている顔だった。
「…あ…あ…い」
言葉にしようと思ったけれど、思った通りには発音が出来なかった。ただ喉の奥でガサガサと音がするだけだった。
「シュテファンさんがここまで運んで下さったのよ。街の皆も心配してたわ…」
「…あー…あー」
私はコクリ、コクリと頷いた。そして、自分が今まで気を失っていたのではなくて、気がふれていたのだという事を理解した。確かに、ずっと聞こえていた。ずっと見えていた。でもそれは、まるでスリ硝子の向こうの出来事のような、ぼんやりと、誰かの見ている景色を見ているような感覚だった。ひょっとしたら、私とは違う誰かが私になり変わって、今の今までこの身体を動かしていていたのかも知れない。表側に出れない私が、意識の裏側からそれを見ていたのかも知れない。それは、そんな不思議な感覚だった。
「…お…がみ…ざん…」
私は女将さんにすがりついた。そしてまた泣いた。そしてそんな私の頭を、女将さんは優しく撫でてくれた。ただただ無言で撫でてくれたんだ。
私が寝かされていたのは、お宿の一室。とても見覚えのある部屋だった。この造り、恐らく本館一階の藤の間。卒倒した私はお宿に連れて来られ、玄関から一番近いこの部屋に寝かされたのだろう。あちこち擦りむいていた。頭の芯はまだ痺れているけれど、何となく覚えている。そう、私は街の皆の前で泣き、わめき、自分の髪をむしりながら暴れたのだ。たぶん、着ていた服は汚れてしまったのだろう。お宿の備え付けとは違う、品の良い浴衣が寝間着代わりに着せられていた。
『…シュテフ!?』
急に思い出し、立ち上がろうとしたけどダメだった。このまま寝てはいられないと思った。止めなきゃいけないと思ったんだ。いつも失ってから気付く。お父さんもお母さんも、地図から消えてしまった故郷も。それだけじゃない、自分にとって冒険者というのがどれ程大きかったのか。いつも笑ってくれているだけのジャガイモ君がどれだけ尊い存在だったのか。そして、いつだって私は失くした後で後悔ばかりするんだ。だから、私は行かなくちゃいけない、今回だけは、今回こそは、彼が居なくなってしまう前に。
何度も立ち上がろうとした。でも、足に力が入らないまま畳の上に転がった。そして、女将さんはそんな私を抱き寄せると、強く手を握ってくれた。
「慌てなくても大丈夫よ、マーシャちゃん。シュテファンさんも、…ヨーゼフさんも、ハイディさんも、今晩は皆さんうちのお宿にお泊まりになっているわ。明日は厳しい一日になりますからね、せめて今晩だけはゆっくりと眠れるように。って、お部屋を提供させてもらったのよ」
そう言うと、女将さんは静かに立ち上がり、
「ごめんなさい、マーシャちゃん。こんな事くらいしかしてあげられなくて…」
と、一度だけ振り向くと、そのまま部屋から出て行った。
静かな、とても静かな夜だった。女将さんが居なくなった藤の間で、外の日本庭園の水銀灯の明かりが池の水面を照らすのを、少しだけ開かれた障子の隙間から眺めていた。秋の虫達が悲しげに泣く声が聞こえていた。どれくいらいの間、そんな景色を眺めていたのだろう。ある時、女将さんが握りしめてくれていた右手の中に、何か硬い感触がある事に気が付いた。ゆっくりと掌を開くと、そこには一本の鍵があった。私はそれを知っていた。女将だけが持つ事を許される全客室共通の万能キーだった。どうやら『こんな事くらいしか』が意味していたのは、看病してくれた事でも、手を握ってくれた事でも無くて、この鍵の事を意味していたのだと気が付いた。そして、それが意味する事も。
『…最後の夜になるかも知れないのだから、抱かれて来なさい』
女将さんは無言でそう言ったんだ。確かに、この期に及んで私が出来る事なんてそれくらいしか無い気がする。
女として、明日死にゆく男に抱いてもらう。
姉として、明日死にゆく最愛の弟に思い出をあげる。
女としての自分、姉としての自分。私が彼に抱くこの愛情、その正体がどちらなのか正直分からなかった。ううん、ひょっとしたら、今まで弟だと思っていた存在を『男として見ている自分』が認めたく無いだけで、実のところはその両方なのかも知れない。
それに実際…
シュテフに抱かれる想像は決して嫌なものではなかった。いいや、よくよく考えれば始めて抱かれる男なら、彼以外にいない気すらする。そうしたい、そうなりたい。とすら思った。
でも、その先にいったい何があるというのだろう。
悲しい思い出以外、何が残されるというのだろう。
項垂れ、掌の中の鍵を見つめ、痺れた頭のまま考えた。今からシュテフに抱かれ女になる。それでどうなるのだ? あわよくば腹に子を宿し、育ち行く子に亡き彼の面影を見つけては「お父様は立派な勇者様でしたよ…」と、語り、残りの人生を生きて行けば良いのだろうか。それが本当に今の私に出来る全てなのだろうか。もう手遅れで、どうにもならないのだろうか。
あの日の光景が思い出された。それは、魔物に八つ裂きにされた両親の姿だった。そしてそれは、明日のシュテフの姿に重なった。
…また私は、何も出来ないまま、ただ見ているしかないのだろうか。
泣いた。私は水面に映る水銀灯の明かりを眺めながら、情けなくて泣いた。そして、落ちた涙が掌の鍵に落ちた時、私はふと気づいてしまった。
―ある。
―たった一つだけだけど、あった。
―シュテフが魔物に殺されない方法が。
―私達が、これからもずっと一緒にいられる方法が。
それに気が付くと、私は思わず笑った。愉快な気分は止まらなかった。
そう、あれは私の男だ。
こんなダメな私に残された唯一の家族だ。
どんな女にも魔物にもやるものか。
私だけのシュテフなのだから。
思わず口角がつり上がった。震える手も、笑いも止まらなかった。そう、答えはいたって簡単だったんだ。私は天井を見上げて呟いた。
「見ず知らずの魔物に殺されるくらいなら、先に私が殺してしまえばいいんじゃない」
…と。
ズルリ、ズルリと壁に身体を預けながらフロントへと向かう。そして開かれた台帳を見るとすぐに三人の名前を見つけた。一人一部屋、シュテフの部屋は三階、一番見晴らしの良い、街を一望できる穂高の間。
私はそのままフラフラと厨房に入ると、奥の板場へ向かい、まな板と一緒に漂白剤に浸けてあった松さんの包丁を手に取ると、近くにあったキッチンペーパーで包んで浴衣の帯に刺した。
―シュテフを殺す。
いたってシンプルな答え。
それでいいじゃない。
…それが正解じゃない。
(二)
「…殺す。シュテフを殺す」
「…殺す。絶対に殺す」
私はそう呟きながら進んだ。三階の穂高の間へ登る階段を右へ、左へと揺れながら登った。そして部屋の前まで来ると静かに鍵穴を覗き込んだ。ぼんやりと月明かりに照らされ、静かに寝ているシュテフの姿が見えた。私は女将さんから預かった鍵を差し込み、音が鳴らないようにゆっくりと回すと、そのまま部屋の中へと入って行った。
開け放たれた障子から差し込む月と星達の明かり。静かに彼の枕元に立ち足元の寝顔を眺める。長い睫毛、あの日と同じだった。私の髪色よりもさらに明るいプラチナブロンドも良く知っている色だった。随分背が高くなって、大人になったと思ったけれど、眠るその顔はあの頃のままだった。今だって、髪を伸ばせば女の人に間違われるかも知れない。そんな綺麗な寝顔だった。どうしても、明日死にゆく顔には見えなかった。
ひとしきり寝顔を眺めた後、私は何度も涙を拭い、気を抜くと嗚咽してしまいそうになる喉を押し殺し、足音が立たないように床の間へと向かった。
そこにあったのは、月明かりを浴びて輝く、鞘に納められた勇者の剣だった。何のためらいもなくそれを手に取ると畳の上に膝まずき強く抱きしめた。ズシリと重く、まるで勇者としての彼の誇りと時間が詰まっているかのようだった。目を閉じると、瞼の裏に私の知らない十二年間が見えた気がした。
「いつの間にか、こんなにも重い剣を振れるようになったんだね、シュテフ…」
「この剣と共に、沢山苦労をしたんだね、シュテフ…」
気が付くと私は、勇者の剣を抱きしめたままそう呟き、涙を流していた。
今から私がする事を思うと、幾つも、幾つも後悔に似た感情が生まれた。だけど、それももう覚悟した。『勇者殺し』『街の希望の消滅』この罪は私が背負う、と。
―誰にもやらない。
―どこにもやらない。
勇者、シュテファン ミュラードーンは私が殺すのだ。
ずっと、一緒にいるんだ。
そして、強く、勇者の剣を強く抱きしめて私は呟いた。
「シュライフ(研磨)」
ドクン、と鞘の中の剣が震えた。確実にダメージが貫通する手ごたえがあった。
そう、私が殺すのはこの剣、勇者の証。
「シュライフ」
「シュライフ」
「シュライフ…」
静かにスキルを重ねがけする。その度に、鞘の中で苦しそうに剣が暴れた。
折れる音が聞こえた。
砕ける感触がした。
それでも私はスキルを止めなかった。
折れてしまえ。
砕けてしまえ。
私の愛しい男を死地に導くお前など、奪って行くおまえなど、砕けたクラッカーのようになってしまえ。
「シュライフ…」
「シュライフ…」
私は、彼が勇者である証を殺すのだ。
私は、彼の勇者としての時間と誇りを殺すのだ。
私は…一人の勇者を抹殺する。
いつの間にか、辺りが白み始めていた。それでも私はスキルを当てた。まったく皮肉なものだ。修行時代、あれほど失敗ばかりしていたこの鍛冶スキルが、こんな場面で役に立つというのだから。
気が付くと、お宿が激しく揺れていた。部屋の障子が赤く染まっていた。遠くでは、魔物の咆哮が聞こえた。それでも私はスキルを使った。すでに鞘の中には硬い剣の感触は微塵もなく、ただ、研磨する度にサラサラと振動で揺れる砂の音だけがしていた。
私の頬が濡れていた。でも、それは私の涙だけでは無かった。
抱きしめられていた。いつの間にか、後ろから優しく抱きしめられていた。
私の顔のすぐ横に、涙を流すシュテフの顔があった。そしてそのまま私達は、涙で濡れた頬と頬をすり合わせ、目を閉じて唇を重ねた。とても懐かしい味がした。
「ごめんね、マーシャ姉。もうすぐ夜明けだから行かなくちゃ」
唇を離すと、シュテフは静かにほほ笑んだ。私は首を振った。何度も、何度も首を横に振った。『行かないで』『行っちゃダメだシュテフ』と、目で訴えてその手首を強く握った。でも彼は、
「ダメなんだ。僕は行かないとダメなんだ。勇者だから。皆が待っているから。これは、僕にしか出来ない事だから」
と、優しく呟いた。でも、震えていた。握る手首が小刻みに震えていた。そして、やはり震える左手で、手首を掴む私の手を解くと、そのまま立ち上がり部屋の出口へと向かって歩きだした。それはまるで、あの秋の夜、荷馬車の中の別れのようだった。襖の前で一度だけ立ち止まったシュテフが大きく一回息を吸う。そのまま振り向く事なく最後に彼は一言私に告げた。
「でも、勇者である前に、僕は一人の男だ。好きな人の前では背伸びがしたいんだ。たとえ無理だと分かっていてもカッコがつけたいんだ。…いってきます、マーシャ姉。剣を研いでくれてありがとう。これで思う存分戦える」
そして彼は部屋から出て行った。
追いかけるなんて出来なかった。引き留める事も無理だった。泣いた。そのまま泣き崩れた。君は、たったそれだけのために、あの無茶なクエストを受けたのか。そして私は、そんな彼の想いも察してあげられないまま、勇者の剣を粉々に砕いてしまったのか。そう思うと自分が情けなくて消えてなくなりたい衝動に駆られた。
『…死のう』
こんな時のために持ってきた帯の中の包丁に力なく手を伸ばす。そして包んでいたキッチンペーパーを取ると、両手で握って切っ先を喉に当てた。その時だった。
「おい、仲居! あんた、気が強いクセにいっつも泣いてんだな?」
そんな声が聞こえた。振り向くと、部屋のドアの柱にもたれ、腕組みをしながら私を見おろす不敵に笑う赤髪の女剣士が立っていた。
「その様子だと、ちゃんとお別れは出来なかったみてぇだな、仲居よ。あたしだって大抵、今日のクエストでおっ死んじまうっていうのに、気を利かせて断腸の思いで順番譲ってやったんだぞ。まったく、何やってんだ…」
そして大きな溜息を一つ付くと、彼女の目が突然真剣になった。
「外を見な、仲居」
その声に開かれていた障子の外に目をやって私は凍り付いてしまった。
―眼下の街が燃えていた。
―魔物の咆哮が聞こえた。
それは、まるであの日の再現のようだった。
「さっき、この街に結界破りが生まれた。今は繁華街で暴れてる。で、どうするんだいアンタは? いつまでそこで泣いてるつもりだい。シュテファンならとっくに行っちまったぜ! なあ、仲居!」
私は首を振った。何度も振った。だって、シュテフの剣は粉々に砕けてるんだ。私がそれをやったんだ。そのために戦う術もなく死んでいく彼の姿を思うだけで足に、腰に力がはいらないんだ。もう、逃げたくて、逃げ出したくて仕方がないんだ。こんな辛い人生は終わらせてしまいたいんだ。でも、まるで炎のような長い髪を持つ女剣士はそれを許してはくれなかった。
「これは、仲居のためにやるんじゃないんだからな! シュテファンのためにやるんだからな!」
そう言った彼女は、私の身体を軽々と持ち上げると、まるで米袋のように肩に担いで走り出した。そう、シュテフを追って、結界破りが暴れる繁華街を目指して。
…泣き叫ぶ私の気持ちなんてお構い無しで。
(三)
私を担いだハイディが階段を駆け降りた。途中から、一段抜かしも二段抜かしも面倒くさくなったのか、一気に踊り場目がけてジャンプした。そしてそこでグンっと身体を捻ると、今度は下の階目がけて飛び出した。その度に、戸惑う私の身体も大きく跳ねた。
「間に合え!」
「間に合え!」
「間に合いやがれ、コンチクショウ!!」
彼女は何度も何度もそう叫び、玄関目指してお宿の廊下を駆け抜けた。
玄関の暖簾を潜り、石畳の先にある門の辺りまで来ると、すでに出発の準備を整えたヨーゼフお爺ちゃんの姿が見えた。すると二人は短いアイコンタクトをすると、「下ろせ!」「下ろして!!」と叫ぶ私なんてお構いなしに並んで走り出した。
「爺ちゃん、どうして魔物が!?」
「詳しくはワシも分からん! 最後に結界破りの報告があったのは二十年程前、始まりの街近くの農村が全滅させられた時じゃったから、えらい珍事が起きてしもうた! ただ…」
「ただ!?」
「…ただ、世界大シャッフルが終われば、何十万、何百万という魔物が一斉にリポップする事になる。おのずとバグの生まれる確率も高くなるのじゃろうて。隣駅の開放に結界破り。今日はイベント盛り沢山じゃわい!」
「え、えらく余裕あんだな…」
「余裕などあるかい! ただ、嬉しいんじゃよ。この老いぼれ、放っておいても、もうどれだけも長くは生きられまい。それがこの期に及んで再びこのような最前線に来れた。しかも、ゲイローの街を守って死ねるなど、こんな大層な舞台まで準備されておる! これで心が躍らぬワケがあるまい。冥土でワシを待っとる昔の仲間や、お前の婆さんに良い土産話が出来た!」
「ケっ! 爺ちゃん、毎度そんな事ばかり言ってるが、一度も死んだ試しなんかねえじゃねえか!」
そして二人は麓へと続く長い坂道を全力疾走しながら高笑いし始めた。でも、私は気付いていた。笑っているハイディの身体が震えている事に。見上げると、彼女の眼は笑っていなかった。隠しきれない死への恐怖が浮かんでいた。でも、それでもグッと歯を食いしばり、頭を横に振った後に近づいてくる繁華街を睨みつけていた。
長い坂が終わると、石畳の上を駆け抜け、幾つ目かの角で二人は曲がった。そして、さらに大地を蹴って加速した。繁華街が近づくにつれて、建物が燃えるきな臭い匂いがした。ますます大きくなる魔物の咆哮が聞こえた。そして、商店の角を曲がった時にそれは姿を現した。
最初に見えたのは、激しく刃こぼれし、まるでノコギリのようになった巨大な戦斧だった。デタラメだった。あのブリッツ(雷光)が手に持っていた斧を遥かに超える、デタラメな大きさの戦斧が、建物の屋根の向こうに現れた。そして、さらに次の角を曲がった私達は見た。盛り上がる無数の筋肉を、酒樽を踏み潰す蹄(ひづめ)を、大きく曲がった角を。そう、
―それは、倒壊し燃える建物を背にして立つ、一頭の巨大な牛頭。ミノタウロスだった。
「で、でけぇな…」
「うむ、やはり上級であったか…」
ゴクリと息を飲む二人の喉の音が聞こえた。そして、ハイディの上の私は絶望を噛みしめていた。何が『エクストラアウスナーメは桁外れの魔力を持っている』だ。何が『魔王のような膨大な魔力を垂れ流している』だ。おだてられて、その気になってた自分が惨めにすら思う。さっきから私の肌を押す、物理的な濃度を持つ程に濃いコイツの魔力。私は生まれてこの方、こんな魔物…いいや、化け物を見た事がない。
―シュテフは!?
慌てて周りを見渡すと、牛頭の足元にはすでに何人もの人達が地面に転がり、血を流し、痛みに顔を歪めてっているのが見えた。そして、私は思わず息を飲んでしまったんだ。だってその中に信じられない、ううん、信じたくないものを見つけてしまったのだから。
それは、やはり血を流し、地面に片膝をつけ、折れた大剣を支えにしつつも魔物を睨むハンス団長の姿だった。右腕も左足も、あり得ない方向に曲がり、肉を突き破った骨が露わになっていた。
「あの人を、うちの人を助けてあげておくれよ、僧侶様!!!」
瓦礫の中、私達を見つけたハンス団長の奥様が駆け寄り、ヨーゼフにすがりついた。でも彼は、とても申し訳なさそうな顔で
「すまぬ、あれはもう医者の領分じゃ。僧侶のワシではどうにもしてやれぬ…」
そう言って、静かに首を横に振った。その言葉を聞いて、私だけじゃなくハイディまでもが辛そうな表情になった。それは、その言葉の意味を冒険者なら誰もが知っているからだった。そう、医師と僧侶の違いを。
魔法使いに比べ、僧侶が使える魔法は極端に少ない。それには理由がある。魔法の種子の中にある書庫。僧侶はその記憶領域を魔道書以外の物で使用しているからなんだ。そう、それはパーティメンバー四人分の生体データ。一日のスタート時に必ず行われる冒険者のルーチンワーク、僧侶による全員の身体データのスキャンと更新保存。一見、僧侶のそれは治療に見えて実は治療ではないのも私達は知っている。戦闘で負傷した部分、欠損した部位を治しているのではなく、保存した設計図を元に初期化しているに過ぎないんだ。だから、簡単なヒールならいざ知らず、データの無いパーティメンバー以外の人間のあれほどの大怪我となると、もうすでに打つ手なんか無かった。
それでもハンス団長は、折れた大剣を握り牛頭を見上げ睨みつけていた。そして大きく戦斧を振りかぶる魔物もまた…
でも違った。牛頭が睨みつけていたのは団長では無かった。朝の風が爆煙と土埃を洗い流すと現れたんだ、魔物と睨みあう一人の勇者の後ろ姿が。
朝日を浴びて凛と立ち、ミノタウロスと対峙する白銀の甲冑の背中が見えた。腰には鞘に納められた私のリボンが結んである輝く勇者の剣があった。右足を大きく前に出し、身体を捻るその姿、居合の構え。力と、揺るぎない信念(おもい)が込められた二の腕。魔物の鼻下を打ち抜く眼光。その気迫と覚悟は、すでに中級勇者のそれではなかった。
…でも。
私は一瞬束縛する腕の力が弱まると、その隙にハイディの肩から飛び降り駆け出した。
「お願いだシュテフ! 逃げるんだ! 今すぐ逃げるんだ! 君の剣は…、君の勇者の剣は!」
でも、そう叫び始めた矢先、私の手が強く掴まれた。振り向くとそこには空いた右手で剣を抜き、真剣な眼差しで私を睨むハイディがいた。
「邪魔するな仲居! これは大事な男の、大事な場面だ! 見るんだ! ちゃんと目を逸らさずに見るんだ、仲居! もし目を背けたら、あたしがあんたをブッ殺す!」
そう叫ぶ彼女越しに、杖を構え、詠唱と同時に大気中の風の精霊を集めるヨーゼフの姿が見えた。すでに二人は臨戦態勢に入っていた。おそらく次の両者の打ち合いを合図に飛び出すつもりだ。そして、そのピリピリと肌を焼くような空気を私は知っていた。いいや、思い出した。自分もかつては同じように、胸に揺るがぬ誇りと信念を抱いて生きていた事を。
そうだ。
そうなんだ。
私も同じ冒険者だったというのに、どうして忘れていたのだろう。皆が最後の一瞬まで英雄であろうと大地を強く踏み締めて立っている事を。誰も、その魂を汚す事なんて出来ない事を。
でも…
『君の剣は折れている。その鞘の中で粉々に砕けている』
ならば、私は。
私に出来る事は。
ゴクリと喉が鳴った。完全に目が覚めた。覚悟も決まった。もう揺るがない。もう泣かない。シュテフが信念を貫くならば、私が取る行動も一つだけだ。
―彼が砕けた剣を抜いた瞬間、私も飛び出す。
連撃を狙う二人には悪いけど、こればっかりは譲れない。申し訳ないけれど、あのハンス団長ですら歯が立たない化け物相手に折れた剣では万に一つも彼に勝ち目はないだろう。おそらく、次の一撃で一方的に粉砕される。
…ならば!
勇者として生を全うした彼を一人で逝かせるものか。
もう離れない。一緒にいるって言ってくれたんだ。だから、死ぬ時だって離れてなんてやるもんか! もし、おとぎ話のように天国へと昇る階段があるのならば、彼と一緒に登るのは私以外にあり得ない。
―それは、剣を折った償いか?
違う。償いなんかじゃない。
―それは、死んで罪悪感から解放されたいからじゃないのか?
それも違う。逃げるんじゃない。
ただ私は、彼と一緒に生きる。そう決めただけだ。ならば、彼が逝くなら私も逝く。それだけの事だ!
息を飲み、真っすぐ見つめるその先。互いの武器を構え睨みあう勇者と巨大な魔物の間にある張りつめた空気と気迫が臨界点を迎えようとしていた。弾けんばかりに膨らんだ互いの筋肉が震えているのが見えた。
…そして飽和の時を迎えた。
刹那、空気が震えた。瞬間的に大気が収縮すると一気に爆発した。破裂する土煙。遮られた視界の中、振りおろされ、大地を割った戦斧の振動が地面を大きく揺らした。天高く登る一筋の光を見た。そして私はハイディの手を振り払って駆け出すと、竜巻のような土煙の中に飛び込んだ。
正直、まったく前は見えなかった。目を開けるのも無理そうだった。でも私は睨んだ。思いっきり牛頭を睨みつけてやった。そして叫んでやったんだ!
「次は私が相手だ!
かかって来い、牛頭!」
って。
(四)
砂漠から街へと吹き込む朝風が土煙を洗い流すと、すぐ目の前に私の背丈よりも大きい巨大な顔が現れた。激しく身体を捻り、巨大な斧を完全に振りおろしたままの姿勢で固まっていた。よくよく見ると凄い顔。こりゃあ私なんかじゃ睨まれただけで死んじゃいそうだ。そして、そのまま覚悟を決めた。もちろん死ぬ覚悟。大慌てで天国への階段を登りはじめちゃった彼の後を追いかける覚悟。やるならチャッチャとやってね牛頭。あんまり待たせたくないんだ。シュテフ、絶対に寂しがってるから。
だけど、次の瞬間私は違和感に気が付いた。牛頭の目に生気が宿っていなかったんだ。それに気が付いた時だった。私は見た。魔物の身体の中心線に沿って血しぶきが上がると同時に、斧を振りおろした姿勢の右半身は前に。仰け反った左の半身は後ろに向かって交互にズレ始め、そのまま地面に崩れ落ちるのを。
恐る恐る振り向いた私は見た、朝焼けの光の中に立つ影を。朝日を反射させて輝く白銀の鎧と、その胸に光る紋章を。何度も、何度も、数えきれない程シュライフ(研磨)を重ねがけ、粉々に砕けたはずの勇者の剣には一切の刃こぼれはなく、それどころか神秘的な青白い光を帯びていた。そしてその刀身には文字が浮かび上がっていた。
『一閃』と。
いったい何が起きたのか、まったく理解が出来なかった。でも次の瞬間、街の至る所から歓喜の声が上がった。シュテフを称える声がした。そして私は理解した。彼がまだ生きている事を。彼があの巨大な魔物を一撃で一刀両断にした事を。
「ほほう、いつの間にやら一閃が付与されておる」
いつの間にかシュテフに歩み寄っていたヨーゼフお爺ちゃんが、まじまじと青く輝く勇者の剣を見つめて、感心しながら髭を撫でていた。
「…一…閃…?」
「お譲ちゃんは聞いた事ないか? 皆がよく使う『神様のきまぐれ』という言葉の語源を。そう呼ばれる神剣の事を? この世界に三つ存在すると言われる神様の気まぐれが一本目『一閃』。厳密に言えば剣に付与される特殊ステイタス。『居合抜きの型から放たれる一撃は全てがクリティカル、会心の一撃となる』そんな、おきて破りでデタラメな力を持つが故に誰もが欲しがるも、付与される条件はいまだかつて一切が不明。まさに神様の気まぐれ。しかも、剣の所有権が譲渡されると共にそれもまた消失するときたもんじゃから譲渡不可、転売不可。ワシも長生きしたが、これが付与された勇者の剣など初めて見たぞ」
その話を聞いていた街の人々はさらに高らかに声を上げた。それは、一人の二つ名を持つ勇者が生まれた瞬間だった。その名は
『一閃の勇者』
皆がその名前を声高らかに叫んでいた。
それは、この日生まれた一つ目の二つ名だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます