第7話【終わりが始まる】
(一)
細かく揺れる大地、鳴り響く地響き、流れて行く星々。街のいたる所で、屋根や高台に登り、世界大シャッフルで移動する街の様子を一目見ようとする人達の姿が見えた。私は歩いた、ずぶ濡れのまま夜空を見上げ、まるで子供のように大声で泣きじゃくりながら夜の街を歩いた。そしてそのままアパートメントまで戻ると、部屋がある四階まで壁に体重を預けながら古い木製の階段を上り、中に入るとベタベタと纏わりつく服を脱ぎ床に捨てた。ズボンも脱ぎながら歩いた。気持ちが悪かった。そのまま下着も全部脱ぎ捨てると、ベッドの上で丸まってまた泣いた。そして泥のような睡魔がやって来た。
目を覚ますと、地響きは止んでいた。窓の隙間から見える時計塔を見ると、すでに時間はお昼を少し過ぎていた。けだるい身体を起こし、ベッドの上であぐらをかいて項垂れる。頭の芯が痺れたまま考える。どうやら私は十二時間も寝ていたらしい。まあ、そりゃそうだわね、昼間の仮眠程度で三日間働き通したのだから。
「グローセラントカーテ…」
ボリボリと頭を掻きながら部屋一杯に大きな世界地図を開いてみると、出てきたのは見た事も無いとても奇妙な地図だった。薄茶色の羊皮の上に、私が行った事のある街や村だけが、知ってる位置とは違う場所に点々と記されている以外は真っ白だった。この能力特化型の私ですらこんなのしか出せないのだから、普通の魔法使いや冒険者が開いたら恐らく始まりの街しか載ってい地図が出るのだろう。本当に世界がシャッフルされてしまっていた。これから皆が、何処に何があるかも分からないまま手探りで新しい冒険や生活を始めるのだと改めて実感した。そして、地図の一番端に記された始まりの街。その正反対の端にゲイローを見つけた。隣の湯元源泉駅や、連なる山々も一緒に移動していた。どうやら、上級エリアの最深部、魔王城付近に移動したというのは本当のようだった。
シャッフルワールド物語
【マーシャの地図】
第七話『終わりが始まる』
(二)
新しい一日、新元号『ヘセーイ』初日は、雲一つない晴天だった。部屋の入り口からベッドまで点々と脱ぎ捨てられていた半乾きの衣服や下着を洗濯機に放り込んだ私は、普段着に着替えてそのままマーケット広場の片付けに向かった。道中、ちょっとだけ気になってゲイロー門へと向かう。だって、地図を見ただけじゃまだまだ信用しきれなかったんだ、この街が本当に移動したかどうかが。
でも、どうやら考える事は皆同じらしく、門の周りにはすでに黒山の人だかりが出来ていて、私の立つ入り口広場の噴水からでは、数えきれない人の頭と、どの街や村の門にも飾られている大きな戦斧を構えたブリッツ(雷光)と、巨大な縦を持ったゲビッター(雷轟)、二体の石造の腰から上が見えるくらいだった。
ちらりと時計塔を見る。すでに組合の皆がマーケット広場の撤収と清掃を始める頃で、さすがにこの人混みを順番待ちしてたら遅刻してしまうような気がした。でも…。私はコクリと頷くと、そのまま順番待ちの最後尾へと並んだ。いやだって、このまま仕事に向かっちゃったら気になって作業に身が入らないじゃない。そう、私はどうしてもこの目で確かめたかったんだ、この街の現状を、転送門を潜る事無く居残ってしまったシュテフ達がこの先どうなってしまうのかを。
列に並んでみると意外な事があった。それはてっきり最前列に出た人はしばらく景色を眺めてそこを退かないと思って覚悟してたんだけど、不思議な事にその回転は、私が思ってた以上に速くてスムーズだったんだ。次から次へと私の横をすれ違い、街に戻って行く人達は、誰もが肩を落とし、深いため息をついていた。そして、その理由はほどなくして先頭に出てみてすぐに理解出来た。確かにこれは、絶望的な光景かも知れない。
目の前に広がっていたのは昨日までの爽やかな平原ではなく、見渡す限りの灼熱の砂漠だった。右を見ても左を見てもただの黄土色一色。その中に見なれたゲイローと山岳地帯の延長である徐々に背の低くなっていく山肌と、それに沿った小川と線路が見えた。おそらく肩を落として戻った男の人達は、その山肌以外、緑一つ見えない光景に絶望を覚えたのだろうし、女の人達は、これからの毎日のお洗濯、風向きを気にしないと砂だらけになる事に頭を抱えてしまったのだろう。
「こりゃあ、砂漠のオアシスならぬ、砂漠の温泉になっちまったのう、お譲ちゃんよ」
突然、頭の上からそんな笑い声が聞こえた。見上げると案の定、またしても門の上の見張り櫓に登って景色を眺めていたヨーゼフお爺ちゃんがいた。
「お爺ちゃんったらまたぁ。まったく、毎回どうやって登ってるのよ!?」
「どうやってって、ちょいちょいっとじゃ。どうじゃ、お前さんも来るか? 中々に面白い物が見れるぞ?」
そう言われ、順番を譲りながら人混みの外に出た私は、長く弧を描いて続く城壁の遥か端を見た。裏山とぶつかるそこにあるのは自警団のゲイロー事務所。そしてその瞬間、切ない思いがこみ上げた。だって、城壁の上なら何度か登った事がある。酔っぱらった勢いでジャガイモ君に連れられて夜景を見に登ったんだ。
「ムリムリー! 城壁に登る階段は、自警団事務所の中で一般人は入れないからー!」
私が上を見上げてそう言うと、お爺ちゃんは
「そうツレナイ事を言うでない!」
と、言うと同時に小声で何かを呟くと、私の身体が突然まき起こったつむじ風に包まれた。そしてゆっくりと宙を飛び、ふわりと城壁の上に着地した。
その時、私は思い出した。双頭の狼の首をはね、風の精霊に包まれながらふわりふわりと降りてきたお爺ちゃんの姿を。確かに、何も無い所から物を生む魔法使いと違い、僧侶の魔法は現存する自然物の流れを操る。海を割って道を作る。なんて最たる物だ。でも、中級になったばかりの僧侶様で、ここまで繊細な風のコントロールをする人を、私は見た事が無かった。
「…風…使い!?」
思わずそんな言葉が口から洩れた。すると、遠くを眺めながらお爺ちゃんは笑った。
「誰かさんと一緒での、どうもワシには僧侶としての才能が乏しいらしい。水も土も炎も、精霊達の声はてんで聞こえなんだ。ただ、その代わり風だけは優しゅうしてくれておる。ま、それでも僧侶として何とかやれておるから、人生そんなモンじゃって。周りと比べ始めたらキリが無い。何かに特化する事はさほど悪い事では無いぞ。のう、地図の大魔女よ」
「…ぐっ。知ってたの、お爺ちゃん?」
「ほっほっほ、旅の酒場で眼鏡の子が豪語しておったではないか。まあ、それを抜いてもマリーシャルロットの名前は一世代前の冒険者の中では有名じゃ。生まれながらではなく、後天的に魔法の種子が生まれた詠唱無視のエクストラアウスナーメなど、長く生きておるが後にも先にも一人しか知らん。まさか、お前さんだったとはのう、お譲ちゃん」
「人に威張れたような栄光の人生じゃなかたけれどね…」
私はそう言うと、城壁のレンガの上に頬杖を付いて、延々と続く砂漠を見つめた。
「しかし、それじゃから人生は楽しい。山あり谷あり。平坦ばかりじゃと退屈するじゃろう? ワシも、よもや再びこの砂漠が見れるとは思わなんだ。苦労しても長生きはするもんじゃな」
その声に櫓を見上げると、お爺ちゃんは感慨深そうに遠く砂漠の向こうを眺めていた。そして私は気付いてしまったんだ。風にはためく法衣の下、そこに見える左の足が木の棒で出来ている事に。
「と、ところで、シュテフは…?」
思わず見ちゃいけない物を見ちゃった気がして話題を変える。するとお爺ちゃんは、彼が泥酔してずっと寝たままで、バカ乳が健気に様子を見ている事を教えてくれた。
「で、あんた達、これからどうする気!?」
するとお爺ちゃんは遠くを見つめたまま
「そうよのう…」
と、白くて長いお髭を撫でると
「あれを見てみい、お譲ちゃん」
と言って遠くを指さした。そして、指し示す指の先を見て私は思わず息を飲んだ。最初は、ただの枯れた大木か、朽ちた神殿の柱が陽炎に揺れているのだと思った。でも違った。何度も目を擦って見直したけれど、それは砂漠の上に蠢く巨大な魔物達の姿だった。
「さすがにあれらを相手にしたら、ワシらとて赤子の手を捻るようなモンじゃわなあ。ここまでのレベル差があるとNPCと何だ変わらぬ。これじゃあ街の外にも出れぬし冒険者は廃業じゃな。まあ、ワシはもう充分に生きた。ここで旅をやめ楽隠居するには温泉地というのは悪くはない。じゃが、そもそも孫どものお目付け役として付いてきただけじゃ。片方は始まりの街へ、もう片方は最果てのこの街に散ってしまった以上、はてさて、どうしたものか」
そう言ってまた髭を撫でた。
「何か、何か良い方法はないの!?」
「…方法か? 方法はあるが『良い』とは呼べぬかも知れぬな」
お爺ちゃんはそう言うと、静かに山肌に沿って砂漠を走る線路を見た。
「シュテファンがワシらのパーティ登録を解除すれば、ワシとハイディだけなら列車に乗ることが出来る…。それなら多少の時間と金はかかるが、始まりの街へと戻りペーターと合流する事は可能じゃ」
その時、私は思い出した。十二年前のあの記憶を。そう、私もそうだった。確かに身分的には魔法使いではあるけれど、パーティ登録が抹消された事で列車に乗ることが出来た。そして、この街まで辿りついたんだった。でも、それを理解した瞬間、一つの疑問が頭を過ぎった。
「じゃあ、シュテフは、シュテフはどうなるの!?」
「残念ながら勇者であるシュテファンは列車には乗れん。勇者が列車に乗れてはズルのし放題じゃからのう…」
「どうにも!? 絶対に乗れないの!?」
「…どうにも、という訳ではない。勇者が列車に乗れないだけで、シュテファンが乗れない訳ではない。」
その言葉を聞いて、私は思わずのみ込んだ息が吐き出せなくなってしまった。
「そうじゃ、ヤツが勇者である事を返上すれば、ただのNPCになれば乗れる。しかし、ヤツが始まりの街に戻ってもワシらは二度とパーティは組めぬだろうなぁ。なにせ、ただのNPCなのじゃから。それが、白いゲートを潜らなかった勇者が辿る末路じゃて。皆、それを知っておったからこそ、愚痴をこぼしながらも渋々始まりの街へと飛んだ。それでもまだ、適合するレベルの土地ならば丘勇者として留まるという選択肢はあったじゃろうが、ここではのぅ…」
そして私は力なく項垂れた。
シュテフに残された選択肢は二つ。
勇者のままこの街に留まり、NPCとして生きて行く。
勇者の剣を折り、NPCとして始まりの街へと戻る。
どっちにしろ、辛い選択肢しか残されていない現実を私は改めて突き付けられた。
そんな時だった…
「俺は戦士だから、上級者エリアなんか怖くないんだからな!」
「ずるいルディ! 私も魔法使いだから行く!」
「ヨハンは弱虫だから、そこで留守番な!」
突然、足元の門からそんな声が聞こえると同時に、幾つもの悲鳴が上がった。そして私は目を疑ったんだ。だってそこには、子供達が元気よく門の外へと飛び出して行く姿があったのだから。頭の上で舌打ちが聞こえた。
「バカモン、命知らずと勇気を履き違えおって、このラングホフどもめがッ!(※1)」
咄嗟に上を向くと、行くに行けず、櫓から身を乗り出しながらも硬直するお爺ちゃんの姿が見えた。そして、それは私も同じだった。冒険者だったから知っている。この行為がどれくらい命取りなのかを。たかが一レベル、二レベルの差だと舐めてかかったフィールドで、人はいとも簡単に命を落とす。それを私は身をもって知っていたのだから。
「あなたたちぃーーー! そんなトコ居たらあぶないからー! 早く戻りなさぁーーい!」
城壁の上から慌てて声を掛ける。すると私を見上げた子供達は驚いた顔をした。
「あ! 手品の仲居さんじゃーん!」
そして、私も硬直した。その子供達には見覚えがあった。そう、いつもお宿の前を勇者ごっこしながら帰る小学生達だったんだ。
「大丈夫だよ、仲居のお姉さん! だって…ほら……、ま…も…の…な………」
それは、異様な光景だった。おそらく、元気に『魔物なんて怖くない』と言おうとしたのだろう。でも、その声も動きも、途中から緩慢になり、そしてピクリとも動かなくなってしまったのだから。
「お譲ちゃんッ!」
「うんッ!」
私はゴクリと息を飲んだ。そう、この現象は知っていた。「魅了」もしくは「麻痺」。肉食昆虫系の魔物が捕食の際によく使う物だった。
「後は任せた!」
その声と同時に、私の視界を上から下へと緑色の物体が滑空した。それは、風の精霊を身に纏ったヨーゼフお爺ちゃんだった。そして、それと同時に、目の前の砂が大爆発を起こした。そしてその中から姿を現したのは一匹の長い鎌のような触手を持つ、巨大な、驚くほど巨大な甲殻系サンドワームだった。
「チイイッ!!」
下からの爆風に煽られて落下を阻まれたお爺ちゃんは、木の葉のように宙に舞い上りながら短い詠唱と共に手を振った。すると、そこから生まれた幾つもの回転する三日月状の風の刃が、砂煙を切り裂いてまっしぐらに飛び出した。そして、巨大な口を開け、わき目も振らずに子供達に向かって首を振りおろす魔物の額や触手の肩にカウンター気味で炸裂したんだ。
けど…
次の瞬間、私は絶望を覚えた。あの満月の夜、双頭の狼達の首と動体を切断したその鋭利な風の刃が、まるで薄い氷の膜のように魔物の表面で砕けて四散したのだから。
「お譲ちゃん!」
その言葉に私は短く頷いた。そう、私にもまだ出来る事がある。そう思ったんだ!
「グローセラントカーテッ!!」
思い切り振りかぶった腕を前に向かって振り抜いた。
狙う座標は…
そこッ!!!
突然、魔物の目の前の空間に巨大な地図が現れた。そしてそのまま魔物は地図に向かって突っ込んだ! その一瞬をお爺ちゃんは見逃さなかった。頭から滑るように空中を滑り下り、そのまま硬直する子供達を小脇に抱えて砂の上に転がった。次の瞬間、今の今まで子供達が居た場所に爆発音と共に激しい砂煙が吹きあがる。私の地図で視界を見失った魔物が、そのまま頭から地面に激突したんだ。
「お爺ちゃん!」
慌てて城壁から身体を乗りだして足元を覗き込む。そしてまた絶望を覚えた。
…刺さっていた。
子供達を抱えて砂の上に転がり、立ち上がろうとしたお爺ちゃんの左足…木の棒で出来た義足が、深く砂に突き刺さり、咄嗟の反応が出来ずに焦る姿がそこにあったんだ。その背後には、大きく頭を振って砂と地図を払い落すと、再びゆっくりと狙いを定め、鎌首をもたげる魔物の姿があった。私に出来るのはせいぜい目くらまし。でも、肝心のお爺ちゃんが動けない今、それは何の意味も為さなかった。
『―神様!』
なす術も無く、ただそう祈った時だった。私の視界の端、ゲイロー門から何かが物凄い勢いで射出された。その刹那、私は見た。高速で飛び出した物体、それが青いデニム地のシャツ、驚く程に広い背中だという事を。そしてその手には身の丈よりも遥かに巨大な戦斧が握られていた。
次の瞬間、さらに膨張した筋肉の圧力でデニムのシャツが弾け飛んだ。そして、その爆発的な力任せに振り抜かれた戦斧が、お爺ちゃんと子供達に目を奪われているサンドワームの横ッ腹にめり込むと、衝撃で跡形も無く爆発四散した。その斧には見覚えがあった。そう、ゲイロー門にたたずむ石造、ブリッツが手にしていた石斧だった。そしてその技…、それも知っていた。でも、知っているソレとは桁違いの威力だった。そう、それは戦士のスキル『シュトース(突き)』実際には斧での横殴りの一撃だったけれど、遠距離から一瞬にしてゼロ距離まで跳躍し、その加速に乗せた攻撃を打ち込む技だった。
「マーシャちゃん! もう一度地図だ!!」
その戦士は見上げると私の名前を呼んだ。そして、それは良く知っている顔だった。
「ハンス団長!」
そう、それは『闘将ハンス』の異名を持つ自警団団長の姿だった。私はコクリと頷くと、思わぬ側面からの奇襲攻撃でよろけ、ふらついている魔物の顔を即座に出した次の地図で覆い隠した。
「ハンス団長! どうしてまだゲイローに!?」
私は勢い任せに城壁沿いに並ぶ商店の屋根に飛び降りると、そのまま雨どい伝いに広場に降りた。そこにはすでに自力で脱出したお爺ちゃんと救出された子供達、そして破れに破れたデニムのシャツを着たハンス団長を取り囲む人混みが出来ていて、大きな拍手や歓声が湧き起っていた。
「いやあ、かみさんに泣かれちまってな。俺ももう五〇を越えたし、さすがにこの歳から単身赴任もアレなんで、夫婦で農業でもやろうと思って退団したんだ。が…、まさかいきなり買ってもらったばかりの新品のシャツを台無しにするハメになるとは思わなかった。こりゃあ後で大目玉だな」
そういって筋骨隆々の元戦士は、ばつが悪そうに頭を掻いていた。
『闘将ハンス』
各街や村に組織された自警団。その団長はもれなく一騎当千の上級冒険者上がりがするのが通例となっていた。確かに、それは皆が知っている事だけれども、改めてその実力を目の当たりにすると、なかなか簡単に言葉は出なかった。でも、団長は何度か頭を掻いた後、急に真面目な顔で私を見た。
「礼を言う、エクストラアウスナーメ。俺もいくら上級上がりとは言え、こんな最深部の魔物とやり合った事はない。正面切っての一対一ではダメージを与えるどころか当てる事も出来なかっただろう。君とご老人の働きがあってこそ、何とかクリティカルが発生した」
そして、深々と頭を下げたんだ。その時、私は思い出した。そう、団長もまた、戦闘の途中で私に地図の指示を出したんだ。私は思わず肩を落として項垂れた。
「…知って…たんですか?」
「まあ、うちらゲイローの自警団員の間では暗黙の了解だったよ。魔力を持たない俺やヤグアーのような戦士職には分からなかったが、魔法職の自警団員は感じていたからね、君から溢れている強大な緑色の魔力とやらは。ま、うちら自警団はもれなく冒険者上がりだ。それも全員がドロップアウトの途中退団組さ。冒険を辞める辛さはよく知ってるヤツらばかりだから、たぶん、そんな理由でヤグアーのヤツも君の事を気に止めてたんだろうよ」
そう言って、彼は遠くの空を見つめた。
思わず涙が零れそうになった。
…優しいよ。
優しすぎるよ皆。
私がエクストラアウスナーメだと分かってて、十二年間も知らないフリして接していてくれたなんて。でも、もうお礼の一つも伝える事が出来なかった。改めて、無くした『当たり前のようにある存在』の大きさを思い知った。でも、やっぱりそれはもう昔話でしか無くて、振り返ったところで悲しくなるだけだから、私は浮かびそうになる涙を我慢して晴天の空を見上げた。
ゲイロー門前の入り口広場には高らかなハンスコールが鳴り響いていた。
(三)
肩を落として辿りついたマーケット広場は解体する屋台と会場の掃除の真っ最中で、慌ただしく沢山の人達が行き来をしていた。偶然にもあの公演の夜に知り合ったネックレスの仲居さんを見つけて駆け寄ると、どうやら皆、昨日の夜は朝方まで飲み明かす人ばかりで、今しがた掃除や解体作業も始まったのだと聞いて胸をなで下ろした。てっきり私一人が大遅刻したかと思ったけれど、そこらへんは典型的観光地。お盆が明けて薮入りから休み、新年も五日くらいから休みを取る。おそらく昨夜は、観光のお客様が居なくなった夕方から、皆、飲めや歌えの大騒ぎをしたのだろう。
「ところでマーシャちゃん。ハンスが大暴れしたんだって!?」
突然仲居さんがそう尋ねてきたから、私は自分が地図を出したトコ以外を上手に繋げて、団長の武勇伝を教えると、
「まったくあの人ったら、今晩はお仕置きだわ! せっかくのシャツを破いたですって! あれ、退職祝いで買った一番高いヤツだったのよ! ま、ネックレス見付けて売ったお金で買ったんだけどね…」
と、プンスカしてた。
…どうやらこの仲居さんがハンス団長の奥様だったみたい。世の中狭し。
散々愚痴を溢し切り奥さまが落ち着くと、私は改めて
「でも、やっぱり団長は凄いです。ホント、皆の心の支えですよ。退団しても当分は街の守護神をやってもらわないとですね」
と、ウインクをした。すると奥さんは最初「え? なんで? 新しい自警団が来るんじゃないの?」って言ってたけれど、私が「恐らく新しい自警団が来るのは十日くらい先になりそうですよ」と答えると、目をお皿のように見開いて凄く驚いた顔をしていた。
まあ、十日くらいというのは目算だけど、それくらいかかるかも知れない。私はそう思った。確かに松さんは『夕方には物資と新しい自警団を乗せた列車が来る』とは言ってたけれど、それは初級エリア内での事だと思ったんだ。だって、よくよく考えると、最寄りの大きな街から物資を乗せて出発する貨物列車ならまだしも、自警団となるとそうは行かない気がしたからなんだ。なんせ、初級エリアの途中から中級エリアの入り口にあるゲイローですら四日かかった。そうなると、新しく再編され、始まりの街を出る自警団がこの上級エリアの最深部にあるこの街に到着するのは特急を使ったっていつになる事やら。そう思ったんだ。
「まあ、そんな事ですから、今晩は怒らないであげてくださいね、英雄夫人!」
私はそう言うと、もう一度ネックレスの奥様にウインクをした。
その後、私も竹ぼうきを手に会場の清掃の輪に加わった。さっきの戦闘があったせいか、少し身体を動かして額に汗が浮かぶ頃になると、いささか気分は軽くなっていた。もちろん、今後のシュテフとその一行が選ぶ未来は相変わらず暗雲立ちこめる状況ではあったのだけれども、私達は一人じゃない、ハンス団長のような人もいてくれると思うと、何も八方が塞がってるワケではないような気がしてきたんだ。今はどう分岐しても行き止まりのように思える道も、一歩、また一歩と前に進めば、少しずつ状況も変わって行くのではないか? そんな気がしたんだ。まあ、悪く言えばそれは『後は野となれ山となれ』的なニュアンスを含んでいるのは否めないのだけれども。
この時、少しだけ晴れ晴れとした気持ちで秋の空を見上げて大きく深呼吸した私はまだ知らなかった、すでに崩壊の足音がすぐ後ろまで迫っていた事を。いつもなら勢いよく吹きだしている源泉の噴水が、少しずつその水量を減らしたいた事を。
(四)
私達がその異変に気付き始めたのは、辺りがすっかり暗くなった頃だった。最初の異変、それは温泉のお湯だった。ようやく清掃を終え、皆で噴水に腰掛けて思い思いに持ち寄ったお菓子や飲み物で『お疲れ様会』を始めると、街のいたる所がにわかに慌ただしくなっていた。不穏に思い、眉をしかめて耳を澄ますと、それは
「おい! 急にうちの宿の温泉が出なくなった!」
「こっちもだ! 水しか出ない!」
そんな声が聞こえてきたんだ。そして、慌てて腰掛けていた噴水を見た私は驚いた。だって、絶え間なく溢れていた噴水のお湯が、ピタリと止んでいたのだから。
「…な、なにこれ!?」
思わず私が呟くと、隣のハンスさんの奥さんまでもが
「こんなの、私が生まれてから一度もありゃしないよ!」
と、驚き出した。そして急に、ゲイロー駅の方が賑やかになったんだ。
私は、嫌な予感を覚えて駆け出した。一目散、ゲイロー駅目がけて。
マーケット広場を飛び出して、目抜き通りを駆け抜ける。そして、駅前の土産物屋さんが立ち並ぶ辺りまで来た頃には、すでに駅前のロータリーに集まり始めた街の人々の姿が見えたんだ。
「ちょ、ちょっと通して下さい!」
「ごめんなさい! ちょっと失礼!」
人混みを掻きわけて進むと、その輪の中心に立つ町長と秘書さん、そして組合長の姿が見えた。皆、とても不安な面持ちで駅を眺めていたんだ。
「ど、どうしたんですか組合長!?」
躓き、よろけながらそう言うと、私を見つけた組合長は、ぽつりと
「…夜になっても列車が来んのじゃ」
と、呟いた。それに合わせて背後の人混みからも幾つもの声が上がった。
「夕方には貨物が来るんじゃ無かったのか!?」
「ウチなんて、昨日までの大賑わいで食う物なんて何も残ってないぞ!?」
「ウチもだ!」
「俺んトコだって同じだ! どうするんだこれ!?」
そう、これがこの街に起きた二つ目の異変だった。夕方を過ぎても到着する予定だった物資を積んだ貨物列車が到着していなかったんだ。
不意に嫌な予感が胸を過ぎる。
「グローセラントカーテ…」
私は小さく呟いて、目立たないように服の懐から地図を出す。そしてそこに写ったゲイローを見て、その嫌な予感が的中した事を確信してしまった。
『都外れ…』
そう、それはその一言だった。朝、世界地図を見た時には完全に失念していた。真っ白な地図に気を取られていた。そう、この街と一緒に移転してきた湯元源泉駅と背後に広がる山々だけを見て終わっていた。でも、よくよく見ると、地図に描かれた線路は、やはりこの街が終点になっていた。そう、恐らく引き継がれてしまったんだ、辺境の地、都外れという特性が。そう、今までだって最寄りの大きな街から数百キロは離れていた。そしてそれは一度何かが起きると『陸の孤島』になってしまう事を意味していたんだ。
「で、でも町長。あれですよ、どうせまた隣町が離れてるから便が遅れているだけですよ! そんなの、いつもの事じゃないですか!」
それは、私がそう進言した時だった。ゲイロー駅の上にある城壁から
「隣の湯元源泉駅が燃えているぞ!! 列車も一緒に燃えているようだ!」
という声が響き、私の声をかき消したんだ。それは、自警団事務所から階段を上り様子を見に出ていたのであろうハンス団長の声だった。
一斉に人混みの中から絶望の声や悲鳴が上がった。そう、どこのお店も家も、昨日まで大宴会を繰り返し、備蓄も何も売りさばいてしまっていたんだ。その上、列車が事故を起したとなると大問題だった。それでは、いつまで待っても食糧がやって来ないのだから。
慌てた町長が集まった街の皆に向かって「皆のもの、どれくらいの食糧の備蓄があるんじゃ!?」と叫ぶと、返って来た答えは、やはり『せいぜいあと一日か二日分しか食糧が無い!』というものばかりだった。
「何が起きておる! 隣駅で何が起きておると言うのじゃ!?」
「誰か、誰か無人駅の様子を見に行ける物はおらんのか!?」
その町長と組合長の声に、その場に集った皆が城壁の上を見上げた。そして鳴りやまないハンスコールが始まったんだ。
「おお! そうじゃハンス! お主がおるではないか!」
「頼むハンス! 隣駅の様子を見てきてはくれぬか!」
その声に合わせて、団長の名を呼ぶ声はますます大きくなっていった。
でも…
「勘弁してくれよみんな。ここは上級エリア、それも最深部だ。昼間の化け物みたいなのがウジャウジャいる中、ソロで隣駅までだなんて、勇者様のパーティ補正があっても無理な話だ」
城壁の上の団長は、申し訳無さそうに力なく両手を『お手上げ』と、挙げていた。そして、それを見た皆の間から落胆の声がこぼれたんだ。確かに、それは凄く当然の事だった。昼間のサンドワームだって、三人がかりで何とか逃走が出来たに過ぎない。それを団長一人で偵察なんて、そんなの自殺行為でしかないのだから。
でもその時、消沈した背後の人混みの一部がザワついた。そして、私は嫌な直感で背筋が凍ってしまったんだ。
「ハンスよ、勇者様がおったら何んとか為るのか!?」
「パーティを組めれば、どうにか偵察が出来るのか!?」
「ま、まあソロで行くよりは分がある…って程度だがな。だが、それも夢物語さ。冒険者なら誰でも知っている。世界大シャッフルで白いゲートを潜って始まりの街に行かない勇者など存在しない」
それは、そんな嫌なやり取りだった。背中を登る悪寒は止まらなかった。
そして、背後のざわめきが益々強くなると、とうとう声が上がってしまったんだ。
「居たぞ! 勇者様だ!」
「本当だ! 勇者様がまだみえたぞ!」
完全に、目の前が真っ暗になった。
焦点も定まらないまま、恐る恐る振り返る。すると、そこには見えたんだ。人混みの中から姿を現した白銀に輝く勇者の鎧が。柄に紋章の彫られた勇者の剣が。月の明かりを反射して微かに透ける短く刈り揃えられたプラチナブロンドの髪が。
『だ、ダメだシュテフ… 来ちゃだめだ!』
そう叫ぼうと思った。でも、硬直した身体からその音がこぼれる事は無かった。
「な、何があったんです、いったい!?」
まるで鳩が豆鉄砲でもくらったかのような顔をして、人混みの中を歩いて来るシュテフと、ハイディ、そしてヨーゼフ。
『来ないで!』
『お願いだからこっちに来ないで!』
私は訴えた。声にならない分、必死に瞳で訴えた。でも、次の瞬間にはそんな私の両脇を、シュテフに向かって駆け出して行く町長と組合長の姿が見えたんだ。そして二人はそのまま若き勇者にすがりついた。
「勇者様!」
「勇者様!」
「どうか、お助け下さい!」
「どうか、お願いいたします!」
「この街の隣駅で何かが起きております!」
「おかげで食糧も届きませぬ!」
それは、妙に芝居がかった口調だった。そして二人は続けたんだ。その言葉の続きを。
「どうか、お願い致します勇者様!」
「隣駅の様子を見に行ってはくれませぬでしょうか!?」
そして、すがり付き、シュテフの顔を懇願する眼差しで見上げる二人がそう言い終えた時、私は目を疑った。なぜなら、その頭の上にいつの間にか、光り輝くフキダシのような小窓が浮かんでいたのだから。知っていた。私はそれを良く知っていた。冒険者時代、何度も、何度も見た事のある物だった。そう、それは本文の下に青く『Ja』、赤く『Nein』というボタンのある…
――クエスト受注のウインドゥだったんだ。
そして、その題名を見て、私は気を失いそうになった。
そこにはこう書かれていたんだ。
【最上級クエスト:魔物に占拠された隣駅を開放せよ!】
…と。
すでに至る所から彼を讃える声が湧き上がっていた。
村の存亡を託す悲痛な声が上がっていた。
『だめだ…押しちゃだめだ、シュテフ!』
『お願いだから押さないで!』
動けないまま、私は何度も首を横に振った。泣きながら訴えた。でも、事態を理解したシュテフは私を見ると力なく、申し訳無さそうにほほ笑んだ。唇が小さく動いていた。決して音にはならない声だったけれど、何故だか私には鮮明に聞こえたんだ、その声が。
『ごめんね、マーシャ姉…
僕もやっぱり勇者だから…』
そう呟いていたのを。そしてそのまま彼は、力なく青いボタンに触れた。周りから割れんばかりの大歓声が聞こえていた。
【クエスト受領!】
という文字が、まるでネオンのように彼の頭の上で輝いていた。
※1:【ラングホフ】
このシャッフルワールドの世界ではオッチョコチョイや、命知らずの行動を取って失敗する人間の例えとなっています。
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