第6話【フェスト(祭り)の夜に】
(一)
トンテンカンと釘を打つ高らかな音が、人々で賑わう早朝のマーケット広場に鳴り響いていた。と、言っても正直『今が朝だ』という爽やかな感覚は無かった。不思議な事に、あの深夜の公園に響き渡った神様の言葉以降、再び空が夜に戻る事はなかったんだ。もちろん、夜にならなかったのだから朝日も登るはずがなく、ただ、ずっと昼間が続いている。どうやらこのフェスト(祭り)と呼ばれる三日間は、ずっとこうらしい。
…う、うん、神様の力ってとんでもないね。
噴水の脇には、青く輝く大きな転送門が現れていた。これもこの期間中だけ使える『神様からの贈り物』なのだそうだ。そう、
『世界中の好きな街や村、観光スポットなんかに飛べるゲート』
おかげでさっきから、これを使って思い思いの場所へ旅行に行く人達や、やってくる人達で街はごった返していた。六十三年前のフェストを知る女将さんの話では、これが魔王討伐直後のサービスタイムなのだと言う。世の中から一時的に魔物が消え、人々は広いフィールドに出て沈まない太陽を楽しむんだそうだ。
ちなみに、この普段は遠い『都外れのゲイロー』はさすがの人気スポットで、この時ばかりは足や腰が悪くて長い列車の旅すら出来ないご高齢のお爺ちゃんお婆ちゃんまでもが、転送門をくぐって遊びにいらしていた。ちなみに、観光スポットの一番人気は魔王城なのだと言う。怖いもの見たさからか、一目王座の間を見ようと人が押し寄せるらしい。そして、フェストが終わる三日目の夕方には、この自由な所に飛べる便利な転移門は消え、世界はお祭りムードから一転して次の冒険の時代の幕を開ける準備に入るのだそうだ。
自由に行き来するゲートが閉じると、その代わりに始まりの街にだけ行く事が出来る片道の門が開く。そして、新元号と、次にこの街が移動する先が発表されるらしい。
そして始まる『世界大シャッフル』
そう、私たちが住むこの世界が『シャッフルワールド』と呼ばれる所以。
午前零時の鐘が鳴り、始まりの街へと行くゲートも閉じると、そこから一晩をかけて世界地図がごっそりと書き換えられてしまう。文字通り、この世にあるありとあらゆる街、村、山や川、海なんかの配置が神様の手によってバラバラに作りかえられてしまうんだ。さっきからマーケット広場の片隅で、町長と組合長が悪そうな顔をして「次は上級エリアがいいですな!」「それも討伐ルートがいい! それなら冒険者価格が今までの十倍くらいに跳ね上がる!」なんて、悪い顔しているのが聞こえてた。
その後、世界大シャッフルが終わり朝を迎えると、同時に新しい魔王が生まれる。そう、冒険がリセットされ、始まりの街で新しく申請を終わらせた勇者様の一行達が、一斉に旅を開始するんだ。号砲を待つその列は横一線。霞んで見えなくなる地平の先まで伸びて、合図と同時に土煙を上げて走り出す様は圧巻である。と、昔、教科書で読んだ事がある。
…ま、言うてもNPCで、しかもサービス業の私にしたら、フェストも世界大シャッフルもお休みにはならないんですけどね。
「マーシャ姉! このテントはどこに張ればいいんだい!」
「ありがとうシュテフ! えーっと、そのテントはねぇ…」
広げたマーケット広場の地図を確かめて、
「ああ、うちのお宿の割り振りは、噴水の左横、あの白くマーキングしてある場所ね!」
と、指さした。そして、サボっているアルムの森の三人組を見つけると
「こら、お爺ちゃんにショタ坊に牛女! サボってないで手伝いなさいよ! もう観光のお客さんは来てるんだからね、うちの出店だけ遅れたなんて許されないんだから!」
と、渇を入れた。そう、現在大急ぎでトンテンカンと準備されているのは、各お宿がマーケット広場に出店する『出張屋台』。うちのお宿が出すのは鮎の塩焼きと地酒のお店。そして、出張女将はこの私、マーシャ。ふふん!
…まあ、もちろん選出理由は運動量なのですが。
それでもこういう女将なら気が楽だった。だって、焼き立ての鮎と地酒を持って仮設テーブルを走り回るだけなのだから。
シュテフの一行は、善意で手伝いを志願してくれた。正直、これは有難かった。だってこれからの三日間、お宿は連日連夜の大忙しになる。私が欠けた状態でこれ以上の人員をこっちの屋台に割くのは正直、無理な話だったから。
そうそう、誰かさんの寿退社は見事に延期になった。
ふふふ、ざまあみろ。
シャッフルワールド物語
【マーシャの地図】
第六話『フェスト(祭り)の夜に』
昨晩、危うく勇者の剣を手に取って、永遠の契約をしそうになった私達だったけれど、それはものの見事に神様によって邪魔された。一生に一度、あるか無いかの大事に、シュテフは慌てて宿泊先の仲間の所に戻ったし、私も急いでお宿へ向かい、話はそのままウヤムヤになった。でもまあ、お酒と一時の感情で盛り上がって即断しなかったのは今となれば正解だったように思う。だって、なんだかんだとモンクを言いながらシュテフを手伝っている三人組を見ていると、絆っていうか、全員が彼を慕い、三日後新しく始まりの街からリスタートされる冒険を楽しみにしているのが手に取るように分かるのだから。そう、それはあの時の私を見るような心境だった。『このパーティだから冒険が楽しい』『このメンバーとこれからも冒険者を続けたい』そう切に願っている顔だった。空を見上げて思う。
『十二年という歳月が流れたんだ』
と。十六歳の少女は二十八歳の大人になり、仲居という自分の世界を持って、そこでシャカリキになって生きている。十三歳の非力な少年は立派な青年へと成長し、自分のパーティという新しい家族を得た。そのどちらとも、流される感情のままに、一時の情動一つで壊されてしまっていいはずがない。
――そう、いつの間にか私達は住む世界が変わってしまったんだ。
もう、あの頃とは違う。無邪気に『シュテフ!』『マーシャ姉!』と呼び合えたのは、遠い、遠い昔の事なんだ。だけど…
「シュテフ、ちゃんと炭は起こせそう?」
「任せてよマーシャ姉! そんなのもう慣れたもんだよ!」
二人して笑い合う。
並んで鮎に串を打つ。
今だけは、この三日間だけは存分に楽しもう。二人でいっぱい働こう。それでいいじゃないか。それで充分じゃないか。シュテフがずっと私を探してくれていた。そして見つけてくれた。その事実さえあれば、もう何も要らない。三日後、新しい元号が始まれば、またそれぞれの道を歩いていこう。私は秋の空を見上げてそう思った。
フェストも二日目、三日目と続くと、その盛り上がりは益々拍車をかけた。どのお宿や出店も、街の商店に至るまで、こんな人混みは見た事が無いというくらいの大賑わいだった。どのお店からも景気の良い笑い声が零れてて「出せ出せ、全部出せ! どうせ世界大シャッフルが終われば一時(いっとき)閑古鳥が続くんだ。出し惜しみなんてしてないで、持ってる在庫は全部売っちまえ!」なんて声が至る所から聞こえてた。まあ、それに関してはうちの出店もそうだった。ほとんど不眠不休、お宿の丁稚のシノ君と、シュテフが必死に炭火で鮎を焼いていた。
「マーシャ姉! 次の二十本、もうすぐ焼き上がるよ!」
「ありがとうシュテフ! まだ注文は入ってないけれど、さらに二十本、新規で焼き始めちゃって! 焼ける頃には注文でいっぱいになってると思うから!」
そう言うと私は、お盆の上に地酒と焼きたての鮎を乗せて、広場いっぱいに広がる仮設テーブル目がけて飛び出した。初めて見る鉢巻き姿のシュテフは短い髪も相まって、なんだかんだで様になっていた。楽しかった。忙しかったけど、心から楽しいと感じた。まるであの日に戻ったようだった。同じ色が同じに見える。それは久しぶりに味わう感覚だった。
「ねえねえお客さん、もう一本塩焼き頼んでくれたら、指でつついてもいいんだぜ。ほら、ほら、そこのお兄さんも! 一本買う毎に三回つつけるってのはどうだい?」
「こら、そこのバカ乳女、うちを勝手にいかがわしいお店にしない! そんな事してるなら、とっととそこの空いたテーブルでも片付けて!」
まるで炎のような赤髪のバカ女に渇を入れながら注文先へと足を進めると、今度はおばさま達の人だかりが出来ていた。ちらりと横目で覗くと、中心に座る少年魔法使いが、もじもじとしながら
「あ、あのぅ、僕子供だから、そんなの恥ずかしくてできません…。でも、あと一本づつ塩焼きを買ってくれたら、ちょっとくらいなら頑張ってもいいかな…」
と、意味不明の事を言っていた。
ブツクサとモンクを言いながら屋台に戻り、シュテフ相手にそれを愚痴ると、
「さすが姉弟、似てるんだね…」
と、苦笑いしてた。てっきり他人だと思っていた私は驚くと、元々三人は高原地帯にある湖のほとりの小さな村に住んでいた家族で、たまたまその村を訪ねた時に知り合ったのだと教えてくれた。って、なにそれ、本当にアルムの森から来たんじゃない。
「どうしてシュテフは、そんな辺境の村まで行ったの?」
お盆に新しいお皿を乗せていると、不意にそんな言葉が私の口からこぼれてた。なんて事はないただの好奇心。私が知らない間に、彼が何をしてたのか気になったんだ。でもシュテフは、一拍置いて少し暗い顔をした後に、
「実はその村にシャーバー流剣術を教える道場があるって聞いたんだ」
と苦笑いをした。
『シャーバー流剣術』
何とも懐かしい名前だった。たぶん、私にとってその名前は、あまり良い思い出が無いと思って気を使ってくれたのだろう。でも、それは彼にとっても同じ苦い経験だったはずなのに。おそらく彼は、そこまでして筋力が無くても使える技を習得し、旅を続けようとしたのだ。そう思うと、不意に目頭が熱くなり、胸をこみ上げてくる物があった。
…言っとくが、と息じゃないからね。
(二)
それにしても、三日間昼間が続くというのは、聞いた最初はワクワクしたけれど、実際体験すると中々に骨の折れる事だった。次から次へと絶え間なくお客様は押し寄せるし、閉店しようにもそのタイミングがつかめない。交代して寝ようと思っても、明るいし暑いし眠れない。それに女将を託すにも、相手があの牛乳(うしちち)じゃあねえ。
そして、終わり無く続くと思った屋台から伸びる行列が次第に短くなり、とうとう片手で数えられるようになって私は気が付いた。三日ぶりに空が茜色に染まっている事を。
見渡したマーケット広場もそうだった。一面に広げられた簡易テーブルに見える人影も疎らになり、秋風が吹き抜けるようになっていた。噴水の反対側を見ると、この三日間、絶え間なく行き来をしていた往来も途絶え、おそらく皆が楽しかった旅行を終えて、明日から始まる新しい日常に向けて、今はお家でのんびりとし始めたに違いない。
ほっと一息ついて振り返る。私達の屋台も中々に痛々しい状況だった。秋の名物の子持ちの鮎なんてとうに売り切れて、途中から販売しはじめた岩魚も底をついていた。思わずヘルプに来ていた松さんに「こんなに売ってしまって、明日からのお宿の料理は大丈夫なの?」と、尋ねると
「どうせ、明日からはしばらくお客さんは来ないよ。なんせ、世界地図がどう書き変わるか誰にも分かりゃしねえ。そんなんじゃ、旅行しようもないだろう。女将さんの話だと、前ん時ゃ新しく列車のダイヤが改正されるのに一週間くらいかかったそうだから、当分の予約は全部キャンセルだな」
と、笑ってた。
そんな時だった。突然、噴水の方から
「おおおおお!」
という歓声が上がった。反射的にふり返ると、さっきまで閑散としていたゲートの辺りには、すでに人だかりが出来始めていた。いままでそこにあった青い門は消えていて、代わりに違う形の白い門と、輝く掲示板のような物が姿を現していた。おそらくあれが、始まりの街へと繋がる門と神様からの啓示なのだろう。そう、楽しかったお祭りが終わり、新しい冒険の世界に向けての準備が始まったんだ。
しばらくの間、人混みが横目で気になりながらも屋台や客席の掃除を続け、ようやく片付けが一段落つくと私は
「ちょっとだけごめん、そろそろ着物が限界だから着替えてくるね!」
と皆に告げて、屋台の中にあったバッグを抱えて時計塔の一階にあるトイレ目がけて小走りに駆けだした。まあ、もちろんそれは口実で、じつのところこの街の行く先がさっきから気になってたんだ。
人混みを掻きわける。ピョンピョンとつま先で飛びながら右や左に視界を探す。そして、最初に見えたのは新元号だった。
『ヘセーイ』
だった。なんともシマリのない響きだと言うのが第一印象で、何年かすると私も『シャウワ生まれ』とか言われるのかと思ったら悲しくなった。そんな時、人混みの外からニシシと笑う声が聞こえた。振り向くと、喜び合い、ハイタッチを繰り返す町長と組合長の姿が見えた。そして、私は見たんだ。この街が次に向かう場所を。
『上級エリア 最深部 魔王城付近』
輝く神様の啓示板には、短くそう記されていた。
喜ぶ人達がいた。
悲しみ、肩を落とす人達がいた。
そして私は、ただ茫然とその啓示を眺めていたんだ。
その時はまだ、それが何を意味するのか理解もできないままに。
しばらくして辺りがすっかり暗くなると、自分が着替えに出た事を思い出して慌てて踵を返した。その途端、人混みの外側でたたずみ、肩を落とす大きな影があることに気が付いた。そしてそれが誰であるのかはすぐに分かった。
「ジャガイモ君!!」
私は駆け出した。いつもよりその影が大きく見えたのは、自分の身体と同じくらいに大きなリュックザックを背負っていたからだった。泣いていた。彼はボロボロと大きな涙を流していた。
「…ごめんね、マーシャちゃん」
私の姿を見つけると、最初に聞こえた言葉はあいさつでも何でもない、そんな謝罪の一言だった。そして、その姿や言葉が意味する事をすぐに察して愕然とした。この瞬間まで私は思いもよらなかった。ただ、街の場所が変わるだけだと思っていた。でも、違った。私は咄嗟に何の言葉も思いつかなくて、ただただ頭を横に振った。
「…ごめんね、マーシャちゃん。もう、一緒にお酒は飲めないんだ。今から始まりの街に飛んで、新しい中級エリアの編成を待たないとダメだから…」
そう言って、彼は泣きながら悲しそうに笑った。
『いなくなる…』
『ジャガイモ君がいなくなってしまう…』
その事実は、呆然と立ち尽くす私にも痛いくらいに理解できたけど、じゃあ何ができるかといえば何もなく、向かい合った私達はただ、泣きながら俯くだけだった。
そんな二人の横を、何人もの自警団の面々や、冒険者達が肩を落として通り過ぎ、白い転送門の光に消えて行くのが見えた。口ぐちに、
「せっかくここまで辿りついたのによ…」
「勘弁してくれよ、うち、来月子供が生まれるんだぜ…」
と、切なそうにこぼしていた。そう、これが『世界大シャッフル』『六十三年間、停滞していた世界が突然変わる』という意味なのだと私は今さらながらに理解した。どんなに冒険を進めていた一行も、半強制的に始まりの街に戻される。そうしないと、次の魔王討伐にも転職の旅にも参加が出来ない。自警団の面々だってそうだ。どんなに住みなれた街だったとしても、レベルが合わなくなってしまったらもうそこには居られないのだから。
「…ごめんねマーシャちゃん。もう、君の愚痴も聞いてあげれないんだ。うちは代々自警団だから。…ごめんねマーシャちゃん」
そう言ってジャガイモ君はまた泣いた。何も言えない私も泣いた。一緒に泣いた。悔しくて泣いた。いつだって、失う段になって初めて気付くんだ。その何気ない、あって当たり前だと思っていた存在が自分にとってどれだけ大切だったかって事に。
彼となら、一緒になってもいいと思っていた時期があった。
こんな旦那様だったら、温かい家庭が築けるような気がしてた。
でも、それももう、この瞬間に過去になったのだと私は理解した。そして、背中を丸めた彼は光の中に消えて行き、見送る私は泣くばかりで何も言ってはあげられなかった。
トイレの個室で一人、髪を下ろし、帯を緩める。そして鏡に映る自分をみつめて考えた。街を去ったジャガイモ君。自警団の面々。そしてシュテフと、その一行が取るべき未来について。おそらくシュテフ達も今頃は、神様の啓示を見て知っているだろう。この街がどこに向かうかを。そして、その意味も。
あの日、彼が私に誓おうとしたようにここで冒険者を辞め、この街に留まるという決意。確かに、よくよく考えれば世界大シャッフル前の世界ならば問題なかったのかも知れない。ありえた未来だったのかも知れない。この街に留まり、丘勇者としてその日暮らしの狩りをするのも確かに無理な話じゃなかった。実際、この三日を経て、私も揺れた。姉と弟、二人でこのまま暮らすのもいいんじゃないか? って思うようにすらなっていた。。でもこれが、魔王城周辺となると話は大きく違う。最強クラスの魔物達を相手に、初級エリアを越えたばかりの彼が勇者として、冒険者として生きるには、さすがレベル差があり過ぎるのだから。
―では、この街に留まりたいと思う彼はどうするのだろう?
完全に剣を捨て、私のようにただのNPCになるとでも言うのだろうか。手に入れた地位やスキルも全部捨て、一から何かの仕事に就くとでも言うのだろうか?
…まあ、シュテフならそう言うかも知れない。
でも私は、その先にある辛さを知っている。その選択の先にある後悔を知っている。一度覚えてしまうと忘れられないんだ。あのキラキラ輝く冒険の日々は。そしていつか思うんだ。私を選んだ事が間違いだったって。『私を選ばなければ、冒険が続けられたのに』って。十一歳からの十四年間、剣一筋に生きてきた彼が、勇者様にまでなった男がNPCとして生きて行くというのはあまりにも辛すぎる選択だ。
『やっぱり彼はここに居ちゃいけない』
『彼にまで、こんな想いを背負わせたくは無い』
そんな思いがこみ上げた。シュテフの将来を考えても、アルムの森の三人衆の事を考えても、やっぱり取れる選択肢は一つしかないのだと確信した。そう、それが『姉』としての本心だった。
ならばやっぱり…
「笑って見送ろう、マーシャ」
私は鏡に映る自分を見つめてそう呟いた。
大好きな男達が街を去っていく。それでいいじゃないかマーシャ。だってお前は仲居なんだ。見送り、待つことが仕事なんだから。
トボトボと暗いマーケット広場をお宿の屋台に戻ると、すでにあらかたのゴミの片付けは終わっていた。慌てた私は
「ご、ごめん! そんなに急いでやらなくても良かったのに!」
と、謝ったけど、シュテフはどこ吹く風で微笑んだ。
「いいんだよマーシャ姉、長丁場で疲れてるんだろ?」
「って、それはあなたも一緒でしょ、シュテフ!」
「ふふふ、現役勇者の体力を舐めてもらっちゃ困るよ、マーシャ姉」
彼はそう言いながら自慢げに細い腕に力瘤を作ってみせたけど、他の三人を見る限りはとてもそうとは思えなかった。誰も彼もが簡易テーブルの長椅子に腰を下ろして、ぐったりとしているのだから。そしてその落胆ぶりは、仕事の疲れだけでは無いのは「まじかよぉ、せっかく初級エリアのボスを倒したばかりだぜ…」と項垂れているハイディを見てもよく分かった。そこで私は大きく息を吸い込んで『うん!』と頷くと腹を決めた。そう、お祭りは楽しくなければお祭りでは無いのだから。
「はーい、お疲れ様ぁー! 今日のお仕事はここまでねー!」
パンパンパンと手を叩きながらそう告げる。するとシュテフは「まだ屋台の撤収が…」とか言ったけど、私は
「もう真っ暗じゃない。そんなの明日、明日! どうせ、お腹もすいてるんでしょ!?」
と、容赦なくその言葉を切って捨てた。すると、真っ先に飛び上がったのはショタ坊で、やっと労働から解放された喜びで、うっすら涙を浮かべていた。そして、何気にお爺ちゃんを見ると、私の考えてる事なんて察しがついてる風な顔をして、『わかったよ』と頷いていた。さすが年の功。
―私が考えてる事?
そんなの、一つしか無いじゃない。温泉街にこの人ありとうたわれるマーシャ姉さんだよ。
私はシュテフの手首を掴むと、思いっきり引っ張った! そしてふり返ると、
「ふふふふ! 残念ながら、君達の勇者様はこの怪盗マーシャがいただいた!」
と、三人組に向かって叫んでスタコラサッサと走り出したんだ。
そう、夜の街へ!
そうなんだ。
これでいいじゃない。
だって、まだお祭りは続いているのだから。
(三)
「おじさん、まだお店やってる!?」
「お、マーシャちゃんかい! もうたいして食べる物は残ってやしないけど寄ってきな、寄ってきな! って、え!? 誰だいその男前の勇者様は!?」
「あ、これは私のアレよアレ!」
「マーシャちゃんに、アレ!?」
「そう、弟! 世界で一番大好きな私の弟!」
そう言って、お店に入るなりおしぼりよりも先に出されたワインで、店の中で盛り上がる皆に向かって乾杯した。シュテフは凄く戸惑った顔して私を見てた。
「…マ、マーシャ姉!?」
「なにやってんの、デカイ図体して。あなたも飲めるんでしょ、シュテフ!?」
そうして強引に勇者の鎧の胸になみなみと注がれた赤ワインのグラスを押しつけると、お店中から口笛が鳴り響いた。どうやら彼も一瞬たじろいだみたいだけれど、その後すぐに覚悟を決めた様子で「ええい!」と一気にグラスの中身を飲みほした。すると、割れんばかりの歓声がまき起こった。そして、まだまだ戸惑った様子の顔で
「マ、マーシャ姉、これはいったいどういうつもりで…」
と言う。私はそんなのお構い無しで、空になった胸元のグラスを新しいワインと交換すると、今度は自分の手に持ったグラスとチンと合わせた。すっかり高くなった身長。私はまじまじと見上げて青い瞳を見つめた。
「こんな日が来るとは思わなかった。これは私達が一緒に飲む初めてのお酒。初めての乾杯だよ。シュテフ、そんな顔してていいわけ?」
最後にニヤリと笑うと、彼もまた観念したのか大きな溜息を一つついた。
「まったく、マーシャ姉には敵わないなぁ」
「まだ夜は長いんだ、今晩は朝まで帰さないわよシュテフ!」
そして私達は改めて、初めての乾杯をしたんだ!
「おじさーん、まだお店大丈夫!?」
「ああー、うちはもうダメだ! 酒も料理もスッカラカンどころか、明日の朝、かみさんと食べる飯も残ってないよ!」
「あら、大変じゃない!? あ、でも夕方には新しい自警団と一緒に食料が貨物で届くって松さんが言ってたよ! それまではあれね、ダイエット!?」
「おーい、マーシャちゃん! こっちの店はまだ食べ物も飲み物も余ってるぞー!」
「りょうかーーい! すぐ行くー! 行こう! シュテフ!」
「ああ! マーシャ姉!」
楽しかった。こんなに楽しくて幸せなのはいつくらい振りだろう。賑わう繁華街の石畳、道の上で踊る人、飲み疲れて樽にもたれて眠る人。私もシュテフも、手を繋いで繁華街をひた走る。手に持ったワインのグラスなんて、それが何軒前のお店のか分からない。
笑ってた。
お腹の底から二人して笑ってた。
新しいお店に入るやいなや、やっぱりここでも「マーシャちゃんが男を連れてる!」と、驚かれ、おしぼりよりも前に、今度はビールのジョッキが出てきた。
…ん?
私、まだ手拭いてないんじゃないの、一回も??
お店の中はもう、単なるパーティ会場に変わってた。マスターも、いつもは銭勘定に厳しい奥さんまでもが皆と一緒に踊ってた。フガフガと腰の抜けたアコーディオンの音が響いてた。皆の笑い声が聞こえた。中には赤いタータンチェックのベストに、同じ柄のベレー帽をした小さなお猿さんまでいて、テーブルの上で楽しそうにダンスを踊ってた。私達も飲んだ。飲み明かした。シュテフと二人、お互いにジョッキを持った腕をクロスさせてバイアン風にビールを飲みほした。
「いつか、先生と三人でこうやって飲みたかったなぁ…」
そんな言葉がついつい口からこぼれると、シュテフは少し暗い顔をした。それで何となくあのパーティの結末は見当がついた。
「踊ろう、シュテフ!」
「マ、マーシャ姉!?」
そのまま彼の手を引っ張って、私達も踊る輪の中に加わった。
踊った。
私は踊った。
懐かしい踊りを。
お母さんに教えてもらった収穫祭の踊りを。
笑った。
私は笑った。
このひと時を、一生忘れないように。
辛かった別れの思い出を上書きするために。
笑えシュテフ。
踊れシュテフ。
もっと飲むんだシュテフ。
そして、酔い潰れた君は、始まりの街で目を覚ますんだ。
それが『姉』と『弟』として迎える事のできる最高のバイバイだ。
私達は家族だ。どこに居たって家族は家族だ。
…それでいいじゃない。
(四)
「もう一軒! もう一軒行くよれ、マーシャねえ!?」
「ああもちろんだとも、シュテフ! 今日は帰さないって言ったじゃないか!」
「そうらよね! そうらよね! これからは、ずっと一緒らよね!」
シュテフの呂律がおかしかった。目も、ほとんど開いていなかった。私はお店の柱時計を眺めると、楽しかったシンデレラの舞踏会がもうすぐ終わるのだと覚悟した。
「どうしたシュテフ、まだまだ行くんだろ? これが飲めないでどうするのよ」
「飲めるよ! らいじょうぶ、ちゃんとのめる!」
そう言って手に持ったジンのボトルをラッパ飲みするシュテフ。私達は肩を組んだまま歩いた。すっかり肌寒くなった秋の夜、石畳の上をフラフラ千鳥足で歩いた。そして、角の店を曲がると、そこにはマーケット広場が広がっていた。白く輝く始まりの街へと続く転送門の前には、既に旅の支度を終えていたアルムの森の三人組が待っていた。
「ほら、あそこ次のお店はあそこにしよう!」
「見える、あそこのドア!」
もう半分眠っていて、うわ言のように力なく「…うん」「…うんマーシャ姉…」と言っているのを確かめた私は、転送門を目指した。時計塔を見上げると、十二時五分前を切っていた。
私は三人を見ると『長く借りちゃって申し訳ない!』と、アイコンタクトを送り、右手を顔の前で拝むようににして『ごめん!』というジェスチャーをした。
これでいいんだ。
これがいいんだ。
すっかり酔い潰れたシュテフ。そんな彼をヨーゼフお爺ちゃんと牛乳(うしちち)女が『やれやれ』といった顔で迎えに来る。さすがにショタ坊のペーターにはこの時間まで待つのは辛かったんだろう。ゴシゴシと寝むそうに瞼を擦った後、
「じゃあ、僕は先に行くからね!」
と、言って光の中に消えて行った。
その、甲高い少年の声がマーケット広場に響いた時だった、シュテフの瞳が突然開いた。そして差し出されたヨーゼフとハイディの手を振り払うと、よろよろとおぼつかない足どりで走り始めて、そのまま噴水に向かって転げるようにダイブした。
大きな水しぶきの上がる音が夜のマーケット広場に響いた。
「バカモン! 鎧を着たまま泥酔して水に入るバカがどこにおる!」
「な、なにやってるんだ、シュテファン!」
二人の声がこだました。そして慌てて噴水に飛び込んだのだけれども、だだっ子のように暴れるシュテフを捕まえる事は容易な事では無かった。
「行かない!」
「僕は行かない!」
「残る!」
「ここに残るんだ!」
溺れながら彼は叫んでいた。叫び続けていた。
私も駆け出した、そして一気に飛び込んだ。全身ずぶ濡れになりながら彼の背後に周り込み、腋に手を入れて立たせようとした。でも、ダメだった。
「決めてたんだ!」
「ここが僕のゴールだって決めてたんだ!」
「もういやだ!」
「もう旅はしたくない!」
「マーシャ姉と一緒に生きて行くんだ!」
そして、無情にも十二時の鐘が鳴り響いた。ヨーゼフとハイディは慌ててゲートに向かって手を伸ばしたけれど、もう、どうにもならなかった。それまで淡く輝いていた啓示板も、始まりの門へと続く転送門も、まるで蜃気楼のように揺れて消えて行った。
私は泣いた。背中からシュテフを抱きしめて泣いた。それが涙で濡れているのか、噴水から溢れる源泉で濡れているのか、姉として悲しくて泣いているのか、女として嬉しいからなのかも分からずにただただ夜空を見上げて大声で泣いた。
※神様の啓示なので啓示板としました
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます