第3話【動き始めた時計(上)】

             (一)

「マスター! 生、おかわり!」

「あら、マーシャちゃん、今日は一段といい飲みっぷりだねぇ?」

隣に座るサトーさんに声を掛けられた私は、

「こんなの、飲んでなきゃやってらんないっすよ」

と、吐き捨てて、ジョッキに残ったまだ冷たいビールを一気に飲み干した。一瞬、言葉を失った先輩のベテラン仲居さんは『ま、まあね。気持ちは分かるよ…』という苦い顔をした後に「と、ところで今日担当したお客様がさぁ!」と、慌てて大きな円卓の反対側でガールズトークに花を咲かせている同僚達の会話の輪の中へと戻って行った。

 旅の一座の公演が明けた日曜日、仕事終わりの女子会。今日の会場は珍しく片付けが終わった厨房の盛り付け台ではなくて、お宿の道を挟んだ別館一階にある冒険の酒場。フガフガと、腰の抜けたようなアコーディオンの音。色んな席から聞こえてくる笑い声や武勇伝。紫色の煙草の煙がまるで帯のように流れてた。円卓の隅で一人、頬杖をついた私は、壁に横一列に並べられている沢山の写真達を眺めていた。そして、ガラにもなく同僚達の前でふてくされいるのには訳があった。一日ぶりに出勤してきたお宿で、私は幾つかの話を聞かされたからだった。

 届けられた新しいジョッキに口をつけ、大きな溜息を洩らす。ほんと、まるで大型犬を連れて、落ち葉舞い散る木の下に腰掛ける白いワンピースの麦わら文学少女にでもなった心境。

「…ケプッ」

ほら、またと息が漏れた。


 事のイキサツはお昼過ぎまで遡る。今日、いつものように出勤した私は、チェックイン前の明かりが消えたフロントでその日の予約台帳のチェックをしていた。金曜日、土曜日と怒涛の忙しさが続いていたから、それなりに覚悟を決めて帳面を開いたけれど、予想に反して本日の欄には多くの空室が目立っていた。そしてよくよく考えると、今は夏休みと紅葉の行楽シーズンに挟まれた谷間の時期で、たまたま昨日の公演のおかげで忙しかっただけなのだと改めて気が付いた。そう思うと、組合が企画したあの舞台は大成功だったのかも知れない。そして、少々気が抜けて手持無沙汰になった私は、二階へと登る階段の踊り場で、小さな一輪差しの花を替えている女将さんの姿を見つけると、ふとある事を思い出してそのままフロントを後にした。


「…壊れ…て…る!?」

「ええそうよ、私が怖しちゃったの。あ、でもこれ、皆には内緒よ」

と、唇に人差し指を当てている女将さんを見て、階段を小走りに駆けあがり疑問を投げかけた私は思わず唖然としてしまった。

 私が女将さんに尋ねた事。それは、この街のシンボル、マーケット広場にある背の高い時計塔、そう、昨晩あのお爺ちゃんに教えてもらった『夢見の塔』の話だった。この街に来て一三年、そんな話一度も聞いた事が無かったかけれど、うちのお宿では一番ご高齢な女将さんなら何かを知っているかもしれないと思ったんだ。

「…壊したって女将さん、どんだけ力持ちなんですか?」

「あらやだ、壊したって言っても道具を使って壊したんじゃないのよ? さすがの私も、そこまでの腕力は無いわよ… ただ、お願いしただけ」

「…おね…がい?」

「そうなの。結婚してすぐに主人を亡くしてしまってね、毎晩のように楽しかった頃の夢を塔が見せるのが当時の若かった私には寂しくて、悲しくて。だからある日、とうとう我慢が出来なくなって、夜の塔に登ったの。そして、必死に祈ったの。『戻って来ないあの人の夢を見せ続けるのはやめて!』って。そうしたらね…」

「…そうしたら?」

「塔にかかってた魔法の術式が完全に停止しちゃって、その後、誰がどうやってももう元に戻らなくなっちゃったのよ。でも、そこから先が大変で!」

「…と、言いますと?」

「それまでは、ゲイローの温泉組合の会長は、代々うちのお宿がしてたのだけど『街の観光名物を壊した娘に、次の組合長は任せられない!』って随分怒られちゃったのよ」

女将さんはそう言うと、ペロリと舌を出してはにかんだ。…なるほど。そのセリフ、誰が言ったのか何となく分かっちゃった気がする。私は思わず、あのお金にガメツそうな現組合長の顔を思い浮かべてしまった。それにしても、不可解だったのは夢見の塔だ。このご高齢な女将さんが若くて新婚の頃の話だとすると、もう何十年も昔の事だろう。ならば、私が『夢見の塔』という名前も噂も知らない事には合点が行ったけれど、それが壊れているとなると『どうして私が昔の夢を見るようになったか?』という問いに対しての答えは『依然霧の中』という感じだった。ただ、肌で感じている事もあった。それは『何かが揺らぎ始めている』という確信にも近い感覚。このお宿に来てから停滞していた私の時間。去年の事か、一昨年の事か分からなくなってしまうくらいに安定して繰り返される忙しい毎日。その、まるで時計が止まっているのではないかと思われるくらい同じ所を回っていた日々に、突然不協和音が響き始めた。私は、真新しく活けられた壁の一輪ざしの可憐にも慎ましやかに咲く赤い花を眺めながら、言葉にならない不安を感じていた。

「…でもね、マーシャちゃん」

「…はい?」

突然、少しの間物思いにふけっていた女将さんが私の名前を呼んだ。そして、その後、

「あの頃は辛かったけれど、今思うと、やっぱり夢でもいいから会える方がいいわね」

と、言った後に「…ところで」と、話題を変えたから、自分がとんでもない失敗をした事に気が付いた。そう、その私を取り巻く状況の『変化』はすでに起き始めていたんだ。ここ最近、周りから変な圧力じみた雰囲気を感じてたから、極力女将さんと二人きりになるのを避けてたはずなのに『夢見の塔』の一件ですっかり忘れてしまっていたのだ。


 ゴクリとビールを飲んでと息をこぼすと、私は頬杖をついたまま、もう一度ずらりと壁に並べられた歴代の女将の写真を眺めた。古い順に端から数えて反対端の十五番目、当代女将、清音 シュミット・クライメンダール。彼女には、お宿を継いでもらう相手がいない。冒険者だったご主人様が祝言を上げてすぐに他界されたため、彼との間に子供を授かる事が出来なかったのだそうだ。仲居頭のウェムラーさん曰く『街一番の美少女』『ミスゲイロー』という名前を欲しいままにし、挙句は『シャッフルワールドの三大美人女将』にまで数えられた彼女がその後も頑なに再婚をしなかったのは、長く続いたお宿の行く末よりも、心から旦那様を愛し、操を貫いた結果。なのだそうだ。でも…

「『考えておいてね』って、私には無理ですよ、十六代目は…」

チェックイン前の階段の上で女将さんから持ち出された話を思い出して、もう何度めか分からない大きな溜息をこぼした。確かに、歳の頃会いから言えば、私くらいしか候補者が居ないのは分かるけれど、ダメですって、こんな『なんとなく』勤めてるような女にバトンを渡しちゃ。

「…せっかく十年も続いたのになぁ」

「…この仕事も、そろそろ潮時なのかなぁ」

と息と一緒にそんな言葉が思わず零れた。

 しかし、今日聞かされた幾つかの話、実はこれで終わりでは無かった。と、言うか、ここら辺まではまだまだ序の口だった。だって…

「で、で、マコちゃん、プロポーズはどこでされたの!?」

「えっとお、昨日のお芝居の時ですぅ。『ちょっと話があるから』って言われて舞台の裏まで行ったら、そこでされちゃいました、プロポーズ!」

ちらりと横目で円卓の反対側に目をやると、オレンジが丸ごと半分入ってる女子っぽい飲み物片手に、ほろ酔い加減の三つ編み眼鏡が延々とのろけ話に花を咲かせている。そう、珍しく旅の酒場で開かれた『終わりの女子会』その正体は、急きょ寿退社が決まったヤツのお別れ会だった。

…まさか、この娘にまで先を越されるとは。

 思わず組んだ腕を枕にテーブルにうつ伏せると、少々勢いよく飲み過ぎたのか、次第に瞼が重くなってくるのが分かった。後ろの席で騒ぐバカップルがいるようで、いちゃつく声がますます私を腹立たしくさせた。遠くで、鐘の音が聞こえたような気がした。


※この世界では飲食店での飲酒は十八歳からとなっています。ちなみにお家で飲む分には十六歳。ドイツと同じです。



シャッフルワールド物語

【マーシャの地図】

第三話『動き始めた時計(上)』



                 (二)

 その日、再び目を覚ました私が見たのは一面の真っ白な世界だった。寝ぼけてぼんやりとした視界、上を見ても横を見ても見事なくらいに白一色だったから、とうとう天国に来たのだと思った。そして記憶を遡ると、最後に見たのは雪混じりの冷たい雨が降る公園、すっかり葉も落ちた裸の藤棚。そして頬に当たる濡れた地面だったから、どうやらあのまま冬の雨に打たれて死んでしまったらしい。まだ寝ぼけている頭のままぼんやりと白い空を眺めてそんな事を考えていると、不意に人影らしき物が姿を現した。私はてっきりお父さんかと思って喜んたけれど、残念ながらそれは間違いだった。

「大丈夫かい、マリーシャルロットちゃん? ここがどこだか分かるかい?」

と、尋ねて来た声は、まったく知らないおじさんの声だった。

「…天…国?」

私がそう答えると、その人影は

「違うよ、君はちゃんと生きている」

と、答えた。周りから喜ぶ女の人達の声が聞こえて慌てて瞳を擦り、私の目に焦点が戻ると、見上げた空にあったのは雲ではなくて、無数の小さい穴が並んだ天井で、声の主は病院の先生だった。そして、もっと驚いた事があった。目を擦った手が淡く緑色に輝いていたんだ。

「おめでとうマリーシャルロットちゃん! 君はアウスナーメ(特例)になったんだ! いいや、これはエクストラアウスナーメ(大特例)だ。物凄い事なんだよ!」

お医者さんはそう言って喜んでいたけれど、何を言っているのか意味が分からなかった。そして「論より証拠だ、自分の身体を見てごらん!」と言われて掛けられていた布団をはぐると私は愕然とした。パジャマからはみ出ている部分が、どこもかしこも薄緑色に光っていたんだ。慌てて体を起して、パジャマの首元を摘まんで覗き込むと、事もあろうか胸も、お腹も光っていた。

「まだ魔法の種子が生まれたばかりで安定していないんだ」

「…魔法の…種子?」

「そうだよ、君は魔法使いになったんだ! それも、世にも珍しい天然モノだ!」

そう言うと先生は「こんなの何億人に一人だ、僕も実際に見るのは初めてで医者冥利に尽きる!」って喜んだけれど、私は今一つ状況が飲みこめなくて、魔女になった喜び以前に、天国の両親に会えなかった落胆と、

『この光がこのまま消えなかったらどうしよう?』

『恥ずかしすぎて、もう人前に出れないよ!』

という感情ばかりが頭の中に渦巻いて、そのまま泣き始めてしまったんだ。

 魔法の種子が完全に身体に定着すると、溢れ出た魔力、この全身を包んでいる淡い緑の光は消えると教えられてようやく泣き止んだ私は、そのまま先生の説明を受ける事になった。最初は、そもそもどうして私が病院に寝かされていたか? その理由だった。どうやら、通りかかった人が、雨の中で倒れている私を見つけて通報してくれたらしい。「緑の光が出て無かったら見落としていた」とか言ってたそうなので、これを見られた恥ずかしいさもあったけど、同時に魔力のおかげで助かったのだというありがたみも感じてしまった。

 そして次に先生は、私の身に何が起きているのかを説明してくれた。

 現在、この世界にいるほぼ全ての魔法使いは、その胸に3.5世代型と呼ばれる魔法の種子を持っている。それについては、私があの初等部の教科書で読んだのとほぼほぼ同じだったけれど、違ったのはその先だった。

「ただし、これには稀に例外が生じるんだ。一番確立が高く、頻繁に報告される症例がアウスナーメ(特例)と言われる子供達だ。通常、魔法の種子は、媒体としている人間の生命エネルギーと同調しているから、その人間が命を失えば、同時に種子も枯れてしまうものなんだけど、ごく稀に、妊娠を機に、母親から子供に譲渡されてしまうケースがある。これがアウスナーメ。この場合、母親が習得した魔法や魔力もそのまま赤ん坊に引き継がれてしまうから、子供は生まれながらに物凄い魔力を持った要保護対象となる。中には代々、作為的な妊娠と堕胎を繰り返して、強引に種子の譲渡をするような化け物じみた家系もあるそうだけど、そこまで行ったら邪法だと僕は思う。そして、もう一つの特例が、君のようなエクストラアウスナーメ(大特例)だ。これはもう『神様のきまぐれ』としか言いようがない。ある日突然、子供の中に魔法の種子が生まれるんだ。たぶん君が名前を聞いた事のある有名な魔法使いや僧侶の中には、かなりの確率でこのエクストラアウスナーメが含まれている。それくらいに凄い事なんだ」

その説明を聞いて、私はようやく自分の身に何がおきたのかを把握した。でも、次の説明を聞いて手放しで喜んでばかりはいられないという事を知ったんだ。

「ただし、この天然の魔法の種子というのが問題でね。とにかく荒削りでピーキーなじゃじゃ馬なんだ。まるで、バウンドしたらどこに飛んで行くのか分からないラグビーボールさ。対して、長い年月をかけて研究され、3.5世代型まで調整された量産型の魔法の種子は、覚える魔法の順番から出力まで、ある意味とても扱いやすく出来ている。その逆に、天然モノは、無調整極まりない、いわば原始の種子だ。総じて量産型とは比べ物にならない膨大な魔力の蓄積量はあるのだけれど、覚える魔法は順序がバラバラで誰にも先が読めやしない。その上、桁外れの大出力ときたもんだ…」

その言葉を聞いて、私は自分の中にとんでもないモノが生まれてしまったのだと汗をした。そして顔に幾つもの縦線を浮かべたようにして困っていると、突然先生は

「じゃあ試しに一つ、実験をしてみよう!」

と、言いだした。

「マリーシャルロット、胸に手を当てて目を閉じてごらん?」

私は恐る恐る、その言葉に従った。

「どうだい、自分の中に何か遺物がある感じはするかい?」

私はその問いに、素直に胸の中に何か熱い炎の塊のような存在がある事を告げると、先生は「そう、それが魔法の種子だ!」と、言った後にさらに言葉を続けた。

「マリーシャルロット、怖がらずにもっと意識をそれに集中させるんだ。近づいて良く見るイメージだ、何か見えるかい?」

「緑の火の球のような物があります…」

「うん、やっぱり緑か。量産型は赤い色だからね、間違いなく原始の種子だ。じゃあ、マリーシャルロット、もっとよくその種子を見るんだ」

「…はい」

「…何か…見えるかい?」

そして、言葉通り、さらに暗闇の中に光っている緑の球に意識を集中させた私は思わず驚いて声を上げてしまったんだ。

「!? ど、どうしたんだい!?」

「なんだか、大きな扉があります!!!」

そう、驚いた原因はそれだった。緑の球に近づいて中を覗き込むと、そこに見えたのは古くて大きな木製のドアだったんだ。「本当かい、いきなり書庫を持ってるなんてそれは凄いぞ!」と、先生は驚いていた。そして「扉をあけるんだ、マリーシャルロット」という言葉に合わせて重い扉を開けた私は見た、無数の本棚が並ぶ広大な図書館を。そしてそれを伝えると、先生はさらに驚いていた。理由は簡単だった。通常魔法使いが覚えられる魔法は、生きる年数や才能、熟練度にもよるけれど、多くて100種類程、邪法を使って譲渡を繰り返された種子だってその数倍程度で、本棚が二つや三つあれば事が足るというのだから、この量は完全に常軌を逸していた。そして益々興奮した先生は「本は、何か本はあるかい!?」と尋ねて来たので慌てて周りを見回した。そこで、とんでもない事に気が付いたんだ。だって、よくよく見たら、数えきれないほどに本棚は並んでいるのだけれども、それらは全てが空で、一冊の本も並んでいなかったのだから。

「…そうかぁ、いきなり魔道書までは所有してないかぁ」

と、がっかりする声が聞こえた。そして意識の中の私も肩を落とし、踵を返して扉を閉めようとした時だった。入口から一番近い本棚の中に、一冊の古ぼけた厚い本がある事に気が付いた。そう、図書館の中を見回した時、その棚は私の背後にあったから、本の存在に気が付かなかったんだ。

「ありました、一冊だけど!」

その言葉に先生は再び歓喜の声を上げると

「それはいったい何ていう名の本だい!?」

と、聞いて来た。

 本棚に近づき、皮表紙の古びた厚い本を手に取る。そしてびっちりと積もっていた白い埃を手で払い、私は顔を近づけて、表紙に書かれたその名前を口にした。


「…グローセラントカーテ?」


その途端、現実の私の目の前で何かが『ポン』と弾けた。慌てて目を開けると、そこにあったのは小さな煙だった。そして、何が起きたか分からずに周りにいた先生や看護婦さん達の顔を見ると、皆が私の頭の上の方を眺めてポカンと口を開けていたんだ。そして、私もその視線を追って顔を上げた瞬間、思わず同じように口をポカンと開けてしまった。

 一枚の、ハンカチのような大きさの布が、ひらひらと宙に舞っていた。

そして、ゆっくりと私の太ももの上に落ちたそれを手に持ってさらに驚いた。それは、この病室の見取り図だったんだ。

「おいおい、無詠唱だって? なんてデタラメな! そんなの大魔道士、大魔女クラスじゃないか!?」と、驚いた後に、先生はさらなる熱弁を始めたけれど、私は話を聞いてるどころじゃなかった。嬉しくて嬉しくて、また泣きながらその地図を抱きしめていた。でもそれは、さっきまでの涙じゃなかった。

『マーシャはクラスの中で、一番世界地図を読むのが上手なんだって?』

耳の奥で、久しぶりに聞くお父さんの声が響いていた。授かった最初の呪文、地図の呪文。それは先生が言ったような『神様のいたずら』じゃなくて、天国の二人からのプレゼントなんだと思って大声で泣いた。



              (三)

『突然生まれたエクストラアウスナーメ』

その噂は、瞬く間に始まりの街中に広まった。そして、私の身にさらなる信じられない出来事が起こったんだ。それは魔法学校。あれほど恋い焦がれ、この先どんなに苦労を重ねても絶対に手が届かないと諦めていたはずだったのに、何とも呆気なく、私は特待生としての入学を許されたんだ。しかも、季節が冬だったから、春まで待って一年遅れの中等部一年生に入学かと思っていたら、退院とすぐに、同じ歳の子達と一緒に、一年生の三学期からの編入になったんだ。まあ、これについては正直、美談ばかりとは言い切れない。まずは、こんなデタラメな魔力を持つ野生の魔法使いがそのまま野に放たれるなんて、それこそ魔王候補を作っちゃうような物だから、慌ててしかるべき機関に保護された。という側面が大きいのと、お医者様が言った通り、歴代のエクストラアウスナーメは悉く有名な魔法使いになったから、学校の広報活動の一環に利用されたという部分も否めない。でも、私はそんな大人のドロドロとした考え方はまったく意に介すこともなく、まさに、二年以上ぶりの学校生活を謳歌した。そして、私は改めて魔法とは、魔術とは何かを学ぶ事になったんだ。


――魔法。

――この世に存在しない物を具現化する力。


それを粘土細工に例えると、呪文は設計図、魔力が粘土。という事になるらしい。だから、どんなに魔力があっても、設計図がなければ形にならないし、その逆もしかり。設計図だけあっても粘土が無ければ何も作れない。そして初心者は、常に設計図を見ながらじゃないと作業が進まないから完成するのにとんでもなく時間がかかる。その工程が俗に言う『呪文の詠唱』なのだそうだ。そして、レベルが上がる毎に魔法の種子内に増える設計図をこの学校では『習得』と言っていた。

 それぞれの魔法にはそれぞれの設計図がある。それが魔道書。これはある意味、緻密に組み上げられたプログラムのような物で、私達の使っている言葉に近く、読んでいて物語のように感じる物もあれば、意味の分からない単語の羅列や、下手をしたら発音するのにも舌を噛みそうになる奇怪な音の組合せだけのような物まで無数に存在する。そして、言われてみたら極々当たり前のようだけど、設計図の最後の一ページまで読み切って初めて魔法や粘土細工は完成する。そう、一冊まるっと音読するわけだから、これはとんでもない労力だ。だから、詠唱中の魔法使いのイメージは、目を閉じているわけだけど、一見それはものすごく集中しているようにも見えて実は違う。単に魔道書を読んでるだけなんだ。

 ただし、そんな何百ページもある厚い本をいちいち読んでいたら冒険者には成れない。術が完成する前に魔物に襲われて終わりだ。そう、魔法の呪文は短縮が可能なんだ。だから、その修練の場がこの魔法学校という訳。粘土細工の設計図も然り、何度も何度も同じ物を作っているうちに自然と見る回数は減る。これが呪文の省略と言われる部分。冒険者として旅に出たいのであれば、最低でも最初の一ページの詠唱程度に呪文を短縮できないと使い物にならない。そしてそれは、修練と努力、そして才能によってさらに短縮が出来るらしい。現に、歴代の魔王討伐キャラバン隊の魔法使いクラスともなると、最初の一行程度の詠唱で術が具現化すという。そしてさらにその上、無詠唱。一行の本文も読まず、本のタイトルだけで術が使える人間も存在はするにはするけれど、それはもう大魔道士、大魔女と呼ばれるほんの一握り程も存在しない、ほとんど仙人みたいな人達らしい。そしてなぜか私もそれに分類された。

 まあ、そんな感じで、案の定色んな意味で畑違いで桁違いな私は瞬く間にクラスから浮いた。だって、授業中も、皆は魔道士見習い種子の中にある本を読んで練習すればよいのだけど、広大でも棚がスッカラカンの私一人が、そんな生徒達に混じって実際の本や紙を使って延々と物理的な写本をしていたのだから。

 あと、凄く意地悪な子もいた。アンゲラ、通称『ゲラ』。その子はアウスナーメで、すでに生まれた時からお母さん譲りの魔法の種子と、呪文の数々、そして私に次ぐ魔力を持っていたから、そう言うった意味でクラスの中でも皆から一目置かれるリーダー的な存在だった。だから、中途編入の上に、いきなりの無詠唱。しかもそれが、本来なら中級魔法使い以上じゃないと習得しないはずの大きな地図を出す魔法だったから、私はえらく目の敵にされた。でもまあたぶん、そんな貧乏娘とエリート女子のゴタゴタ学園物語はいろんな所にありふれているだろうから割愛はするのだけれど。


 魔法学校に入学して一年が過ぎた二年生の終わり、私は学長室に呼び出された。長い廊下を歩きながら、どうせまた先週ゲラともめて学校中を巻き込んだお料理対決のお叱りでも受けるのだろうと思って渋々扉を開けたけれど、どうやら私が呼ばれた理由はそれとは違うようだった。その事は、学長室に入ってすぐに、そこに立っている面々の雰囲気を見てすぐに気が付いた。そう、そこには一人の勇者様らしき人物が立っていたんだ。

 実は、これも初めての事じゃ無かった。今までも何人もの勇者様達が私の噂を聞きつけて青田刈りまがいの面接をしてきた事があったんだ。だけど、その殆どが学生の私でも名前や顔を知っている有名で層々としたメンツばかりだったから、逆にこっちが恐縮しちゃってなかなか首を縦には振れないでいた。でも、今回の勇者様は何だか様子が違ったんだ。

「マリーシャルロット リヒター君。今回君に来てもらったのも、いつものパーティの勧誘なのだけれども…」

そう説明する学長先生の口調もいつものドヤドヤとした感じではなくて、ものすごく戸惑っている歯切れの悪いものだった。そして、そうさせている心情はすぐに私も理解した。

「今回はこちらの、通称『学者』と呼ばれている勇者様なのだが…」

その言葉を聞いて、私は何とピッタリで説得力のある『通り名』だと妙に納得してしまった。だって、ちゃんと説明してくれないと、どれが勇者様なのか分からないくらい、ヒョロリとして青白く、勇者様なら勇者様らしく、指定の白銀の鎧を着てくれば良いのに、頑張ってスーツなんて着てるから、まるで病気明けに職場復帰した先生にしか見えなかったんだ。

「…いやあ『学者』だなんて、勇者時代の大法王さまと同じ通り名は私には荷が重くて」

と、頭を掻く勇者様。話を聞くと、僧侶から転職したばかりの新米勇者様らしいけど、見た感じそんなに『おじさん』って風でもなかったから、その年齢で僧侶として悟りを開いて、さらに九年近い旅の末の転職。実は凄いエリートさんなのかもしれない。と思ったりした。でも、さらにお話を聞くと、そもそもご実家が寺院で、僧侶については子供の頃から修行してたようなものだし、冒険に至っては『僕以外のメンバーが強いのなんのって、いつも最後尾をおっかけているうちに、あれよあれよと言う間に勇者の神殿まで辿りついてしまいました』と、さらに頭を掻いていた。

 おそらく、こんなにも頼りなさそうな勇者様は門前払い。その場に居た皆がそう思っていただろうし、実際私もそう思った。でも、気が付くと首を縦に振っていた。そして、二年生最後の終業式を待たず、私は短い魔法学校時代に幕を下ろし、冒険の旅に出たんだ。

そう、彼とならポンコツ魔女の私でも、気兼ねなく冒険が出来ると思ったんだ。


              (四)

 私達の冒険の記念すべき第一歩目は、戦士探しの旅になった。まあ、通常新規で戦士と契約する場合、まずはこの始まりの街にある冒険者協会に行って、登録している人と契約するのがセオリーなのだけど、私達の場合はそれとは随分と勝手が違った。と、いうのも、実はこの勇者様、驚くくらいの極貧勇者様だったんだ。僧侶時代、他の三人のお尻をおっかけてばかりで、時には戦闘に参加する事も出来ず。歩合制で分けられるお金はいつだって最低賃金。しかも、その殆どを勇者への転職で使い果たしてしまったと言うのだから驚きだ。なので、私の契約金も現物支給。それも高価な装備は手が出なかったので、冒険者とは全く関係のない古着屋で、ジーンズとパーカーを買ってもらった。まあ、それでも、誰かに服を買ってもらえるだなんて凄く久しぶりで嬉しかったのだけど。そんなこんなで、本来四ツある集者様一行のパーティ枠。勇者様、戦士、魔法使い、僧侶という鉄板な布陣も、全員と契約するお金が無いから、当面、僧侶は勇者様が兼任する事に。魔法使いも卒業生だと組合や学校が間に入って契約金が高くなるから、ダメ元で勧誘した学校中退の私を。そして、戦士に至っては、長い冒険の旅路で体が成長してくれる事を期待して、近隣の街や村の中学校を周る事になったんだ。しかも、いくら始まりの街周辺と言っても二人きりでフィールドは危ないし、組合に勇者のPT登録を出すと列車に乗れなくなっちゃうから、NPC登録のままの鈍行列車の旅が始まったんだ。うん、何とも冒険者らしからぬ第一歩だった。


 回った村や街では、事前に勇者様が連絡を入れててくれてたおかげで、どの学校も私達を歓迎してくれた。中にはわざわざ剣術大会まで開いてくれる所まであったんだけど、なかなか現実は厳しくて、一か月近くが過ぎてもまだ、私達はこのパーティの戦士となる人と出会えないままだった。そりゃあ、中には凄く強そうな人もいたんだよ。でも、契約金の額を見て、逆に私達が断られてしまったりもしたんだ。

 そんなある日。立ち寄った村の中学校でも門前払いをくらい、肩を落としながら立ち寄った小学校で、私は運命的な出会いをした。実は、アポイントメントも何もなかった訪問なのだけれど、話を聞いてくれた体育の先生が慌てて希望者だけを集めて小さな剣術大会を開いてくれたんだ。さすがにね、最初は『いくら困っても小学生は…』って思ったんだよ。だけど私はその中に、ひと際背の小さい、華奢で可憐な女の子の姿を見つけたんだ。

 肩まで伸びた明るい、陽に照すと透けるくらいのプラチナブロンドに、青くて大きな瞳。残念ながら、他のメンツと比べて頭幾つ分も小さな彼女が勝ち上がる望みは無かったけれど、とにかく妹にしたいくらいに可愛かったから、思わず剣士とか関係なしに連れ帰りたくなる衝動に駆られちゃったんだよ。

 ところが、意外な事が起きた。確かに、それは華麗な剣技とはお世辞にも呼べなかったけれど、その小さな女の子は、何度も倒され、泥だらけになりながらも立ち上がり、気合と根性だけで一本を取り続けたんだ。そして、とうとう決勝戦まで勝ち進み、最後にはガキ大将のような大きな相手からも勝利を奪ってしまった。咄嗟に私と勇者様は顔を見合わせて頷いた。そう、迷いなんて無かった。

 夕方、真っ赤に染まる河川敷の河原で、彼女は私達の仲間になった。私よりもさらに三つも年下の十一歳だった。そして、もっと驚くべき事があった。だって、改めて名前を聞いた私達に向かって、夕陽を体いっぱいに浴びた彼女は眩しそうな顔をしながら言ったんだ。

「…ぼ、僕の名前はシュテファン!

  シュテファン ミュラー・ドーンです!」

って。それは小さくて若い冒険者の一行が生まれた瞬間。そう、こうして私の冒険の旅が本格的に幕を開けたんだ。

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