第一話 解錠のかいじょう

 目が覚めた。

 わたしの目の前にはいつもと変わらない白い天井が見える。部屋は明るい、もう朝だろうか。今は、何時かな。私は時計を見るために、寝惚け眼をこすりながらゆっくりと起き上がった。

 時計はスマホの時計を見ているので、いつもスマホを置いている右側のサイドテーブルへと視線を向けた──が、あるはずのサイドテーブルがそこには無かった。誰かが何らかの理由で持っていってしまったのだろうか……? だが、サイドテーブルは無くてもスマホはあるはずだ。

 スマホを探すため、ベッドから下りる。やけに体が重い。いつもはこんなに重くないと思うのだが。違和感を感じた私は、下を向いて自分の体を見た。

「えっ……?」

 私は、普段着ているパジャマではなく、見覚えの無い白いドレスのような服を着ていた。体が重い原因はこれだったのか。

 そしてもう一つ、見覚えの無いものが私の目に映っていた。髪だ。勘違いしないでほしいのだが、私は禿げている訳じゃない。見覚えが無いというのは髪の色だ。私の髪は黒色のはずなのに、何故か薄いピンク色の髪が私の目に映っているのだ。かつらでも被せられているのかと思い、この薄いピンク色の髪を外せないかと髪の色んな所を触ったり、引っ張ったりしてみる。しかし、髪は外れない。どうやらかつらではないらしい。かつらでもないとすれば、寝ている間に染められた……? いや、病院の人達がそんな事をする訳がない。というか常識的に考えてないと思う。服だって、こんな服に着替えさせる訳がない。

 ──もしかして。嫌な想像が頭を過る。

 ゆっくりと、体を動かして、部屋の中を見回す。室内は電気が点いている。自分の体にばかり気を取られていたが、私が今居るこの部屋も、眠る前に私が居た病室とは大きく異なっていた。天井が白という所は同じだ。だが天井以外は全く違う。さっきは寝惚けていて気付かなかったが、ベッドも病院で使用しているシンプルなデザインのベッドではなく、天蓋付きの、お嬢様が使うようなベッドなのだ。他にも、壁、床、置かれている家具……天井以外の全てが私には見覚えの無いものばかりだった。

 間違いない。ここは……私が居た病院では、ない。

「これは、一体、どういうこと……?」

 もしかすると、私は何かの犯罪にでも巻き込まれてしまったのか。だとしたら警察を呼ばないと……そうだ。スマホがどこかにあるかもしれない。そう思った私は、広い室内を歩いて必死にスマホを探す。……しかし、スマホはどこにも無かった。他に電話がないかと探してみたりもしたが、電話も見当たらなかった。

「はあ……」

 床にしゃがみ込み、深くため息をつく。近くに置かれている姿見に映った自分の姿が目に入る。鏡の中に居るのは二十代前後の若い女性。髪の色と服がいつもと違うこと以外はちゃんと私に見えるけれど……。

 目が覚めたら自分の服装や髪色が変わっていて、知らない部屋に居た。外への連絡手段も無い。こんな時、一体どうすればいいのだろう。分からない。──でも、考えなければ。このままここでじっとしていても何も解決しないのだ。……とりあえず、この部屋から出れるか試してみよう。

 立ち上がり、部屋の扉の前へ行く。見たところどうやら片開きのようだ。私は扉の丸い形のノブを右手で握り、手前へ扉を開けてみる。すんなりと、扉は開いた。鍵がかかっているかもしれないと思っていたので、少し拍子抜けだった。



 ベッドの近くに置いてあったピンク色の靴を履いて、部屋を出る。一応誰かに気付かれないよう扉を静かに移動させて、閉める。周りに何があるのか確認しようと思い、辺りを見回す。私の目の前には先程まで居た部屋の扉が、扉の左側には壁がある。私の後ろも壁なので、どうやらこの部屋で行き止まりのようだ。右には廊下が続いていて途中に一つ扉がある。もしかしたらあの扉の向こうの部屋には──誰か居るのかもしれない。

 ゆっくりと、極力音を立てないようにもう一つの扉の前へ歩いていく。廊下にはふかふかとした感触の絨毯が敷かれていたため、幸いにもそこまで音は響かなかった。電気も点いており、歩きやすい。それにしても先程の部屋と言い豪華な内装だ。お金持ちの家なのだろうか……。

 扉の前で歩みを止める。私が居た部屋の扉と同じデザインなので開閉の仕方も同じだろう。私は扉のノブを右手で握る。この扉の向こうに誰か居たとして、その人が敵なのか味方なのかはまだ分からない。慎重に、慎重に……。「すぅ、はぁ、すぅ、はぁ」と、小さな音になるよう気を付けながら深呼吸をする。ノブを握る手に力を込めて、部屋の扉を押していく。鍵は──かかっていない。

「…………」

 一気に開ける事はせず、まずは一センチ程の隙間から覗く。ベッドらしき物が見えた。そこから二センチ、三センチ、四センチ……と徐々に開けていく。

 室内は、電気が点いている。ベッドには、八十歳くらいだろうか。そのくらいのとしであろう老人が掛け布団から顔を出して横になっていた。多分、男性だと思う。私には気付いていないようで、今も目を閉じて眠っている。……敵か味方かは分からないが、今はそっとしておいた方が良いだろう。

 扉を、開けた時と同じようにゆっくりとした動作で、閉めていく。扉を閉め終わる。私の心に、安堵の感情が広がる。無意識に浅くなっていた呼吸が普段のリズムを取り戻していくのが分かった。とりあえず、この部屋は後回しだ。



 私が目が覚めた時に居た部屋と、老人が眠っている部屋の他に部屋は無いようなので、一先ず私は廊下を歩いていく事にした。念の為、音を立てないように細心の注意を払って歩く。少し進んでいくと、行き止まりになった。

 さて、どうしたものか。次の行動を思案しようとした矢先、私はふと、行き止まりの壁の右側に怪しい鍵穴を見つけた。ひょっとすると、この鍵穴に鍵を差し込めば秘密の通路が出てくるのかもしれない。でも鍵なんて持っていない。

 ポケットに入っていたりするだろうか。ポケットがないか自分の腰の辺りを触ってみる。──あ、あった。右側だ。でも、固い感触ではない。鍵じゃないのかな。一応、ポケットに手を入れて中をさぐる。中にあった何かを手に取って、見た。その何かは鍵ではなく、布の付いた手の平サイズのキーホルダーだった。緑、黄、赤、白、紫の五枚の細長く薄い布が片端の方で一つに纏められている。じっと観察してみても本当にただのキーホルダーにしか見えなかったので、私はキーホルダーをポケットに戻した。

 他にも何か入っていないかとポケットの中をさぐってみるが、何も無かった。そう簡単には見つからない、か。

「はあ」とため息をつく。なんだか目が覚めてからため息ばかりついている気がする。まあ、こんな状況になれば誰だってため息の一つや二つ、つきたくなるものだろう。起きてから大変な出来事ばかりで少し疲れた。あの老人は寝ているようだし、ちょっと休憩しても大丈夫だろうか。

 私は「老人が目覚めるかもしれない」という不安をいだきながらも、あまり物音を立てないように気を付けて、近くの壁に寄り掛かった。

「ん……?」

 背中に違和感。直ぐ様片手を服の中に入れ、背中の違和感を感じる所を触ってみる。何か冷たいものが手に触れた。まさか。背中にある冷たい何かを掴み、自分の目の前に持ってくる。──当たりだ。

 私の背中にあったもの。それは、銀色の鍵だった。鍵はネックレスに付いており、どうやら私が寝ている間に背中に移動してしまったらしい。そういえば起きてから首がほんの少し苦しかったような。眠る時にネックレスを付けるだなんて、首が絞まったらどうするつもりなのか。いや、私が付けたのだろうか? ……まあ、それは長くなりそうなので後で考えよう。

 首に付けていたネックレスを取って、寄り掛かっていた壁から離れる。それから、先程見つけたばかりの鍵を、鍵穴へと差し込んだ。──数秒の間の後、ゆっくりと眼前にあった壁が上へ開いていき、上の階へと続く階段が姿を現したのだった。



 僅かな灯りが灯るのみの暗い階段をなんとか上り終わると、薄暗い部屋に着いた。

 電気のスイッチはないかと、近くの壁を触ってみる。だが、それらしきものは無い。仕方ない、薄暗いまま歩いていくしかないか。

 転ばないように床を見ながら、五歩だけ歩いてみる。後ろから何かの音がした。振り返ると、さっき私が出てきた所は壁になっていた。出入り口があるとは、もう分からない。どうやら自動で閉まる仕組みらしい。恐らくはまた地下へ入れるように、どこかに鍵穴があるのだろうが……今は、この部屋の中を見てみよう。

 薄暗い室内で目を凝らしながら、歩みを進めていく。何か四角いものが床に重ねて置いてあるのを発見した。何が置いてあるのかは薄暗いのでよく分からないが……絵、だろうか。ぼんやりとしか見えないけれど、とても綺麗な絵だった。価値のある絵なのかもしれない。傷を付けて「弁償しろ」だなんて言われたら嫌なので、触れないよう、出来る限り絵から離れた。

 部屋の奥へ進んでいくと、うっすらと扉が見えた。この扉の向こうにまた誰か居るかも……。「ごくり」と唾を飲み込む。

 扉のレバーハンドルを握り、周りを警戒しながら扉を開ける──事は出来なかった。鍵がかかっている。レバーハンドルに視線を向けると上にサムターンがあることに気付いた。サムターンを回し、もう一度扉のレバーハンドルを手に取る。先程と同じように周りを警戒しながら、扉を手前へ開けていく。薄暗い部屋に、一筋の光が射し込んだ。



 手の指が三本入る程度の隙間で部屋の外──廊下の様子を伺っても人の気配は無かったため、扉を顔が出せるくらいに開ける。顔を部屋の外に出す。右、左、前と順番に確認。誰も居ない。誰かが来る様子も無い。よし。

 廊下に出て、部屋の片開き扉を閉める。扉に背を向ける。全体的に電気が点いているおかげでもあるだろうが、なんだかこれまでとおってきた場所からは雰囲気が一変したような気がする。人が少ない場所から、人が集まる場所になった……そんな印象を受けた。

 私の左斜め前を見ると、エレベーターと階段が目に入った。他の階もあるのか。上に上がる階段は無いので、ここが最上階のようだ。エレベーターと階段、どちらを使うか悩んだが……誰か来ても対処しやすいように階段を選ぶ事にした。

 階段を下りていく。もう地下の廊下にあった絨毯は無い。そのせいなのか、靴の素材のせいなのか、それとも階段の素材のせいなのか。気を付けていても音が響く。誰も来ませんように、と祈りながら、一歩一歩下りる。

 途中、階段にロープが張られていた。立ち入りを禁止するためのロープなのだろうが、ロープを越えなければ先に進めないので、私は罪悪感を感じながらもロープを跨いだ。幸運にもロープを跨いでいる姿は誰にも見られなかった。

 一つ階段をり終わると、人の姿を見掛けるようになってくる。人は多いが、静かだ。

 もう一つ階段を下り終わる。先程の三階には絵画や彫刻、今私が居る二階には刀や具足など……様々なものが展示されていた。──もしかして、ここは。私は、この建物の正体を薄々感付き始める。

 最後の階、つまり一階に到着する。一階には大きな化石などが展示してある。私は、確信する。

 ここは──博物館だ。



「なんでこんなことになってるんでしょうね……」

 展示されている化石に話し掛けながら、ため息をついた。勿論、化石は返事をしてはくれない。

 化石の近くにあった説明文が目に入る。説明文によると、私が話し掛けた化石の名前は「オパビニアOpabinia」。五つもの目と長い口が特徴の無脊椎動物。化石を見ただけではよく分からないが、古代には不思議な生き物も居たのだなあ…………と、そこで私は我に返る。今は呑気に観賞している場合ではなかった。

 あの地下室からやっとの思いで抜け出す事が出来たのは良いが、これからどうしよう。誰かに、確認のためここが本当に博物館なのか訊いてみようか。可能であれば他にも色々訊きたい。静かに観賞している所に悪いけれど──

「あの!」

 後ろから突然女の子の声が聞こえた。私はびっくりしてしまい、反射的に振り向く。慌てて振り向いたせいで、私は女の子にぶつかってしまう。

「あっ……」

 そんな後悔の色が滲んだ私の呟きが耳に入るが、時既に遅し。女の子はバランスを崩し、尻餅をついてしまう。しまった……怪我はないだろうか。私は急いで女の子に片手を差し伸べた。

「ご、ごめんなさい……大丈夫ですか?」

「いたたた~……あ、大丈夫です。ありがとうございます」

 私服姿の女の子は私の手を取って立ち上がる。ショートカットの可愛い女の子だった。身長は私より少し低め。茜色に染まった髪を一部分だけ束ねて三つ編みにしており、それがまた可愛らしい。中学生くらいだろうか。

「あの、本当にごめんなさい……怪我は……」

「そんなに気にしなくても、ほんと大丈夫ですよ~ほら、この通り! ぴんぴんしてますから!」

 女の子はぐるぐると片腕を回して怪我が無い事をアピールする。だが、そのせいで近くを歩いていた女性に女の子の片腕が当たってしまった。

「わわ……っ! ご、ごめんなさい!」

 ぶつかってしまった女性に女の子は大慌てで頭を下げる。……見たところ、ちょっとおっちょこちょいな女の子らしい。女の子がぶつかった女性は「気を付けてね」と言ってその場を去っていった。

「ふふ、怪我が無くてよかったです」

 微笑みながらそう言うと、声に反応したように女の子がこちらへ向き直る。

「えへへ……心配してくれてありがとうございます。それにしても……」

 女の子は、まじまじと私の顔を見つめ始めた。急に女の子に見つめられ、私は戸惑ってしまう。

「な、何か?」

「いや、すごく綺麗な人だなって」

「えっ……えっと……ありがとう、ございます」

 綺麗だなんて……初めて言われたかも。照れるけど、素直に嬉しい。

「うん。やっぱりすごく綺麗。さっきも、ものすごい綺麗な人が居るな~って思わず声を掛けたんですけど、驚かせちゃったみたいで……ごめんなさい」

「いえ、私もあなたを転ばせてしまいましたから。おあいこですよ。それに、あなたも……とっても可愛いと思います」

わたしが? そんな~照れちゃうなあ」

 照れ隠しなのか、女の子は恥ずかしそうに顔を掻いた。

 ……そうだ。この女の子に訊けばいいのではないだろうか。

「あ、あの、お訊きしたい事があるのですが」

「はい! なんでしょう?」

「ここは、博物館、ですよね?」

「そうですよ。それが何か?」

「ええと……ちょっと、迷ってしまったというか」

「迷った……? もしかして、観光の人だったり?」

 観光、という訳ではないのだが。そもそも目が覚めたら元々居た病院ではなくこの博物館に居て、しかも違う姿になってました……なんて、信じてはくれないだろう。

「そ、そうなんですよ」

 私は、自分は観光に来た人、という事にした。

「やっぱり! 道理でここではあんまり見ない雰囲気の人だと思ったよ~……あっ」

 女の子は慌てて口を押さえる。一瞬、どうかしたのだろうかと思ったが、すぐに理由に気付く。

「敬語じゃなくても大丈夫ですよ」

「そ、そう? ごめんね。敬語って慣れなくて……あなたも、敬語じゃなくて大丈夫だよ」

 悪気の無い女の子のその言葉に、私の気分が重くなるのを感じた。

「えっと……私は、逆に敬語以外は、慣れなくて。ごめんなさい」

「ふーん……? まあいいけど……そうだ! もし良かったら、私が街とか案内するよ」

「いいんですか?」

「うん。丁度暇だったし。困ってるなら見過ごせないしね!」

 さっき会ったばかりの私に街を案内してくれるだなんて、なんて優しい子なのだろう。色々知りたい事もあるし、ここはお言葉に甘えておこう。

「では、お願いできますか?」

「うん! 任せて! あっ、そうそう。自己紹介してなかったよね。私は、玉谷楓たまやかえで。楓って呼んでね。あなたは?」

 先程、私が手を差し伸べたように、女の子──楓さんは、笑顔で私に片手を差し伸べる。差し伸べられた片手を、自分の片手でぎゅっと握る。

「私は……桜川栞さくらがわしおりです。よろしくお願いします。楓さん」



(一話完)

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