第51話 大学入学資格検定便覧3 大検の原風景

大検の「原風景」 

1984(昭和59)年の大学入学資格検定便覧


 もう1年度分、大検が世間に広く知られることとなった1984年の便覧についても、レビューを書いているので、こちらもご紹介する。これは1986年、つまり大検が受検科目数を削減し、体育の実技科目を廃止する以前のものである。


 1984年。この年は、テレビドラマ「中卒東大一直線」が放映された年でもある。私はその年、中学3年であった。

 中学校の理科の先生から、こういうドラマがあり、大検という制度があるということを聞かされた。

 それで「大検」という制度を知ったわけであるが、まさか自分がその「大検」を利用して大学に行くようになるとは、思いもよらなかった。

 2018年8月6日現在、アマゾンの中古品につけられている額はなんと、最安値で17,463円。とてもではないが、手の出せる金額ではない。

 さらにこの「便覧」には、1990(平成2)年度版同様、サブタイトルもつけられている。

 その名もズバリ、「~勤労青少年のための勉学の手引き~」。

 これは表紙には明記されていないが、それをめくった1ページ目に、やや大きめの細字の明朝体で書かれている。文部省の認識は、来たる大検という制度の爆発的普及に伴う変質を予想さえし得ていなかったかのようなこのサブタイトルに、最も現れている。しかしその理念はともかく、実態は、この年のあのドラマから、大きく揺らぎ始めた。


大学入学資格検定便覧 昭和59年版

1984年5月刊行 文部省内生涯学習振興研究会 等 編 日本加除出版


大検が学歴に風穴を開けた年


 この年、「中卒東大一直線」というドラマが放映された。

 そのサブタイトルには、「もう高校はいらない」とあった。

 

 高校進学率こそ90%を超えていたが、大学進学率はまだ30%程度の時代。高校に行かずに大学に行くなどという「奇想天外」に見える進路は、本来、勤労学生の大学進学を念頭に置いて設計された制度であった。この年から、大検は世間の注目を集め、そして、受験者はうなぎのぼりに増えていった。


 この頃の大検にはまだ、「体育」の実技が試験科目としてあった。別に大それたことをさせられるわけではなく、体育館でバスケットボールを投げて、かごに入れられるかとか、そんなことをいくらか課していたとのことだ。

 しかし、翌1985年をもって、体育の実技は廃止され、合格要件となる科目数もいささか減らされた。

 共通一次試験(現在の大学入試センター試験)の受験科目が5教科7科目から5教科5科目に減らされたのと、ほぼ同じ時期である。


 私が大検を受験したのは1986年と87年の2年間。本来なら高2と高3の年である。

 私は、定時制高校に籍を置き、昼間はひたすら、自分の勉強をしていた。その定時制高校は、大学進学希望者に対しては、大検の受検を止めるどころか、むしろ、勧めていた。

 ~もしそうしなければ、進路の多様性を保証せよということで、文部省や県教委から厳しく指導されたことだろうからね。


 私が最初に書店で見かけたのは、1985年の便覧であった。

 これを読んで分析すれば、大検というものは、県立普通科高校に合格しうる力があれば、早くて1年、遅くても2年あれば十分合格する試験だということが理解できた。

 当時の定価は、確か、1500円前後だったと思うが(もう少し安かったかもしれない)、少なくとも私には、その金額以上の効果があった。

 大検は高認と名を変え、年2回受験機会を保障され、合格要件も大きく緩和された今となっては、実に貴重な資料である。


 2018年8月4日記事

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