第50話 大学入学資格検定便覧 2 便覧へのレクイエム
大学入学資格検定便覧 平成2年版
1990年5月刊行 文部省内生涯学習振興研究会 等 編 日本加除出版
大検「普及」の波に飲まれ、ひっそりと消えていった「便覧」
この「便覧」は、おそらく、この年で最後の出版となったものと思われる。
昭和末期、大検受験者、合格者とも、毎年過去最高を記録し続けた。
それまでなら公立高校を再受験して、といった青年たちには、無駄な時間を過ごすぐらいなら大検を利用してさっさと大学に、というムードが高まった。
俗にいう管理教育などにみられる硬直した学校体制が、それを後押しした。
また、高校卒業資格のない人たちにとっても、いくら高校卒業資格としては認められないとはいえ、大検を通じて、人生を切り開きたいという風潮が高まってきた時期でもある。
ちなみにこの前年から、大検は大学入試センター試験(旧共通一次試験)同様、完全なマーク式へと切り替わった。それはまさに、大検をセンター試験の「予備試験」のような位置づけに持ってきたことをも意味するとみてよかろう。
この頃から、後々大きな社会問題となる「不登校(当時は「登校拒否」。今思えば、生徒側にしてみると随分傲慢で無礼な表現ではある)」や「高校中退」の増加とそれにともなう学校教育に対する一定の根強い不信感が世上に大きくクローズアップされはじめた。
もちろんこの頃はまだ、大検から大学に進む生徒は一般的とは言えなかった。大検と大学入試、特に国公立大学や一定以上のレベルの難関大学の求める学力の差は大きかった。それは今でもさほど変わっているわけではないが、少なくとも大検に関しては、ますます世の中の注目を集め始めていた。
大学側も、この頃はまだ、大検合格者の受験は珍しかったものと思われる。これが東大や京大クラスなら、まだ一定数いたのであろうが、地方の国立大学では、かなり珍しいパターンであったろう。
通常大学受験の願書には、卒業した、もしくは卒業見込である高等学校の調査書、いわゆる「内申書」の添付を求められる。
実際にそれほど合否に影響しているわけではないが、一説によると「内申書」は、「本人確認書類」としての性格を持っているという。
もっとも、高校に通っていない、あるいは1年も経ずに退学し、大検に合格した者には、当然、そんな文書は提出のしようもなければ、そもそも作成のしようもない。
当時の大検は「勤労学生のための救済措置」という側面もあり、「定時制高校または通信制高校に在籍している者」については、受検資格を認めていた。当然、中退した全日制高校同様、定時制高校または通信制高校において取得した単位もまた、受検科目の免除対象となっていた。
実際私は、高1時点で要件の足りた現代社会と保健の2科目を免除してもらえた。別にそんな申請をせずに受検しても合格していたであろうが、使える制度は使わせてもらえばいいだけのこと。これは、ありがたかった。
私は、高校3年時に残りの1科目に合格し(2年次までに他はすべて取得していた。1科目のみ、勉強に手が回らず不合格となっていた)、定時制高校在学のまま、共通一次そして二次試験に臨むことになった。岡山大学の願書には、確かに、大検合格者には内申書を求めていなかった。そもそも求めようもないからだ。
だが、私にはもう一つ、定時制高校在籍という資格がある。確かに「卒業見込」ではないから、大検合格という資格で行けば、当時の要件では、内申書の提出は明らかに「不要」ではある。
とはいうものの、どうしても気になったので、在籍していた定時制高校の校長に聞くと、直ちに岡山大学の事務局に行って問い合わせて来い、と、「檄」を飛ばされ、翌日自転車で岡山大学の事務局に行って判断を仰いだ。
その結果、もし高校で作成してもらえるようなら、書いてもらって添付してください、という回答を得て、その日の夕方、高校に報告し、直ちに、内申書を作成してもらい、願書を提出した。
「大検合格」という受験資格に、卒業見込ではない高校の「内申書」。
今思えば不思議な取り合わせだったが、これは、合否判定に決して不利には働いていなかったように思える。合否判定をする教職員にとってはむしろ、新鮮な気持ちになられたのではないだろうか。
結局私は、岡山大学に現役の年で合格できた。ちなみに昨今では、そのあたりの扱いは願書一式に、どのような場合必要かは、どの大学も割にはっきりと明記しているようである。
これも、古き良き時代の名残のようなエピソードかもしれない。
さて、この便覧がいつ頃から発刊され始めたかはわからないが、少なくとも、この年あたりを最後に、書店では見かけなくなった。その代わり、大検予備校などが発行する、数年分の過去問集が発売されるようになってきた。大検絡みの書籍も、高校生用の学習参考書ほどではないにしても、年を追って増えてきた。
この便覧は毎年、「勤労学生のための情報」を掲載していた。今流の言葉でいうところの夜間主や通信制の大学・学部(ただし国公立のみ)や短期大学、定時制高校や通信制高校の情報も掲載されていた。
だがこの頃から、大検受験生は、そんな情報にはさしたる「用事」がなくなってきたのか、この「便覧」自体が大検のすそ野の拡大とともに、ひっそりと、消えていった。
そして次に出てきたのは、大学受験の赤本同様、数年分の過去問を掲載した「過去問集」である。勤労学生の行く定時制や通信制の高校や夜間主あるいは通信制の大学の情報などより、試験の過去問のほうが求められるようになったのは、必然であった。
高校や大学の情報など、今時の若者たちは、自分でさっさと集めに行く。何もそんな情報をこの「便覧」に書いてもらう必然性など、もはやなくなっていたのである。
だが、この「大学入学資格検定便覧」は、昭和期の「大検」を通して大学を目指した青年たちの大いなる「羅針盤」となる「情報源」であった。
大検普及の波に飲まれ、ひっそりと消えていったこの「大学入学資格検定便覧」。
その存在を、私は決して、忘れない。
2018年8月6日記事
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