第34話 不登校・高校中退者今昔
本章では、大検の普及、不登校や高校中退の社会問題化など、それまでの教育事情が激変していた時代を経験した人たちを紹介した。
社会問題化しつつあった時期とはいえ、この頃はまだ、周囲の理解がなかなか得られないところが少なからずあり、それにともなう葛藤や悲劇がまま見受けられただけでなく、経験者たちの心にも、第三者が見て明らかな傷が見られ、それゆえの悲壮感や切迫感も感じられた。
その「歎歌的」な様相は、大検と通信制高校の併用の一般化、不登校や高校中退問題のさらなる社会問題化とともに、かえって薄れていくこととなった。誰もが成り得る話だとなれば、周囲の目も変わってくる。そうなれば、当事者のほうも罪悪感など、感じる必要はなくなる。
以前なら「高校中退」と聞いただけでその親とさえ距離を置いていた人たちも、ああそうですか、それは大変なことですね、程度の反応をするようになった。
ともあれ、これだけ進路に関する情報が世に出た以上、それを取り入れて、あとは淡々と、次の道へと歩みを進めていけばいいだけのことである。
そこで無駄な逡巡や問答など、する必要もない。
こんな場合はね、ほらほら、こうしてこういうルートを活用すれば、あなたの道は開けるのですよ。
それさえ与えれば十分なのだ。
役立てようのない愛情論や情緒論など、そこに入る余地は、もはやない。
それがいいことかどうかの価値判断を私がここで述べることは控えるが、20年以上も時が経過すれば、社会も人も変わってしまうものである。
かつて「登校拒否」の子どもたちを無理やり学校に連れてこようとした教師や、大検について知りもしないのに「難しい」「18歳からしか受験できない(実際は18歳未満でも当然受験でき、18歳未満の合格者も少なからずいた)」などと言っていた教師たちは、とっくに定年を迎えている。
そんなことを言っていた彼らがインターネットを活用しているかどうか知らないが、中には相も変わらずテレビと新聞が情報源の、それこそ先ほど述べた「情弱」と呼ばれるような高齢者になっている人も少なからずいるだろう。
一方、当時「登校拒否」や「高校中退」などを体験した青少年たちは、すでに40代以上の中年。
彼らのほとんどが、少なくともインターネットを活用しており、情報にも敏感だ。
かつての教師たちがその頃のことを覚えていなかったとしても、やられた元「子どもたち」は、忘れていない。
彼らがそんな教師たちに今も恨みや不信感を持っているかどうかはともあれ、彼らを見習うことなどまずないだろう。もし見習おうものなら、たちまちネット社会の指弾でも浴びて「炎上」でも起こすのがオチだ。
そんな愚かなことを、元不登校生や高校中退者がするわけもない。
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