第24話 雨後のタケノコ
1990年代より、「通信制高校」の数は、飛躍的に増え始めた。まさに、「雨後のタケノコ」以外の何物にも表現し得ないほどの勢いである。
従来型の通信制高校は、レポートを提出し、決められた日(大体は日曜日)のスクーリングに行き、卒業要件を満たせたら卒業、という流れをとっていた。平日は丸まる仕事をしていても、あるいは自分で勉強ばかりしていても、日曜日が休みなら、無理なく通えるのだが、それとてある意味「硬直」した要素がないわけでもない。
そこで出てきたのが、私立の通信制高校、もっと言えば、
「広域型の通信制高校」
である。
本校は確かに学校らしい建物を用いているケースが多いが、各地の「校舎」は、はたから見ても「学校」には見えない。そこへ連れていかれて、いきなりこれが「学校」だと言われても、大抵の人は面食らうだろう。
しかし、そんな場所で十分なのである。
毎日来てもいいし、週1回でも構わない。
テストは確かにそこで受けるが、それ以外は基本的にいつ来て帰ろうが自由。
私服で別に構わないが、希望者には、いかにも高校生ですとアピールできるだけの「制服」さえある学校もすくなからずある。
これなら確かに、自分のペースで、自分がすべきことを学べる。一応、単位認定のためのテストはあるが、それ以外はいつ何をしていても「自由」だ。
「ズル」と言われかねないほどの「自由さ」。
それでいて、人とのつながりを作りたいと思えば、「校舎」のある駅前のビルに行けばいい。そこには、先生もいれば、他の生徒もいる。とりあえず、誰かと話ぐらいするようにはなるだろう。
かくして、完全に一人でこもりっきりになることを望みもしないのに「強いられる」なんてこともなく、行くところに行けば誰かいるし、一人でいたければ、無理にそこに行かなくたって大丈夫。
それを誰も、基本的には咎めることはない。
全日制高校の生徒とは違う時間帯に私服で歩いていたら補導されかねないと思うなら、制服でも着ておけば、その確率は格段と下がるし、いざとなれば、その「何とか高等学院」なるところの生徒だと言えば、相手も納得してくれる。
どうせ3年で「高卒資格」が得られるなら、無理してまで「高認」を受ける必要もないかもしれないが、通信制高校在学中ということなら、そちらを受けていち早く大学受験資格を確保し、大学受験の準備に進むことも可能だ。
いくらかは、卒業単位に認定もしてもらえる(ただし全部をしてもらうことは実質的に不可能)。
「高卒」などという学歴など、ぶっちゃけどうでもいいような高学力層は、そうすることで公立トップ校や中高一貫校の生徒に負けないだけの受験準備ができる環境を整えられる。
自らの環境を、自らの手で「究極の進学校」にすることも可能なのである。
一方、高校卒業資格が必要だが、大学などに進学する気はないとしても、ここでは「高卒」の資格を与えてくれる。
卒業すれば、それで晴れて最終学歴を「高卒」と名乗ることもできる。
その間複数のアルバイトをしつつ、様々な資格を取得する強者もいるという。
10代後半の高校生にとって考えられる「束縛」を最大限外した生活をしても、高卒資格を得られて大学や専門学校に進学できるのが、この手の「広域型の通信制高校」の、良くも悪くも「特長(!)」なのである。
40年前、大検の存在が世間にクローズアップされたころは、通信制高校もまた、日曜日にだけ学校に行って普段は郵便でレポートを送る学校、定時制高校といえば、夕方から夜にかけて通う学校、そんな程度のイメージしかなかった。
確かに大検は、全日制高校の閉塞感に風穴を開けた。もっとも、現実に大検だけでも救えたのは、国公立大学や難関私立大学に進む高学力層を中心とした、大学進学に重きを置いている層だけだった。
私は当時高学力層でした、などと言うつもりは毛頭ないが、私も、大検によって救われた者の一人であることは間違いない。
しかし、1990年代半ばごろから、フレキシブルさをもともと備えていた通信制高校は、冒頭で紹介した真鍋照雄氏のような識者によって、なじめない全日制や定時制の高校からの転編入、そして、大検との併用という形での活用法を生み出された。
これは、大検と通信制高校という両制度を、共に発展させる起爆剤となった。
通信制高校の卒業要件を満たすことができれば、「高校卒業資格」さえも得られる。極端な話でも何でもなく、例えば、通信制高校のサポート校になっている塾や家庭教師会社の事務所兼教室に通いながらでも、「高等学校」は「卒業」できるのだ。
実際、その事務所兼教室に卒業証書が送られてきた光景を、私も見たことがある。 何も大げさな卒業式などに出る必要もない。
大学を目指す者には高校「卒業」資格など、正直どうでもいいものなのだが(私がまさにそうだった)、高校卒業資格「こそ(!)」が必要な人や、何か目標をもって「まずは高校卒業資格を」という人にも、通信制高校は大きく門戸を開いたわけである。これなら人気の出ないはずがないし、学校数にしても増えるのは必然。通う生徒が増加の一途をたどっているのも、これまた、必然であろう。
このような柔軟さは確かに利点だとは思うが、最近の通信制高校について書かれた本によれば、卒業要件を認定する上での「簡素化」が文部科学省で問題になっていることもうかがわれる。
いわゆるサポート校に業務を「丸投げ」し、高等学校の卒業要件を実質的に緩和し、安易な高卒資格の付与につながっているとの指摘もある。
いうならこれは「ズル」をおおっぴらに認めるようなものだというわけである。
ただでさえ、全日制高校のように毎日通わなくてもよく、生活面においても「楽」にできるというので、それが許せないと言う人の主張もわからないではない。
私自身が定時制高校に行き始めた頃、養護施設にいた少し年下の人たちから「定時制高校に行きたい、朝ゆっくり寝ておけるから」などという声が上がったことがあるが、そういう生活面での「ズル?」程度の騒ぎではない。
運営者自ら、実質的な卒業要件をなし崩し的に緩くしている=「ズル」を大っぴらとまではいわずとも認めてしまうことは、単なる個人や家庭内の問題としてではなく、もはや、社会問題として扱うべきものである。
だがしかし、「広域型の通信制高校」へ向かう若者たちの流れは、今後も止まらないだろう。この動きは、全日制高校の関係者の間でも、危機感を持たれている。
その象徴的なエピソードを、ご紹介しよう。
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