第25話 高校教育の危機?! ~ 躍進する「広域型の通信制高校」

 この少子化で、どの高校も受験者や入学者の数を確保するために必死になっている。統廃合を余儀なくされる高等学校も増えている。とりわけ、地方の街外れの公立高校や定時制高校などにおいて、その傾向は顕著に表れている。

 もっとも公立高校の先生方は、統廃合があったからと言って、それで必ずしも職を奪われるわけではない。

 一方、統廃合や廃校が即教職員の生活に直結する私立高校は、どこも軒並み、生き残りをかけて様々な取組を行っている。それについてはおいおい述べていく。

 そんな中、「入学者」数を増やしている「高等学校」がある。

 それが、この「広域型の通信制高校」である。個々の学校では必ずしもそうではないかもしれないが、全体としては、決して無視できない数になってきた。

 もちろん、私立の全日制高校には学校を改革して受験者や入学者数を増やしている学校もあるが、ここではそちらについては省略する。


 兵庫県に居住していたときから始まってこの数年来、私は、兵庫県の私立I高校の塾対象説明会に参加している。I高校はこれまで男子校だったものを2015年に男女共学化し、この2018年で女子の1期生が卒業するという。

 共学化の前後の流れをしっかり追っていきたいという思いと、岡山県と兵庫県の相違点を把握するため、岡山に戻って以降も、毎年6月には神戸まで出向いている。

 I高校では毎年、竹田博文理事長(仮名)自らこの説明会に出席され、会の最初に塾関係者に対してあいさつする。

 竹田理事長は、2017年の塾対象説明会で、このようなことを述べられた。

 これが灘、白陵などといった進学実績の高さを誇る高校あたりなら、こんなことはさして意識する必要もないのだろうが、I高校は公立の中位の生徒をボリュームゾーンとして設定している学校である。どうしても、高校を「降りる」生徒たちも相対的に多くなる。まして少子化の時代、経営者としては意識せざるを得ないだろう。

 この発言は、生き残りをかけている全日制高校(とりわけ私立)全体の典型的な声を代弁していると思われる。


 (兵庫)県全体として高校入学者数が減っている中、「県外の通信制高校」への進学者数が、1000名を超えました。これは決して無視できる数字ではありません。先生方の中でそのあたりの状況をご存知の方、ぜひお教えください。


 I高校では毎年、6月の説明会の後、立食の懇親会を行う。

 そこで早速、私は竹田先生に申し上げた。

 この2年間にわたっての象徴的なやり取りを、まとめてご紹介する。


 「先生のおっしゃる、「県外の通信制高校」という定義に該当しうる学校への進学者数が増加したとのことですが、そのような兆候は、10年以上前から、確かにありました。私自身、その手の学校に進んだ生徒を何人か教えましたし、中退した生徒をその手の高校に紹介したこともあります(この後、先ほど述べた元担当生徒の例を述べた)」

 「そうですか、実は先生、I高校でも通信制に転学する生徒は、年に3人程度出ております。ただこれ、高校入学時点で「進学先」と選んでいる生徒だけで、この数値ですよ」

 「それでも私は、驚きませんね。実際、私の知り合いのNK高等学院の先生(この方も実は大検出身である)は、近隣市の公立中学校も回っておられて、それがきっかけでNK高等学院に入学した生徒もいるようですから、無理もないでしょう。もっとも、NK高等学院は兵庫県内ですから、「県外の通信制高校」には確かに該当しないように見えますが、この手の学校をカウントすると、1000人どころではないでしょう。他にも、兵庫県北部には元大検予備校の第一学院が、これまで茨城県の高萩市だけにあった拠点校のウィザス高等学校の分校を、ウィザスナビと銘打って開講しました。これだと、「兵庫県内の通信制高校」となってしまいますが、実態は、先生のおっしゃる「県外の通信制高校」とまったく同一ですね。もうひとつ、岡山操山高校の通信制過程のように、昔からある通信制高校もありますが、そこに途中から転入してきた広島県東部在住の女性がいまして、彼女は大検と通信を併用して短大に進学しました。彼女の例は確かに「県外通信制」となるでしょうが、ここでの定義とは、少し違う気がしますね」


 この話、さらに2018年の説明会でも、懇親会席上で竹田先生に述べた。定時制・通信制をはじめその手の学校に通う生徒に対する大人の目なども話題に上がったが、「県外の通信制高校」という表現を改め、「広域型の通信制高校」という表現にされた。

 本書でこの用語を使っているのは、竹田先生のこのときのお言葉に基づいている。

 

 「広域型の通信制高校に通う生徒が増えているのは確かですが、昔ながらの人は、そういうのは「ズル」をしているとか、甘えているという認識をお持ちの先生もいらっしゃいますよね。一概にそう決めつけるのも、どうかとは私も思いますが」

 「そうですね、岡山県北のM学園の理事長は、かなりの年配の方ですが、確かに、そのようなことをおっしゃっていました。もっともその系列のM大学には、高知県や沖縄県出身の、生活保護受給世帯や、それに近い生活水準の漁師さんの家庭も多く、彼らは実に親思いで、しかもハングリー精神が大いにあります。そんな学生さんが少なからず入学してくるのですが、皆さん優秀な成績で卒業しているそうです。そういう世界を見ておられたら、確かに、そう言われても仕方ないかもしれません。実は私も、公立の普通科高校に落ちて、定時制高校に在籍して大検をとって岡山大学に行きました。しかも、6歳から18歳まで、養護施設で育ちましたし。実は、私が定時制高校に行き始めたころ、私を見ていた少し下の子らが、定時制高校に行けば、朝寝られるからいい、などといって、施設の職員が呆れていましたが、まあ、「ズル」を助長しているように言われては、確かに、あまりいい気持ちはしませんでした。あ、実際は、朝寝転んでいるときは、結構ありましたね、最初のうちは。これでは、人のことは言えませんか。ただ、朝寝ておけるから定時制に行きたいとか、日曜のスクーリング以外は遊べるから通信制高校に、というのは、明らかに、何かが違います。私も、それはいかがなものかと思いますが・・・」

 「確かにね、そういう意識で広域型の通信制高校に行くというのは、どうかとは思います。でも、救いとなっている部分は少なからずあるわけですから、そこは理解していかなければいけませんね」

 「まったく同感です。この40年ほどの状況を見て、自分自身も経験したことと照らし合わせてみれば、この手の学校が注目を浴びるのは、私からすれば、必然だと思いますよ。まして公立の底辺校化してしまった高校などから、この手の学校に抜け出す率は、昨年申し上げた少年のように、いくらも出てくるでしょう」

 「ええ、確かにね。先生のおっしゃるところの郊外の公立高校あたりで、昔なら公立に行けなくてI高校に来ていたような生徒が、逆に、うちに落ちて公立高校に合格していくというパターンも増えてきましたよ」

 「でしょうね。そういう生徒でも、下手すれば、推薦の面接で教科絡みの質問をされてほとんどを「わかりません」と答えても合格しかねない(さすがに「沈黙」では不合格だろうが)レベルの公立高校は、確かに岡山でもあります。大体が周辺地域の高校か、学区の拡大でレベルダウンした、その地域の元名門校です。ちなみにその生徒、入学後間もなく、先生のおっしゃる広域型の通信制高校に「転入」しましたが・・・。その一方で、私立は軒並み、生徒募集だけでなく、学力向上にありとあらゆる手を打っています。どことは言えませんが、なかには、奨学金その他、これだけ利用すればほら、公立高校並みの学費で学べるとか、そういうことを塾対象の説明会で述べている高校もあります。これまでは公立の滑り止め校として、入試という名の「交通整理」さえしていればよかったのが、そうはいかなくなって、独自色を出さなければ生き残れなくなりましたから。岡山県の公立トップ校の岡山朝日高校のように、総合選抜を外す段階で、いささか高飛車気味に「レベルアップさせる」ことをちらつかせる程度では、変えられません。ですから、公立普通科高校に不合格になる、よしんば合格してもついていけないレベルの生徒を受け入れて、それを鍛えて3年後には岡山大学の現役合格ができるレベルに底上げする、というのを主軸にしている学校が多いですね。男子校の名門の関西高校など、まさに、その典型です。ひところは、やんちゃな男子生徒の行く学校のイメージもありましたが、今は、そんなイメージはほぼ完全に消滅しました。入試も、かつては典型的な滑り止め校の問題構成でしたが、最近では、公立高校の問題とは、あえて形を変え、5教科とも、意図的に文章をしっかり読ませて解答させる問題を作成しています」

 

 岡山県のような公立優位の県にある私立高校の多くは、以前は公立高校の「滑り止め」の要素が強かったし、現在もその役割がなくなったわけではないが、その一方で、何が何でもこの私立高校で、という生徒も増えている。私立高校でさえも、大きな変化を自ら興している時代なのだ。オープンスクールは何度も開かれ、どこも軒並み盛況である。そこでは進学相談と称する「青田刈り」とまではいわないにしても、「スカウト」的な会話さえ行われている。

 今の高校生たちの親の世代に当たる私たちの時代の高校選びの情報など、きょうび、全く通用しない。昔話として話すならまだしも、そんなものを進路選びの参考にしろとでも言おうものなら、今の高校生たちも(昔の私たちがそうだったように)馬鹿ではないから、そんな大人はひそかに無能の烙印でも押され、二度と話をしてもらいたいとも思われなくなるのがオチである。

 

 従来の「学年」や「進級」というファクターを通して「卒業」へと駆り立てていく、戦後の学制における「高等学校」というシステムに風穴を開ける動きの中心を担っているのは、間違いなく、「広域型の通信制高校」である。

 そこには、従来の全日制高校のようながんじがらめの「授業」や「部活」、そして「学校行事」などはない。もちろん、そう呼び得るイベントはどの学校も工夫して行っているのだが、それはしかし、全日制高校をはじめとする従来の「高等学校」のそれとは、幾分異質であるという気が、私にはしてならない。

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