第15話 不登校・高校中退110番、そして、高校中退通信の創刊

 真鍋氏は1990年代半ば頃から、大検取得から大学などに進む道だけでなく、さらにさまざまな道があることを、高校を「降りた」、あるいは今まさに「降りよう」としている若者たちやその親御さんたちのために知らせるための活動へと舵を切っていった。

 「不登校・高校中退110番」という活動も、その一つである。

 これまでの高校中退だけでなく、いよいよ社会問題化しつつあった登校拒否改め不登校になっている子どもたちの学習支援、中退者や休学中の生徒のための他の高校への転編入など、行き詰まった青少年とその親御さんたちのために、全国から相談員を募り、そこにまずは電話をかけてもらって、解決の道を共に探ろう、という趣旨のものであった。


 さらに、1998年頃より、北海道で大学教員を務める田中敦氏と私とで、ミニコミ誌の「高校中退通信」を創刊。数年にわたり刊行された。

 これまた、テレビなどのマスコミにも大きく取り上げられた。

 1990年代から2000年代の初頭にかけての十数年間にわたって、真鍋氏のもとには、全国から様々な電話がかかってきた。真鍋氏自ら出向くこともあれば、真鍋氏のもとを訪れる人も少なからずおられた。

 大検に続き、高校中退とそれに伴う高校の転編入、そして不登校。

 社会問題化しつつある問題に対し、真鍋氏は全国から有志を募り、相談を受けるだけでなく、的確な情報の提供はもとより、それに基づいた、個々の若者たちに対する解決策の提示、希望者に対する学習支援と、様々な形でこの問題に携わっていった。

 中にはうまくいかなかった例もあるが、真鍋氏のアドバイスのおかげで立ち直っていくきっかけを作れた若者やその親御さんたちも、たくさんおられる。


 この頃までは、不登校や高校中退(転編入のうちの「転入」も含む。転入の場合は高卒要件の「連続して3年以上」に合致するが、中退してからの「編入」は、空白期間ができるため、3年間での卒業が不可能になる)、あるいは大検の受検に向かう人たちには、程度の差はあれども、どこか、悲壮感のようなものが見え隠れしていた。

 その「悲壮感」を打破していくきっかけとなったのが、「大検と通信制の併用」という手法であった。

 ちょうどこの時期、真鍋氏は通信制高校の柔軟さと可能性に目をつけ、大検と併用することによってできるだけ早く、しかも確実に大学受験資格を得られることを世上に大きくアピールした。これで、これまで学力上位層を救ってきた印象の強い大検だけでなく、学力面で不安のある不登校生や高校中退者たちをも大きく救うきっかけを与えられることとなった。

 もっとも、定時制高校及び通信制高校の最低修業年限が3年に引き下げられたことで、無理に大検(高認)の合格を目指さなくても、通信制高校の単位を認定されさえすれば、単なる大学入学(受験)資格だけでなく、高等学校卒業資格、すなわち、「高卒」という「学歴」さえも得られるようになった。

 それは単に通信制高校を飛躍的に発展させるだけでなく、「大検(高認)」というペーパーテストによる資格試験さえも「飲み込み」、実質的な発展的解消へと向かわせている様相さえ出てきている。

 一連の真鍋氏の地道な取組は、やがて、現在の通信制高校の飛躍的な発展へとつながっていった。


 それは、高校を「降りた」若者たちの「悲壮感」やルサンチマンに満ちた影を大きく取り除いていった。

 私が見る限り、高校を中退するなどして広域型の通信制高校に学ぶこととなった近年の若者たちには、そんな「悲壮感」は、さほど見受けられない。

 いわゆる「いじめ」などによって不登校になっても、社会的な理解は十分得られるし、対策も取られている。

 もちろん不十分なケースは相変わらず見受けられるが、それに対する社会の目は、1980年代の頃とは比較にならないほど、「いじめた」者やその両親たち、さらには教育・行政関係者たちにとっては、厳しいものとさえなっている。

 今時、「高認は難しい」とか、根拠もないことを述べる教育関係者がいようものなら、インターネット上において厳しく叩かれ、下手すれば「炎上」とやらを起こすのがオチだ。


 高校中退通信を創刊し編集長となった田中敦氏は、現在、大学講師のかたわら、NPO法人の代表者として「引きこもり」問題の解決への取組をされている。

 田中氏の著書によれば、引きこもりは青少年たちだけでなく、いまや中高年者にも起こっているという。かつては若者の「ズル」の一種のように思われていたが、この問題は今や、若者特有の問題などではなく、それまで特に問題のなかったはずの中高年者でさえ、そのような状況に追い込まれることもあり得るという認識がなされるようになってきたというわけである。

 不登校や高校中退はまだしも、引きこもり(いわゆる「ニート」も含む)の問題に至っては,老若男女問わず誰もが意識しなければならないばかりか、誰もが成り得る可能性のあるものとして意識され、今や社会問題となっている。


 さあ、この状況を救う制度やシステムには、どんなものがあるだろうか? 

 また、どういう「取組」がなされるべきであろうか?

 

 それは、私にはわからない。

 個々の社会問題はもとより、一人一人の当事者らについてはそれぞれの事情があるわけで、どんな例においても一般的な手法ですべてを解決することなど不可能である。しかし、この状況を打破するための制度やシステムをうまく活用することを指南し、人を救っていく人物は、今後も、どこかで出てくることは間違いない。いや、今日もまた、どこかでそんな人物が活躍しているはずである。

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