第13話 人とのつながりをどう作ればいいか?

 私の場合、烏城高校という学校自体を、あてにも頼りにもしていなかった。

 誰だって、普通はあてにも頼りにもされたいもの。

 それなのに、頼りどころかあてにもされない方としては、無視だか敵視だかされているようで、面白くもないかもしれない。さらに、どう見てもこいつは、この学校を「足場」のようにしているぞとなれば、なおのこと。


 周囲には、これでだめなら次はこの手と、「説教ごかし」のわかったようなことを言う人もいる。彼(彼女)らは、なまじ「ためを思って」言って来るだけに、性質が悪かった。だが、学校という「機関」は、自分自身の人生を築いていく上で「利用する」ものである。

 必要のあることはとことん利用するが、必要ないことはいっさい利用しない。

 そんなことは、社会で生きていく上で、誰もが当然行っていることである。それが学校の話となると、やおら情緒論や仲間意識を強調しだす人たちは、昔も今もいる。

 情緒論が悪いとか、仲間意識は無駄だなどというつもりはない。

 だが、それらは後からついてくるものに過ぎない。

 幸い、私には自分の話を真剣に聞いてくれる人が2人いた。

 一人は岡山大学鉄道研究会の先輩、もう一人は、中1のときの担任だった先生だ。

 それに加え、烏城高校という「足場」があったわけで、そこの先生方と勉強の話とか何とか、そういうことをするだけでも、精神的に煮詰まらないようにするには、大きな効果があった。ある意味、プロ野球関係者のような考え方ではある。

 だが、あてにも頼りにもしなかったからこそ、先生方はむしろ力になってくださったし、今に至るまで、卒業生として扱ってくださっているわけだ。

 私が高校時代に学んだことで一番大きな財産は、まさに、そのことだった。


 「友だち」がどうとか「恩師」がどうとか、愛校心がどうとか母校愛がどうとか、それらは、その過程で後からついてくるものに過ぎない。

 「金は後からついてくる」というが、お金については、その反面、「先立つもの」という要素もまたついて回る。

 しかし、友人とか恩師とか愛校心とか母校愛とか、それらに共通しているのは、「先立つもの」の要素がほとんどないことだ。そういったものを追うヒマがあれば、自分自身と向き合い、目標に向けてひたすら進むことのほうが肝要である。


 何より大事なことは、自分自身としっかり向き合い、情報を得て目標を打ち立て、次のステップへと必死で努力していくこと。

 それが、私が高校を「降りて」様々な経験をしたことによって得た「結論」である。

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