第11話 真鍋氏との出会いとテレビの取材

 先にご紹介した岡山県玉野市の真鍋照雄氏は、当時、山陽新聞のちまた欄などに度々投書をされていた。普段は私塾を自宅で経営されていたのだが、その一方で、10代後半の若者たちが道を開いていくための活動もされていた。

 ちまた欄への投書も、社会を啓蒙するための手段の一環であった。

 ときどき新聞でお名前をお見かけしていたのだが、大学受験終了後、思うところあって真鍋氏と連絡を取り、玉野市の自宅に伺った。当時真鍋氏は、「大検」という制度を世に広めるための活動をされていた。1988年3月初旬のことである。奥さんは看護師で、息子さん1人と娘さん2人がおられた。一番上の息子さんは当時小6だった。今は皆さん、成人されている。

 真鍋氏は、若者やその親御さんの相談を多数受けていた。また、テレビやラジオの取材も積極的に受けていた。

 私と違って真鍋氏はものすごく温厚な方なのだが、その頃の教師や教育関係者に対しては、私以上に不信感と怒りを持っておられた。私は岡山大学の第二部法学科に通いつつ、昼間は印刷会社で写植を打つ仕事をした。残念ながら、アルバイトではなく正社員だったので、自由があまりなかった。それでも、時間の許す限り、真鍋氏が玉野市の自宅で主催した「大検の集い」のアシスタントをしたり、真鍋氏の紹介を受けて、テレビの取材も受けたりもした。


 大検絡みで大学在学中にテレビに出たのは、2回ある。

 ひとつは、日本テレビの名物番組、ズームイン朝。こちらの放映時間、寝過ごしてみることができなかった。だが、全国放送で取り上げられるほど、1990年代初頭には、すでに、大検という制度は社会的に一般化していた。

 もう一つは、ズームイン朝に出る少し前の確か1989年12月頃、テレビ朝日系の瀬戸内海放送の夕方のニュースの取材を受け、後日放映された。当時インタビューをされた記者からの質問で、今も忘れられないやり取りがある。


 「大検から大学に行くとなれば、高校にいるときのように、友だちなどとのつながりが持てないのではないか?」

 この質問に、私は、こう答えた。

 「普通に高校に行くよりも、友だちなどとの人間関係を作る機会は、確かに少ないかもしれませんが、それは工夫次第で、総合的に克服できるものです」


 これは、当時の「大人」たちの共通の疑問であった。というより、この制度を使って道を切り開いていく上では、昔も今も、最大のテーマである。

 確かに、大検という制度を利用して大学に行くことは、人とのつながりを作る機会が圧倒的に少なくなる。形だけでも高校に行っていれば、人とのつながりはそれとなく作れるし、同性ばかりか、異性の友人もできよう。もっと上手くいけば、生涯の伴侶となる人に出会う可能性さえもある。

 翻って、大検という制度は、あくまでもペーパーテストの合格をもって大学受験資格を与えるもの。そこに、高校生活とか、友情とか仲間とか、そんな言葉の入り込む余地はない。かつての司法試験同様のシビアな世界だ(試験の難易度の問題ではない)。

 先ほど述べたよつ葉園の尾沢指導員のような意見を持つ人がいても、何ら不思議ではない。


 「大検を受験して大学に行くのもいいが、高校で同世代の友達を作って、一緒に勉強することも大事じゃないか。それがないのも、寂しい話だ」


とかなんとか。その言葉を、冷静に分析してみることとする。

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