読書日記について

 小さいときから、聞き分けのいい子どもでした。お父さんの言う通り勉強をして、お母さんの言う通り他人にはできるだけ優しく生きてきました。

 『手のかからない子』というのが褒め言葉であるならば、私はよくできた人間だったと思います。

 高校を卒業した私は間もなくして、『先の短い病気』とやらになりました。お母さんは泣いていましたが、私は泣けませんでした。当事者である私より泣いているお母さんを、少しだけ憎く思いました。

 私は最後まで、大学には通うことにしました。せっかく払った学費ですし、それに、大学にはまだ読んだことのない本が沢山あります。読書が、私の唯一の趣味でした。

 山のようにある本の中から、知っている作者のものを抜き取っては借り、一週間のうちに読み終える。

 それを何度か繰り返しているうちに、一人の男の人と出会いました。たまたま同じ本を借りようとしていたらしいのですが、どうも彼からは生きる活力というか、読書をしようという、私にとっては呼吸に等しい熱量さえ感じられませんでした。

 私はふと思いました。最後くらい、人に迷惑をかけてから死んでやろうと。これだけいい人間であろうとした私のことも無情に殺してしまう世の中です、少しくらいの爪痕を残してもいいじゃないですか。

 この人に、恋というものをさせてやろうと思いました。色んな本を読んできましたが、そいつが人間の感情の中で一番厄介だからです。どうせつける爪痕なら、深い方がいいと思いました。

 ただ問題なのは、私自身がその感情に陥ったことがないということでした。どうやったら人は人を好きになるのでしょう。

 少し悩んだ挙句、ひとまず、私の好きなものを知ってもらおうと思いました。彼もまた何かを考えていたようですが、私の差し出したいくつかの本を受け取って、「ありがとう」とだけ言いました。

 それから、毎週の日課が一つ増えました。自分の本を借りるついでに、彼が読む本を見繕う。そんな、奇妙な日々が始まりました。

 そして一ヶ月が経つころ、彼は簡単な感想をまとめてくるようになりました。私はそれを読むのが、下手な小説を読むよりも好きになってしまいました。

 ところで、私の作戦は見事に失敗していました。どれだけ時間が経っても、私たちの関係性は変わりませんでしたし、ついぞ「好き」なんて言葉の一言すら私は引き出すことができませんでした。

 次第に、私は大学に行けなくなりました。なんてことはありません。ただ、それだけ時間が経ったというだけのことです。

「私が貸した本のこと、忘れてほしくないです」

 これは私が彼にかけた、呪いの言葉です。

 きっと流されやすく愚直な彼は、私を忘れないように生きるでしょう。なんなら私のことを忘れないために、少しでも長生きしようとしてくれるかもしれません。

 でもそんなのは本当のところどうだっていいのです。

 私が彼を好きだから、呪っただけなので。

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