22:死卿〔デスロード〕2

―――――



 ガンビア山地を北東に下り、アヌンダドゥー盆地を目指す。

 ガンビアの北側は森林地帯になっている為、盆地に入るには天使溺死川ダヴィティ・アンジェに沿って進むのが旅路に向いている。

 盆地に入る前には砂利採取場が広がっている為、迂回を余儀なくされるが、道らしい道のないこの地域では川の流れが目安になる。

 迂回する頃合ころあいが、リビングストン子爵領への入り口となる。


 この辺りには、比較的大型なネコ科のジャガーやオセロットが棲息しており、本来旅には向いていない。

 抑々そもそも、ガンビアには集落がなく、道も通っていない為、南西から盆地を目指す事自体が稀有けう

 それだけに、ガンビアで身を隠すのは適切であり、アイナの選択が正しかった事への裏付けになる。


 子爵領に入る手前、最後の野営。

 最後とは云っても、それはあくまでも領内に入る迄の話。領内に入ったからと云って、宿に泊まれる保証はない。恐らく、野宿は続くだろう。

 そんな中、マリアから幾つかの注意事項を告げられる。

 それらは今迄聞いた事もなかった内容ばかりだったので、俺は声に出して反復し、必死に覚えた。


 ――世の中、知らない事が多過ぎる。


 旅に出て、初めて貴族領に入る事になる。これ迄は王国内の土地を、街道や集落、あるいは自然の中を歩んできたけど、それらは王国の直轄地だったらしく、特に変わった印象はなかった。

 それは故郷のラゴンも含まれていたから、特段違和感はなかった。

 しかし、貴族領と云うものはかなり違うようで、王国の法とは全く別の、その地域を治める領主による独自の法が存在しているらしい。ディナンダは正確には貴族領の飛び地らしいけど、交易地や宿場町としての立場から自由が保障されていた。

 貴族領の本地ほんちは全くニュアンスが違う。

 領民はわば貴族の所有物で、その処遇は農奴のうどらしい。つまり、領民は他の地域に出る事さえ出来ない。追い出されたとは云え、俺は自由民だったので旅に出られたって事になる。

 もっとも、自由民なんて待遇や言葉すら初めて知ったんだけど。正直、自由民と農奴の違いを俺は理解していない。


 マリアから注意を受けたのはず、子爵領の領教は、“救世教ぐぜきょう”と云う一神教だという事。

 領教ってのは、その領地において認められた宗教の事らしく、程度の差こそあるものの、信仰へは制限がなされているよう

 救世教ってのは、実は以前から知っている。所謂、敎會きょうかいってヤツだ。大都市や貴族、分限者ぶげんしゃに人気のある宗教で、たった一柱の神のみを信仰するって云う風変わりな宗教。王国の北にある聖都ってのは、この救世教が統治している都市だ。

 たった独りの神様が一体、どこ迄御利益ごりやくもたらしてくれるのかは不明だけど、兎に角、マリアはこれに注意しろ、と。

 どうやら、マリアの所属している結社と敎會は仲が悪いらしい。


 そして今回、釘を刺されたのが、宿から出るな、だ。

 正確には、拠点から出るな、と。

 今回の任務は、今迄とは比べ物にならない程、、だと。

 当然、今迄も俺からすれば全て危険に変わりないのだけど、その脅威の度合が違う、と。


 その理由わけが、死卿デスロード――


 今回、狩りの対象となる鬼衆きすは、死卿しきょう、と云うらしい。

 鬼衆には種別があるんだと。

 各々の特徴が違う事くらい、何匹か見たんで俺でも分かるけど、種別ってのは初めて聞いた。

 ごく一般的な鬼衆は、一つの變容態メタモルフォーゼを持つ。中には二つも三つも變容へんようする個体もいるらしい。また、特異な性質や能力を有する個体もいるらしい。こういう変わった種別を稀代種きたいしゅと呼ぶ。

 他にも翼種よくしゅ畸形種きけいしゅ、野獣種等がいる。野獣種とは違うらしいけど、獣化した鬼衆もいるらしい。今回の鬼衆退治とは無縁なので、詳しくは教えてくれなかったけど。


 問題はこの死卿しきょうと呼ばれる存在。

 鬼衆であり乍ら、鬼衆を超えた存在、と。名目上、鬼衆の上位種と位置付けられている。

 でも、実際にはどのような存在なのか、よく分かっていない。

 少なくとも、マリアはらしい。


 マリアは、死卿と闘った事が、出会でくわした事がない。


 ――正直、驚いた。

 鬼衆退治の専門家であるマリアが、死卿に限ってはと云い放った。

 推測、予想は立つが、その全ては憶測に過ぎない、と。

 少なくとも俺は、マリアは何でも知っていると思ったし、実際、何でも知っていた。旅の事、鬼衆の事、刈人かりゅうどの事、そして、ディーサイドの事。

 そんな物知りな彼女が、死卿を、死卿の事はよく分からない、と云った。

 衝撃的、だった――

 何より、分からない、と云う事実を俺に嘘偽りなく告げてみせた。


 だから、今回は、今回だけは、絶対に言付いいつけを守る。

 宿から、拠点から出ず、首を突っ込まない、って。

 それくらい、想像出来っこないけど、途轍とてつもなく危ないって。


 唯――

 どうしても気になっている事がある。

 それはこの貴族領での鬼衆退治とは全く関係のない話。

 ガンビアでの出来事。

 ――そう、それは……


「ねえ、マリア――訊ねたい事があるんだ……」

「――なんだ? 聞きたい事があれば今の内だ」


 ちらりとを覗く。


「左手の事なんだけど……」

「――ああ、」


 握った左拳を胸元に迄引き上げ、

「隠し通せるものではない、か――」


 手首を返し、五指を開く。

 ――あっ!

 そのてのひらには、醜怪グロテスク癰疽ようそが広がっている。まるで人の、いびつにゆがんだ人の顔のように見える大きな腫れ物。

 マリアの綺麗な手に、似付かわしくない不気味な腫瘍。何か、なにか悪い菌でも入っておかされてしまったのだろうか!

 ぐじゅる――

 う、動いた!

 その腫れぼったいまぶたごとき突起物が裂け、眼球とおぼしき組織が現れ、分厚い唇を思わす傷口、いや、ひだ状の裂傷ががぱりと開く。


「よう、ガキ! こんばんはッ! 人面疽じんめんそのおじさん、だよ」

「うわぁぁぁぁあああっ!!!」


 しゃ、しゃべった!

 やっぱり、ガンビアでマリアを止めた時、左手にちらっと見えた蟹足腫かいそくしゅの様なものは、んだ!

 思えば、ブーブーゲエの沼地でも、これと同じ声が聞こえた気がする。

 んだ!

 コイツは、ずっと前から傍に、マリアの左手にひそんでんだ!


「マ、マリア! こ、これは――コイツは一体、なんなの!!?」

「――こいつは、ダミアン。わたしに取りいている化物、いや、蟲だ」

「虫?」

「――寄生虫…のようなものだ」

「おいッ、マリア! 寄生虫扱いとはひでぇーなまったく! ま、その通りだが」


 う、うわぁ……

 凄く悠長に喋るぞ、

 マリアは、マリアは平気なのかな、こんなのが左手にいて。

 ――それにしても……


「……どうして教えてくれなかったの、その左手のこと」

「――こいつが暴走していなければ、教えるつもりはなかったし、今も答えてはいなかっただろう」

「え!?」

「こいつの正体は、――わたしにも分からない」

「ええっ!」


 マリアにも分からないって。

 それじゃあ……

 丸きり、死卿デスロードと同じじゃないか!


「わたしにさえ分からんモノを、お前や他の者に伝える筈もない。不安を増長させるだけ。恐らく、鬼衆のなり損ないか、鬼衆のなれの果て、そんなところだろう」

「おい、マリア! わしをあんな汚らわしい下等生物と一緒にするな、と前からうておろう?」


 ば、化物……


「……じゃあ、お前はなんなんだ!」

「おっ! こりゃ、ガキィ! 年嵩としかさへの口のき方がなってないな? お主の顔、べろべろ舐め回してやろうか!」

「! ……や、やだっ」

「兎も角、儂は鬼衆共のような低位の存在じゃあない! 例えるなら神や悪魔、聖霊らと云ったはるかに高次元の存在だ。多分、この世界で十指じっしに入る超越者と云っても過言ではなかろう、恐らくは」

「ええーっ!!? い、一体それは??」

「――……した」

「? ……ど、ど忘れ?? えっ?」

おうよ! マリアに取り憑く前のこたぁ~、ぜーんぶまるっと忘れちまった」

「う、うそーっ!!!?」

「でぇーじょぶだぁ! 時折、思い出す事もあるッ、ごくたまになぁ!」


 ひ、酷い!

 こんな不気味で醜い訳の分からない腫れ物、しかもこんなにも出鱈目な物言ものいい……

 どうして、マリアはこんな気色の悪いをその儘にしているんだろう?

 俺だったら――


「マリア、どうして? どうして、そいつを……」

「――ああ、色々試した」

「た、試したって?」

「人面疽をこそぎ落としたり、手首を斬り落としてみたり、水の中で溺れさせたり、炎で焼いてみたり、薬液にけてみたり、毒を盛ったり、陰鐵いんてつで突いてみたり、わたしの血で斬りつけ飲ませてみたり……思い付く限りの方法でこいつを取り除こうと試してはみたが、どれも上手くいかなかった」

「えええーっ!? そこ迄しても駄目だったの!!」

「クカカッ! 当たり前じゃい! 儂とマリアは一心同体。儂だけ殺そうなんて、出来やしねぇーのさッ!」

「――一応、日光に当てるとこいつは眠る、という事は分かっている」

「別に暗いほうが好きなだけじゃい!」


 呪い? 病気? 魔術? 副作用?

 どうしてマリアに、こんな訳の分からないもんが取り憑いているんだ!?


「あのなぁ~、ガキ? お前さん、さっき、儂に何者なにもんかって訊ねたよな?」

「……――ああ、うん」

「じゃあ、同じ質問を返してやろう。ガキッ、お前さんはだ?」

「えっ!?」

「お前さんは何故、存在しとるんじゃ? 何の為に生まれ、何の為に生きている? どうしてお前さんは人間なんだ? 何故、お前さんは鬼衆じゃないんだ? 何故、マリアに着いてくる? 何故、マリアに迷惑をかけるんじゃ!」

「!? ……――そ、それは……」

「答えられんだろ? あのなぁ、ガキィ。儂もマリアも、そして、お前さんも、本来の、根幹的な存在理由なんざ、知らねぇーし、分からねぇ~んだよ」

「あ……う、ううっ」

「知らねぇーし、分からねぇ~からこそ、己で存在意義を定め、求めんだよ。マリアは鬼衆を斃す為、儂は生きる為、それだけ。たったそれだけのシンプルな理由で、存在を証明できんだ。んで、お前さんはどうなんだ? 何故、存在し続ける?」

「――…………お、俺は……」


 ……俺は、いったい――

 こいつの云う通りだ。

 マリアも云っていた。アイナを斬った後、闘い続けるその理由を。それが存在証明レゾンデートルだと。

 自分を、俺は俺自身が俺で在り続ける意味を、存在し続ける理由を、説明できない。抑々そもそも考えた事もなかった。

 ――いな

 感じてはいた。

 無力な自分を、何も出来ない自分を、マリアを助けたいと。


「……お、俺は、――マリアを……マリアを守る為、そして、マリアの名を呼び続ける為にいるんだ!!!」

「!? ――……ヨータ」

「クカカッ! お前さんがぁ? お前さんみたいなちま子供ガキが、強靱で屈強な半死半生はんしはんしょうの戦士であるマリアを守る為だってぇぇぇ~? マリアの名を呼び続ける為だとぉ~? クカカカッ」

「くっ……」

「なかなか、答えじゃねぇか、小僧こぞう! 気に入った。マリアとの同行を許してやる」

「!」

「だったら小僧、強く、賢くなれよ? じゃねーと生き残れねぇーからなぁ? 生き残らにゃ、マリアを呼び続ける事なんざ出来やしねぇーからなぁ~、クカカッ」


 こんな、白地あからさまに怪しげな人面疽にはげまされるなんて。

 どうかしてる――

 ――俺は。


「――相変わらず、よく喋る化物だ。そろそろ黙れ」

「へーい。まぁ、小僧。なんでもいいが、マリアに迷惑だけはかけるなよ!」

「……うん」


 不思議だ――

 急に、旅の共が一人、いや、一匹増えたと云うのに、その奇妙な存在ひだりてより、今は別の事で考えさせられている。

 存在意義、存在理由、存在証明――

 考えもしなかった。

 なぜ、

 俺は、んだろう。

 どうして?


 ――存在価値とは……

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ディーサイド・ブラッドボーン ~ 神を殺すもの ~ 武論斗 @marianoel

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