21:死卿〔デスロード〕1

―――――――  8  ―――――――




 冷涼ひんやりとした石造りの室内はおごそか。

 ごく自然な風の流れはかれたこうが籠もり過ぎるのを塩梅あんばい良く換気し、適度な湿度を保つ。

 天然の地下洞と水脈に手を加えたその空間へやは、殊更ことさら神秘性を促す意匠に凝った調度品を益々ますます魅力的に映す。

 誰かに見せる訳ではないにも関わらず、そうこしらえた意図は、明らかに内的な事情。そうあるき、と解釈した精神性。ひとえに、肺腑おもわく


「君は、――何故、神が、神の奇蹟が見える者と見えない者がいるのか、説明できるかい?」

「……――信心しんじんすなわち信仰心。神への祈り、深い帰依きえもたら霊験れいげんへの確信。神は見るものではなく、るもの。奇蹟はしるしとして現れ、見るものではなく気付くもの。見える者がいるのではなく、また、見えない者がいる訳でもなく、願うか否か、心を開くか否かの想いにるもの」

「――実に、宗教家ぼうずらしい見事ななしかただ。俺が欲する解答を否応無いやおうなしに 誤魔化はぐらかす。取り付く島もない」

「――……」

「俺の見解を伝えよう。あくまでも人間に限っての話だ。動物的な感覚での話ではない。もっとも、獣に神を問うた処で何の意味もなさないが――この時点ですでに一つの真理に達してはいるのだが、緩慢な君には分かろうはずもない、か」

「……」


 額の汗をぬぐう。

 僧衣キャソックまとった中老の男は、横柄な態度で椅子に腰掛ける金髪の若者相手に、明らかに気圧けおされている。せわしなく十字聖印トート・ミスティカもてあそさまからして明らか。


「人には知性がある。故に、見るもの、見えたもの、見ようとしたものは、その目を通して捉えた像をして、そうする。重要なのは、判断。これが獣であれば、感覚器で受信した外的刺激に対してそのまま反応するだけだが、人は判断するが故、意嚮いこうが影響する。

 例えば、――影。獣であれば単に暗所と知覚するが、人であればそれは光を遮った結果齎された暗がり、と判断する。獣であれば単なるだが、人はと認知する」

「――……」

「意嚮とは思惑。つまり、神とその奇蹟を信ずる者は、その威光にすがる思惑があるが故、意嚮によって像をつむぐ。要は、己の考えが、心の持ちようが、像を形成し、そう意識する。これを心象イメージと云う」

「…………」

「錯視、という現象がある。生理的な現象であり、目の構造が、視覚が正常であるが故の錯覚。君らの礼拝堂の天井画クアドラトゥーラ、あれは騙し絵トロンプイユたぐいなので正確には錯視とは云えないが、視覚的な変調を齎すものと考えれば、そう遠くはない」

「……何が云いたいのだ」

「そうくな。物事には順序がある。君らの敎會きょうかいに序列があるのと同じように、秩序だった積み重ねが、ものを理解する上で肝要なのだ。知る、という事は積み重ねの結果だとわきまたまえ」


 息苦しい、そう聖職者は感じている。

 見当がつかない事への不安。

 親子程年が離れている、少なくともそう見える小生意気な若造の言葉の趣旨が掴めない。

 何を意図しているのか、何を目論もくろんでいるのか。

 分からない事が得も言われぬ焦燥感を招く。

 決して暑くもないのに汗が止まらない。直感的な怖れが、そうさせている。


さて、ここで改めて君に質問だ。ヤギの角が生えたブタの頭を持つライオンの体をした獣がいたとしよう。君はその獣を目にした時、それを何と説明する?」

「……――その儘。山羊の角を生やした豚の頭部を持つ獅子の体をした動物、そう伝えるだろう……」

素晴らしいブラボー! 見事な解答だ。最初から素直にそう答えてくれていれば、俺も長々と話す必要はなかったんだがなあ?」

「……な、なに?」

「仮に、その獣、――ヤギの角、ブタの頭、ライオンの体を持つ奇妙な獣が実は、サル、だとしたら、君はどう説明する?」

「――巫山戯ふざけている。そんな猿はいない!」

「なぜ?」

「そんな姿をした猿など、見た事もない」

「――なるほど。では、その奇妙な獣が仮に、カミ、だとしたら?」

「!? ば、馬鹿げている! 神はそのようなお姿をしてはいない!!」

「なぜ?」

「なぜ、だと? ――そんなのは、……当たり前だ!」

「見た事があるのかい、君は? カミの姿を」

「! ――……」


 額から滝のように流れ出た汗が目に入る。

 みる。

 視界がぼやける。

 腹立たしい。

 何が?

 冒涜しているからだ、若造が、神を。目に沁みた汗への苛立いらだちからではない、決して。


素晴らしいブラボー! 実にブラボーだよ、君」

「!?」

「今の奇妙な獣への解答、一見矛盾しているように思えるが、実は理路整然としている。気付いているかい、君ぃ?」

「……な、なにっ」

「奇妙な獣をサルではない、と否定したのは、そんなサルを見た事がないからだと云い放った。同じく、奇妙な獣をカミではない、と否定したのは、カミはそんな姿をしていないからだ、と。共通するのは、、って処だ」

「――……」

「見た事がないにも関わらず、即座に否定できた君は、実に見事。賢いし、知性的。実に、実に


 ねっとりと絡み付く風。

 いつもであれば、爽やかで涼しげ。

 ――にも関わらず、今はまるでまとわり付くよう

 過敏になっている、外気に対して。

 発汗のせいか、あるいは、鼓動の高鳴りか。

 どちらにせよ、いつもとは違う、一種異様な雰囲気に飲まれる僧。


「奇妙な獣を、サルではない、カミではない、と。そんな筈はない、と即座に否定できた君は、しかながら何故、奇妙な姿をした獣そのものは否定しなかったのだろうか? そんなものはいない、と」

「――そ、それは仮定の話。当初の質問における大前提故、否定しなかっただけだ」

「おかしいな? 奇妙な獣がサルにしてもカミにしても、こちらも全て仮定の話なんだが?」

「それは言葉のあやというものだ」

「いいや、違う――言葉、ではない。心象イメージ。君はイメージしてしまったのだよ、奇妙な獣の姿を」

「!?」

「本来、奇妙な獣の姿をイメージしてしまった。つまり、見てしまったのだよ、君は。君の心の中で。

 そして同じく、見た事のないサルはサルではない、カミの姿はそうではない、と分類カテゴライズした。結果、奇妙な獣は、サルではなく、亦、カミではなく、別のナニか、と企劃きかくした」

「――……」

を“錯知デルージョン”と云う。予め与えられた情報を元に擦り込まれた像を脳内で形成し、思い描く。描かれた像は、決して見てはいないものの、見たものと錯覚し、そう見えてしまう。亦、逆もしかり。

 実際の視覚情報ならざる知覚から記録・分析し、具象化してみせた。つまり、人は知性に因って視覚ヴィジョンを左右してしまう。自らまぼろしを見てしまう生き物なのだよ、人間とは」

「――……一体、それが何を……」

「そう、――本題は此処ここからだ。君らに手伝ってもらいたいのだよ、を」

「……創作?」

「捏造された俗信・迷信の類、あたかも真実の様な、創られた伝統、都市伝説、噂、まことしやか作り話――そう、偽伝承フェイクロア

「!? ――私達に詐欺の片棒をかつげ、と云うのか!」

「ブラボー、その通り! だって君ら、そう云うの、だろ?」

「! わ、私はっ、私達は……」

「ああ、大丈夫、……――そう、君達は“”」

「――…………」


 不自然な甘い香りは、金髪の若者がつけている香水からなのか、それとも息苦しい最中さなかで巻き起こった恍惚トランス状態故の脳内麻薬様物質分泌による幻覚作用なのか、少なくともその聖職者には分からない。

 唯、この極度の緊張感が齎す閉鎖空間において、若者の声色と表情に慣れて行くさまづく。それはまるで一心不乱に祈りを捧げた時の法悦ほうえつ状態にも似た意識の高揚を感じつつも、脱力感にさいなまれ朦朧もうろうとした疲労にも似た感覚。


 ああ、――

 有ろう事か、信心はこうも容易たやすげ替えられてしまうものなのか。

 ――妄信は時に脆弱なり

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