20:姉妹達〔シスターズ〕<後編>
「どういう事なの、マリア!」
「――……」
「何故! なぜ、仲間を、友達を、そんな事……」
「
「……うん」
「人々はわたし達を忌み嫌い憶測で有る事無い事口々に語るが、半死半生の狂戦士、と評したそれだけは、
「えっ……」
「わたし達の
「実験……」
鬼衆を食べたり、その血を
唯、聞く話々、その多くが
ディーサイド本人のマリアが話してくれなきゃ、実感が乏しい。勿論、
「わたし達は、鬼衆の力を意図する事で
「……ああ、」
「圧倒的な捕食者として君臨し続けた鬼衆共に対抗すべく造り出された
わたし達は危険な兵器。剣であり、盾であり、
「…………」
言葉に、マリアの話し振りに、
無論、いつものように冷静沈着。でも、強い意志を感じる。
そう、旅立つ前の
初めて会った時と同じ、強く鋭い眼差しを取り戻している。
「
「……誤算?」
「……兇器は狂気を
「!!」
マリアは――
マリアは何を云ってるんだ!
ディーサイドが鬼衆になるなんて……
そんな大それた事、云っちゃダメだ!
「なに云ってんだよ、マリア! そんな、そんなデタラメ、云っちゃダメだ」
「出鱈目、か――確かに、わたし達も人々と大差ない暮らしをしていれば、凡そ
だが、鬼衆共との戦いを通し、その力を解放すれば解放する程、わたし達の躰は鬼衆の本能に
「なっ……」
「――肉体が鬼衆を受け入れるんじゃない。脳が、心が、意識が鬼衆に蝕まれる。人間たろうと欲する人の心と鬼衆としての本能、欲望に忠実たろうとする獣としての本性が
「……」
「闇に病んだわたし達は、間もなく鬼衆となるだろう。その後の事は、説明する迄もない。お前も知っての通りだ」
「――そんな……」
間違ってる!
ディーサイドを送り込んでいる結社は一体、何を考えているんだ!
ディーサイドが鬼衆になるなんて、本末転倒じゃないか!
「おかしいじゃないか! 鬼衆を倒すディーサイドが鬼衆になっちゃうんじゃ、マリア達が生まれてきた意味がなくなっちゃうじゃないか! そんなの、おかしいよ!」
「――意味、か……結社はわたし達に、最低二匹の鬼衆を
「!」
「わたしは既に二匹以上の鬼衆を斃している。つまり、結社からすれば、わたしを造り出した意味は、十分、という訳だ」
「うっ……」
「――安心しろ、ヨータ。わたし達にも人並に生きようとする生存本能はある。結社がわたし達を造り出した意味は十分だが、わたし自身が唯、生きようと欲する生存本能や存在理由において、結社の義務付けは無関係、充分とは云えない。だから、わたしに問題はないし、わたしはまだ生き続ける」
……マリア、
どうして……
結社は――
マリアを造った結社って、なんなんだよ!
マリア達の存在って、なんなんだよ!
――くそっ!
「休息は済んだ。さあ、行くぞ」
「待ってよ、マリア! まだ、その……仲間を斬るって理由が――」
「――着いたら話す。今は、先を急ぐ」
「…………うん」
納得いかない。いや、納得できよう
ディーサイドの、いや、結社の抱えている闇が、俺の知らない深い闇が、俺の視線を、思考を覆い隠す。
何かしなきゃ、何とかしなきゃいけない。
何ができるのか、何をしなきゃいけないのか、まるで分からない。
だけど、――
なんとかしなきゃ!
―――――
二度、月を見た。
もう、結構、歩いた。
恐らく、もうガンビア山地に入っている、その筈だ――
空気が澄んでいる。
清涼にも関わらず、日射しは強い。ちりちりと肌を差す太陽は
凄く乾燥している。
岩がちな大地はもう、決して
アップダウンは激しいけれど、そこ迄苦じゃない。多分、雲を抜ける度、顔を優しく包む
あれからマリアとは話していない。
俺には衝撃的過ぎて、あれ以上、深い話を聞く勇気がなかった。
それに着いたら話してくれる、と。
マリアは、約束を守る。そう云ってくれた。
俺は、それを信じてる。
だから――
――シュワシュワシュワ……
この音、いや、この
シュワシュワシュク――
それにも関わらず、聞こえる。せミの鳴き声が。
遠くから? ううん、意外と近くからなのかも?
――シュワシュクシク。
シュクシクシク――
なんだろう。
鳴き声と云うより、まるで、
――シクシクシク……
「……――ヨータ」
「! えっ!? な、なに、マリア?」
不意にマリアに声を掛けられ、驚く。
それくらい、お互い話をしない儘、一心不乱に歩いてきた。
別に、強行軍という訳ではないけれど、無心で歩んできた。それだけに、ちょっとびっくり。
立ち止まった彼女は、小さな円形の金属を摘まんで肩越しに見せている。
何だろう?
――貨幣?
でも、真っ黒。見た事もない、何か。
「マリア……な、なんなの、それ」
「わたし達は、
「えっ?」
手渡されたその硬貨が何の金属で出来ているのかは、さっぱり分からない。
唯、漆黒の貨幣には金字の
これは――
「――
「うん……ディーサイドを、戦士を
「そうだ――」
マリアは大太刀をすらりと抜く。
その長大な剣の
――あっ!
同じ。
マリアの太刀の柄から外されたその装飾は、正しく貨幣。
全く同じ、黒い硬貨。
唯、――
文様が、刻まれた印章が、違う。
「わたしのは<
「……ほ、ホントだ」
マリアとは違う標。
つまり、――
別のディーサイドのモノ。
ど、どう云う事!?
「――わたし達は、こわれる事を知っている」
「こ、壊れる……」
「心が、意識が、鬼衆のそれに飲み込まれそうになるその限界を、瞬間を、わたし達は悟る。壊れるであろう自分を知り、わたし達は最期に願う――」
「……ね、願う?」
「せめて、人の儘
「あっ!」
「だから、
「…………」
追いつけない。
考えが、思考が、感情が、その何もかもが、追いつかない。
整理ができない、及ばない。
――いや、
分かるんだ。
意味は分かるんだ。
でも――
納得できない。したくない!
「どうして……――」
「――同期。彼女は、わたしとほぼ同じ時期、結社に連れてこられた」
「……」
「――辛かった。幼いわたしにとって、結社でのそれは辛く悲しい日々だった。でも、二人でいれば耐えられた」
「ふ、ふた……」
「半死半生となったわたし達は、その激痛に
「――……」
「二人でなら、二人でいれば、どんな苦難にでも立ち向かえた――」
――ッ!
せ、蝉の声が鳴り止んでいる。
一瞬の静寂が辺りを包む。
刹那、――
岩場を、地面を踏み締める音、
――だ、誰ッ!
「――そうだろ?」
「……――」
「――アイナ」
――!
初めて――
初めて見る、マリア以外のディーサイド……アイナ。
マリアと、似た恰好。雰囲気迄も。
綺麗な、
全身の色素が極端に薄い。
夕陽を背にした彼女の銀髪には、真っ赤な天使の輪が浮かび上がっているかのように見える。
まるで、――
まるで、マリアの姉妹のよう……
でも、なんだろう。
――
存在が、雰囲気が、ニュアンスが。
永遠に辿り着けない蜃気楼の町並の様な、燃え尽きようとしている蠟燭の炎の様な、命を
ああっ――
そうだ!
旅立つ前の、マリアの瞳。あの虚ろな眼差しに、似ている。いや、もっと沈んでいる。曇っている、美しい筈のその白眼が。
「待っていたわ、マリア……」
「――アイナ……」
交錯している、二人の間を。
目に見えない、耳で聞こえない、言葉ではない何か。
ひりひりと、でも、決して張り詰めている訳ではない空気感。
奇妙な緊張と緩和、その距離感。
なんだろう。分からない。
俺には決して分からない何かが、二人を包む。辺りを包み込む。
「――あの頃の儘」
「……――」
「何一つ変わらない。どこも
「あなたは、――あなたも、あの時の儘なのかな……」
「! お、お前――」
「ごめんね――五感の、知覚のどれかを幾つか犠牲にしないと、もう
「――……」
「綺麗な姿を、綺麗な儘の私を、あなたに見せたくて――」
――ああ!
そうか。彼女の、アイナの白眼は曇ってなんかいないんだ。
光を、視力を失っているんだ。
見えていないんだ、仲間を、友を、マリアを。
「――何故?」
「……」
「優秀なお前がこんなに早く限界を迎える筈がない、そうだろ? ――何があった?」
「……――懐かしい声。ほっとする」
「――」
「昨日の事のように思い出す。二人で、あなたと一緒に二人で過ごした楽しい思い出――辛かったけど、あなたと過ごしたあの時が、私の人生で一番楽しかった……」
「――わたしも、だ……」
――辛い。
見た事も聞いた事もない、二人だけの、マリアとアイナだけの過去、その記憶。
なのに何故、こんなにも悲しいのだろう。
アイナが拳を
雄牛の角の如く
「――マリア!」
「……」
「探ってはいけない!」
「!」
「結社を、
「――ど、どういう……」
「待てなかった……」
「!?」
「――二人で、あなたと二人でなら、乗り越えられたかも知れないのに……」
「……――」
「私は弱いから――」
「アイナ! お前はわたしよりも遙かに優秀だ。その強さはわたしが認めてる」
「――違うの……私、心が、弱いの――だから、待ってられなかった……」
「――……」
「――だから、せめて……最期だけは待っていたかった、あなたを……」
「…………」
「――私が……人の心を……――人間であるうちに……私、――わた、し……わ、わだっ、わだだ、わだじを゛っ!」
ダ、ダメだ――
マリア!
彼女をっ、アイナを救わなきゃ!
「マリアッ! ダメだっ!」
「――……」
大太刀を握るマリアの両手。
――綺麗な手。
その両の拳に力が籠められているのが分かる。
「マリア! マリアーッ! 聞いて、俺の話をっ! 絶対に駄目、ダメなんだ! 彼女を、アイナを、斬っちゃダメなんだ!」
「
「えっ!!?」
声!
マリアの左手、その甲。
美しい真っ白なその柔肌に、醜悪な
――今のは!?
「マ、マ゛リ゛ア゛ァァァ……」
綺麗だったアイナの顔。
青筋が走り、筋肉が
――止めなければ!
どちらを?
マリアを?
アイナを?
一体、どっちを!
「――マ、マリアーーーッッッ!!!」
――ザグン!
マリアの姿が、ない。
鎧われた装備を、
その奥、アイナの背後その先で太刀を右へと薙いだ姿で静止するマリアを、その重厚で不快な音が追う。
真っ赤な鮮血が、夕陽のそれよりも赤く紅い
太刀から血の垂れ幕が
そして、まるで
無念――
多分、俺はそんな表情を浮かべていたに違いない。
その
止め
俺は、なんてちっぽけな存在なんだ……
――俺はどうしたら……
―――――
墓というには、あまりに粗末。
唯、彼女の遺体を埋め、
聞けばそれが、半死半生の戦士の正式な埋葬なのだ、とマリアは語った。
「――
「……」
「わたし達のこれは“死”の
「…………」
返事ができない。
――
マリアの感情が、その決して表に出さない感情が伝わってくる。
だからもう、涙が止まらない。
彼女の分迄、俺が泣く。
「アイナは、――ほぼ同じ時期、結社に連れてこられたんだ。
――辛かった……幼いわたし達にとって、結社で過ごす日々は辛く悲しいものだった。けれど、二人でいれば耐えられたんだ」
「……」
「半死半生となり、その激痛に
「……――」
「わたしとアイナ、二人なら、二人でいれば、どんな苦難にでも立ち向かえた――」
「……うん」
「――そう、わたし達は、生涯において唯一無二の親友だった……」
親友なのに、どうして!
「……こんなに悲しいのに、こんなに悔しいのに、――マリアは闘い続けなきゃいけないの?」
「ああ、――結社の目論見とは無縁の、それこそがわたし達の
「――……そ、そんなこと……」
「アイナは最期にこう云ったんだ――大丈夫だよ、さぁ、って。……二人でなら、乗り越えられるから、と」
微笑んでみせたマリアの眼差しは、夜の
胸元に置いた手許は、擘指と季指を双方開いた拳。アイナの見せた、あの
そのサインの意味は分からないけど、いずれ俺も……
――ありがとう。
わたしの分迄、泪してくれて。お蔭で、わたしが枕を濡らす事はもう、ない。
浅い眠りは覚めてしまったけれど、夢の続きは終わらない。
必ず――
必ず、わたしは。
だから――
せめて、笑い
――さよなら。。。。
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