19:姉妹達〔シスターズ〕<前編>

―――――――  7  ―――――――




 ――痛い、いたい、イタイ!

 体中が、お腹の中から、骨の中から、細胞の中から、鈍痛が、激痛が、倒懸とうけんの苦しみがむさぼるように激しく全身を襲う。脳味噌を直接掻きむしりたい程の痛みが怒濤どとうごとく押し寄せる。

 耐えがたい痛みに気を失い、しかし、痛むが故に目が覚める、繰り返し。絶え間ない苦痛に流涎りゅうぜん収まらず、過呼吸を引き起こし、発作にさいなまれ嘔吐えずく。

 気が、気が狂いそう――


「大丈夫だよ」


 隣りで眠っていたはずの彼女が優しく声を掛けてくれる。

 いつものように――

 その小さい手。握った状態から擘指おやゆび季指こゆびを目一杯横へ伸ばし、拳をこちらに差し出す。

 凱旋弓トライアンファルボウ手合図ハンドサイン

 わたしが教えた、今は、わたしと彼女だけのサイン。二人の絆。そのあかし


「さぁ!」


 痛みに震えながら拳を突き出す、擘指と季指を開いて。

 突き合わせる、拳と拳を、擘指と擘指を、季指と季指を。

 凱旋弓を合わせたその形象けいしょうは、龍の瞳。すなわち、“真実”を意味する真璽マハト


「大丈夫、――二人で、二人でなら、乗り越えられるから」


 ――ありがとう。

 薄汚れた寝台。二人抱き合い寄りい、泪で枕を濡らし乍ら痛みに震え、一時いっときの浅い眠りへ。

 必ず――

 必ず、二人で。


 そして――


 せめて、笑い乍ら、

 ――さよなら。。。。



―――――



「それにしても驚いたぞ、マリア」

「――なんの話だ」

ああ淡々あっさり短期間でディナンダの鬼衆きすを退治するとは吃驚きっきょう。正直、もう少し手間取るかと思っていたが」

「不服か?」

豈図あにはからんや。全くもって優秀な戦士に育ってくれた、と感涙にむせび泣きたいくらいだぞ、私は」

「皮肉か?」

「いやいや、本心だよ。なにせ、次のは優秀な戦士じゃないときついんでな」


 あいも変わらず黒尽くろずくめ。洒落しゃれの一つもないまらない男。

 ステッキ持ち手グリップもてあそようにくるくると指を這わせる。

 こいつ、今日は自棄やけにテンションが高い。

 こんなにも詰まらない男が垣間見せる気分の変調。

 みょう――それに、

 こいつのほうから依頼の話をするとは。

 いつもであれば無味乾燥で詰まらない会話をたのしむ癖に。


「キツい、とは?」

「とある貴族領内での鬼衆退治だ」

「つまり、領主からの依頼、と云う訳か」

「いや、それが違うんだな」

「――なに?」


 鬼衆狩りの依頼は大抵、集落の領袖りょうしゅう。村長や町長、議長など、行政の長。

 ディナンダのよう組合ギルドからの依頼もあるにはあるが、人間社会の権力闘争に利用される恐れもある為、吟味ぎんみが必要。現にディナンダでは刈人リーパーどもと競わされる形になった。

 結社は報酬を受け取ったのか?

 まぁ、そんな事はどうでもいい。

 人間は兎角とかく、――汚い。

 依頼主も疑わねば、わたし達と云えど、命が幾つあっても足らない。


何処どこからなんだ、依頼は?」

「――敎會きょうかい

「……――巫山戯ふざけているのか?」

「いいや、至極とう。私はいつだって真面目なほうさ」

「――方、か……」


 ――敎會……

 りに選って、敎會とは。

 結社にとって数少ない明確な敵。鬼衆共以外でこれ程明らかな敵対者も他にない。

 結社は方針転換したのか?

 いや、オーダー666は生きてる。

 全く、呆れる程、酔狂。


「鬼衆そのものより依頼主が気になると云うのは、あまり宜しくないな、マリア」

「どういう意味だ?」

「今回の相手は、死卿デスロード

「! ――デスロード……確かなのか?」

「無論。私がそう云い切るのだから間違いない。そうだろ?」


 ――死卿しきょう

 鬼衆の中の上位種。稀代種きたいしゅの一種と見なされてはいるものの、その実態はまるで違う。

 は、鬼衆を生み出す正真正銘の化物。深淵テホムを知る闇に連なるモノ。


「お前にとって、始めて対峙たいじする死卿になるかも知れん獲物あいて

「――何故、わたしなのだ? 他に適任者がおろう」

「いや、まあ、そうなのだが、今となってはお前が“適任”なのさ」

「どういう事だ、ハキム? 内情が分からないままではとても受けられる様な話ではない。そうだろ?」

「そう云わんでくれよ、マリア。もう何人も断られ続け、殆々ほとほと参っているんだ。なんとかになって貰いたいんだ」

「――二人目? 仮にわたしが引き受けたとして、と協力してたおせ、と?」

「いや、での退治になる、かな」

「……なに?」


 何の心算つもりだ、こいつ。

 何故なぜ、含みを持たせる。


「わたし一人で斃すのはいいとして、一人目はどうした? られたのか?」

「いいや、生きている、元気さ。、と云っても過言ではない」

「――……どういう事だ?」

「そら、コレを受け取れっ」

「!?」


 指先で弾かれた小さなを、反射的に受け止める。

 ――こ、これは!!

 黒辱の硬貨クルーエル・コイン――

 なんで、が!


「ハキム! 矢張やはりお前、巫山戯ているなっ!」

「今のお前から見て、この私が巫山戯ているように見えるのか? だとしたらマリア、お前は“動揺”しているって事だ」

「!? ――そんな筈は……」

紋標スートを見れば分かるだろ」

「――……」


 嘘だ――

 有り得ない。

 ――約束したのだから。


「確かめないのか?」

「……――」


 コインを指先ででる。

 違う……

 刻印をなぞる。

 いや、違うんだ……

 多分、感覚が、感触が、鈍くなっている。疲れているんだ、恐らく。

 だから、は間違い――きっと。


「――何処だ」

「ん? どこって、引き受ける気になったか? よし! 貴族領へは――」

「違う」

「なに?」


 コインを胸元に摘まみ上げ、


「何処だ!」

「……いや、だから、貴族領だよ。その南西に位置するガンビアの山」

「――分かった」

「まあ、出来るだけ早く行ってやれ」

「……」


 待っていろ――

 わたしが、

 ――わたしが行く迄。



―――――



 マリアは時折、姿を消す。

 書付かきつけも残さず。

 でも、それが仕事の話なんだと、検討はついた。

 装束は綺麗になっているし、資金調達も済んでいるし、行く先も決まる。

 ほんの少し、行方をくらます度、そんな感じ。

 だから多分、今もきっと、仕事の話をしているんだろう。


 当てない旅。

 でも、目的は判然はっきりしてる。

 ――鬼衆退治。

 だから、訊ねる必要はないんだ。

 分かってるから。

 それしか、分からないんだけども。


 ――!


 帰ってきた。

 何となく、なんとなくだけど、マリアの帰りが分かる気がする。

 マリアの云う処の、臭いや息吹鬼いぶきだとか、そんなものはちっとも分からないけど、なんとなく、分かるんだ。

 説明は出来ない。

 けど、分かるんだ。


「お帰り、マリア!」

「……」

「!」


 神妙な面持おももち。でも、それはいつもの事。

 何か、なにかが違う、いつもとは。

 普段通りの無表情。

 でも、どこかが違うんだ。表情が、いや、印象が暗い。冷えている。冷め切っている、そんな感じ。

 ――あっ!

 目! 透き通るような白眼びゃくがんの、あの鋭く強い眼差まなざし。それが見られない。ひとえに、うつろ。

 光が、瞳に光が見られない。まるで濁った硝子玉がらすだまよう

 一体、なにが!


「どうかしたの、マリア?」

「――……明日」

「え?」

「――早くつ」

「……うん、分かったよ」


 閉ざしている――

 分厚い氷の壁の様な、なにか見えない大きく冷たい障壁が、マリアの心を、いつも以上に。

 不満はない。不安もない。

 唯、ちょっとだけ、

 ――淋しい。

 俺が、じゃない。

 マリアが――




 息が切れる。

 いつものペースじゃない。

 勿論、知ってる。いつも、俺の歩幅、体力に合わせてくれているのを。

 恐らく、マリアにとってのこれは全然、ハイペースではないんだと思う。

 むしろ、逆。

 マリアはいっそくのを抑えている。抑えているからこその、このペース。

 でも、速い。

 着いて行くのがやっと。


 何処へ、どこを目指しているのだろう。

 奴隷街道ヴィアマンキピウムを北北東に進み、ヌーノイン湿地を抜けてからは街道を外れ、名もない小径こみちを歩み続ける。

 やがて道は乾燥し始め、褐色の土壌テラフスカに小石が混ざる。風に混じる湿気も少ない。過ごし易いせいか、このペースで歩んでいても何とかつ。


 何度目かの小休止。

 無言の儘、旅路を進むのはいつもの事。

 でも、休憩の時にさえ、言葉を一切わさないのは、これが初めて。

 その態度や表情は、いつもと決して変わらない。

 違いと云えば、その眼差しは遠くを見詰めている。

 まるで、目的地を見据えているかのよう。近くにいるのに、遠くにいるかの様な、奇妙な感覚。

 自然だけど、不自然。

 矢張り、いつものマリアとは違う。


「マリア……」

「……」

「ど、……どこに向かっているの?」

「……――ガンビアと呼ばれる山」

「! ザハシュツルカで地図を見たけど、ガンビアって山地だよね? かなり広い地域らしいけど……」

「――行けば……分かる」

「……見付かるの?」

「――……見付けるさ」


 なんだろう、この自信。

 確かに、マリアは鼻が利く。それに息吹鬼いぶきってので看えるらしい。

 ――けど……

 この違和感――

 ちょっと違う気がする。信念のような、あるいは、期待にも似た何か。其処そこと無くただよはかなげなニュアンス。

 なんか、変、だ。


 そうだ!


 ディナンダに行く前は、目的地とその予想を先んじて伝えてくれたんだ。

 今回のこれには、それがない。

 目的地がガンビアってのも、今訊ねて初めて知った。

 それに、山地にある集落って。仮にあったとしても小さな山村くらいなはず。少なくとも、俺が見た地図にそれらしき集落の名は載っていなかった。

 小さな村だから、その被害を最小限で食い止める為に急いでいる?

 いや、これも違う。

 ディーサイドは、マリア達はそんな事を気にしない。

 何かが違うんだ、普段とは。

 いつもの鬼衆狩りじゃないんだ、多分。


「ガンビアの鬼衆って、……どんな奴なの?」

「……」

「……ほら、狡賢ずるがしこいタイプとか、力自慢みたいな奴とか」

「――……ゃない」

「――?」

「――鬼衆じゃない……」

「えっ!?」

「……――」


 聞き間違い?

 鬼衆退治が目的じゃない?

 どういう事?

 他になんの目的が?


「鬼衆を狩りに行くんじゃないの、ガンビアには!」

「――違う」

「! い、一体、なにをしに??」

斬殺キルため」

「だ、だれを!?」

「――仲間を」

「ええっ!?」


「お前達はディーサイドと呼び、わたし達は姉妹達シスターズと名乗る者……そして、――」

「――……」

「――わたしが唯一“”と呼ぶ者を」

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