18:腐乱屍臭7

 ――ヨータ!


 殴傷おうしょうで顔中傷だらけのヨータを裸絞はだかじめする者。

 ざんばら髪に無精髭、区々まちまちな形式の防具に身を包んだ大柄な中年男。隣りには7フィート以上はあろうかという巨漢の男。

 刈人かりゅうど、か。


 そうか――

 あんな手紙モノを残せば、返って追ってきてしまうのか。

 もう少し、考慮すべきだった。

 わたしの、失態ミス


刈人リーパーか」

「察しがいいな、ディーサイド。察しついでに分かってもらえたら光栄なんだがなぁ?」

「――少年を放せ」

「勿論、構わんさ。だが、ずはその鬼衆きすから離れて貰うぜ」

とどめを刺したい、という事だな?」

「有りていに云えば」


 血の色ブラッダロッソに染まった文様ダマスクの刃を鬼衆の頸筋くびすじひた当てる。


「妙な真似はすんなよ、ディーサイド。離れた場所からあんたを矢が狙ってる」

「――狙撃手スナイパーか。街にた者と同じだな」

選抜射手マークスマン。そんだけ俺達の戦場フィールドは広いんだぜ」

「――なら、そいつに伝えるべきだ。狙う相手が違う、と」

「は、早ぐ離れろ、お゛んなァ! ガキをブヂごろされでェーがッ!」

「こいつもこう云っている。さっさと離れるんだな」

「――……」


 きっさきを鬼衆に向けたまま、静かに後退あとずさる。

 後ろを、足許あしもとを見る事もなく、泥濘ぬかるみあし御簾草みすくさをゆらりとかわし、間合まあいを取る。


「もっとだ。後、10ヤードは離れな。は上手く出し抜いたんだろうが、このガンビーノは違う。あんたらは間合が広い。もっと離れろ、俺達の邪魔ができん程にな」


 慎重な男だ――

 だが、慎重になるき対象を見誤っている。

 余程、自信が、経験が、実績があるのだろう。

 だが、深淵テホムは深い。煉獄れんごくふちあかつきを闇と見間違えた処で責める者はいない。

 暗闇の違いを見極める事など、人間には計り知れない。

 わたしでさえいまだ知り得ない、玄奥げんおうなる闇冥あんみょう彼方かなた


「もういいだろ? その子を放せ」

「いいだろう。子供は返してやんぜ。だが、事が済む迄、そこから動くな。マークスマンはあんたを狙い続けてんだぜ」

「――」


 裸絞から解かれたヨータが駆け寄る。


「マリア!」

「――無事か?」

「ごめんよ、ごめんよマリア! 俺、マリアを助けようと思って……」

「――どこか痛む処は?」

「……大丈夫」

「そうか――」


 殴打のあと。殴傷と擦過傷さっかしょう青痣あおなじみ其処彼処そこかしこに見られるが、骨折や脱臼のたぐいは見られない。

 小さな軟膏壷なんこうつぼを取り出し、ヨータに手渡す。


「これを塗っておけ。傷や打身うちみによく効く上、万が一、屍等かばねら飛沫ひまつが付着していても消毒になる」

「う、うん、ありがとう、マリア」


(全く、うろちょろしおってからに、このガキは! マリアに迷惑掛けさすな)


「えっ!? 今、なんか聞こえた気が……」

「――……気のせいだろう」


 ――……

 人前で喋るな、とアレ程云っているのに。

 何の心算つもりだ――

 もっとも、今はそれどころじゃない。

 どうなってる、死出蟲シデムシどもは――




「石化、か? 一体、どんな魔法を使ったんだ、ディーサイドは? こんなひでぇ~有様ありさま、見た事ねーぜ」


 斬り落とされた左腕も、鬼衆の左上半身の大半も、石膏のように変化し、さらさらと崩れ落ちる。

 石化の浸食は尚、じわじわと広がっている。


「ま、今、楽にしてやんよ。れ、グバンギ」

「お゛お゛お゛っ! ブ、ブブッ、ブッ、ブヂごろじでぇーヤルぅ~!」


 巨漢の男は鉄鋲の付いた巨大な棍棒を大きく振り被り、手負いの鬼衆を襲う。

 唸りを上げて襲い掛かる強烈な棍棒の一撃を、鬼衆は變容へんようしたその右手で易々やすやすと受け止める。


「あ゛れ?」

「人間風情がっ、調子に乗りおって!」


 バリバリッ!

 棍棒を受け止めた鬼衆の右手の甲を走る血管が皮膚を割き、耳障みみざわりな音を立てて躰外たいがいに跳ね出る。


「ぬっ!? マズイ! 退け、グバンギ!!」

「喰らえっ、血汐の弾丸ブラッド・バレット!」


 突き出た甲の血管が裂け、人ならざる桜色した血のしずくが高速で射出。

 ――ぐぎゃあ゛あ゛あ゛っ!

 無数の血のつぶてがグバンギの体を射貫いぬき、肉を穿うがち、骨を砕く。

 筋と腱をこそぎ落とされ、身動きの取れない大男に鬼衆は突進。そのねじれた薄汚い爪を振り下ろし、グバンギの胸と腹をさばく。

 おびただしい鮮血を浴び、恍惚とした表情を浮かべる鬼衆。その石灰化した皮膚が新鮮さを取り戻しつつある。


「グバンギ! ぬぅ、なんて出鱈目でたらめなっ! 許さんぜ、てめぇ~、ぶっ潰してヤル!」


 左手の擘指おやゆび示指ひとさしゆびで輪を作り口にくわえ、甲高い指笛を掻き鳴らす。

 ――選抜射手マークスマンへの合図。

 ガンビーノ自身は、長大な黒銀パンツァー刺突剣シュテッヒャーを利き手に握り、きっさきを鬼衆に向け、円を描く様にひゅんひゅんと螺旋らせんを刻む。


膂力りょりょくに頼った打撃を受け止める事は出来ても、刺突つきは受け止められまい!」


 螺旋を描き円錐状に錐揉きりもむ刺突剣のきっさきを右掌で防ぐ鬼衆。

 しかし、グバンギの棍棒を受け止めた時とは訳が違い、点の圧力に推進力が加わったその突きを防ぐ事は出来ない。

 掌には大穴が穿ち、突き抜けた鋒は鬼衆の右目を貫通。回転力を得た鋒は尚も威力は衰えず、眼窩がんかえぐり、頭蓋の一部を粉砕する。

 更に、どこからともなく飛来した弩箭ボルトが鬼衆の左目を射貫く。太く短いその矢は頭蓋骨を貫通し、後頭部に迄穿孔せんこうを開き、桜色の鮮血を散らす。


「脳への損傷ダメージ! これで終わりだ、その汚らしい脳味噌、ぜまぜ、掻き混ぜてやんぜっ!」

「に、にっ、にんげんめがぁぁぁあああ! 眩暈の血弾ブラッド・ブラー・バレット


 貫かれた掌を拳鍔ナックルガード迄押し込み、その強靱な握力でガンビーノの利き手ごとバキバキと握り潰し、繋ぎ止める。

 ――ぐあっ!

 刹那せつな、穿たれた両眼のあなから血液が、まるで鉄砲魚テッポウウオの捕食さながら高速発射。

 ドヒュン――

 針の様に射出された二条の血液がガンビーノの喉仏と眉間を貫く。

 致命の一撃。


「がっ……ばがなっ……こ、このガンビーノが、こ、こんな奴に…………」


 どさり――

 ガンビーノが崩れ落ちる。

 飛来した二射目の弩箭が鬼衆の右胸に突き刺さる。

 明らかに狙いがずれている。

 射手しゃしゅの動揺が見て取れる。




 刈人シデムシ共め、なにをしている。

 追い詰められたモノは、例えそれが人間であろうと動物であろうと窮鼠きゅうそと化す。それは鬼衆とて同じ。

 絶体絶命の窮地に追い込んでおきながら、無駄な所作にしか過ぎない余裕すきを見せるとは。

 なまじ、意思疎通が、会話が成り立ってしまう鬼衆が相手であるが故、気取きどる。それがお前達の弱点だと、何故、気付かない。

 相手きすは、正真正銘、化物だと云うのに。

 これだから、刈人リーパー共は手緩てぬるい。いな、人間は、と云う可きか。


「ヨータ、ここで待っていろ。今すぐ奴をたおしてくる」

「大丈夫なの、マリア!」

「――見ていれば分かる」


 沼岸のみぎわに一歩、また一歩、歩み出る。

 刈人の射手はもう役に立たない。かなり離れたここ迄、その動揺が感じられる。鬼衆を狙う可きか、わたしを狙う可きか、その迷いが視線に、呼吸に現れている。

 倒した刈人二人の血を浴び、傷をやそうと鬼衆は藻掻もがいている。だが、最早もはや手遅れ。

 わたしの血と屠鬼ヴェノン陰鐵いんてつ、刈人共の鴆毒ちんどくを食らい、脳にも大ダメージを受けている。過剰な抗体反応が表層に迄現れ、併し、再生には至らない。各処に壊死ネクローシスが見られ、重篤な壊疽えそを引き起こしている。

 放っておいても、お前は死ぬだろう。

 事実、すでに周囲の屍等への支配は及んでいない。沼の水に過剰反応し、恐水症を引き起こした亡者共は、酸素を必要としていないにも関わらず、溺れている。崩落のしるし


 不要だが、踏み入れる。一足一刀いっそくいっとう間合まあい

 こいつの血弾BBはわたしの爆撃オウスゲボムとは違う。血の持つ効果ではなく、高圧で射出するその破壊力。

 そしてそれは、あくまでも奇襲。あらかじめ分かっていれば、どうという事もない。

 えてリスクを取るのは、訊ねたい事があるからだ。


「――お前は終わりだ。分かっているだろう」

「……――くくくっ、口惜くちおしいがその通りだ、ディーサイド…………」

「――最期に一つだけ問う。待っていた、とはどういう事だ?」

「……細かい事を気にする奴だな……いいだろう、教えてやろう……」

「なんだ?」

「…………鬼衆の創造」

「!? ――なるほど。屍等を大量に作っていたのは、単に刈人達に追い詰められただけではないと云う訳か。死卿デスロードにでもなるつもりだったのか」

「……如何いかにも――作られたお前らディーサイド構造からだを調べれば、何かしらのヒントになろう……」

「愚かな。お前が特異な稀代種きたいしゅである事に間違いはないが、死卿になれるはずもなかろう。鬼衆を生み出したモノが死卿になるのではない。死卿は死卿であるが故、鬼衆を生み出す。

 お前達が毒の血ヴラッダを使い、単独で生み出す種は劣化でしかない。そこに種の存続や遺伝は有り得ない。分かっていよう」

「……くっ、くくくっ、違うなディーサイド! 種の存続や遺伝等、興味はない!

 俺の興味は俺自身の進化! はおっしゃられた。我々鬼種は唯一、の出来る生命体である、と!」

「下らない。化物の妄信オカルトして洗脳カルト等、興味もない。そんなものには興味はないが、とは一体、誰だ?」


 鬼衆の顳顬こめかみや頸筋、上腕の血管が脈動する。

 流れ出る桜色の血は、陰鐵や鴆毒による焼灼しょうしゃくとは別の要因でボコボコと煮立にたつ。


「くくくっ、興味を持とうが持つまいが関係ない。お前も俺同様、ここで果てるのだからなっ!」

「……――」

くたばれっ、血塗ろの暴発ブラッド・ブラスト!」


 ――ドンッ!

 自爆。

 肉も骨も血も、粉微塵となり放射状に飛散。

 猛烈な勢いで飛び散る肉片は爆炎と爆風を伴い、周辺の草を、泥を、屍等を削り砕き、半径5ヤード程を焦土と化す。

 一部を除いては――


 鬼衆の血が沸騰するさまを見て即座にかがみ、ガンビーノの遺体を抱え上げる。泥濘ぬかるみに大太刀のきっさきを突き立て、その遺骸を寄り掛からせるように掲げ、身をひそめる。

 爆音を伴い飛来する鬼衆の肉片は、盾代わりにしたガンビーノの遺体で防ぎ、その肉体を貫通した骨片は硬い陰鐵の刃が防ぐ。

 わずかな切創せっそうこうむったものの、鬼衆の自爆に巻き込まれず、生還。

 追い込まれたモノのする事は、手に取る様に分かる。短絡的で自暴自棄。こんなものに巻き込まれようわれがない。


「マ、マリア!」

「――大丈夫。もう、大丈夫だ」


 駆け寄るヨータを左手で抱える様にし、辺りを見回す。

 鬼衆の支配を失った屍等は、恐水症に藻掻き苦しみ、凡そ放っておいてもその腐敗は進行し、間もなく崩落するだろう。

 刈人の射手はっくに行方ゆくえくらましている。

 ――それでいい。

 勝算の宛のない戦いに身を置く必要等、お前達にはないのだから。



「――街に戻ろう」

「う、うん……え、えーと――マ、マリ……」

「ヨータ! 今度からは書付かきつけを守れ」

「――あっ……」

「今夜は戻らない、と書いてあったろ?」

「……う、うん」

「どう云う意味か分かるか?」

「……」

「明朝には戻る、という意味だ」

「……うん」

「わたしは約束をたがえない。覚えておけよ」

「うん! 分かったよ、マリア!」

「――ああ」


 背に忍ぶうめき声は無視して構わない。

 屍等に未来あすはない。

 奴等やつらの事等、忘れるがいい。

 宿に戻り湯浴ゆあみをすれば、こびり付いた屍臭においも取れよう。綺麗さっぱり、洗い落とせばいい。

 わたしのは取れやしないが、少なくともお前からは消える。

 それでこそ分かるんだ。

 どこに居たって、お前からは死の臭いはしない。

 死の臭いがしないからこそがお前の臭い。

 だから分かる、お前だと。


 願わくば、その儘で――

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