16:腐乱屍臭5

―――――



「あっ! コラッ、ボウズ! 駄目だと云ったろ、もう日が暮れる。今出たらもう、朝迄入れてやらんぞ!」

「ゴメン、おじさん!」


 宿から飛び出た俺は闇雲に街中を走った。

 寝過ぎてしまい目が覚めた時はすでに夕刻。

 机の上に置かれた封書に気付き、中を見て唖然あぜん


 一言、――

 ――今夜は戻らない、と。


 幾らマリアが強いからといったって、深夜、街中まちじゅうから聞こえた亡者の声。あの数は尋常じゃない。

 ――助けなきゃ!

 マリアから借りた陰鐵いんてつ製の匕首ナイフ。こいつは亡者達に致命傷を与える。

 それに、亡者とはいえ屍等かばねらは、鬼衆きすに劣る。

 鬼衆のような異常な身体能力にはとても着いて行けないけど、病気にかかって亡くなった亡骸なきがらが正体だと云う屍等相手なら立ち向かえるはず


 マリア、待ってて――

 ――今、助けに行くからっ!



―――――



 ――臭い。

 酷い湿気に混じり、鼻をつく死臭。

 まるで戦場のよう。


 深い、どこ迄も深い霧。いっそ霧雨か。

 肌をしっとりと濡らす。とは云え、わたし達の装束は濡れやしない。この琺瑯革エナメルは水分を弾く。おかげで、奴等やつらの薄汚い血で汚れる事もない。

 それにしても――

 これはきつかろう。

 星明かりさえ届かぬ闇夜よるの濃霧。刈人リーパーの目では、人影シルエットを追うのがやっと。そんなところだろう。

 なるほど。

 鬼衆も刈人かりゅうども、互いに死活という訳か。


 ベシャ、ビシャッ、ビチョッ――

 つい最近まで、人であった

 現れたか、屍等かばねら

 醜く成り果てた憐れな犠牲者。死を忘れて彷徨さまよ者共ものども

 最早、助けるすべは何もない。

 ――破壊。

 既に死んでいる彼等を殺す事などできやしない。唯、動物的な可動域を砕き、壊すしかない。

 そう、それは最早もはや、器物に等しい。


 しかし、――

 この時点で一つ、分かった。

 こいつら、鬼衆の支配下で動かされている。

 かつての本能の残滓ざんしもたらす恐水症におびえる屍等が、霧雨にも似た濃霧の中、自発的に動く事などありはしない。死してなお痙攣けいれんを引き起こしている。水分による刺激に筋肉が反応している。もし、生きていれば激しい痛みに襲われていただろう。

 創造主である鬼衆のコントロール下、強制的に屋外を徘徊はいかいさせられている。そうでなければ、こいつらが動き回る説明がつかない。

 ――陽動、か。

 こいつらを無作為に、併し活発に動かし、鬼衆本人は別の目的をもって動いている。

 凡そ、仲間を増やしている、そんなところ。もっとも、鬼衆が屍等どもを仲間とは思ってはいないだろうが。手下、あるいは下僕、いや、それ以下か。

 奴隷商も鬼衆も、して変わらんな。


 ――それにしても……


 刈人こいつら、黙っていたな。手掛かりヒントほのめかしてはいたが。

 少なくとも、当たりはついていた筈。

 屍等は、建物になど巣くってはいない、と。

 ずぶ濡れの姿にこの泥臭さ、青臭さ。

 なるほど、腐敗の早さ、そういう事か。

 こいつらは、水辺にひそんでいる。井戸か、地下道か、或いは……


 刈人ヤツらが動く。

 投擲用短剣スローイングダガーが1本ずつ、屍等の両足の甲をそれぞれ貫く。

 歩みが止まった瞬間、段平だんびらが振るわれる。首を横ぐ一撃、続いて左ふくらはぎから向こうずねを両断、更に左袈裟に斬り下ろし、右太腿を砕き割る。

 この二人、戦い慣れている。連携も見事、的確に屍等の動きを封じる所作しょさ。屍等相手というより、対鬼衆用か。


 飛び散った屍等の血が焦げ臭い。

 短剣や段平の刃に硫化した黒ずみが見られる。銀が混ぜられ鍛造たんぞうされているのだろう。陰鐵いんてつには遠く及びはしないが、鴆毒ちんどくとしての銀の効果は充分か。

 急激な酸化の齎す発熱反応は、筋組織に激しい炎症と損害を与え、崩落を早める。屍等の動きを封じ、活動停止を促すのに向いている。

 よく出来ている。

 露払つゆはらい、満更まんざらでもなさそうだ。


 さて、――


「お前達にたずねたい」

「何かね?」

「お前達はこの街の周辺を見て回ったか?」

「一応、それなりには……」

「近くに二つの沼がある筈。見たか?」

「……ああ」

「特徴を教えてくれ」

「ああん? なんだそりゃ?」

「口をつつしめ、ギーク。いいだろう、知っている事だけ話そう。

 でかいほうの沼をギワンヌ、小さい方がブーブーゲエ。生活用水や漁業は主にギワンヌでまかなわれているそうだ。ブーブーゲエではハス葦附アシツキ髪菜はっさい等が収穫されるらしい」

「それ以外は?」

「……以外?」

「景観は?」

「景観? ……透明度は共によくない、両方とも沼だからな。ギワンヌでは小舟や漁獲用の仕掛けが見られた。この街を覆う霧の発生源はギワンヌの方だ。ブーブーゲエは青粉アオコ布袋葵エイクホルニアが一面を覆っていた」

「――そうか」


 ――検討はついた。


「お前達はギワンヌに向かえ。わたしはブーブーゲエに向かう」

「なッ!? な、なに云ってやがんだ、コイツはっ!」

「黙れっ、ギーク! ……とは云え、流石に二手に分かれるのはどうかと思う。

 して、沼は街外れ、方向も逆。周辺には沼郊狼コヨーテも多く棲息し、こいつらは夜行性で群れる。我々は君も含め、血の臭いが染み付いている。殊更ことさら、危険をおかす必要もあるまい。行くのであれば、日中にした方がいい」

「鬼衆を狩ろうとしている者が犬を怖れるのか?」

「! なんだと~、てめぇ~ッ!」

「待て、ギーク! 確かに君の云う通りだ。街中で奴等のねぐらが見当たらないのであれば、捜索の目をより広範囲に移すべきだった」

「おいっ、ガトー! てめー、この女の命令に従うつもりじゃねーだろうな?」

「ここは彼女の提案を受け入れよう。街で襲撃を待っているだけではらちかない」

「……チッ!」


 若いほうの刈人は渋々、中年男に従い、南西方向に向かった。

 注意すべきは、自棄やけに物分かりのいい中年の刈人の方だが、一先ひとまず探り合いはしまい。

 これで注力できる、――鬼衆狩りに。


 屍等から漂う強烈な腐乱臭ふらんしゅうに混じった生臭さ、青臭さ。

 藍藻らんそう特有の黴臭かびくささ。

 ブーブーゲエで間違いないだろう。

 今夜中に、かたを付ける。




「相変わらず不器用だな、お主?」

「――起きていたのか、ダミアン」

奴儕やつばら、露払いには最適だったろ? 何も遠ざける必要はあるまいて」

「――ぬぐい去りようのない屍等の本能である恐水症を、その支配力で抑え込む程の力。この鬼衆は、存外

「ああ、まぁ、そうだろうな。だが、それと奴儕を遠ざけた事に、何の因果関係があるのだ?」

「――奴等も刈人である前に犬死いぬじにするわれない」

「クカカカカッ! ほんに甘っとろい奴よの~、お主! 刈人なんぞ、ここで死なずともいずれ戦いの中でてるが宿命さだめ。気を掛けた処で死ぬもんは死ぬんだ、放っときゃええもんを。

 それとも何か? 鬼衆相手に犬死にするくらいなら、コヨーテに食い殺された方がマシってか? クカカッ」

「――えぐり取ってててやろうか」

「おお、怖ッ! 分かった分かった、お主の行動に文句はつけんよ。ただなぁ――」

「……」

「――選択を迫られた時、果たしてお主はどっちを取るのやら。つくろうた処で命の重さは違う。そんな事に気付かんお主ではあるまい?」

「……――」

「ま、答えんでいいわい。左掌ここからとっくりと拝見させて貰うわい」

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