15:腐乱屍臭4

―――――



 睡眠不足――

 野宿をしようが、怖い目におうが、眠ってしまえばぐっすりと眠れていた。

 久々の寝台ベッドでの就寝、しかも疲れが溜まっていた為か、横になるなり、すぐに眠りに落ちた。

 だが、深い眠りは一段落した後、身の毛も弥立よだ地鳴じなりによって無慙むざんにも破られる。


 反回はんかい神経に損傷でも受けたかのよう耳障みみざわりなうめき声とも嗚咽おえつとも咆吼ほうこうともつかない声が、あちらこちらから聞こえてくる。

 頑丈に補強された窓の外、その階下、四方八方かられ聞こえ、まとわり付く。

 扉を叩く様な音、引っく様な音、体当たりをする様な音、何かが砕ける様な音、肉が弾ける様な音、何等なんらかの液体がしたたる音、いずる音、悲鳴云々うんぬん

 目に見えない、を落とした真っ暗な部屋の中からはうかがい知れない何とも云えない不快な音の数々が、過敏になった聴覚をくすぐる。


 ――怖い。

 の当たりにした両親と妹の亡骸なきがらあんちゃんに変貌する鬼衆きす、襲い掛かってくるその怖ろしい姿を見た時とはまるで違う。

 見えないからこその恐怖。

 おぞましい音がもたらす心理的な焦燥感。

 にも怖ろしい――


 マリアは?

 マリアは平気なの?

 隣りのベッドでこちらに背を向け、静かに眠っている。

 静寂をき消すこの怖ろしい音と声の中、彼女はおびえるどころか、いつものように静かに眠る。

 戦いに明け暮れる彼女にとって、この程度の騒音ノイズ、気にする迄もないのだろう。

 俺ももっと、心を強く持たないと!


 ただ、俺は気付いていなかった。

 窓側に顔を向け横たわるマリアが、その白眼びゃくがんを見開き、想いをせるその姿を。

 ――彼女はそう、誰よりもだった。



―――――



 霧に包まれた闇夜の街並みを見通すのは至難。

 唯、あちこちで聞こえる不気味な声がこだまする。


「チッ! また、増えてやがる」

も相当焦ってるんだろう、が来たせいで」

「焦ってる? 違うだろ! 焦ってんのはほうだろがッ」


 寝静まった街、深い霧に包まれた夜更け過ぎの街中は地獄絵図。

 徘徊はいかいする人間だったもの――奔放ほんぽううごめまぎれもなく遺骸、一時の間、眠る事を忘れたあわれな死人しびと――屍等かばねら


 屍等こいつらの戦闘能力は、少なくとも俺達にとっては脅威ではない。

 神経系も死に絶えているこいつらは筋組織や骨組織への損傷を無視し、確かに人の限界を超える動きを見せはする。しかし、如何いかに限界を超えた運動能力を有しようと、百戦錬磨の俺達刈人リーパーの前では児戯じぎに等しい。

 唯、面倒なのは奴等やつらの感染力。

 下手すりゃ、掠り傷一つで奴等の仲間入り。傷一つどころか、その体液さえも危険。実に面倒。

 鬼衆本体と違って、頭部を破壊しても活動を止めない。諸有あらゆる筋組織をぶっ壊して物理的に動けなくさせなきゃならない。

 して、こいつらを幾ら倒しても一銭にもなりゃしねぇ。

 リスクに対して割に合わない。ひとえに面倒な存在だ、この死骸は。


「どうするか……此奴等ジョン・ドゥを幾ら狩ったところで意味はない」

「んな事ぁ~、始めから分かってんだよ。親方ボスはなんて云ってんだ?」

「それこそ、ガンビーノは始めから云ってただろう。ディーサイドにあやかれ、と」

「チッ! 気に食わねぇ~な」

「賢くなれ、ギーク。強さだけで何とかなる相手じゃないのはお前も分かっているだろう」

「……チッ!」



―――――



 あっ!

 眠ってた。

 あんなに外が気になって寝付けなかったのに、いつの間に?


「――目が覚めたか?」

「あっ、おはよう、マリア。あれ? もう身支度済ませてるの!?」

「お前はもう少し休んでおけ。あまり、眠れなかったろ?」

「……でも――」

「人間にとって睡眠は重要だ。今の内、充分、寝ておけ」

「う、うん……」


 寝てはいたけど、寝た気がしない。そんな感覚をマリアは気付いてくれているんだ。

 それに――

 ――今の内、って。

 マリアは、早い段階で動くつもりなんだ……

 鬼衆狩りに。


 この時、俺は自分の装備品が置かれた机の上にある封書の存在には、まだ気付いていなかった。




 独り、宿を出る。

 日はうに昇っているにも関わらず、人出は少ない。

 武装をした小集団が闊歩かっぽするのをちらほら見掛けるくらい。

 ――なるほど。

 人出は少ないものの、家屋の一部を補修する町民の姿が見られる。

 凡そ、もう慣れたものだろう。

 夜間に襲撃され、損傷を受けた外壁の修復。

 屍等の仕業しわざ


 人間というものは怖ろしい程、順応が早い。適応力、とでも云うきか。

 屍等の習性に詳しい者など、この街にはしないだろう。それでも、気付いた。

 奴等が夜間にしか活動できないのを。そして、防衛を、すなわち、外出をせず、引き籠もる事を。

 正しい。

 それでいい。ああ、それがいい。

 臆病でいい。臆病になる事を責めはしない。臆病たろうと欲す我が儘は命を存続させる為の努力。種の存続たり得る機智きち。それこそが生命。

 死を撒き散らす屍等とは違う。

 もっとも、死を撒き散らすという点にいては、わたしもそう、変わりはしないのだけれど。


 街を見て回る。

 手掛かりを捜している訳じゃない。

 騒ぎの規模、その程度。暮夜ぼや、街中を徘徊した屍等の数、その被害のスケール、導線、そして、目的。

 奴等は本能の残滓ざんしに突き動かされ彷徨さまよう。生命の在処ありかを求め、只管ひたすらそぞろ歩く。

 あるいは――

 ――指示。

 創造主である鬼衆のめいを、ごく単純な場合に限り、忠実に実行する。

 果たして、この街の屍等は、いずれで動いているのか?


 せる程の死臭に、あちこちからかお毒の血ヴラッダの残り香。

 やはり、臭いでは探れない。

 とは云え、息吹鬼いぶきを巧妙に隠している。

 いや、隠している訳ではない。

 全く息吹鬼を感じない――

 新設された宿場町だけあって、確かにこの街は広い。とは云え、そこ迄の規模ではない。この街より遙かに大きな町であっても息吹鬼は探れる。

 にも関わらず、かすかな息吹鬼さえも感じさせないとは。

 どうなってる?

 どんな策を弄したと云うんだ、は?


 嫌な臭いに混じり、ひりひりと絡み付く視線に、かすかな敵意を感じる。

 人々から怖れられ、忌諱ききに触れた視線のそれとは違う。

 明らかな敵視。そして、つぶさに監視するさま

 ――死出蟲シデムシ、か。


「なにものだ?」


 誰かを特定した訳ではない。

 背後に流眄りゅうべん、その比較的広範囲に向かって声を掛ける。

 閑散とした街中にあって、それで充分。

 二十数歩程斜め後方、奇抜な軽戦士風の恰好をした若い男。見覚えがある。使役非人斡旋業組合、奴隷商ギルドの宿舎を出た処に居た者。

 その十歩程度後ろ、道を挟んだ反対方向にわりと重装備な戦士風の中年の男。

 共に街の住民がするような恰好ではなく、して衛士が装う姿でもない。


 若いほうの男が吐き捨てる様に云う。

「フン、スカしたアマだ! 別にてめぇ~なんざ、興味ねぇーんだよ」

 年嵩としかさの男がつむぐ。

「いや、失礼。我々はギルドに雇われた者でな。鬼衆狩りの助勢を願い出たい」


 素っ気なく、

「――助勢など、いらぬ」


「チッ! はなからてめぇ~の事なんざっ――」

「口をつぐめ、ギーク! すまなかった、こいつは短気でな。私はガトー。失礼だが、君の名は?」

「――わたしに名など必要ない。どうせ、誰も名では呼ばない」

「ハッ、違ぇーね~な」

「……鬼衆相手に我々の助勢がいらない、というのは分かっている。しかし、この街の状況は少し違う。屍等が大量発生しているのだ。こいつらを一匹ずつ相手にしているのは、幾ら君とて流石に骨が折れるだろう」

「――鬼衆ヤツらにとって屍等を作り出すというのは、最悪の自衛手段だ。粗方あらかた、お前達がヤツをおびき寄せる為、奴隷でも餌に使ったのだろう」

「!! チッ、よく分かってやがんぜ、ディーサイド様はよ」

「黙っていろ、ギーク! 正に君の云う通りだ。豈夫まさかここ迄の事態になるとは、考えも及ばなかった。正直、この儘ではらちかない。そこで鬼衆狩りの専門家である君に助勢し、打開したいと考えたのだ」

「――なるほど」

「具体的には、我々の知り得た情報を君に伝えよう。また、君が鬼衆を狩りに行く時、その露払つゆはらいをしよう」

「――いいのか? わたしが鬼衆を倒してしまったら、お前達はギルドからの報酬を受け取れまい」

「構わんさ。我々は刈人かりゅうどである前にだ。我々の失態ミスで街の被害は広がったのだ。その落とし前はつけねばなるまい」

「――……分かった」


 ガトーと名乗る中年の刈人は、ディナンダに来てから探った情報を静かに話し始めた。

 まず、彼等は五人でチームを組む刈人である、と。

 一週間前に他のメンバーに先行して、今の目の前にいる二人がこの街に入り、他の面子メンツはまだ到着していないと云う。

 わたしが云い当てた通り、初日から奴隷商ギルドの商品である奴隷を撒き代わりに鬼衆を誘い出した。

 作戦は上手く運び、初日時点で鬼衆が現れた、と云う。当夜とうやは大雨の上、鬼衆は外套ローブに身を包み、頭巾フードですっぽりと頭を覆っていた為、外見的な特徴の判別はついていない。

 鬼衆が食餌中の処を見計らって、二人掛かりで奇襲を仕掛けた。傷を与えはしたものの、致命傷には届かず、逃げられた。

 この初日の作戦で仕留められなかった結果、鬼衆は闇夜にまぎれては屍等を作り、毎夜まいよ、街を襲撃するようになった、と。

 鬼衆が、屍等がどこにひそんでいるのか、検討もつかない、と。

 かなりの数が屍等になっている為、それが潜伏出来そうな建物は全て調べたが、発見には至っていない。

 唯、一つだけ分かっている事がある。この街の屍等は、消耗が激しい、と。要は、腐敗の進行が早いらしい。霧が多く発生するこのディナンダならではの特徴、ようは環境因子かも知れない、との事。


 ――よく出来た話、だ。


 わたしが問いただしたその時から、して時間もなかったというのに、見事な虚構フィクションを作り上げたものだ、このガトーとかいう男。

 真偽しんぎぜているのだから即興でも出来た芸当か。

 まず、こいつらのメンバー五人は、すでにこの街にいる。

 二百ヤード程離れた場所に隠れ、クロスボウでわたしに狙いをつけている者がいる。手練の狙撃手スナイパーがいるのだろう。ついでに、その更に後ろには遠眼鏡とおめがねでこちらを観察する者迄。

 他一人は見当たらないが、先行した二人のみ、と云うのは嘘だ。


 二人掛かりの奇襲で傷を与えた結果、屍等を作った、と云うのも嘘。

 いや、――正確には、語っていない内容がある。

 恐らく、餌にした奴隷に鴆毒ちんどくったか。

 鴆毒とは、銀、の事。

 陰鐵いんてつを精製出来ない人間達が、鬼衆に対抗する為に使うものといえば、銀しかない。恐らくは、他にもトラップを仕掛けていただろう。

 鴆毒を盛られ、罠を張られ、二人、いな、三人以上の刈人に不意をかれた鬼衆は相当焦ったはず

 これくらいの危機的状況クライシスに追い込まれなければ、屍等を作らせる切っ掛けにはならない。


 少なくともこの刈人二人、それなりの技量を持つ者だと推測出来る。

 この水準レベルの刈人が複数人、且つ、周到な仕掛けを用いる戦術。これらからかんがみ、生き延びた鬼衆も相当。

 凡そ、翼種よくしゅ畸形種きけいしゅ――いや、稀代種きたいしゅか。

 變容態へんようたいを確認していないとすれば、かなりの変わりだね


 それにしても――

 こいつらの云う通り、あれだけの屍等、どこにかくまっている?

 辺りに幽世かくりよの融点は見当たらない。

 腐敗が早いというのも気になる。

 恐らく、このような特徴を語った点、これは事実。虚言でこんな雲を掴むような話など、すまい。

 息吹鬼の未検知、そして、多くの屍等が潜む場所。

 ――なにか……

 じつに、実に単純なを見落としている――


 兎も角、もう少し街を見て回ろう。

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