13:腐乱屍臭2

―――――



「元気そうじゃないか、マリア」

「――なぜ、こんな夜更け、こんな森に」

「まったく、お前は気が済むんだ?」

「……なんの用だ」


 月明かりがあるとは云え、深夜。

 墨を流したかのような深い闇が覆う森の中、濃い色付き眼鏡を掛けた黒尽くろずくめの男がたたずむ。


「まずは着替えだ。替えを持ってきてやったぞ」

「……」

「そんな大穴開けちまって」


 背を向けたまま装備を外し、装束しょうぞくを脱ぐ。

 月明かりに映える真っ白な柔肌に似付かわしくない痛々しい傷痕が右肩甲骨付近をう。


「褒められた戦い方じゃないな。分かっているだろう? 急所をヤラれればお前達とて命を落とすと」


 無言の儘、真新しい衣装に袖を通す。


「――で、用件は」

「相変わらず、性急せっかちだな、お前は」

が待っている。長く離れれば不安がる」

「まったく、物好きな奴だ。情を移してあえぐのはお前自身だと云うのに」


 ――と同じ事を云うんだな、お前も。

 澆薄ぎょうはくな癖に――


「次の依頼元の件、少々厄介やっかいな事になっている」

「なにかあったのか?」

「“”に嗅ぎ付けられた。つまり、そう云う事だ」

「――荒れているのか?」

「まだ、そこ迄は分からんが、粗方あらかたそうもなろうよ」

「どうするんだ?」

「いつも通り。残っていれば遂行すいこう、残っていなけりゃ引き返せ。意味がない」

「――邪魔されたら?」

「それもいつも通り。不殺ころさずは人だけ。“ムシ”は対象外。お前の好きにしろ」


 滑稽こっけい

 笑えないたぐいの。

 わたし達の存在証明、故の不殺、――おきて

 鬼衆きすの血肉で作られたわたし達呪われた半死半生はんしはんしょうの化物が、なにをおもんぱかってか化物ではないと反証する為に設けられた、おまえ達が作ったその不文律ふぶんりつ

 その解釈を、お前達自身がゆがめ、うそぶく。

 厄介なのは、お前達だ――


 ――熟々つくづく、怖ろしい化物だ、人間という奴は。



―――――



「あっ! 遅かったね、マリア!」


 切り分けたウサギ肉を灌木かんぼくに吊るし、干し肉を作る準備をしていたヨータ。

 それ程、足音を立てずに戻ったにも関わらず、わたしに気付く。

 夜中、静寂に包まれた森は、人間の感覚さえ、野性のそれを彷彿ほうふつとさせる程に研ぎ澄ます。

 ――にしても、悪くないかん


「干し肉作る準備してたんだ。塩がないから出来てもそんなに日保ひもちしないとは思うけど、ないよりまマシだから」

「――次に向かう街ディナンダに行く前に話しておきたい事がある」

「! どうしたの急に?」


 わずかながらに強張こわばった表情を浮かべるヨータ。

 しかし、おびえた様子はない。

 いい感覚だ。


「ヨータ、お前は“”を知っているか?」

「……かばねら? ううん、知らない」

屍等かばねらは、一言で云えば、亡者もうじゃだ。その肉体はすでに死んではいるが、成仏できず彷徨さまよう化物だ」

「ええっ!? 死んでいるのに動くの? あ、あれ? 鬼衆とはどこが違うの? 鬼衆も死人しびとの筈じゃ?」

「鬼衆が死人とされているのは“不死者アンデッド”と敎會きょうかいの連中が喧伝しているが故。詳細は省くが、奴等やつらは生きている。だが、屍等は違う。生命体としての活動を終えている。つまり、本物の死人だ」

「!」

「屍等は人を襲い、肉を喰らう。腐敗し、瓦解する肉体を決して維持する事など、絶対に出来ないにも関わらず、その崩れ去る体を補填しようとするかのごとく、動ける間、永遠と人を襲い続ける」


 驚いている。併し、驚き以上に興味を示している。

 恐怖に勝る、好奇心、という奴か。


「屍等は自然発生するものではない。奴等は作られた亡者」

「えっ?」

「屍等は、鬼衆によって作り出された亡者。わば、鬼衆の傀儡マリオネットだ」

「鬼衆によって!? どう云う事なの!」

毒の血ヴラッダ――鬼衆のからだに流れる呪われた血。お前も見た事があるだろう、あの薄い赤色の血液。桜色ともピンクともつかない薄い赤。

 実はあの毒の血の色は、鬼衆の捕食状態に依存する。満たされた鬼衆の血は赤みを帯び、空腹に近付けばみがかり、やがて薄い黄色になり、飢餓状態では白、そして、活動停止した鬼衆の血は無色透明になる」

「……知らなかった。あっ! ラタトの森にいた鬼衆の血が薄黄色だったのは、空腹状態だった、て事なんだね!」

「よく覚えていたな。そうだ、あいつはわたしから身を隠す為、捕食を避けていた。人の姿に模した儘であれば、その衝動は兎も角、比較的長い期間、捕食をせずとも生きながらえる事ができ、あれ程、血の色が薄くはならない。

 奴は、逃げおおせる為、變容態へんようたい人態ひとなりを使い分けていた。變容メタモルフォーゼは肉体を著しく変化させ、その変態にまつわる修復や再生を伴う為、多くのエネルギーを消費する」

「そうか、分かった! 血の色は、栄養素のような何かの有無で変わるんだね?」

「――うむ」


 理解が早い。想像力も豊か。

 ――話しておいて正解、か。


「でも、その鬼衆の血が屍等かばねらとどう関係するの?」

「――毒の血ヴラッダを与えられる事で人は屍等と化す」

「えーっ!?」

「毒の血に触れた処で何の影響もない。だが、奴等やつらが意図して分泌ぶんぴつした体液で毒の血を包み、生きた儘毒の血を人の血管に浸潤しんじゅんさせる事で屍等化かばねらかする。毒の血に置き換えられる前の早い段階に瀉血しゃけつするか、浸潤箇所を切除でもしない限り、助からない」

「……」

「そして、この屍等の面倒な処は、二次感染。鬼衆が屍等を作り出す時、己の意志で分泌液と毒の血を与えるのに対し、屍等自身は汚染された状態である為、意志とは無関係に接触したものに感染する」


 屍等に至る迄は狂犬病に似た症状を見せる。

 発熱、頭痛、不快感といった極一般的な体調不良の兆候を見せ、鬼衆や屍等による接触箇所にうずきや灼熱感といった知覚異常を感じ、やがて、不眠や不安感、混乱、動揺、麻痺症状、興奮状態、幻覚症状、嚥下えんげ障害、過流涎かりゅうぜん、恐水症、恐風症を引き起こし、間もなく死亡する。

 屍等化すると生前における衝動的な本能のみが燃えかすの様に残り、自発的な活動を行う。すなわち、――

 ――捕食衝動。

 腐り落ち、動く為に必要な筋組織や腱が崩れ去る迄、只管ひたすら餓鬼がきの様にむさぼり喰う。

 捕食対象は生死問わず、なんでも喰らう。但し、生きているものを優先的に捕食する傾向にある。


 この異常な症状、いや、状態にある亡者の毒素は、生死問わず感染する。

 毒の血は、その血を離れ、毒素だけが肉に浸食し、生きていようが死んでいようが同じような捕食活動を行う屍等を増殖させる。

 屍等からの感染は、二次、三次と経て、劣化しつつ被害者を増やす。劣化とは崩落の速度を意味し、感染拡大して増殖した屍等の活動期間は短縮される。

 また、同系統の生物にしか感染しない。例えば、哺乳類の屍等は、哺乳類にしか感染しない。

 この劣化と同系統の種にしか感染しないのがせめてもの救い。


「ところでマリア、どうして急に、その屍等って奴等の話をしたの? 次の街に関係するの?」

「……――」


 ――察しがいい。

 いや、当然か。前置きしておいたのだから。

 併し、今迄知りもしなかった屍等についての話を、荒唐無稽こうとうむけいと切って捨てず、理解しようとしつつ、推論しるその思考、明晰めいせき

 それだけに、あやうい――


「――屍等に知性や理性はない。唯、闇雲に生死問わず、肉を喰らう亡者。併し、大元の毒の血を与えた者による支配コントロールを受ける。つまり、屍等を作り上げた鬼衆に従う」

「さっき云ってた傀儡くぐつの事だね」

「そうだ。ディナンダの街にこいつらが現れる可能性がある」


 首をかしげ、なにか考える様子のヨータが口にする。


「でも、なんでだろう? その屍等って、今迄聞いた事もなかったし、勿論、見た事もないんだけど、どうしてディナンダの街にいる可能性が??」

「――鬼衆は滅多めったな事では屍等を作らない」

「? なんで?」

「鬼衆の捕食対象は生者せいじゃのみ。死人である屍等の血肉は鬼衆のかてにはなり得ない。だが、屍等は生死問わず、肉を喰らう。屍等の毒の感染力は強く、ともすればあっと言う間に集落は屍等まみれになってしまう。こうなってしまうと食餌ができず、えてしまうのは鬼衆のほうだ」

「……え? でも、だったとしたら、なんで屍等を作り出すの?」

「手っ取り早く自分のコントロール下にあるものを作る為。何等なんらかの目論見もくろみのある鬼衆だけ。そしてその多くは――」

「多くは?」

「――追い詰められた鬼衆による捨鉢すてばち


 否応なしに気付く事になるだろう、ヨータも。

 その時、お前はきっと後悔するかも知れない。

 人間達がディーサイドと呼ぶわたし達の旅が、行く手が、生きざまが、如何に理不尽に血塗られ呪われたものかを知った時、果たしてお前はお前でいられるのか?

 わたしを見る事ができるのか?


 それでもこれだけは約束しよう。


 わたしは絶対に、もう、捨てやしない――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る