ディーサイド・ブラッドボーン ～ 神を殺すもの ～

７：無限思考の彼方へ＜後編＞

　荒野にいた筈（はず）のわたしは、併（しか）し、街にあった。

　暖かな日差し。賑わう人々の声。活気溢（あふ）れる街並み。

　なんて、いい街、なんだ！

　戦士になってから色々な街を旅して来たけど、こんなにも雰囲気のいい街、見た事がない。

　それにしても、どこか懐（なつ）かしい。

　気のせい？

　もしかして、過去に立ち寄った事のある街なのかも知れない。

　どこからか匂う潮（しお）の香（か）。

　そうだ、この石畳の大通りを真っ直ぐ進めば、海が見えるんだっけ。

　商店街は海の近く迄続いているんだ。

　果物を買って、海の見える場所でそれを囓（かじ）るんだ。玉麺麭（ブール）を買ったら少しだけ千切って海鳥達に投げてやるんだ。鳥達は喜んで食べに来るんだ。楽しいんだよなぁ。

　そら、そこ！　あそこの角にある大きな石階段。ここからは見えないけど、よくその階段では街の人達が休んでいたんだ。

　お爺さんやお婆さん達が歩き疲れ、そこに座るんだ。子供達はもう少し上の広い踊り場で遊ぶのがお約束。若いカップル達はもっと上の方（ほう）の階段に座り、心地良い風と美しい街並み、そして広がる海を眺めながら楽しむんだ。

　ほら、やっぱり！

　今日も、いつもと変わらない日常が広がっている。

　――！？

　なんだ、コレは？

　なぜ、わたしは知っているんだ、この街を！？

　記憶――

　――いや、思い出、か？

　わたしは、この街を、知っている！！！

「なんでだ？　なんで幽世（こっち）に迄、ディーサイドが来てやがんだ！」

　――ハッ！

　鬼衆（きす）！

　いつの間（ま）に？

　こ、こんなに近付かれていたなんて。

　なぜ、気付けなかったんだ？

　こんなに……こんなにも不愉快な臭いを撒き散らしていると云うのに、なぜ、今の今迄気付けなかった！？

「おかしいなぁ～？　人間共の依頼でしか動かねぇーお前（め）ぇ～らが、どうして幽世（こっち）にいるんだ？」

　こ、こいつ……

　變容態（メタモルフォーゼ）！

　なぜだ！

　今は、日中、だぞ！

　人に擬態もせず、日の光を怖れない鬼衆なんて、聞いた事も見た事もない。そんな出鱈目（でたらめ）な奴、居（い）て堪（たま）るか！

　而（しか）も、３メートル弱ある巨軀（きょく）。仮に異能がなくとも純粋に難敵。

「あっ！　分かった、わかったぞぉ～？　お前ぇ～、迷い人（ロスト）だな？　偶然、幽世に来ちまった奴かぁ！　どうりで、分かってねぇ～訳だ！」

「――ロストだと？　勘違いするな化物。わたしはお前を退治しに自ら来たんだ」

「！？　なんだとぉ～？　依頼はっ？　依頼主はどこのどいつだッ！」

「――妖精（ルナシー）」

　一瞬、鬼衆の表情が強張（こわば）る。

　併（しか）し、間もなく破顔（はがん）。

「ぶぁ～っはっはっはっはーっ！　面白（おもしれ）ぇ～事抜かしやがんだなぁ～、ディーサイドって奴ぁ～！　お前ぇ～、さっきからこいつの事、見えてねぇーだろぉ～が！」

　――こいつ？

　こいつ、とは一体？

　あっ――

　奴の手に、その巨大な手に握られている昆虫の様（よう）な翅（はね）を持った小さな人型の生き物が見える。

　まさか、そいつが妖精なのか？

　それにしても、なぜ、気付かなかったんだ、妖精に。

　奴の姿は既に見ているのに、その手に握られた妖精には気付きもしなかった。

　――なぜ？

「ぶぁっはっはっはーっ！　難儀なこったなぁ～、ディーサイドって奴ぁ～！　半分オレ達の血が入ってっから行き来は出来んだろぉ～が、残る半分人間の血が混じっちまってるもんだからぁ～弊害がでちまってやがるッ！」

「知ったふうな口を利（き）く奴だ。わたしに大言壮語（たいげんそうご）吐（ぬ）かす鬼衆は皆、寿命を縮める」

「へぇ～、そぉ～なんだぁ～？　じゃぁ、サービスしてやるか！　今からお前ぇ～を、ギョッ、とさせてやるぜぇ～？　よぉ～く、オレの姿を見ときなっ」

「――なにを世迷（よま）い言（ごと）……をっ！？」

　腕ッ！

　両腕が一組、増えた！？

　左右の肩口から腕が、生えた！

　ば、馬鹿な！

　一本、二本、三本、四本……

　何度数えても腕が四本！

　四ッ腕の鬼衆だとッ！？

　畸形種（きけいしゅ）だったのか、こいつ！

「ぶぁ～っはっはっはっ！　ギョッとしたろ？　焦ってるね、焦ってるねぇ～、ディーサイド！　汗ばんでるなぁ～？　鼓動が早くなってるなぁ～？　分かるんだよ、ディーサイド！　手に取るよぉ～になぁ～っ！」

「巫山戯た事をっ！」

「次はぁ～、ゾッ、とさせてやんよ！」

「――！？」

　き、消えた！？

　――ブォン！

　右側から巨大な平手（ひらて）が迫（せま）る。

　辛うじて肘を曲げ、上腕と前腕でくの字を作り防御（ガード）。

　だが――

　圧が、その巨軀のなす衝撃が思った以上。

　左方向に思い切り吹き飛ばされ、壁に激突。左肩から脇腹を痛打。

　こいつ……

　……強い。

「どぉ～したぁ～、ディーサイド？　背中のそれはぁ～、飾りかい？　抜いてもいいんだぜぇ～？」

「――なら、そうさせて貰おう……」

　肩越しに右手を回し、柄を握る。

　下左腕には妖精を握っている。謂わば、人質代わり……

　今さっきの攻撃は……上左腕。

　こちらから動きを見せれば……妖精を盾に……だろう。

　故に……奴の左側面………から……

　……駆け抜け…………躱し……右回転して…………

（……　　）

　――はっ！？

　今、わたしはなにを……

「なんだぁ～？　かかって来ねぇ～のかぁ～？　ならっ、こっちからもう一丁！」

　下ッ！？

　下方向から足蹴（あしげ）！

　多腕（たわん）を活かさず、蹴りだとッ？

　予想外！

　避（よ）け切れん！

　右方向に体を捻（ひね）る。

　ぐあっ――

　左脇腹を掠（かす）めただけで吹き飛ばされるパワー！

　１０フィートものノックバック。

「お～い、ねぇ～ちゃん！　あんたぁ、ほんとにディーサイドかぁ～？　とても戦士とは思えん不甲斐（ふがい）なさだなぁ～？　ぶぁーっはっはっはーっ！」

　こいつ――

　戦い慣れている！

　幽世（かくりよ）に引き籠もっている奴とは到底（とうてい）思えん。それくらい、戦闘慣れしてる。

　四本の腕を、妖精を人質に……その全てを利用し……わたしの注意を分……散させ……

　こちらも……太刀を抜き、刃を…………フェイントをかけてから……刀身を下から…………

（……　　）

　――ハッ！！

　なんだ？

　なんなのだ、この間（ま）は！

　い、意識が……意識する度（たび）、断片的に…………飛ぶ……

　まずい！

　今もッ、今もだ！

　考えるのは、考えるのは……マズイ！

「よぉ～っしゃ。ちぃ～とばかり、本気でイクぞぉ～、ディーサイド！」

　き、消えた。

　いや、左ッ！

　追えない速度ではない。

　上右腕による打ち下ろし。スウェーバックで顎ごと頭を引く。いや、違う、それはフェイク！

　こっちが本命か、下右腕によるショートフック！

　ガード、ブロッキングだ！

　ダメだ、間に合わない！！

　ぐわしゃッ！

　鮮血迸（ほとばし）り、ボロ雑巾のように吹き飛ばされる。

　地べたに叩き付けられ、枯れ草（タンブルウィード）のように転（ころ）げ回り、家屋に激突。

　顳顬（テンプル）への直撃。巨大な拳故、左側頭部全体に痛打。

　頭蓋骨に罅でも入ったのだろう。目眩と吐き気を感じ、意志とは無関係に筋肉の収縮が見られる。

　膝に、膝に力が入らない。

　わたし達の再生能力は人間どころか、鬼衆そのものより遙かに早い。

　併し、今の再生力は弱い。

　鬼衆との連戦、集落での極端に短い滞在時間、長旅、そして、エネルギー不足が如実に表れている。

　だが、苦戦の理由はそれではない。

　――薬。

　抗興奮剤（トランキライザー）“微睡み（ドーズ）”の影響。

　理性と悟性の欠如が生む思考力の低下、欠落。

　理屈の消失、理論の消滅、道理の失念。

　知っている事しか感じず、感じるものしか知れない世界。

　幽世そのものがそうなんじゃない。

　そんな法則で幽世は成り立っていない。

　そうでもしなければ触れられない世界、それが幽世。

　知感（ゲイズ）でしか知覚できない幻想世界。

　夢幻（ゆめまぼろし）なる意想外（いそうがい）の世界。

　そうだろ――

「……――そうだろ？　ダミアン！」

「…………なんだ、お主（ぬし）。儂（わし）の狸（たぬき）寝入りに気付いておったのか？」

　左掌（てのひら）でもぞもぞと蠢（うごめ）く人面疽（じんめんそ）が反応する。

「宿主（やどぬし）の生命の危機にも関わらず悠長（ゆうちょう）だな、お前」

「なにを云（ゆ）うとるんじゃ、お主？　この程度の肉体損傷（ダメージ）で生体活動を停止する程、お主の体は柔（やわ）ではあるまい。寄生しとる儂が云うんだ、間違いないわ」

「御託（ごたく）はいい。さっさと助けろ、化物！」

「冗談云えるくらいの元気はあるじゃ～ないか、マリア？　死に直結する程の危機（ピンチ）って～なら助太刀（すけだち）すんのも吝（やぶさ）かじゃ～ねーが、今はまだ、そん時じゃ～ない！」

「！？」

「……と云いたいトコなんだが、お主。肉体以上に精神をヤラレちまっとるでな。ちと早いが、手伝うとするか」

「――……」

　ドスン！

　豪快な足音を上げ、近付く鬼衆。

「おぉ～い、だいじょーぶかぁ～、ディーサイド？　生きてっかぁ～？　一人でブツブツ云ってっと、頭おかしーって疑われるぞぉ～？　まぁ～、どぉ～せここで死ぬんだから、どーでもいいってかぁ～？　ぶぁっはっはっ！」

　上右腕を思い切り振りかぶる。

　動けないとみて、フェイクなし、全力の打ち下ろし。

　丸太のような豪腕が唸（うな）りを上げて飛来する。

　サッ――

　透（す）かさず、左手を頭上に翳（かざ）す。

「ぶぁーっはっはっはーっ！　なんだそりゃ！　もう抵抗の意志もねぇ～ってか、ディーサイド！」

　――バヅン！！

「おっ！？」

　巨漢の鬼衆の上右腕の肘より先が――

　――ない！

「ぐぎゃゃゃゃあああ！　なっ、なにをしやがったぁ～！！？」

　左手を突き出す。

　モシャッ、モシャ、モシャッ、グジュッ、グジュル……

　ペッ！

　掌から吐き出された醜悪な肉塊には、鬼衆自身の薄紅（うすくれない）の血液と毒々しい深緑色の唾液が纏（まと）わり付く。

　それが失われた自分の右手だと気付く迄、そう時間は掛からない。

「てっ、てめぇ～、化物を飼ってやがったのかぁっ！！」

「化物に化物呼ばわりされるのは心外だが、概（おおむ）ね当たっているんでこの際、不問にしてやろうかのう？」

「！？　し、しゃべりやがったぁ！」

「そらっ、儂の喀痰（ゼグレート）でも馳走しようかッ！　くぁぁぁ……ペッ！」

　ドス黒い粘着質の痰（たん）が掌から噴出。

　鬼衆の右肩にそれが付着すると、シューシューと音を立て、皮膚を肉を溶かす。

　ぐぎゃあああ！

　強烈な熱傷（ねっしょう）は黒煙を上げながらみるみると拡がり、筋組織や骨を溶かし、間もなく、上下の右腕を肩ごと砕き、欠損する。

「うむ、これでお主の腕（かいな）も二本になったのう。尤も、左に寄り過ぎてはおるが」

　――考えるな。

「ゆるさん、ゆぅるさんぞぉっっっ！！」

　――感じるままに。

「ディィィィーーーーーサァァァァァィィィィイドッッッ！」

　唯、純粋に、無心に、赴（おもむ）く儘にッ！

　――ブンッ！

　太刀を、

　ヒュン――

　刃を、

　――シャッ！

　振り抜く、

　グオン――

　斬り下ろす！

　――ザグン！！！

　鬼衆の頭蓋が割れる。

　絶叫を上げさせる遑（いとま）さえ与えず、叩き割り、砕き斬る！

　後は唯、

　幽世（かくりよ）を覆い尽くす鈍色（にびいろ）の空に、

　鮮やかな、色鮮やかな薄紅色した血の花弁（はなびら）が、

　絢爛（けんらん）に舞い散り、狂い咲く。

―――――

　これが、妖精（ルナシー）、か。

　その姿、初めて、見る。

　その存在がなんなのか、皆目（かいもく）見当（けんとう）がつかないものの、鬼衆の手に握られ気絶しているところを見るに、恐らくは“生命体”なのだろう。

　昆虫のそれを思わす、無色透明な翅は、覗く角度によって僅（わず）かな虹色を醸（かも）す。

　１フィートにも満たないその小さな躰（からだ）は、わたし達にも似た白。

　違いと云えばその肌は、まるで発光しているかのようにも見える。いや、抑々（そもそも）透けているのか？

　ん？

　気付いたか。

　小さな顔に不釣り合いな程、大きな青い瞳を開き、わたしを覗き返す。

「君だね？　君が助けてくれたんだね？」

　こくり、と頷（うなず）く。

「ありがとう、デイサイド！　感謝してるよ、本当にありがとう！」

　――驚いた。

　妖精（こいつ）らも亦（また）、わたし達をそう呼ぶのか。

　まぁ、そんな事はどうでもいい。

　報酬の件だ。

　わたし達が薬を使ってしか来られないような場所。結社の奴等もおいそれとは回収しに来られまい。

「――報酬の件だが」

「ああ、うん。その話はもう済ませているよ」

「え？」

「いつ助けにくるかも分からず、成功するとも限らないのに、先払い、したのか？」

「ううん、違うよ」

「どういう事？」

「報酬は、助けてくれたデイサイドの守護妖精（ヴァジュラ）になるって話なんだ」

「……守護妖精？」

「うん！　君に幸運を！」

　一体、何の話だ？

　報酬が結社にではなく、鬼衆狩りをした戦士本人に渡されるなんて話し、聞いた事がない。

　それに守護妖精とは、一体なんなのだ？

　……ああ、思考が鈍る。

　そうだ、ここはまだ、幽世だ。

　考えるだけ、無駄。

　無駄なのだが――

　――街が……

　白茶（しらちゃ）けている。

　元々、パステルがかった淡い色彩の街並み、いや、風景。

　凡（およ）そ、わたしが生み出した心象風景が、幽世に触れて共鳴し、具現化された曖昧（あいまい）な世界。謂わば、精神の齎す蜃気楼（しんきろう）。

　その曖昧さが掻（か）き消えようとしている。

　そうか――

　薬が――微睡（まどろ）みの効果が消えようとしている。

　戻るのか、荒野に。

　あの乾いた大地に。

　餓えを取り戻しに。

　一瞬の思い出が、あの懐かしい風景に、後ろ髪を引かれるつもりは毛頭ない。

　限界を迎えるその時迄、わたしは突き進む。

　願わくば、あいつに、わたしの力が届く程迄に！