5:人喰いの村<後編>

 を落とした暗い部屋、静まり返った夜の森にある家屋。たったそれだけの事実で、外の雑音ノイズが鮮明にえる。

 勘の良い人間、そして、臆病な人間であれば、聞き逃すはずもない雑音。

 ――足音。

 一つや二つじゃない。複数。かなりの数。数えるのが億劫おっくう

 忍ばせている、息をひそめて。

 無駄――

 静寂な立地ロケーションは、いっそ天然の防犯装置セキュリティおよそ、お前達の鼓動の音すら聞き分けられる程。

 ――それに、

 この鼻の奥を刺激する特有のにおい。鬼衆きすの残り蔓延まんえんしているぞ、周囲に。獣の声が聞こえないのが何よりの証拠。そう、獣は嫌う、この臭いを。


「行くぞ!」


 何者かの号令に、せきを切ったように、家屋におどり込んでくる連中。

 よく見えるぞ、お前達の姿が。すきくわかまちょうな玄翁げんのう、中には山刀マチェーテ段平スパーダを握る者まで

 行燈カンテラの灯りに頼るお前達より、わたしの目のほうが利く。わたしにとっての星明かりは、お前達の日中以上の視野になる。知るよしもない、か。


「い、いない!?」

「どこだ! どこに消えた?」

「建物から出た姿を見た者はいない。必ずどこかに隠れているはずだ」

「探せ、探せ! クスリは効いている筈だ」


 粗方あらかた――

 襲撃者のほとんどが家屋に侵入したようだ。

 頃合ころあい、だな。

 屋根裏をつたい、あらかじめ外壁に人一人通れるスペースの穴を穿うがっておいた脱出口だっしゅつこうから身をよじり抜け、屋根上を跳ねるようにして駆け下りる。物音一つ立てずに。

 襲撃者の到来方向から死角となる裏手側から近くの大樹たいじゅに走り寄り、その太い幹に体を預け、身をひそめ、探る。


 ――る。

 残り香ではない、自らその臭いを発するもとがいる。鬼衆本人が近くに。

 何処どこだ?

 こんな大掛かりな真似をする奴が、襲撃者にまぎれ、共に建物に侵入しよう筈もない。

 ひかえている。恐らくは後方に。しかし、建物が見える位置で。

 襲撃そのものは村人達を仕向け、自らは動かず安全な場所から様子をうかがっている。人に紛れ、人間社会に溶け込むすべけた狡猾な鬼衆とは本来、そういうもの。とは云え、生来猜疑心さいぎしんが強いが故、自分の目で確かめねば気が済まない。正に、悪漢ヴィラン

 自らの手は決して汚さない。その手が血に染まる時、それは奴等やつら食餌しょくじをする時。

 つまり、新たな被害者が現れる時のみ。


「――?」

「どうした? なにか見つけたか?」

「あの厄除けアミュレット。皆、着けている」

「なんだ、そんな事か。んなもん、この村に来た当初に気付いておったろ、お主」

「――ああ。だが、あの印、見た事もない……なんの礼拝カルトだ?」

「こんな片田舎の山村にある土着礼拝なんぞ、知らなくて当然だ」

「――……聖職者」

「ン? 聖職者ぼうずがどうした?」

「聖職者がいる筈だ!」


 確信――

 身を隠していた大木から飛び出し、襲撃者がやって来た方向、村側の小径こみちに駆け寄る。

 元より夜更け。影など残ろう筈もない。だが、えて影すら残さぬ速度で移動、かすかに見えた人影に接敵せってき

 見えた!

 ――装束しょうぞく

 聖職者とおぼしきご大層な服飾、その装い。周囲に数人の村人をお付きとして引き連れている。

 間違いない、だ!


「むっ!」


 こちらに気付き、値踏みでもするかのような視線を送ってくる。

 はぁ~……

 そいつは一息、溜息ためいきを漏らし、口を開く。


「まったく、役に立たん連中だ、人間というやからは。ちゃんと食事にアレはれたんでしょうね?」

「はいっ! クスリはいつもの5倍、いえ、10倍は容れています! 幾らディーサイドが半死半生はんしはんしょうの化物とは云え、効かない筈が……」


 一歩踏み出し、

「人を何だと思っているんだ? あんな気色の悪い痲薬まやく、口に含みたくもない」

「なッ!? しょ、食事は? 喰ったんだろ? どうしたんだ!?」

「――それならほら、この通り」


 と下げた左手から、したた吐瀉物としゃぶつ

 怪訝けげんな表情を浮かべる者、不快な表情に顔を歪める者、不気味なさまに悲鳴を上げる者、誘われて嘔吐する者。

 付き添う村人の反応を余所よそに、聖職者風の男は続ける。


「奇っ怪な真似を。鬼衆である俺がヒク程のあやかしわざを使うとは。これだからディーサイドは人間どものだ」

「元より好かれようとは思っていない。それよりお前はどうなんだ?

 宗教と痲薬、そして、恐怖で縛ったり口が、人間に好かれるコツだとでも思っているのか?」

「……ほほ~う、察しがいいな、ディーサイド。いつ調べたんだ? この村に入る前に間諜スパイでも送り込んでいたのか?」

「お前ごとき相手にそんな手間てま等かけるいとまはない――臭い、だ」

「臭い?」


 鬼衆の周りに居並ぶ村人の首元を指差し、

「村人が皆着けている厄除けアミュレットの首飾り。お前が捏造した礼拝カルトのものだろ。

 村人達から一様いちようにお前の臭いがただよっていた。常日頃つねひごろ、お前と接触していなければ移らない臭い。鬼衆と身近にある状況、それはお前が中心となった日々の礼拝しかあるまい」


「……勘が鋭いな。だが、何故クスリの事迄分かったんだ?」

「それはうそぶたなごころの仕業」

「たなごころ?」


 おもむろに左の手の平を鬼衆にかざす。

 手の平の中いっぱいに広がった醜悪な肉腫、腫れ物、いや、それは正しく人面疽じんめんそ

 苦虫を噛み潰した様な表情に見えるは不意に両眼を見開き、鮮やかな黄色の瞳で鬼衆と村人達を一瞥いちべつ、分厚い唇を歪ませ、ペロっと舌を出してみせる。


「やあ、諸君! 今晩は! 元気かい? 人面疽のおじさん、だよ」

「!? なッ!!」


 を閉じ、


はわたしに取りいておってな。いつかわたしを取り込み、その立場を逆転したい、と願っている悪党だ」

「……な、なにを云っている??」

「隙あらばわたしを乗っ取ろうと欲しているこいつは、肝心な事は決して云わない。

 当然、出された食事への混ぜ物に、気付いてはいても云いやしない。何故なら、その混ぜ物で、わたしが死なない事が分かっていたから。

 死なない事は分かっていたが、わたしの意識が混濁するであろう事も知っていた。だから、こいつは決して云わない。そういう奴なんだ」

「…………それとクスリの話、なんの関係が??」


 背の大太刀を抜き、はすに構え、


「混ぜ合わされた痲薬、それはお前の体組織だろ?」

「!? な、なぜそれを……」

「答えはさっき云ったろ、臭い、だと」

「!」

「わたしの左手は、村に着いた時点でお前の臭いに勘付いていた。わたしもだが。

 その左手が、食事にまとわり付いていたお前の臭いには反応しなかった。いや、反応しないでいた。隠した、と云った方が正しいか」

「……」

「一部の鬼衆には、人をかどわかす力を持つものがいる。恐らく、お前の血肉を稀釈きしゃくして作ったその痲薬には、人間の思考能力を低下させ、一種の催眠作用を促す効果があるのだろう。

 知性を失い、日光に弱い屍等かばねらを作り出すより、人を人の儘操る事の有意性を見出みいだし、カルトを作って支配した。

 そして、――」


 鬼衆は一歩退き、


「……そして?」

「――そして、お前は村人達に余所者よそものおびき寄せる指示を下し、村に迷い込んだ憐れな犠牲者をそこの家屋で襲わせ、お前自身のかてにしていたのだろう。

 村人を支配下に置き、その人力を活かした儘、労せず糧を得るお前自身の狩り場、いや、食事処か。自身の血肉を分け与え、代わりに旅人の命を供物とさせる巨大なトラップ。奇妙な共存関係の成り立った呪われた村。

 わば、

「……くっ、くく、クククッ。いやぁ~、凄いね、凄いよ、ディーサイド!

 唯、デカい段平だんびら振り回すだけの脳筋のうきん集団だと思っていたが、名推理! 名探偵じゃあないかァッ?」


 抜き身の太刀を手前に引き、握った右手の食指ひとさしゆびを立て、


「一つ。一つだけ分からない事がある」

「……なんだ?」

「わたしが来なければ未来永劫、食餌に困らなかったであろうこの人喰いの村。

 だと云うのに何故、結社に依頼を出した? 鬼衆を倒してくれ、と」

「……ああ、か。分からない? 知りたい? いいだろう。教えてやるよっ!

 ただっ、こいつらにつかまって、俺に殺される事を約束できんならッ、だがな!」


 村人達が歩み出る。

 おびえた表情に、不安な表情、震えながらわたしの前に立ちふさがる。

 やはりこいつら、意識そのものは失っていない。

 礼拝と痲薬、そして恐怖で縛られて抵抗出来ない、そんな感じか。

 いや、違う――

 彼等が呼ぶディーサイドという存在への畏怖いふ、怖れはある。だが、日常潜む身近な恐怖そのものにはあらがえない。

 生き残る為に選ばざるを得ない消去法。選択肢の存在しない難問に対する回答を生存本能が遠ざけ、狂気に触れた有りようひた走るしかない罪の意識。だが、そんな理由じゃ、犠牲となった余所者達への謝罪にはならない。

 熟々つくづく、憐れ。

 ろくで無し、いや、人で無し。

 ――だが……


「知っているぞ、ディーサイド! お前らには、“不殺ころさず”のおきてがある事を。

 鬼衆である俺を斬る事はできようが、こいつらを斬り伏せる事はできまい!」


 ――

 なぜ、それを知っている?

 こんな人里離れさびれた小さな山村で生きながらえている鬼衆如きが、なぜ、わたし達結社の掟を知っているんだ?

 ――なにか、

 なにかがおかしい!


「知らないのかお前ッ! 身に危険が押し迫った時、これを排除する目的であれば、不殺の掟には値しない事を!」

「なっ、なにィー!?」


 捕らえようと襲い掛かってくる村人達を、かわす、く。

 わたしの動きを、常人が捉えられよう筈もない。

 躱しざま、左手一本で手刀、背刀はいとう掌底しょうていで打ち据える。

 気絶させるだけで十分。

 人の壊し方を知っている。

 壊し方を知っているからこそ、壊さない方法も心得ている。

 至極、当然。


「終わりにしよう!」


 姿勢を低くし、太刀を担ぎ、

 跳ねる!

 いまだ襲い掛かってくる村人を、その配置を、位置を目眩めくらまし代わりに、奴の死角をついて接近、滑り込みながら地を薙ぎ払うように太刀を振るう。


「ギャッ!」


 膝上二寸の処を両断、翻筋斗もんどり打って前のめりに崩れる鬼衆。

 地べたに転げたそいつは、両腕上腕に力を籠める。

 バキバキと軋ませながら、筋肉と腱、骨が異常な発達を始める。

 變容メタモルフォーゼ――


 ――させはしない!

 ひざまづいた状態の儘、膝を中心に360度回転、右手に握った太刀を時計回りに横薙ぐ。


「グァッ!」


 変貌しつつあった両腕を斬り落とし、力無く腹這はらばいに倒れる鬼衆。

 両手足を奪われうつぶせの儘、何も出来ず藻掻もがき苦しむそいつに、最早もはや一片の脅威もない。


「遅い、遅過ぎるぞ、鬼衆。どうせ變容するのであれば、もっと早くに正体を現しておけ」

「……グッ、グムゥ~」


 太刀を返し、刃を下に向け、鬼衆の頭上に掲げる。


「……つもりがなかった」

「――なに?」

變容へんようするがなかった」

「――……なにを、――なにが云いたい?」

「知りたいのだろ……なぜ、俺のこの箱庭に、危険な存在たるディーサイドを自ら呼んだのか、を」

「……」

「教えてやる……教えてやるから……」

「――見逃せ、と?」

「…………そ、そうだ。悪い条件じゃないだろ」

「そうだな――悪い条件では、ない」

「それならっ!!」


 ――ゾンッ!

 這いつくばる鬼衆の頭部に、刃を突き立てる。

 なんの力も込めない。唯、太刀の重量そのものを落としただけ。


「――鬼衆の条件等、飲まない。飲もう筈もない。

 鬼衆を狩る依頼は絶対! てつの掟。この掟は、この掟だけは、決して破られる事はない!」


 うわぁーっ!

 蜘蛛の子を散らすように逃げまどう村人。

 闇夜の空に、人々の悲鳴がこだまする。

 ――脅威は過ぎ去ったと云うのに。

 そんなに怖れる必要は、もうない。鬼衆を倒したのだから。お前達を縛っていたくびきは今、解かれた。

 だから――

 怖れる必要は、なにもないんだ!


 不殺の掟は事実。

 忌々いまいましい事に、奴の言葉に間違いはない。

 お前達を、村人を、人間を、わたしが人を殺す訳がない、筈もない――


 ――わたしがわたしでいられる限り……


 山から吹き下ろす夜更け過ぎの風は、いつになく冷たい。



―――――



「まったく、頭の堅い奴だな、おぬし

「……」

「あんな奴の条件なんざ飲むだけ飲んで話を聞いた後、ブスリといきゃ~イイんだよ」

「……――」

「そう云う処がお主の甘いトコだ。愚直と云えば聞こえばいいが、馬鹿正直じゃ命が幾らあっても足らんぞ、お主!」

「――」

「こっちはお主に死んで貰っちゃ~困る! もう少し、賢く立ち回らにゃ~よぉ?」

「――よく回る口だな、ダミアン。今度、鬼衆の尻にでも口吻キスさせてやろうか」

「なんだ、元気じゃねーか! 分かった分かった、鬼衆のケツなんざ願い下げなんで暫くは黙っておくさ、暫くは」

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