3:白眼の処刑人3
母さんが倒れている。妹のサーヤも。
いや、二人共、床に転がっている、そう表現するのが正しいのかも知れない。
――うえっ!
込み上げてくる、吐き気。
血の海に転がる、母さんだったモノと妹だったモノ。損壊の激しい肉親の、いや、肉塊となったそれを、
「待ってたぞ、ヨータ!」
濁った声。こんなにも不吉で
知らない筈だった。
だと云うのに――
「あ、……
見開いた瞳は濁ってはいるが鮮やか過ぎる黄色。
「まぁ~ったくよォ~? 余計な事してくれたぜ、あの村長もヨぉ~?」
「な、なに云ってるの、兄ちゃん……」
「
受け入れられない。現実のそれを見ても、兄コータがそれだとは認めたくない。
そんな筈はないんだ!
だって、一緒に暮らしてきたんだからっ!
「なぁ~ンだ、ヨータくん! まァーだ、気付かんのか?」
「!?――」
「俺だヨ、俺! 俺が
「……」
コータの、コータのような姿をしたそいつの姿が変貌する。
服は破れ、血管が浮き上がり、筋肉や骨が
「あの異邦人も、君の親父サンも、他の三人も。そしてッ! 君の兄さンも母サんも妹も、ぜぇ~ンぶ俺が喰ってヤッたのサ」
「――……」
「あるぇ~? あまり驚かないンだネ、ヨ~タくんはサァ~?」
「――ッ!」
殴り掛かっていた、
当たろう筈もない。触れる事さえままならない。分かり切ってはいたのだけれど、殴り飛ばしてやりたかった。
変貌した人型のそいつは醜いながらも涼しい顔付きで、まるで虫でも払うかのような仕草で軽く腕を振った。
唯それだけで俺の体は重力を失い、弾き飛ばされ白壁に叩き付けられていた。打ち付けられた衝撃で呼吸が出来なくなり、軽い
痛みはそれ程感じない。痛覚を忘れさせる程、俺自身の無力さに絶望していた。
「ン? んン~? どうかしたのか、ヨータきゅん? 犬のように地べたに這い
「……」
言葉が出ない。
目の前にいる鬼衆への恐怖からじゃない。あまりにも無力な自分の、自分自身の
「ふ、ふフっ、フははっ! 食物連鎖ってのを知ってイるか、ョ~タ?」
「――……」
「雑草を豚が喰い、そのブタを人間が喰う。俺達鬼衆はその肥え太ッた人間共を喰う!
生態系の頂点にアる俺達は、常に人間共を捕食する絶対上位種。俺の気分次第で生かすも殺すも自由。故に、敬い、尊び、
人間共にとっての“神”とは、正しく
「そんな“神”なら、――いらない、な」
独白じみた鬼衆と化したコータの
一瞬、
開け放たれた入口扉には、風変わりな異国の装束を纏った白い女が静かに立つ。
「そ、そうか。貴様が噂の<ディーサイド>、“神を殺すモノ”かッ」
「――お前達がそう呼んでいるだけ」
「ふヒッ、この短時間でよくオレが鬼衆だと分かッたな? ソレだけは
「その少年からお前の残り
その違和感の正体。
彼女の目が、その
「ふハッ、ふヒヒ。
人間風情が、
「弱い
「!? イキがるねぇ~、
なんて速さ――
突進! 2メートルの
迚も相手になんか出来ない、そう思った瞬間、
――ゾンッ!
鈍い音が響くと、持ち主から自由となった鬼衆の左腕がからからと宙を舞い、妙に色素の薄い桜色の
「ぎィ、ギィャアアアア!」
鬼衆との擦れ違い
何が起こったのか分からない素振りの鬼衆は、間もなく訪れた激痛に
「ど、どうなッてる! どうなってルゥ! どーなッてヤがンだよッッ!!
オレ達鬼衆の半分しか入ってないディーサイドがッ、なンでっ、
「知らないのか? わたし達の強さは、残る半分の人間側に
「……クッ」
へたっていた筈の鬼衆の姿が、ない!
――あっ!!
背後から首元に手を回される。いつの間にか、鬼衆が俺の背後を取っている。
しまった――
これは正しく、
「人質、だァ! 強さの源が人
「――なにか勘違いしているようだが、別に人の心が強さになっている訳ではない。
なんだったら、先にその少年を殺してくれても構わない。どうせ、わたしが駆けつけるのが遅れていれば死んでいたのだから」
「……くっ、こ、コイツ、マジで云ッてンのか」
お姉ちゃんは本気だ――
その言葉に嘘偽りはない。言動に迷いがない。何より、赤い眼差しが冷たい。
でも、なんでだろう。
不思議と、怖くない。俺が覚悟を決めたって訳じゃない。
唯、何となくだけれど、彼女の寂しさが感じられたから。気のせいかも知れないけど。
「どうした、
「こ、こっ、このヤローっ!」
鬼衆のぶっとい腕が振り上げられた瞬間、
――ぼとり。
その右腕が肩口から落ちる。鮮血を吹き上げながら。
「ギャアアアアッ!」
「鈍感だな、痛覚も躰も脳味噌も。既に斬られていた事にすら気付かないとは」
「お、オレの腕がッ! オレ様の両腕がァァッ!」
「なにを云っている? わたしが斬ったのは、腕だけではないぞ」
ぼぞん――
くの字に踏ん張っていた両足の
「たっ、助けてくれッ! た……頼む! 赦してくれッ!」
「――彼に、少年に頼んでみろ」
地べたに転がる鬼衆に
「……お、お姉ちゃん、これは?」
「
「え? こ、これ……」
「こいつ自身が云っていたろ、生かすも殺すも自由、と。
「……」
「お前がお前自身で決めろ、どうするかは」
助けてくれ、と懇願する鬼衆の姿はいつの間にか
口から薄いマゼンタの血を流し、涙と鼻水で顔を濡らすその姿は鬼衆には見えない。在りし日の兄そのもの。
親父を、お袋を、妹を、そして、兄ちゃんを、殺した鬼衆。赦せない、赦さない。
だと云うのに――
コータの顔をして赦しを
悔しくて悔しくて、悔し過ぎて、こんなにも悔しいのに、こいつを殺せなかった。
――俺は、俺は……
「――そうか。それがお前の“答え”か」
「……」
お姉ちゃんの声は冷たい。けど、その問い掛けは、俺に向けられたものではなかった。
コータに化け、顔色を
「わたしの答えは“こう”だ」
「!?」
――ザグゥッ!
太刀の
ギャッ――
短い断末魔を上げ、
俺の仇討ちは、図らずしも終わりを告げた。
―――――
「コータの奴が鬼衆だったってよ」
「ああ、聞いたよ。おっかねぇ話だ」
「俺なんか昨日、村長の家で一緒に居たからな。一歩間違えりゃ、襲われてたかも知れねーさ」
――村中の噂になっている。
「それにしても凄ぇ~よな、ディーサイドは。着いたその日に退治しちまうんだから、やっぱ人間じゃねーなアリャ」
「ああ、全く怖ろしい奴だよ、白眼の処刑人様は」
「まぁ、退治終わったんならすぐ帰るだろ。どーせ、また別の依頼とかあるんだーし」
「そりゃありがてー話だ。居座りでもされちゃ~
色々な噂――
「そう云や、ヨータは? 両親兄弟みんないなくなっちまって可哀想に」
「村長さんが預かってるらしいよ。ほら、やっぱ縁起悪ぃ~からな」
「まぁ、そうだわな。コータみたいになられても困るしな」
――
「ヨータ、忘れろ、何もかも。お前は何も悪くないのだから。
親兄弟の事、事件の事、昨日の事、全て忘れろ。お前はまだ若い。明るい未来が待っている」
村長のかけてくれた優しい言葉。
でも、違う。違うんだ。そうじゃない。
俺は――
「ところで、ディーサイドはいずこに?」
「ああ、もう
「そりゃ良かった。長居されても困るし、なにせ不吉ですしな」
「まあ、鬼衆もディーサイドも同類ですしな。厄介事を起こすとも限らんので」
――俺は!
走った。
村長の家を飛び出し、街中を、街外れ迄走った。
彼女と一緒に
追った。追い掛けた。彼女を。追い掛けて。
走って、走って、走って。
そして、荒野を独り行く彼女の背を目にした時、力一杯叫んだ。
「お姉ちゃん!!!!」
立ち止まってくれた彼女は、
「ごめん、お姉ちゃん! 嘘をついて」
「……」
「力があれば敵を取れるだなんて……お姉ちゃんがその機会をくれたのに、俺、動けなくて……」
「……」
「怖くてこわくて、悔しくてくやしいのに、怖くてこわくて、なにもできなかった。力がないから戦えないんじゃなくて、ただ怖くて戦えなかったんだ。
なかったんだ。力じゃなくて、勇気が、覚悟が……だから、兄ちゃんの顔したあいつにトドメを差せなくて……」
「……」
「だから、お姉ちゃん! 名前を、お姉ちゃんの名前を教えてくれよ!」
「…………」
「俺の代わりにあいつを倒してくれたお姉ちゃんの名前、知っておきたいんだ! あいつをやっつけてくれたのはディーサイドなんかじゃない! お姉ちゃんなんだ!
――だからッ! お姉ちゃん、名前を! その名前を教えて欲しいんだ、お願いだから」
「……――」
「――お願いだから……」
――沈黙が無限に感じたその時、
振り返った彼女の白き視線に射貫かれる。
それはまるで、月光にも似た妖しくも優しい、そして儚くも強い意志の
遠くで
「――マリア」
嗚呼、マリア!
「ありがとう、マリア! 忘れない! 絶対、マリアのこと、忘れないからッ!!」
涼しげな表情を浮かべ荒野に消えるその姿に、奮えた。
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