009 神の敵は殲滅せねばならない ①


 ラズベリー伯爵館は、不穏な空気に包まれていた。悪天候な空模様。いまにも、雨が降りそうな曇り空だ。落雷が相輪を撃ち、塔が微かに揺れる。シオンが、心配そうに窓の外を見つめた。


 「あの……、ロゼ殿下。いらっしゃいますか?」

 

 外側から、アニメ声が聞こえる。甘ったるくて、元気な声。扉の外からの音である。鉄の塊は、硬く閉じられる。内側からは開かず何も通さない。けど、どうやら。音は遮断されてないらしい。


 防護結界で守られた扉が、動く。鉄が擦れ、嫌な音が頭に響く。生暖かい風が、扉の隙間から入り込んだ。


 扉の向こうから、白髪はくはつの女が顔を出した。肩までかかる、ボブショートの髪型だ。小柄であるが、大柄ではない身長。全身は、甲冑で包まれている。胸に大きな膨らみがある鎧だ。豊満な胸には、騎士団の紋章が取り付けられている。


 俺の様子を窺ってるようだ。女は、恐る恐る部屋の中に侵入した。俺と目が合うと。愛嬌のある笑みを浮かべる。


 「……なんの、用だ」


 「うちの副団長が、勝手なことをして、すいません! あのッ、少しいきすぎたとこがあるけど、そんなに悪い人じゃないんですッ!」


 「……は?」


 曲線の美しい。ふくよかな胸が、突然、目の前から消える。俺等の視線は、彼女のツムジ。その上にハねた、あほ毛に集中した。勢いよく、頭を直角に下げるその様子に呆ける。

 

 下がった頭から、視線を向けられる。緋色の瞳が、覗き込んだ。その表情は––––––、怯え。恐れ。戸惑い。何か、裏があるようには、到底見えないが。人は見た目で判断してはならないことを。俺はよく知っている。


 「あの……、やっぱり許してもらえませんよね?」


 俺とシオンは、同時にため息をついた。


 この娘が謝ろうと。俺たちの現状は変わらない。扉は開いているから、今なら。逃げることもできる。だが、逃亡した時、王国に何言われるか考えたら。たまったもんじゃない。

 

 「謝罪なら……、ここから出してもらった後に聞こう」


 「当然です! 私、副団長にお願いしてきましたので! ほらッ! 結界もッ、解除してきましたよ。」


 そう言いながら。扉を手で押すと、微動だにしなかった鉄の塊は。ほんの少しの衝撃で、簡単に動いた。結界は、本当になくなってるらしい。

 少女が、人好きの笑みを浮かべる。あまりの都合の良さに。逆に気味の悪さを感じる。


 「とんだ、掌返しだな。あんな態度をとってた奴が、いきなり改めるとは思えないが」


 「副団長は。おそらく。うっかり。熱くなってしまったのだと……。」


 「うっかり、で。済まされる問題か?」


 体が、熱い。理不尽な空気の生温さが、俺の感覚を刺激する。ジメジメと湿った部屋。それに、痺れを切らしたかの如く。どうしても責めるような口調になってしまう。問答無用。という言葉が頭に浮かぶ。


 言葉の強さに、彼女は一歩後ずさった。背後に、扉があったのを忘れてたのか。頭を軽くぶつけた。少し、周りへの注意が散漫な様子である。


 静観していたシオンが、初めて口を開き、言う。


 「まぁ。ロゼ。話だけでも、聞こう。どうせ、閉じ込められてても何にもできないし。それに、まだ何か危害を加えられたわけじゃない。」


 「……そうだな。」


 シオンのハスキーな声がかけられる。


 少し、落ち着きを取り戻す。ベロニカのせいで予定は狂ったが。言ってしまえば、それだけだ。取り返しのつかない状況にはなっていない。それに、この娘に当たっていても仕方がない。

 俺の武器は、冷静さである。怒りで自分を失っている限り、運は味方しない。


 「まだ、聞いていないことがあったね。まず……、えっと。君のお名前は?」


 「私、ですかッ? !! ロインっていいます!」


 言葉と同時に、甲冑で守られた。ふくよかな胸が弾む。溌剌とした様子に、シオンの視線が、巨大な乳房に吸い寄せられる。彼のような、男には、目に毒のよう。


 「ロインさん。ただで出して貰えるってわけじゃないんでしょ? 僕たちが、黒の翼ブラック・ウィングであるという疑いが晴れたわけでもないし。」


 「はい……、だから。副団長は、殿下に作戦の指揮を任せたいと言ってます」

 

 「なんだって?」


 作戦––––––、それは、黒の翼ブラック・ウィングの残党を殲滅することだ。俺たちが皇国へと渡れなかった原因。作戦の指揮を任せるといえば、騎士団を俺が動かすことになる。奴は、啖呵も切っていた。成果を人に譲るような男にも、見えない。


 どうすれば、ベロニカの口からそんな言葉が出てくるのか。自己顕示欲の塊のような男だ。何か裏があるに違いない。


 「それを大人しく聞いてやる義理はないが……」


 「私からも。お願いします! 団長が殉職された今。この作戦を完遂するには……、副団長一人では荷が重いのではないかと」


 ロインの話によると。第五騎士団の団長は、黒の翼ブラック・ウィングとの戦いで戦死したらしい。確かに、副団長の権限では、動かせる兵に限りがある。第五騎士団は、規模が大きすぎる。黒の翼ブラック・ウィングを追い詰めほどの組織だ。


 俺は名目上、皇子。権限だけでいえば、団長とやらよりもある。

 

 「やっても、いいんじゃないかな。もし黒の翼ブラック・ウィングを放置してたら……、いっぱい人が死ぬかもしれないし」

 

 甘すぎる言葉に、ロインの顔が輝く。


 シオンは。俺たちにメリットがないことに気付いていないのか。いや。分かってるはずだ。シオンは、少し抜けているが、馬鹿ではない。その上で、この発言をしている。ローレライに選ばれた聖勇者なだけはある。


 「あの……。」


 「どうしたの? ロイン」


 「黒の翼ブラック・ウィングを全員倒すまでは。聖勇者様だけは、こちらの部屋内で大人しくしていて欲しいのです。」


 俺たちが、賊の仲間であるという疑いは。誰も信じてないだろう。しかし、名目上、宣言してしまっている。騎士団として。簡単に解放していいものではない。せめて、保険としての、人質というわけか。


 「仕方ない。だが、その代わり……、俺は、勝手にやらせてもらうぞ」


 俺は人に任せるくらいなら、自分でやる性質だ。簡単に人を信用しないってのもあるし。何より、自分でやったほうが早い。第五騎士団の副団長、グランヴァルク・ベロニカ。あいつに任せるくらいならば、俺がやったほうがまし。


 特に。俺は、黒の翼ブラック・ロストの性格の悪さは、よく知っている。執念深く、好戦的。奴らは、必ずまだ領地内にいる。本隊を追い詰めた騎士団に、必ず嫌がらせを仕掛けてくる。そういう連中なのだ。


 懸念を言えば。ベロニカが一体、何を考えているかわからないことだ。俺に恥をかかそうとしてるのか。まぁ、そうなれば。俺は、馬鹿で愚かなピエロだが。それならそれでいい。


 敵を全滅させても良し。失敗してもよし。目に見えて敵が逃げ出すと、騎士団も目標を失うことになる。最悪なのが、成果が出ないことだ。目に見えない敵ほど、厄介な相手はいない。

 どっちにしろ、俺にとって、悪い話ではない。


 シオンが露骨に嫌そうな顔をしていたが。俺は無視してロインと部屋の外に出た。








 空気が張り詰めている。息を吐く暇もないほどに。その場は凍りついて静止していた。


 路地裏にひっそり存在する酒場。傭兵達が集う憩いのオアシス。古びた看板だが、筆舌し難い貫禄がある。老舗であり、客の出入りは時間の割に多い。

 しかし、俺達の様子を見て、呆然と去っていく。


 「?? ほんとに、こんなところにいるんですかぁ?」


 ロインが俺の耳元で呟く。場違いなほどに、艶っぽいアニメ声だ。しかし、声とは裏腹に。動きが硬い。緊張しているのか、剣に添える手が震えている。


 騎士の数はおよそ三十人。酒場を完全に囲んでいる。黒の翼ブラック・ウィングは、地味で目立たない建物を好む。特に、人の目につかない。個室付きの酒場なんかに。


 俺が指揮権を得て半日。騎士団の報告によると、敵は各地に潜伏しているとのこと。しかし、それはデマだ。奴らは、そんな非効率なことをしない。一箇所にかたまり、戦力を集中させる。


 俺の意見を、ベロニカは馬鹿にしたように嘲笑っていた。他の隊員達も俺を心の底では見下してるのか、随分と不服の御様子。


 信頼関係のない状態で、騎士は、力を発揮できない。本来、作戦実行は望ましくないが。戦闘にはならないので良しとしよう。


 騎士達に指示をして、外で待機させ。俺は、帽巾を深く被り、酒場の扉を開けた。


 「いらっしゃいませ。」


 外見の割に、中は綺麗だった。中央にカウンター。奥は個室になって分かれてる。バーカウンターでは、店員が酒を作り。その後ろには、何百種類といった酒瓶。

 他の酒場と変わったことといえば。魔力を感じるくらいか。凄まじく濃密な力。


 黒の翼ブラック・ウィングは、魔王に忠誠を誓った集団だ。魔王と協力、主従関係にあり、敵陣営で唯一ランクの概念を持つ厄介者だ。魔王は幾らでも魔物を生み出せるので、ランクを簡単に調整できる。そのため、組織には高ランクの者が多い。


 隠しても隠しきれない力。ランクは高くても、そのランクはただの仮初である。自分の身の丈に合っていない。そんな奴らは、微弱だが魔力が漏れていることが多いのだ。


 黒の翼ブラック・ウィングの決定的な弱点。


 魔力漏れが激しい、個室の前で歩みを止めた。時が止まる。時間が息を止めていた。


 中の奴らは、俺の気配に気づいたのか。魔力の動きが荒ぶる。

 

 一際大きな音が、俺の鼓膜を揺さぶった–––––、爆裂の音がこだまする。机が吹っ飛ぶ。おそらく。炸裂魔法。


 続いて、目の前に、巨大な水球が現れた。高ランクしか扱えない高密度の魔法。水の情景スプレッド。発動した瞬間、対象に向けて。数秒で襲いかかる。だが、やはり構築が甘い。本来の速度には程遠いだろう。 


 軽く横にステップして、躱す。

 背後の客が巻き込まれる。四肢を踊らせ、吹き飛んだ。


 「アレを躱すか……、小癪な」

 「チ。外には、凡そ二十。囲まれてるぞッ」

 「一時、離脱する」


 四人の魔導師の男達。一見普通の客だ。だが、その身からは溢れるほどのエネルギーが漏れ出している。顔が上気し、額からは汗が流れている。


 紫の本流が浮かび上がる。気味が悪い色だ。移動魔法陣。俺も使えるが、こんな色は見たことがない。魔王の加護というやつか。とても、厄介だ。

 

 足場が爆発する。椅子や机。そしてカウンターが吹き飛んだ。客が巻き添いで爆発した。俺は跳んでかわしたが、頬に一筋切り傷が入る。威力の高い魔法だ。


 「相手が悪い。撤退する。」


 その言葉とともに、黒の翼ブラック・ウィングは本流に呑まれて消える。それと同時に、爆発の置き土産。耳を塞ぎたくなるような音が鳴る。


 「ぁぁ………ぁ!」

 「死にたく……、ない」

 

 店内は、悲鳴が飛び交う。腕がもがれた男が喚く。両足がなくなり、もう二度と歩けないだろう者。皮膚が爛れた女。彼らは、傭兵だろうか。怪我人は悔し涙を流し、連れは、神を呪う。


 神官プリーストとして、ローレライへの呪詛は聞き捨てならない。小声で、神術を展開する。


 「範囲完全回復魔法リザレテイション


 緑の優しい光が溢れる。傷口は治り、腕が再生し。爛れた皮膚は元に戻る。足がなくなった者は、立ち上がって走り回った。


 「……奇跡だッ!」


 誰かが叫んだ。奇跡を祝福し、神に祈りを捧げる者が現れる。


 そう。これは–––––、奇跡だ。


 被害がない。一人二人は死ぬと思っていた。死人がいないだけ、運がいい。店は半壊したが、弁償は第五騎士団にさせるので問題ない。


 思い通りに事が運びすぎて、口元がにやける。敵は、逃げたのではない。故意に、俺が、


 魔法陣には痕跡が残る。それも、即興で作ったものには特徴が表れやすい。足跡を辿れば、大元が割れる。つまり、確実に、全て。簡単に根絶やしにすることができる。


 今日の俺は–––––、ツいてる。


 ランクを意図的に操作することは、ローレライの意思に反する。自分がコツコツ上げてきただけあって。不正する奴に腹が立つのも事実。

 だが、俺は至って冷静だ。あくまで冷静に–––––、機械のように敵を葬り去る。


 軽い腰を上げる。帽布を深く被りながら。魔法陣の譜面だけ覚え。酒場を出た。


 さて、神の敵を殲滅しようか。

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