010 古い友人の記録の記憶
曇天の空が町全体を見下ろす。陽の光が街に届くことはない。街は呪われてるかのように暗い。雰囲気は最悪。息苦しく、生温い空気が辺りを漂う。
ラズベリー伯爵館、二階の応接間。質の良いソファに座る。雀の涙ほどの、敵の情報を読みながら。紅茶片手に、頭の中を整理する。
神出鬼没で、未だに本部がどこかも分かってない。
数時間前に見た譜面を思い出す。あれさえあれば、奴らの居場所が分かる。
魔法陣は、複雑に練り込まれる。まさに、複雑怪奇。優秀な魔法士でも、本来読み解くのは不可能である。しかし。簡易的な魔法陣は、違う。魔法学を少しかじれば、再現できる。
譜面を見ると。移動先の位置を特定できる。魔力さえなければ、いい。
魔法士は、魔力を持たない。が、戦闘員は魔力を持つのが多数。故に、襲撃者に、魔法陣は読まれない。奴らは高ランク。魔力なしの魔法士なら、どんな相手でも勝てると考えた自負。奢り。それが、敗北に繋がる。俺は魔力を、一切持たない。魔力を持たないので、魔法陣を作れる。
多数対多数になった場合、陣はもっと複雑にして然るべきだ。常識だ。だから、俺は一人で乗り込んだ。そして、相手の油断を誘った。
ロインや騎士たちに事情を言わず、一人で入ってよかった。彼らには、酒場に、確かな情報筋があると言っただけだ。俺を止めなかったのも、戦闘になるなど一切教えないため。
「殿下、
重苦しい空気を破ったのは、ロインだ。俺の目の前に座った少女。何が楽しいのか、ニコニコしながらこちらを見ている。
「そうだが。何か問題でも?」
「いえいえ。殿下。すごいです。どうやったんですか??」
「手の内を晒すほど、俺は馬鹿ではない。」
ロインは、さりげなく。俺の手元にある資料を覗き込んでくる。俺は、近づいた顔を、無理やり押し除けた。適当にあしらう。
そうすると。ロインは、退屈そうにそっぽを向いた。
「つまらないです。教えてくれても良いじゃないですかッ!」
「遊びでやってるわけじゃ、ない!」
ロインは、頬を膨らませながら、脚をバタバタさせる。綺麗な白髪が左右に揺れた。甲冑で身を守っている姿は、歩く要塞のよう。鎧は体にピッタリで、スタイリッシュに決まっている。
外見は大人びた様子に、見えるが。中身は随分と子供のようだ。
「というか。お前は何故、ここにいる。仕事の邪魔だ。失せろ。」
「殿下の、補佐ですよッ! 殿下は、私みたいな、女の子より。男の方がいいんですか?」
相変わらずのアニメ声。駄々をこねるように言い放たれた。その挙動は、活力に満ちている。天真爛漫な様子。ため息が出た。
ロインは、補佐というが、人の手は必要ない。それに、この違和感。俺の一挙一動に注意を払っている。視線の運び方が、異質。隙を窺ってるようにも見える。
……監視されている、という方が妥当か。俺は、あえて気づかないフリをする。以前までは、こうではなかった。ベロニカに何か言われたのか。流石は、この年で騎士団に入っているだけはある。俺以外なら、きっと気づかない。
目の前の少女に対する警戒レベルを、一つ上げた。
「殿下! 無事でしたか。」
扉が、無造作に開かれた。現れたのは、スーツで身を包んだ
ソラは、臨時で、第五騎士団に入っているらしい。俺とシオンが捕まった時に、どうすることもできず。賊の討伐を手伝うことにしたみたい。
「あんまり……、危険なことはなさらないでください。貴方に何かあったら、姫が悲しみます。」
「マルタは関係ない。それに。危険なことなど、ない。お前に、何か言われる筋合いも……、ない。」
俺がそう言うと。ソラは、顔を顰めた。足音を立てながら。俺の前の椅子まで来る。音を立て、勢いよく座った。テーブルの上で指を組みながら、俺のことを睨みつけた。
「
「?? ……シオンから聞いたのか。あんまり、人の
「殿下って。思ったより、ランク低いんですね?」
ロインが意外そうに俺を見つめる。もしかして、酒場での戦いを見られてたか。いや、それはない。配置は完璧だった。死角をつく、くらい。簡単だ。
扉が、凄まじい速度で開け放たれた。書類の束が、風圧で吹き飛ぶ。面倒だ。
視線が大男の元に集まる。第五騎士団の紋章。副団長。その大きな額には、青筋が浮かんでいる。
「おいッ! ふざけるなッ! 聞いてた話と違うぞッ!」
野太く低い声。俺の眉間に、シワが寄るのを感じた。
「これはこれは、ベロニカ卿。そんな息を荒げて、どうした?」
「まったく。打ち合わせ通りに動け。貴様は、言われたことすら、できないのかッ!?」
「なんの話か、分からないな」
ベロニカの思惑は分かっている。騎士の報告にあった
ベロニカも気づいただろう。俺に作戦の指揮権を譲ったのは、それが理由だ。言わば、捨て駒。作戦が失敗することを知っていたから。失敗したときの責任を俺に集めようとした。実際、俺は指揮をしていない。名目上の、お飾り。
今回の動きは、俺達の単独行動だ。ベロニカは、本来通り、自身の指揮の元。別の場所を攻め込んだ。きっと、不発に終わったことだろう。
言わば、俺と競争する盤面になっていたのだ。俺達は別で、敵の場所を炙り出した。奴が馬鹿にしていた俺に、先を越される形だ。ベロニカは、自分で自分の面子を潰したことになる。
「……分かってるぞ。何か、汚い手を使ったんだろ。さては。敵と通じているか。落ちるに、落ちたな。」
「まだ、そんなことを言ってるのか」
「まぁいい。貴様は醜態を晒した。敵を見つけたのに、取り逃すとは……。呆れる。私なら、確実に一網打尽にしていたのに。やはり、相当な、マヌケらしい」
ベロニカが威勢よく笑う。支離滅裂な奴である。俺が、
ソラが殺意を宿した目で、ベロニカを睨みつける。
「ベロニカ卿。あまり、殿下には失礼のないように。流石に……、今の発言は目に余る。これ以上度が過ぎると–––––、切ってしまいたくなる。」
「そちらこそ。図にのるな。自分が、ただの。御者だということを忘れるな。今のお前には、何の力もない。ファブロ公爵家の落ちこぼれの長男。いや、たしか。もう廃嫡していたか。」
「……ッ!? 貴様ッ!」
ソラの体が、震える。
けども。こんな奴でも役に立つものだ。俺に記憶の鍵をくれたのだから。
どこかで見たことある顔だと、思っていた。ファブロ公爵。王国で、五指に入る名門の家だ。全て合点がいった。思い出した。マルタに固執する理由も、理解した。
ルソラ・ファブロ……。確かに面影がある。随分と、好青年になった。何故か、今はアーミア家の執事をしているらしいが……。昔、マルタのことを酷く虐めてたのは、こいつだ。俺に敵対するのも分かるし、何故俺の肩を持つのかも、分かった。
ルソラ・ファブロは、ゼロとして活動し始めるきっかけになった男。全てを思い出す。久しぶりに、
「ルソラ。その辺にしておけ。お前が、優秀なのは、俺がよく知っている。」
「え……?」
名前を呼ぶのも、随分と久しぶりだ。ルソラが、無表情になる。感情を忘れ呆然とする。ベロニカが、鼻を鳴らす音も、耳に入ってない。
「それに、ベロニカ。お前は結果で示せ。俺は、口だけの人間が……、嫌いだ。効率だけを考えろ。今のお前は、酷く滑稽だ。まだ成果を表していない。それなのに、俺とルソラに、文句だけをいってくる。」
「……ハ。それは、お前のことだ。結果で示せ? 笑わせるな。なんの結果を出したってんだ、
ベロニカは余裕の顔だ。だが、その調子でいればいい。別に俺は、こいつを改心させようだなんて思っていない。
「敵の居場所を捕捉した。明日、一斉に攻撃を仕掛ける。」
俺一人では、数が多過ぎる。騎士団の力を借りる必要があるのだ。ベロニカには、せいぜい、駒として動いてもらうことにする。
作戦開始は明日。俺には、自信がある。明日で全ての敵を叩き、処分する。そして俺達は皇国へと渡る。全て完璧だ。懸念はない。準備は滞りなく進んでいる。
しかし、俺は。その時まだ見逃していた。敵ばかりに目を向けたせいで、味方にまで及ばなかった。とんでもない過ち。俺の計算が狂った瞬間。
作戦は、失敗に終わるということを。俺はまだ、知るよしもなかった。
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