007 シオンの苦悩


 四方八方を木々が囲んでいる。鳥が鳴き。虫が群れる。森の中特有の熱気が、体を蝕む。本来頼りになるフェンディルの鎧も、今となっては邪魔でしか無い。体の中に熱が篭る。空気が湿っていて、むさ苦しい。


 エベレスタの山裾。そこには、広大な森林ジャングルが広がっている。皇国と王国の境である、魔境。比較的高いランク上げに使われる場所だ。そこに存在する、魔物、魔獣は、言うまでもなく、強者ばかりである。


 魔獣の気配を僕の感覚器官が、捉える。強い殺気に加えて、生臭い、血の匂い。鼻が麻痺するくらいだ。今まで嗅いだことない刺激に、思わず顔を顰める。胃の奥から、苦い液がこみ上げた。倦怠感。気合でなんとか堪えるが、無意識に弱気になる。


 「……うぅ。やっぱり、キツいかも」


 「これは……、死の匂いです。シオン殿。初めは誰でも苦手なものですよ。慣れです。慣れ。」


 「君も……、ソラも。初めはこうだったの? 魔物を殺すのが、怖かったり」


 「……いえ。苦手とすら。感じたことないです。魔物を殺すのに躊躇う理由が……、私には分かりません。」


 「誰でもって言ったのに……」


 執事ソラにどうやら、気を遣わせたみたいである。彼には、殺生嫌いの意味が、わからないからだ。ため息がでる。この世界では命が、あまりに軽すぎる。価値観が、全く、違う。



 こちらに向けて、狼の獣が襲いかかってきた。灰色縞模様の狼。唐突なことに。反応できない。

 ソラはチラリと一瞥すると、人差し指をゆっくり。クイっと上に向ける。


 狼の魔獣は呻き声をあげた。血が溢れ。肉がはみ出す。四肢に、鋭いが食い込んだのだ。痛々しい切り傷が無数に生まれ、魔獣は。簡単に、肉ダルマへと変わった。


 「恐ろしい、手際の良さだ。ここの魔物も、高ランクのはずなのに。」


 「ここの適正ランクは……、四十から五十。私よりも、十以上低い。ランクが上がれば、それだけできることが、変わってくるだけです。」


 「それでも……、僕にはできないことだから。すごいや。」


 森林ジャングルに入って、既に二時間弱。出てきた敵は、全てソラが対処している。


 再び、目の前に魔獣が現れる。剣を構え、いつでも斬れる体勢を作る。だが、頭では、斬ろうとしてるのに。体が動かない。斬れない。金縛りにあったかのように。その場で硬直する。


 もう何度目か。もたもたしてる間に、糸が舞う。魔獣は。その一瞬で絶命する。

 彼の判断の速さは、僕と比べて。あまりにも……、一流すぎる。


 「ク……!! クソ!? 街でも聞いていたが……、 魔獣の、数がッ、多すぎるッ! 間違いなく、黒の翼ブラック・ウィングの所為だ! 許さんッ、許さんぞッ!?」


 黒の翼ブラック・ウィング。その名前を、王都で知らないものは、いない。魔王に魂を売った盗賊集団。正式には、元盗賊か。今では、逆賊と呼ばれ、王国、帝国、皇国。大陸全てで、指名手配中の、犯罪者集団だ。


 黒魔法という。禁忌の魔法を使用する。魔王を信奉することで、使えるようになる魔法らしい。残酷で、無慈悲。かつ倫理的でなく、邪道。そんな魔法であるため。人からは、強く忌み嫌われ、恐れられる。

 

 なぜ、黒の翼ブラック・ウィングの所為かというと。街の噂によれば。彼らは、正規の王国軍に追われてたらしい。王国軍は精鋭揃いだ。魔王に魂を売った、実力者達を相手にしても引けを取らない。


 当然、長い攻防の末、劣勢になる。そしてとうとう。黒の翼ブラック・ウィングは、王国の端まで追い詰められたのだ。後がなくなった。苦渋の選択で、橋を爆破して皇国へと逃げるしかなくなった。

 今からちょうど、半日前の話だ。迷惑な話である。

 

 「……随分と、暗くなったね。」


 辺りは、すっかり真っ暗だ。随分前に、夜の帳は下りている。空を見上げると、青い月が頭の上に浮かんでいた。おそらく、日付を跨いでいるだろう。夜の森は危険だと聞いたことがある。

 戦闘してるのは全てソラ。僕は口を挟んでいい人間ではないが。意を決して、提案する。


 「そろそろ……、戻った方がいいかも。ロゼが、待ってる」


 「……待ってませんよ。きっと今頃、呑気に、ソファで茶でも飲んでますよ。茶でも。」


 ソラは不服そうだった。よっぼど。ロゼのところに帰るのが、嫌らしい。ラズベリー伯爵家の館に着いた時も、少し喧嘩していた。


 「そう言わず。暗いし、もう戻ろう」


 ラズベリー家は、代々教皇派の貴族である。一族全員が、敬虔な神聖ローレライ教団の信徒で、信仰が深い。同じ教皇派であることからか。マルタの実家のアーミア家は、ラズベリー家と、幾許か交流があったそう。およそ数十年前。時の当代。ラズ・ラズベリーが、当主になるまでは。だ。


 今では、すっかり、途絶えてしまったみたいだけど。


 宝具を集めているのは、将来、現世に顕現するとされているローレライへの貢物だそう。宝具は、元々神歴の文明遺物である。その時代の王であったとされる、ローレライ。信徒がこぞって、宝具をかき集める気持ちが、よくわかった。


 暗い視界の中、木木の間を、否応なく抜ける。先の見えない森の中。湧き上がる感情は、不安。恐れ。ソラの姿を見失ったら、僕はおそらく帰ることすらできない。考えたくないことだ。枝葉が体に、引っかかり、擦り傷を作る。僕は、死に物狂いで、背中を追いかけた。


 時間を忘れ走る。いつのまにか、森を抜けていたことに気付いたのは。街の明かりが見え始めた頃だ。

 体には、獣の匂いが染み付いている。森を抜けても、その嫌な匂いからは逃げられなかった。あぁ。早くお風呂に入りたい。



 ラズベリー伯爵館。街の隅に位置する大きな屋敷である。その敷地は、主人であるラズ伯爵が、不在であるからか。少し寂しそうだに見える。


 屋敷の玄関には、王国軍第五騎士団。その副隊長が一人で、構えていた。


 「魔物の掃討。ご苦労。」


 グランヴァルク・ベロニカ。豪華な銀の鎧を身につけている。大柄な体に、百戦錬磨の雰囲気を兼ね備えた男。そのランクは、威圧感ある見た目通り。なんと五〇を上回るほどの高ランク。僕たちに、魔獣の討伐を指示した張本人。


 黒の翼ブラック・ウィングは取り逃した。が、その残党がこの辺りには散らばってるらしい。本格的に明日、残党狩りを開始するために。やけに増えた魔獣の数が、厄介だったらしく、頼み込んできたのだ。


 ロゼは、二つ返事で了承し、ソラに丸投げした。どうやら、ソラの琴線に触れたらしい。明らかに機嫌が悪くなった。態度の変化は著しい。

 

 彼は王国の皇子であり、戦闘職でない。ランクは二五と僕より高いが、王国の皇太子達は、騎士お付きの元。身を守るために、強制的に上げる。その話は有名であり、自力であげた訳ではないだろう。


 だから、僕はこの旅で、ロゼに戦ってもらうつもりはない。ソラも、重々承知の上だろう。だが、どうしても、気に入らなかったらしい。僕には、どうして怒っているのかはわからなかった。

 昔、何かあったのだろうか。


 「詳細は不要だ。以上。」


 野太い。低い声が向けられる。


 頭が混乱する。魔獣の数が厄介だったから、わざわざ。僕らに頼んだ割に。ベロニカ卿は、それだけ言うと、さっさと部屋に戻っていったからだ。


 「え? それだけ? 状況報告なしで、明日の作戦。大丈夫かなぁ。」


 あまりの呆気なさに驚く。もう少し倒した魔獣の種類とか、数とか聞いてきてもいいところだ。それを覚悟して、最低限報告できるくらいは覚えていたから……。詳細は不要か、なんか……、少し心配だ。


 だが、彼もプロである。きっと、上手くやることだろう。僕らは何も憂うことはない。


 ロゼが交渉して、明日、橋を直してもらうことになったのだ。明日になれば、橋は元に戻っている。僕らは早朝に出発するから。作戦の成功不成功は、関係ない。


 「私たちも、休みますか。明日は……、早い。というか。……やはり殿下は、待ってませんでしたね。」


 「待ってなくて、悪かったな」

 

 「……ひっ!」


 僕は、びくりと体を震わせた。声が聞こえたのは、入り口側。屋敷の外からだったからだ。ゆっくりと開く扉。隙間から風が吹き込んでくる。そこには、幽霊のような顔のロゼが立っている。


 ロゼ。雪のように白い髪の毛。瞳は、この世界においては、珍しい黒。僕と同じ色だ。服装は、王宮でこしらえてきた貴族の服。謎の多い男である。僕は、未だに彼の性格を掴み切れていない。繊細かと思えば、たまに大胆不敵な発言をする。


 「……これはこれは、殿下。こんな遅くまで。一体どこ、ほっつき歩いてたんですか」


 「野暮用だ。俺には、案外やることが。沢山ある。」


 「ほぅ。さぞかし、お忙しかったのでしょうね? 比べて、私等は、随分暇でした。なんでも、獣を倒すだけの、簡単なお仕事ですので?」


 「そうか。どうせなら。呑気にソファで茶でも、飲んでたらよかった。」


 「はい?」


 ソラの言い方が、刺々しい。まだ怒っているようだ。間違いなく皮肉。とはいえあれを簡単だといえるのは、流石ランク六十超えの男。


 ラズベリー伯爵館は、大きく五つに分かれてる。東西南北。加えて中央。決められた配置に、塔が存在する。五つ建物がある感じだ。とても作りが綺麗で、芸術作品のように凝ってる。その五つの塔の中。僕らが寝室として借りたのは、南塔だ。


 「そういえば……、ここには浴場があるらしいですね。私は、疲れたので簡易シャワーで済ませますが。お二人は、入ってきたらどうですか?」

 

 この世界に来る前は、風呂というものが当たり前だった。王宮にも大きな浴場がある。だから、不自由しなかった。が、風呂というのは贅沢品のよう。この先、何回入れるか分かったもんじゃ無い。


 「それなら……。行ってみる? ロゼ」


 「俺も……、風呂には少し、興味がある。最後に入ったのは、何年も前だ。」


 南塔の地下。向かった先は、白塗りの床。壁にはタイルが貼り付けてある。これほど豪華な作りは、地球でも見たことがない。当然、浴槽へのボルテージはマックスだ。


 「じゃあ……、出てきたら集合ね。先に入るよ」


 軽やかな足取りで浴場へと入ろうとする。が、それは叶わない。のれんを潜り抜けようとした所を、ロゼに掴まれる。


 「おい。シオン。そっちはだぞ。俺たちだけしかいないとはいえ、こういうところは……、ちゃんとしよう」


 「!? え?? いやちょっと待て。なんで!? 僕は––––––。」


 華奢なくせに、やけに強い腕力。僕はロゼに。無理やり、襟元を掴まれる。そして、引きずられる。



 半ば強引に、男湯に引き込まれていった。

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