006 苦渋の旅立ちの過ち
マルタとは、幼い頃からの付き合いだ。キッカケは。他の、いじめっ子達に虐められていたところを、俺が助けたことだった。
四歳の時だ。俺は、あの時、王国学の勉強しかしてなかったから。朝から晩まで、勉強の日々。部屋にずっと籠って、外に出ない日も多かった。
あの日だけ。唯一、外に出た。無性に外の空気が吸いたくなった。
赤い。ボサボサの短い髪。背丈が年齢の割には小さくて、ボソボソと話す。どちらかといえば、暗い、女の子だった。顔は中性的で、少年と間違えられるほど。
虐められっ子に泥をぶつけられ、泥だらけになったマルタを初めて見た時は。男だと思っていたほどだ。
マルタは、俺と一緒にいることで、明るさを取り戻していった。随分と、変わった。あの頃と今では、見た目も身長も、中身も声も。何もかも違う。
けれども……、本当は、あの頃と何にも変わってはいない。あの頃のまま、泣き虫マルタだ。震えながら、涙を堪えながら、裾をギュッと握って我慢する。その姿は、あの頃のマルタと–––––、よく重なる。
「ロゼ、ひどい! 私だけ置いてくなんて、ダメッ!」
キッと、恨むような目で、俺のことを睨みつける。
シオンが、先ほど、何か言いかけた事。それはおそらく、マルタのことだったのだろう。二人には面識がなかったはずだから。きっと、俺がくる前に、何か話をしたのだろう。
「絶対ダメ、だから! 勝手にいなくなるなんて……、だめ。」
か細く呟く。王宮でみた彼女とは、えらい違いである。
「……殿下。やはり、お考え直しください」
マルタの執事が。建物の影から出てくる。
この前と比べて。随分落ち着いた声だ。その変わり様に。俺は少し驚く。
「貴方が記憶を失ってから……、姫は変わられた。強くなった。姫は、ずっと殿下に守られていた。だから今度は、姫が、貴方を守れるようにと。それなのに、貴方が逃げるのは、あまりに、姫が、かわいそうだ。」
マルタは、俺のことをずっと慕ってくれていた。おそらく八年前。
「ねぇ。ロゼ。マルタさんと、あの執事……、強いよ。ランクが、どっちも。六十を超えてる。」
シオンが耳打ちで、こっそり、俺にそう伝える。
この世界のランク上限が、百。だから、ランク六〇は高ランクだ。死線をいくつもこえなければ、到達できない領域。並の決意では、きっとここまではできない。
「貴方の為です。殿下。姫は、陛下をお守りするために、強くなりました。もう二度と–––––、あんな、後悔をしないために。」
「だ、だからッ……。私も。一緒に、行きたい。行かせてください……。」
「ねぇ。ロゼ、連れてってあげても。いいんじゃないかな。彼女達、僕よりレベルが高いし。」
マルタの言葉に、シオンは俺の肩を叩きながら、言う。
これは……、俺の失態だ。
俺の存在が、マルタには
ゆっくりと、息を吐き出す。
「……だめだ。」
「!? 私ッ! 絶対、行くから! ダメって言われても……、行くんだからぁ!」
「マルタ。良い加減にしろ。」
俺の言葉に、マルタは、ビクリと体を震わせる。
マルタが離れていくと思った。王宮に戻った時、彼女が、俺のそばにいないのではないかと。思った。幼いながら、怖かったのかもしれない。俺は、
それが、彼女の心を、強く抉った。俺には考えが及ばないほど、全てが裏目に出た。
このままでは、マルタのために、よくない。彼女は、俺に依存しすぎている。
俺は、いつまでも王都にいない。
この旅も。魔王を倒しに、行くわけじゃない。目的さえ完遂したら。俺は前線へと、戻る。
「私は……、貴方の。婚約者ッ、なのよ!? 心配して、一体ッ! 何が悪いってのよ! バカッ!!」
懐疑的な目をする。信じられない、といった目。涙で赤くなった、腫れた目だ。マルタにそんな顔をさせるなんて。心が、居た堪れない。
けど。いつまでもこの状況のまま放置できない。
マルタは、誰よりも可愛くて、優しい子だ。だからこそ、俺なんかのために、これ以上。無駄な時間を使わせる、わけにはいかない。
皮肉なことに、俺は婚約者。俺にしかできないことがある。マルタのことは、俺にしか、救えない。
そばに置いて愛でるのが、愛情であるならば。突き放すこともまた……、愛情だ。
「そうか……、マルタ。それなら、婚約は––––––、破棄しよう。」
※
王国と皇国を繋ぐ山道。壮大な景色。威厳を感じさせる情景。風は凪ぎ、空気が新しい。
大陸で最も標高が高い山、エベレスタ。山頂は、王国と皇国との境界の上だ。山を超えたら、皇国領土。王国貴族の安全が、保障されない土地。
普段誰も通らないルートだが、便利で使いやすい。通行証もいらないし。文官が取り締まりもしていない。犯罪者が入ってきそうであるとはいえ。他にもいろんなルートが存在する。ここが、一番速いって理由だけだ。入国するためだけに、わざわざ、山を超える必要は、ない。
激しく揺れる馬車の中。山の、中腹辺りに差し掛かったところ。
シオンが心配そうに、俺を見つめた。真っ黒な瞳が、俺の目を、下から覗き込む。
「……本当に、よかったの?」
相変わらず、女だか男だか分からないほど綺麗な顔立ちである。
「あぁ。生憎、俺はもう、王都に戻るつもりは、ないからな。もしも。このまま放って置いたら、マルタのためにならないだろう」
「そうなの? まぁ……、ロゼがいいなら。いいんだけどさ」
シオンは、俯き気味に呟く。マルタのことを心配してるのか。その表情は、普段に比べて。随分と、暗い。
馬車が、不必要に揺れる。御者が荒ぶっているのか。パチンと、強くムチ打つ音が聞こえる。馬は鳴き、強く暴れるが、御者は辞める様子がない。
荒い操縦に、腰が宙を浮く。
「私は、絶対に、お前のことを許さんッ! 姫を、悲しませ、やがって。何が、婚約を破棄する、だッ! そんなもん、もともとッ、こっちから、願い下げだ!」
「煩い。グダグダ言ってないで、仕事しろ。」
マルタの執事が、大声で喚き立てた。王都を出発し。五時間弱。ずっとこの調子である。相手をしていたら、キリはない。
シオンも分かってるからか、苦笑いするだけで何も言わない。
「……クソ。なんで姫は。こんな野郎のことを」
俺の耳が音を捉える。執事がボソボソと呟くが。相手にしなかった。
馬車が、激しく揺れる。悲哀と呆れ。多種に渡る雑念は……、喧騒の中に立ち消えた。
馬車が、急停止する。
「!? な、これは……、一体どうなってる?」
山間には、絶壁が広がっている。底が見えない、奈落の底。巨大な連絡橋。皇国の首都、サザンビークへと繋がる、唯一の道。石造りでできた、頑丈な橋。
その橋が、半壊していた。到底、馬車一台が通れるとは思えない。表面は剥がれ、所々に穴がある。何より、途中で断絶している。
「わぁ……。この下。一体、どうなってるんだろう。落ちたら、怖いな。……ねぇ、一回、引き返さない?」
そんな感想を漏らしたのは、シオンだ。
シオン。王国が召喚した聖勇者。魔王を倒すことが目的の男である。聖勇者であるのだから、進むなり。跳ぶなり。少しは、気概を見せて欲しい。俺が一人だったならば、間違いなく跳ぶ。
「あまり、寄り道してる暇はない。……跳ぶぞ。」
「!? 跳ぶッ!? ねぇ、君。頭おかしいよ! 落ちたらどうするのさ、こんなところで、死にたくないよ!」
シオンの声が、山彦となってこだまする。その表情は、必死だった。俺はそれを、冷めた目で見ながら、言う。
「安心しろ。ローレライの加護持ち。それに、ランク二十。これだけ揃えば、落ちたところで、死ぬことはないだろう。」
「それ、でもッ!! ヤダよッ! ていうか。ランク二五の、ロゼは、落ちたら死んじゃうよ!?」
「死なない。なぜなら、信仰があるからだ。神を信仰している限り……。落下ごときで。傷ひとつ、つかないだろう。」
「ダメだ。話が、通じない。」
俺のランクは、とうの昔に、二〇を超えている。シオンの俺を見る目は、完全に、狂人を見る目だったが。嘘は言ってない。
「……しかし殿下。このデカイ馬車を担いで跳ぶのは、少し無理があるかと。」
執事が、唇を噛み締めながら言う。どうやら、こいつは跳ぶ派だったみたいだ。
この男は、皇国までの案内役である。皇国に着いたら、すぐ領地へと戻る予定。先を、急ぐ気持ちは一番強い。理由はいい。仕事熱心なのは、良いことだ。
俺なら馬車を抱えて跳ぶこともできるが、
「つまり。回り道しろということか?」
「この近くに……、珍しい宝具を集めている。貴族の館があります。殿下もご存知でしょう? おそらく、橋を一つ復元させる、程度の宝具くらいあるかと。」
「……ラズ・ラズベリーッ!!」
有名な、宝具収集家。偏屈。頑固で知られており、その評判は……、すごぶる悪い。
貴族の間で、奴のことを知らないものはいない。俺の、
俺は……、奴が嫌いだ。何より、話が通じなさすぎる。今まで、ことあるごとに、逃げて生きてきたのだが。限界が来た様だ。
どうやらこれ以上、避けては通れないらしい。
「知ってるの? ロゼは」
「いや。知らない」
反射的に言葉が出る。脳が現実逃避していた。教義で嘘は禁止されているが。無意識だ。ローレライも、きっと。許してくれるだろう。
ラズ・ラズベリー。
俺は。その男を、知っている。知り合い、レベルではない。嫌と言うほど、俺はあの顔を見た。性格も熟知している。何度か一緒に、行動を共にしたこともある。
その男は。喩えるなら、炎、嵐、地震。先へ進むため、手段を選ばないことは
二つ名が、「
俺と同じ、教会暗部の––––––、
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